@games日記(復刻版)    2014 September        トップへ

01 俳句大学句会 (4323回) 《ポスターは羊頭狗肉俳句甲子園》 (4324回) 《そぞろ寒花鳥諷詠パパブブレ》 (4325回)
04 クリクリ坊主 (4326回) 写真俳句の功罪 (4327回) 写真俳句は『存問』か?(写俳擁護論) (4328回)
07 《爛々と昼の星見え菌生え》 (4329回) 俳句(俳人)には2種類がある (4330回) 俳人に段位はないのか? (4331回)
10 シルバーパス更新 (4332回) 玉手のり子さんの句 (4333回) 錦織全米テニス準優勝 (4334回)
13 朝日新聞がお詫び、社長は引責 (4335回) サトーハチローの詩 (4336回) またメガネを新調 (4337回)
16 FBのメール通知が面倒 (4338回) 敬老艶句 (4339回) 青あらし (4340回)
19 プロファイリング (4341回) 日記とキスと俳句 (4342回) 夏井いつき氏の句評 (4343回)
22 【言わぬが花】 (4344回) 【平凡】を避けよ (4345回) 17音と31音(その1) (4346回)
25 17音と31音(その2) (4347回) 映画「柘榴坂の仇討ち」 (4348回) 怪物・逸ノ城 (4349回)
28 iPhone6 と6+ (4350回) 木曽御岳が噴火 (4351回) 全国陶器市 (4352回)


09/30 全国陶器市 (4352回)

西放射線道路で「全国陶器市」が開かれていたので、ぶらりと出かけてみた。
有田、伊万里、鍋島、美濃、備前、などたくさんの産地からの店が自慢の陶器を展示即売していた。
大きな壺や皿、置物など。さらに普段使いの食器や湯呑、花器、アクセサリーなどもあった。

小さな球の形のストラップもあったので星座を選んで買った。

佐賀、沖縄などからの海産干物を売る店もあり、干しシジミを見つけて買った。
炊き込みご飯にしたり味噌汁、すまし汁にしても良いそうだ。

09/29 木曽御岳が噴火 (4351回)

27日午後、木曽御岳が噴火した。
好天で200名以上の登山者がいたが、幸い死者はいなかったようだ。(後日、31名と発表された)

御嶽山(おんたけさん)は、長野県木曽郡木曽町・王滝村と岐阜県下呂市・高山市にまたがり、東日本火山帯の西端に位置する標高3,067 mの複合成層火山である。休火山だと思われていたが1979年(昭和54年)10月28日に突如噴火した。

直近で噴火したのは7年前だった。

09/28 iPhone6 と6+ (4350回)

アップルの新機種、iPhone6 と iPhon6+ が発売され人気を読んでいる。
画面は大きく、厚みは薄く軽くなったそうだ。

iPhone6 は僕の使っているLD21とほぼ同じ大きさ(4.7インチ)。
6+は一万円札とほぼ同じ大きさだ。
ちょっと大きくなりすぎだとの意見もあるそうだが、腕時計型端末との併用を意識しているとの観測もある。
まだ発売されたばかりなので、アプリを含めて使い勝手について色々なクレームも出ているようだ。

09/27 怪物・逸ノ城 (4349回)

秋場所でモンゴル出身の逸ノ城(21歳)が、初入幕で快進撃、13日目に横綱鶴竜を破り1敗を守った。
横綱白鵬は大関に破れこちらも1敗。
初入幕での金星は41年ぶりの快挙。
今日は白鵬(1敗)と対戦、勝負が注目されている。

(追記)9/27 白鵬が横綱の貫禄を見せて、逸ノ城は2敗となり優勝は厳しくなった。
若しも優勝となれば100年ぶりの新記録だそうだ。

(追記)千秋楽、白鵬は鶴竜を退け31回目の優勝を果たし、逸ノ城の新記録は成らなかった。
白鵬の次の目標は大鵬に並ぶ32回優勝だ。

09/26 映画「柘榴坂の仇討ち」 (4348回)

映画『柘榴坂の仇討』を観た。

 安政7年3月3日桜田門外の変。大老井伊掃部頭直弼が水戸浪士らによって暗殺された。
 彦根藩士60人あまりの供回りが惨死する中、近習志村金吾は槍を奪った浪士を深追いしている間に掃部頭は惨殺されてしまい一人生き残る。
 切腹は許されず、浪士18人のうち逃亡した5人の仇討を上司から命じられる。
いつしか江戸は東京と名を変え、廃藩置県が行われ、鉄道が開通し、西洋化の波は急速に進んでいる。
髷を結うことが禁じられ廃刀令も出される。武士の世は着実に消えつつあった。
 そんな中、志村は髷を結い月代も剃り、羽織袴に二刀を差し武士の体面をかたくなに守っていた。
志村はまた体面のみならず武士の矜持を片時も捨てていなかった。
桜田騒動から13年は明治5年。ついに志村は最後の浪士と対峙する。
この日は奇しくも仇討禁止令が布告された当日だった……

09/25 17音と31音(その2) (4347回)

新聞に次のような短歌が投稿されていた。
 《伊予国は犬が駆けゆく形にて 顔は備後へ尾は豊後向く》 (西条市 村上 敏之)

伊予国(愛媛県)の地図の形が「犬」に似ているという発見を詠ったものだ。
この歌の場合は、上五七五だけを取り上げ  《伊予国は犬が駆けゆく形にて
だけでも俳句らしく見えるが、季語はない。

同じように
 《両手上げ太平洋を抱え込む おもてなし好き高知県は》 (四万十市 吉尾 之利) の場合は

 《両手上げ大洋抱える土佐国》 とでもなろうか。でもやはり季語は入れられない。

ただでさえ少ない17音に「必ず季語を入れよ」という制約が如何に厳しいかの例ではないだろうか?
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FB玉手のり子さんから、投句コメントを頂いた。

天高し犬馳す様の伊予の国》  《大海を抱きて土佐の民ぬくし》 のり子

「天高し」「ぬくし」が季語となる。 真似をして作り替えてみた。

大洋を両手に土佐の民ぬくし

09/24 17音と31音(その1) (4346回)

秋の代表的な花の一つ秋桜/コスモスはどなたでもご存知と思う。
コスモスにも一重、八重、色も白、赤、ピンク、縁どり模様など様々な品種・名前がある。
写真に挙げた「シーシェル」という品種は比較的新しい。
見て覚えのある方/ない方、品種名をご存知の方/知らなかった方それぞれだと思う。

さてこのシーシェルを初めて見て驚き感動した場合に、それを知らない人にどう伝えるかを考えてみた。
伝えたい内容は、@シーシェルという名前のコスモス、Aユニークな形の花びら、Bとても可愛い花だったという印象や風情、だとする。

先日FB【萩原 真理子さん】にこんなコメントを頂いた。⇒ シーシェルが初めて園芸業界に出た時は、とても可愛いと思ったのを、懐かしく思い出しました。
 《貝細工 思わす花は コスモスの 秋風たゆとう 野原に揺れて

私も小学生になったつもりで歌を作ってみた。
 《シーシェルという名の可愛いコスモスは 子燕の口並んでいるよ

次に句を考えてみた。
 《コスモスに小さき貝の並びおり
  《シーシェルは雛鳥のよう餌ねだる
   《シーシェルとう名のコスモス貝に似て

31音を使えば、上の条件@ABを満たすことが出来るが、
17音だと、どうしても伝えきれない。(読み手はシーシェル=コスモスだとは知らない前提)
勿論写真を添えれば一目瞭然で、この花を見た感動が無理なく伝わるだろう。
「俳句は17音で独立」派の方々のご意見をぜひ伺ってみたい。

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(追記) 誤解されないように書いておくが、私は17音だけの俳句を否定したり、写真俳句の方が良いと言っているわけではない。
ただ上に挙げた例のように17音だけでは自分の発見した感動をどうしても伝えきれないことがあると思うので、
熟達の俳人の方はこの壁を乗り越える表現をどのように見つけられるのかを教えて欲しいのだ。


09/23 【平凡】を避けよ (4345回)

 《避けよ凡言わぬが花ぞ句の極意》 和
平凡】[名・形動]これといったすぐれた特色もなく、ごくあたりまえなこと。

日本の俳句人口はひと声で1000万人、作られる句は10億句にもなるという。
無造作に句を作っても、他の誰かが作る句とぶつかる、似てしまうということは十分に考えられる。
そんな中で自分の句を主張し、目立たせるためには、平凡な言葉や平凡な表現ではなく、
『常に斬新であったり、衝撃的な表現などを取り入れつつ、言葉の冒険みたいだなぁ。(FB 菅 真美さん)』
という工夫が大切で、皆さんそのことに力を入れておられると思う。

「斬新」とは「他人とは違う視点を持ち、発見をする」ということだ。
事物・風景を見て何かを発見し、その感動を句に表現して、読み手の人に伝え発見の感動を共有することが 句作の目的であり、楽しみなのだ。
そこに「言葉の壁」が立ちはだかることがある。

珍しい固有名詞(或いは動詞、形容詞など)は自分にとって発見である。
この言葉を句に使えば斬新な表現になると思いつく。
着眼点は良かったが、問題はその言葉を読み手が知っているかどうかだ。
若し読み手が知らなければ、「これは何のこと? 何が言いたいの?」で終わってしまいせっかくの感動が伝わらない。
そうかと言って、斬新な言葉にさらに説明を加えようとしても音が不足してしまう。

「前書き」や「写真を添える」なども答えの一つだが、新聞・雑誌・同人誌への投句ではこれは使えない。
分からなければ調べなさい、というのも答えの一つではあるが程度問題である。
ただ私の感触では、「17音は独立する」という考えを盾にして、この問題を避けている俳人が多いように思う。
自分の発見と感動がきちんと読む手に伝わるかという反省よりも、上手く17音に納まったという自己陶酔に浸っているだけのように思える。これを知らない/分からない/調べようとしない人(/選者)は読む資格はないと切り捨てている。

言葉には、ほとんどの人が知っている/教養のある人は知っている/ある地方の人だけが知っている、など様々だ。
特定の人たちだけが知っている言葉を自分が発見して使うのは良いが、知らない読み手にどう伝えるかの配慮が少な過ぎると思う。
(季語も俳人だけが知っている言葉だが、議論が発散するので言及を止める)
(俳句は作らないが読むことを楽しんでいる人たちもいることも視野に入っていないようだ)
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ここでFb五島高資氏の句をお借りする。
秋潮へ光を反す王位石かな》  高資
   王位石・野崎島― 場所: 小値賀島

句を読むと真っ先に頭に浮かぶのは「王位石とは何か?」という疑問であって、五島氏がこの風景をご覧になった時の感動ではない。
添え書きから野崎島にある何かの石だと推測はできるが、何故石に感動されたのかは分からない。
王位石は広辞苑にはなく、ネットではヒットした。
王位石は「おえいし」と読む。長崎県野崎島にあり、巨岩の組み合わせは高さ高さ23メートルに及び、古代遺跡と考えられている。
さらに五島氏の投句には写真が添えられているので、五島氏の感動をようやく受け取りコメントすることができた。
俳句は17音で独立する」ことの難しさはこの事例でも言えると思うのだが。

09/22 【言わぬが花】 (4344回)

 《避けよ凡言わぬが花ぞ句の極意》 和

言わぬが花】とは、物事は露骨に言ってしまっては興醒めするものであり、黙っているほうがかえって趣があったり、値打ちがあるものだというたとえ。

俳句や短歌では、嬉しい、悲しい、楽しいなどという感情を表す言葉をストレートに使わずに、
情景を述べる言葉から作者の気持ちを読み取ってもらうことが大事だとされている。
嬉しい、悲しいという感情にもさらに様々な色合いがあり、嬉しいと直接的にいうよりも
余韻を持たせることで読者のイメージが膨らむことを許す方が良いと言うことのようだ。

俳句は17音と限られまた季語という制約もあるので、音数を有効に使うために、
感情を表す言葉を省略し他に回したいという事情もあるようだ。

しかし、「俳句は17音で独立する」と言うのは至難の技だ。
単純に説明に終わるような句は、独立はしていても広がりがなくつまらない。
一方で広がりを意識しすぎて、断片的なあれこれの言葉の集積では、焦点も定まらず意味を理解できない。

句に前書きが付いていたり、写真が添えて(写真俳句)あれば、作者が何を見てどこに意識を集中しているのかが伝わるので 句の理解は断然良くなる。

以前「写真俳句の功罪」を書いた時(9/04)に次のようなコメントを頂いた。
【永田 満徳】 いい問題提起ですね。俳句大学でも取り上げて頂きたい問題です。私は俳句大学では写真が添えられていても写真は参考にしません。俳句のみの評価です。ですが、私も審査員として携わっている写真俳句では、俳句は6、7割の評価をしています。俳句がつまらないと俳句と冠した意味がありませんからね。つまり、写真俳句と雖も、写真は前書と同様に、補助的な役割にしかなりません。

【北島 和弘】 写俳と俳句は別なものと考えています。最近は特にfacebookは写俳にはむいていますね! それでも私は俳句のみで判断しています。 写真に助けられては俳句は未完成のような気がします。 句が良ければ写真も良くなるはずですが? 写真でイメージを固定されるのを私は嫌いますね。m(_ _)m

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 《達人も読み手次第で見落とされ
   《未完の句読みの助けに写真添え
     《未熟者句はそっちのけ写真褒め
(続く)

09/21 夏井いつき氏の句評 (4343回)

 《避けよ凡言わぬが花ぞ句の極意

9/18夜たまたまTBSを見たら、芸能人句会が行なわれていた。
芸能人8人が稲干しの写真を見て句を作り、夏井いつき氏が採点・講評するという番組だった。
良く出来ました2名、まずまず4名、ダメ句2名という結果だった。
夏井氏の句評は、それぞれの句について、どこが良いか何が悪いのかをズバズバと指摘し、
さらにもっと良い句にするならばどう手直しをすれば良いかを示すというもので、
17音を目いっぱい使うために意味の重なる言葉は避けるなど、とても明快で解りやすかった。

一席は梅沢富美男の句、《金色の光の香透けて稲架(ハサ)一重

この句については、「金色の」がよく使われる(ありふれた)言葉なのであまり感心しない。
金色が「稲(穂)」を指すのなら減点だが、梅澤氏の自己解説で「稲穂に透けて見えた陽の光が金色だった」と言うのを聞き減点はされなかった。

「俳句鑑賞は読者の自由」だと聞いている。作者の自己解説がなければ、
ある人は、金色⇒光と読んで秀句と言い、ある人は金色⇒稲穂と読み佳句だと評価するだろう。

この辺りが俳句の難しいところだが、夏井氏は温情を示したというところだろうか?
以前NHK俳句(宇田喜代子選)(3/05)の番組内で投稿句の中から、

一席  《海と山 越えて届きぬ 草の餅》 (佐渡市 保品 ひろし)

選者の宇田氏はこのように、述べていた。
『〈めったにしないことなんですが〉保品さんが佐渡市にお住まいということを鑑賞の中に入れてしまいましたが・・・海と山を越えてというのがちょっと大袈裟ですが、佐渡という場所でよく分かる・・・・』

09/20 日記とキスと俳句 (4342回)

三題話のようだが、キーワードは【秘め事】。
秘め事】とは、隠して人に知らせない事柄。かくしごと。ないしょごと。

日記」は、自分ひとりの秘め事。日記文学や随筆とは違い、個人の日記は誰にも見せないのが普通。
鍵のかかる日記帳というのも売られているほどだ。
(遺族ですら故人の日記帳は開けずにお棺に納めるのではないだろうか? プライバシー)
 ☆ 自らを奮い立たせて日記買う (岡山県 中村 杏子)2007-01

キス」は、二人だけの秘め事。(日本では)公衆の面前で堂々とする/人に見せるものではないとされている。
例外は結婚式場での新婚カップルのキスだけだ。(映画、ドラマでも見かけるがあれは飽くまでも演技)

それらと比べると、俳句作りは秘め事ではない。
俳句を作る人は、誰かに見せることを目的としていて、(多分)例外はない。
事物・景色を見て感動を句に詠む、それ自体を楽しむという面もあるが、それで終わりにする人はまずいないだろう。
沢山の句を作り、ノートに書き留めるが、一生誰にも見せず、墓場にもって行く人がいるとは思えない。
句座・句会・公に発表して、読者の鑑賞を受けて句作は完結する。

ところがそんな俳句(/川柳/短歌/詩)にも、例外があると気がついた。
それは【恋/愛/情念/セックス】を詠ったものだ。
セックスは明らかに【二人だけの秘め事】で、他人に見せたり言いふらせたりするものではない。
ただ、「猥褻」の定義と同じように境目がはっきりしない。
作者は現実の情熱をぎりぎりの言葉を使って表現しようとしたのだと思う。
だからこれら【恋/愛/情念/セックス】を詠ったものには、
【二人だけの秘め事】を覗き見するような感覚が付きまとう。

  《椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ》  (池田澄子)
  《恋人のからだの丘も春の暮》     (正岡 豊)
  《何もか 許して 夜の薔薇匂ふ》   (黛まどか)
  《夏みかん酢つぱしいまさら純潔など》 (鈴木しず子)
  《肉感に浸りひたるや熟れ石榴》    ( 々  )

  《愛咬やはるかはるかにさくら散る》 (時実新子)
  《乳房つんつん私に背き恋をする》  ( 々  )
  《火の肌に秘めし想いを君知るや》  (林ふじを)
  《子にあたふ乳房にあらず女なり》  ( 々  )

《春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ》 (与謝野晶子)
《ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶるごとわが乳房あり》 (河野裕子)
《先生 あのね セックスしたよ とても びっくりしたよ》  (つくば市 小池 多和)

《醒めはてし男の口を吸はむより かのくちなはの舌を吸はまし》 (原阿佐緒)
《乳ふさをろくでなしにふふませて桜終はらす雨を見てゐる》 (辰巳泰子))
《抱きしめて這わせて噛んで抉じあけて掴んで裂いて突いて殺して》 (川上史津子)

男の股に股が
 あたる
  固さに触れた
   温度をもつぐりぐりを故意に
    擦りつけてきた
その意思に気づく
 わたしの股をぐりぐりに擦りつける  (「伊藤比呂美詩集 1980」・部分)

これは江戸の文化が生んだ【枕絵】を見るような感覚だ。
歌麿や北斎を弾圧した松平定信に組みするか、ジャポニズムを生み出したモネに味方するか、皆さんはどちらですか?

09/19 プロファイリング (4341回)

俳句(句座、句会)に於いて、「作者を当てることが出来るか?」を考えた。
【プロファイリング】(Offender profiling、criminal profiling)とは、犯罪捜査において、犯罪の性質や特徴から、行動科学的に分析し、犯人の特徴を推論すること。
犯罪前の準備(情報収集等)、犯罪中の行動(殺人方法等)、犯罪後の処理(死体の処理、逃走方法等)は、犯人の性格、個性にかなり関係すると考えられている。捜査員はその推定を参考情報として犯人を捜査・検挙する。鑑識・情報管理・証拠調査・捜査・逮捕といった犯罪に関わる多くの過程における一部であって、一部マスコミやドラマで語られるような万能捜査員ではないことは強調されるべきであろう。(Wikipediaより)

「犯罪」を「作句」に置き換えるとどうなるか。
・作句前の準備(情報収集等)⇒同じ事物、風景を見てもそこに作者独自の視点があり、個性が現れる。
・作句中の行動(殺人方法等)⇒措辞、季語の選び方、並べ方、切れ、一物か取り合わせか、などなど(いわゆる癖)。
・作句後の処理(死体の処理、逃走方法等)⇒推敲の完成度、字余り、字足らず、破調の許容/否など。

句座、句会が比較的少人数で、日頃から顔見知り、馴染んでいる人たちの場合は、意識せずともプロファイリングを行って、
「あ、この句は誰それさんのに違いない」と判るのではないだろうか?

判った上でどうするかは、また別の問題だが、作者が発表された時、「あ、やっぱりね」というのは意外と快感なのではないか?

09/18 青あらし (4340回)

   《くちびるを初めて許すあをあらし》      《初めての口づけの味ラ・フランス

FB津野 利行さんの記事で知った、
   《親友と言ひ切る勇気あをあらし》  (琴美さん/三重/高田2年)

の句で、「あをあらし」という季語を知った。
あおあらし(青嵐)】(夏、天文)
万緑をゆるがして吹きわたる風、あるいは一般に五月から七月にかけて吹くやや強い風をいう。
清涼、爽快で、明るいイメージが本意だが、時にははなはだしく蒸した感じが伴う。(角川俳句大歳時記)

   《君地獄へわれ極楽へ青あらし》  (高山れおな)

ネット記事に「キス経験者は、2005年には中学生2割弱、高校生で5割程度に増えている」とあった。
10年経った今、この割合はさらに増えているのだろうか?
琴美さんがもうすぐ作ると想像したのが掲題の句。

09/17 敬老艶句 (4339回)

敬老艶句

《敬老と云うなワシャまだ百歳じゃ》
 《眼歯腹どれも丈夫でまらも立つ》
  《敬老日祝い状より毛饅頭》

(毛饅頭は池波正太郎著『剣客商売』に詳しく出ている)

09/16 FBのメール通知が面倒 (4338回)

FBの友達がかなり増えてきた。それは良いのだが、誰かが書き込み、コメントをするとその通知がメールにも来る。
FB画面自体にも通知はあるので、メールは余計だ。来たらどんどん消すだけ。
これが面倒だ。何とかならないものか。

09/15 またメガネを新調 (4337回)

8/27の日記に新しいメガネのことを書いた。
『フレームを流行りの細身にしてみたが、意外なことが分かった。
視野の下側(口側)がフレームに邪魔されて少し見辛い。
階段を降りるとき、頭を下げるようにしないと足を踏み外しそうになる。

先日初めてゴルフで使ってみたら、パットラインが微妙にズレる気がした。
短いパットも微妙に外れる。これは困った。対策を考えないといけない。』

問題点は2つ。
@ フレームが上下に狭い分、視野も狭い。
A 近くをよく見えるようにした分、視野全体の歪が大きい。

そこでメガネ屋と相談した結果、
B 上下幅の広い(普通の)フレームで作り直す。 (チタンフレームにすれば軽さが保証されるーー高い)
C 近くの見え方を少し抑える。歪は少なくなるが、手元がちょっと見づらくなる。

出来上がったメガネはまずまずだ。 慣れればゴルフにも威力を発揮するだろうか?

09/14 サトーハチローの詩 (4336回)

◆ サトーハチローの詩
川柳の形は、その道にはいりやすく、始めるとなかなか奥の深いものであると、サトウハチローが、友人の川柳作家のために作った詩を紹介していただきました。

  五・七・五でよむ
   悲しをよむ
    さびしさをよむ
     母の声をよむ
      友だちの姿をよむ
  待ちどうしいおやつをよむ
   はらぺこをよむ
   ふくれるしもやけをよむ
    風にひりつくあかぎれをよむ
  ありのままをよむ
   五・七・五でよむ
  人の心の中には糸がある
   何かにふれると
    美しく鳴りひびく糸がある
     五・七・五とならべたことばが
      この糸にふれると
       待ってましたと鳴りひびく
  わたしたち日本人の心の糸は
   五・七・五にすこぶる敏感
    ただちに大きくうなずき
     たちまち高くなりひびき
      それが拍手となってあらわれる
  五・七・五
   五・七・五
  川柳は俳句とともに
   世界で一番短い詩の形
    わたしたちだけが
      すぐにとびこめる詩の形
  わたしたちは
   これを大切に持ち続けよう

  五・七・五でよむ
   やりきれなさをよむ
    けんかしたあとの
     あじけなさをよむ
  遠いお遣いをよむ
   春を待つ芽をよむ
    鉢のこのうまさをよむ
     ものすごい足のしびれをよむ
  つづけてとび出す
   しゃっくりをよむ
    思いのままよむ
     五・七・五でよむ

    「川柳 その作り方・味わい方」より      番傘川柳本社編 創元社
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サトーハチロー氏の詩が述べていることは、全て俳句にも当てはまると思う。

09/13 朝日新聞がお詫び、社長は引責 (4335回)

朝日新聞の記事、「福島原発事故の吉田調書の公開」「韓国慰安婦問題」に関して、
過去の記事に誤りがあり、かつその訂正につきお詫びをしなかったことは間違っていたとして、
過去の記事の取り消しと、問題が整理され次第社長が引責辞任すると発表した。

しばらく前から週刊誌などで散々糾弾されていたが、とうとう詰め腹を切らされたという感じだ。

09/12 錦織全米テニス準優勝 (4334回)

錦織圭選手が全米テニスで準優勝した。日本人初の快挙だ。
相手はクロワチアのチナッチ、身長198cmの大男、200m/sのサーブの持ち主。

準優勝の賞金は、1.5億円、スポンサーのユニクロからボーナス1億円が出るという。

09/11 玉手のり子さんの句 (4333回)

神戸市の玉手のり子さんの句をよくお借りしている。
そもそもコラボに載せていたら、のり子さんからメールを頂き知り合いになった方だ。 調べると
(神戸市 玉手 のり子)さんの句

☆ 道一つ違へて梅の香に出会ふ    2005-03
☆ 萩ほめて犬ほめられてをりにけり  2005-10
☆ 知らんぷり出来ぬ性格濃紅梅    2006-02
☆ 里山の景なつかしく烏瓜      2006-11

☆ 水仙や淡路は日向多き島      2007-02
☆ 公園の広さはみ出す蝉時雨     2007-08
☆ 蹲踞の隣が似合う石蕗の花     2008-12
☆ みな小さき風を抱きて草の花    2011-10

☆ 花の刻留めし冷えと思はばや    2013-05
☆ 天辺は雲を捉へてゐる新樹     2013-11
☆ 太陽の赤を深めて牡丹の芽     2014-04
☆ 図書館に誰かの寝息夏深し     2014-09       12句にもなっていて、驚いた。
彼女の師匠稲畑汀子氏の句も二つ見つかりこれも驚いた。

☆ 贈られて手に溢れ抱く冬の薔薇  (稲畑 汀子)2006-01
☆ 双六の一回休みまた休み     (稲畑 汀子)2007-01

Facebook友達の今村氏、松村氏の句も知らずに借りていた。
☆ 紅葉も碧天もまた極まりぬ        (金沢市 今村 征一)2011-12
☆ 実石榴に詰まる真っ赤な昭和かな        (金沢市 今村 征一)2012-11
☆ 干柿のやうな齢となりにけり        (金沢市 今村 征一)2013-12
☆ 磨きたる窓より秋の立ちにけり       (金沢市 今村 征一)2014-09

☆ 落花して落花してなほ咲き満つる        (静岡市 松村 史其)2009-05
☆ 惑星に光の届く寒さかな        (静岡市 松村 史基)2013-01
◆ 桃色の春著の一人駆け出して        (静岡市 松村 史基)2014-02
☆ 今死んだ人が光つてゐる蛍        (静岡市 松村 史基)2014-07

09/10 シルバーパス更新 (4332回)

都のシルバーパスを更新した(20510円)。
少し高いような気もするが、バスの利用は多い(JR高尾駅、西八王子図書館)ので 十分元は取れると考えている。
何よりもパスを見せるだけで乗降できる便利さも捨てがたい。

都心へ出て地下鉄なども利用できるともっと良いのだがそうもいかない。

09/09 俳人に段位はないのか? (4331回)

◆ 俳人に段位はないのか?
囲碁将棋や柔道剣道には段位があり、ゴルフにはハンディキャップという制度がある。
段位やハンディキャップを聞けば、その人の実力がおおよそ分かるという仕組みだ。

FBにはたくさんの俳人/歌人の方が居られ投稿されているが、長い付き合いの方を除くとその人の経歴や実力をよく知らない。
もしも仮に俳人歌人にも段位のようなものがあり、それが表示されていれば、その人への対応を適切に出来るのだがと思う。

初級ー中級ー上級、でも良い。
私は初級だから、中級ー上級の方には敬意を持った対応をし、教えを請うコメントも書ける。
初級同士であれば、気楽にタメ口をきいたり、句評も遠慮なくできるが、中上級の人にはそれは失礼だ。

例えば玉手のり子さんにはのり子さんで通しているし、大森理恵さんのように、和良さん理恵でいいですよ〜と言われたら、そんなお付き合いを許されたと嬉しくなる。
句を読めば、それだけで実力は自ずから判るというのは、初心者には難しい。

09/08 俳句(俳人)には2種類がある (4330回)

◆ 俳句(俳人)には2種類がある
テニスの錦織圭選手が全米オープンでベスト4まで勝ち進んだニュースで湧いている。
WOWOWの加入者が急増し、ユニクロのシャツが品切れ状態だという。
日本/世界の頂点での活躍だが、テニス人口はいったいどれくらいなのだろう。

俳句人口は一声で1000万人とも言われ、作られる句は1年に10億句ともいう。
句界のトップクラスに居る方々は日夜句作に呻吟し、推敲を重ねた自信の句を新聞、俳誌に投稿して選者と戦っておられる。
しかしそのようなトップクラスの方は高々1000人(大目に見ても1万人)程度ではないだろうか?
残りの999万人にも上手下手があり、夫々所属の結社、同人誌などで研鑽を重ねておられるだろが、所詮は下積みの人だ。

このような事情はスポーツ、芸能、芸術、といったあらゆる分野でも同じ事情だと思われる。
しかし悲観することではない。下手なカラオケでも仲間内で楽しめればそれで良いのだ。
トップクラスの方々が入選、受賞を重ねてその中の1句がひょっとして後代にまで残るのと、
並句を見せ合って友達付き合いを楽しむのとにそれ程の差があるとも思えない。

家族で合奏を楽しむ方がいる。立派なホールでのコンサートとはレベルが違うだろうが、ご家族/お友達での楽しさは何物にも代え難いだろう。
そんな風に考えると、並句、凡句でも堂々と披露し、時にはこてんぱんに酷評を受ければ良いだけだと割り切ることが出来る。
無季、季重なり、付き過ぎ、切れがない、そんなことはあまり気にせず、自分を開放できれば良いのではないだろうか?
(トップレベルの俳人を目指す訳ではないのだから)

09/07 《爛々と昼の星見え菌生え》 (4329回)

◆ 虚子の句が分からない
稲畑汀子氏の『花鳥諷詠、そして未来』(NHK出版)の中で、虚子の
 《爛々と昼の星見え菌生え》  が紹介されている。

句とは感じるものだ、というがそれは句を読んで頭の中に出来るイメージがあって始めて可能になる。
「爛爛と昼の星見え」とはどういうことか?
曇り空ではなく晴天の昼間、そんな時刻に(月ならば別だが/昼の月はうっすらとで煌々とではない)星(例え金星でも)が見えるはずがない。
「菌が生えている」というからには森の中の湿気のあるような場所、それでも木の間越しに星が見えるとは考えにくい。

同書では、『句会に出席していた村松紅花の証言によれば、句会前の雑談で長野の俳人の一人が、深い井戸を覗いた時、昼であるのに底に溜まっていた水に星が映り途中の石積みの石の間に菌が生えていたという体験を話したことが分かっています。(中略)虚子はインスピレーションを得て一気に頭の中で壮大な宇宙を作り上げ、それを天と大地を併置することによって示しています』と説明がある。
(虚子の句に「前書き」があるのかどうかは確かめていない)

他人の体験談を自分のものとして句を作るという点はさておき、解説を読むと句の意味はああなるほどとはっきりと理解できる。
今の時代は余程の田舎にでも行かないと深い井戸にめぐり合うことすら出来ないからこの句の光景を追体験することすら不可能だ。
そもそも長野の俳人の体験というのも、希な好条件が重なっての出来事であって、「深い井戸を覗けば昼間でも星が見える」ということは決して簡単に体験出来ることではなく、周知の事実でもない。だからこそそれを聞いた虚子もびっくりしたのだろう。

話は飛ぶがUFO目撃談を思い出す。世界中にUFO目撃談は存在するが、UFOの正体は何か、実在するのかということは定かではない。
ただUFOという言葉は大半の人は知っているだろう。友人知人が「俺はUFOを確かに見た」と言ったとき、9割の人は「それは何か別の物を見間違えたのだろう」と言い、1割の人は「自分が見ない限り信じない」と言うだろう。
俳句や川柳にUFOという言葉は使われていると思うが、作者は想像の物体として扱っているのであって実在を信じているわけではないと思う。
虚子という人は、友人がUFOを見たと言った途端、自分が見たわけでもないのにUFOで1句作る人のようだ。

「客観写生」という言葉の意味は、自分自身の目で見てということでなければ意味がないと思うのだが。

「句は17音だけで独立する」ならば、冒頭の句のような「説明が付いて始めて理解できる」句がどうして虚子の代表句の一つとして挙げられているのかがどうしても分からない。
それとも俳句に熟達すれば、句を読んで深い井戸の底に映る昼の星のイメージが湧いてくるというのだろうか?

09/06 写真俳句は『存問』か?(写俳擁護論) (4328回)

◆ 写真俳句は『存問』か?(写俳擁護論)
「存問」とは(虚子俳話より)
・お寒うございます。お暑うございます。日常の存問が即ち俳句である。
・平俗の人が平俗の大衆に向かっての存問が即ち俳句である。

親しい人を訪ねた時、来る途中で見た事物・風景の写真と一緒に 「こんな句が浮かびましたの」と挨拶代りに披露する。
それが「写真俳句」ではないかと考えた。それを見た人は、 「あら素敵なお句ですわね」と感心し、「この措辞がいいですね」と褒める。
時には句と写真を見て、「私もこんな句が浮かびましたわ」と返句をする。
楽しい会話が写真俳句/存問と共に滑らかに始まるという訳だ。

人間には五感があるが、視覚(眼)は90%の比率を占めると聞いたことがある。
他の聴覚、味覚、嗅覚、触覚などに比べ視覚はとても重要で処理速度も早い。
百聞は一見に如かずで、目で見た瞬間から脳は猛烈なスピードで処理を開始する。
それに比べると文字を読んで意味を理解するというプロセスは遅い。
手早くこちらの言いたいことを伝えるには、視覚に訴えるのが一番だ。
手馴れた俳人なら、写真を見た瞬間、(相手の句を読み取る前に)自分の句が浮かぶような気がする。

同じ写真を見ても、人間の意識の置き方で、見る内容は異なる。
萩原まさ江さんの写真俳句を例に説明すると、   《公園に日射し傾き涼新た》

この同じ写真を見ながら、
【北野 和良】 小さいお子さんを連れた親子、ほのぼのとします。
【青山 進一路】 少し文字も傾げて面白いですね。
【草間 かをり】 幼子の夏帽子が可愛らしいですね(*^_^*)

写真のどの細部に注目するかは、人それぞれだと分かる。
他にも傍に立つ大木を見る人もいれば、ベンチにかけた人、石畳、外灯を見る人もいるだろう。
つまり同じ写真(風景)からでも、人によって注目する部分が異なり、それは違った句になるだろうということ。
吟行で同じ場所に行ってもそれぞれの人が作る句は違ったものになる道理だ。

冒頭の設問に戻ると、(広義の)写真俳句をアップする人たちは、比較的軽い気持ちで句を披露されているのだと推測したい。
「こんにちは、ご機嫌よう。こんな句を作りましたが、如何?(軽い意味の挑戦)」
それならば、作者の存問に対して、鑑賞のコメントや返句を気軽に遠慮なくすることが良いのではないだろうか。
そういった会話を交わし楽しむためには、写真俳句がとても良い手段になると思う。

(蛇足)
FBで友達になってもらった人には俳人の方が多い。
比較的初心の方から大ベテランの方までおられるようだ。
大ベテランという方は、全国紙や同人誌に投句(/真剣勝負)されて入選を重ねているような方々だ。
一日に何句も作られ、推敲を重ねて満足のいく作品(写真俳句とは別レベル)は満を持して全国紙や同人誌に投句され、
今ひとつの(ご自分では没にした/習作)作品を、軽い気持ちでFBにアップされているのではないだろうか?
全国紙、俳誌への投句は未発表とのルールがあるはずだから、最初にFBにということは出来ないはず。
(投句、選句済の過去の句はこの範疇には入らないが)

09/05 写真俳句の功罪 (4327回)

◆ 写真俳句の功罪
一枚の写真の上(中)に俳句を書き込む「写真俳句」というものがある。
(写真と俳句を対にして投稿する場合も広義の写真俳句と言えるだろう)
「写真俳句」には、次のような功罪があると思う。

【功】(賛成論)
@ 作者が句で伝えたい感慨が、写真によってより鮮明なイメージとなって伝わる。
A 17音では表しきれなかった事柄が、写真によってはっきりする。

先日、こんな句がコスモスの写真と一緒にアップされていた。
名を馳せて秋の看板女優かな 』(鈴木 美奈子)

秋の花を見て、看板女優のように美しく華やかだと詠まれたのだろう。
だが、句だけを読むと何の花かは分からない。秋の花では菊も秋バラも想像できる。
(或いは、秋のドラマに主演する女優さんを花に見立てたのかも知れない)
いずれにしろコスモスの写真を添えることで、作者はそのイメージを伝えたかったのだろう。
鑑賞者も写真のコスモスを見ることで、焦点を絞ることが出来る。

俳句では往々にして「前書き」が使われる。 夏目漱石の未発表句に次がある。
「愚妻病気 心元なき故本日又鎌倉に赴く」と前書きして
《京に二日また鎌倉の秋憶ふ》
前書きのお陰でこの句を作った時の心境がより正確に伝わってくる。
漱石の時代には手軽に写真を撮って組み合わせるなどは到底考えられなかったが、
現代ではそれは簡単に実行出来る。前書き代わりに写真を、という訳だ。

【罪】(反対論)
@ 俳句は「省略/説明し過ぎないこと/付き過ぎないこと」を旨とする。
 例えそのためにイメージがあやふやになるとしても、「虚と実の文芸」として押し切る。
A それが作者の意図するところではなくても、鑑賞者には自由に想像することを許す。
 その意味からは写真は読者の想像の余地を狭めてしまう。
 作者の意図と鑑賞者の自由な想像との共同作業の上に俳句は成り立つ。

上のような@A考え方を認めるとするなら、写真を添えてイメージを固定化することは俳句の本道に逆らうものではないか?
ーーーーーーーーーーーー
実際問題として、(広義の)写真俳句は、珍しくなく大流行の感すらある。
潔く17音にのみ託する」という信念が揺らいでいるのだろうか?

俳人の方々のご意見をぜひ聞いてみたいと思っている。
私個人はどちらかというと賛成論に加担するが、絵葉書のように仕立て上げた写真俳句はやり過ぎだとも思う。
コスモスの写真は鈴木美奈子さん、「写真俳句」の実例は萩原まさ江さんからお借りしました。
ーーーーーーーーーーーーー
【永田 満徳】 いい問題提起ですね。俳句大学でも取り上げて頂きたい問題です。私は俳句大学では写真が添えられていても写真は参考にしません。俳句のみの評価です。ですが、私も審査員として携わっている写真俳句では、俳句は6、7割の評価をしています。俳句がつまらないと俳句と冠した意味がありませんからね。つまり、写真俳句と雖も、写真は前書と同様に、補助的な役割にしかなりません。
【北島 和弘】 写俳と俳句は別なものと考えています。最近は特にfacebookは写俳にはむいていますね!
それでも私は俳句のみで判断しています。 写真に助けられては俳句は未完成のような気がします。
句が良ければ写真も良くなるはずですが? 写真でイメージを固定されるのを私は嫌いますね。m(_ _)m



09/04 クリクリ坊主 (4326回)

食欲の秋がやって来た。秋と言えば「栗」だ。 地元の陣馬栗を見つけて早速買ってきた。
茹でグリも手軽で美味しい。
今日は栗ご飯にしようと、皮を剥いた。クリクリ坊主の活躍だ。
この器械はハサミのように栗を挟んで皮を剥くことが出来る優れモノ。
渋皮は後で包丁で剥く。
今夜は初栗ご飯で秋を満喫しよう。

09/03 《そぞろ寒花鳥諷詠パパブブレ》 (4325回)

《そぞろ寒花鳥諷詠パパブブレ》 和

「パパブブレ」はスペインの金太郎飴と言われるキャンディ。
金太郎飴をネットで検索して見つけた(知らなかった言葉)。
俳人が古典を調べてあまり知られていない言葉を見つけ得々と使うのに似ているだろうか?

俳句大学投句欄に投句した上の句にたくさんのコメントが寄せられた。
ーーーーーーーーーー
永田 満徳】 パパブブレは「花鳥諷詠」の風刺ですかね。もちろん、「花鳥諷詠」の素晴らしさも分かった上です。
末好 川岡】 「俳論より句、句より人間」私はこの言葉を自らの戒めとしております。 私も言いたいことはたくさんあります。それをどう表現していくか?どうわかってもらえるように表現するか?が大事だと思います。少なくとも俳人として、つまり詩人としてどういう表現方法を取るか、非常に大事なことと思います。
大森 理恵】 これ、スペインで見つけて驚きましたわ笑
大森 理恵】 末吉さん 俳句はその方の【生き方】そのものなので、上手とか下手は一切、関係ございません。 これは詩歌全般及び評論にも言える事です。 賞なども、ヤラセが多いのが現状です。
昔と今は完全に違う世界です。 しがらみだらけの歌壇、俳壇に於いて、唯一の重鎮は金子兜太氏のみと存じます。
谷原 恵里子】 大森理恵さま、そうなんですか?そうな気がしきりにするこの頃だったのですが…
大森 理恵】 恵里子さん 最近の俳壇及び歌壇は、しがらみが強くて、強いモノには巻かれろ(笑)みたいな情境が、在ります。それは気骨の在る方が皆さん、亡くなり、昔のように、一字違いでケンケンガグカクと言った句会も無くなりました。
私は六歳から句会に参加しておりましたが、それは、もう幼な心には驚きの連続でした。
俳句は特に17文字の小宇宙ですから一字違いで全てが変わりますよね?でもね最近の俳壇には、そこ迄、自分の信念を持つ方が少なくなり、皆さん小さな世界での地位、名誉、肩書きに拘れるからなのです。
本来、詩歌の世界では年齢、老若男女、地位、名誉、肩書き等、関係なくなくて下の名前で呼びますよね?
それを、忘れてはいけないのに、賞に拘り、全く政治の世界と同じようになりました。 実に情けない限りです。
逆に、外国の方の方が日本の誇る唯一の俳句や短歌に興味を持たれて、季語に於いても詳しく聞いて来られます。
まず、その困った原因の一つには、俳句や短歌には著作権がないから、お金にはなりません。昔は日本の伝統文藝を守る為にビンボーな作家には必ずスボンサーが付いていたのですが現在では自分の生活を守る事を大切にする方が多い為です。
石田波郷と西東三鬼はライバルであったにも拘らず、三鬼は波郷を金銭面で援助してられました。角川源義氏も、自分の会社のお金を全てつぎ込み、俳人協会及び、雑誌の角川【短歌】【俳句】廃刊にはなりましたが【俳句研究】迄を創刊致しました。そして大野林火氏を【俳句】の編集長に迎えました。
が、今は、もう、そのような方が無くて賞に関しても殆ど、横の繋がりだけの世界です。
何も分かって無い方で黙っている方の方が敵を作らないからです。
毀誉褒貶の方が余りにも少なくなり、とても悲しく、思います。
このままでは、日本が世界に誇る俳句と言う文藝が廃れて行く一方なのです。
まだ、歌壇は皇室がバックに在りますが、俳壇はダメですね!

永田 満徳】 俳壇の事情をお聞きして、納得しました。こういう場でしか聞けませんね。
谷原 恵里子】 丁寧な俳句界の現状をお教えいただきありがとうございます。なんだか考えこんでしまいました。
いつも、うっすらと感じながら、もやもやしていた嫌だなと思う空気感は、こういうことなのですね。
俳句は作りたいけれども、俳句界を泳ぎわたる器量と気力が無いように思い、この一ヶ月は、ちょっと俳句から遠ざかっております。
どんなふうに、俳句と向き合おうかとまだまだ思い悩みます。やはり、俳句大学でいろいろ教えていただきありがたく思います。大森様、ありがとうございました。
昔、浦和に住んでいた時、俳句がしたくて、無謀にも金子兜太氏のお宅に電話をしたことがあるのですが、その時にやはり尻込みしてしまい、諦めました。
勇気を出して、行ってみたら良かったなあと、大森様のコメントを見てまた思いました。あの時から、20年も経ってようやく俳句をはじめたので、まだまだなんにもわからないままです。^_^
大森 理恵】 恵里子さん 俳句は下の名前でね、笑 理恵でいいですよ!
谷原 恵里子】 はーい、理恵様!
実は私の名前は恵理子なので、理恵様と同じ字なのですが、一番初めの登録を間違えてから、直すことができないのです
谷原 恵里子】 永田さんのお句、花鳥諷詠パパブブレが、ちょっと辛口方面を刺激されたので、思わぬ方向へ向かってしまいましたが、考えさせられたお句でした。後先が逆になりごめんなさい!
大森 理恵】 あとね、俳句界の事は、ご存知なくて、いいです。知れば知る程、イヤになりますから.…。
俳句は【自己】→【大自然】→【宇宙】へと繋がる世界なので。 自己の世界を持って作句、為さって下さい。
私は宿命的なモノが在りまして、どうしても、この世界からは抜けられません。
幼い頃の夢が一番がパイロット、二番がFBIの捜査官、その為にカリフォルニア大学に奨学金で留学して、ハーバードで半年間、学びましたが、どの夢も見事に面接で、落ちました笑 その為にクレー射撃迄、習いましたのにね。(爆笑)
大森 理恵】 あれ?ババブプレは北野さんの作品では、なかったかしら?笑
谷原 恵里子】 かっこいい!理恵様、すごい! 間違えました 北野さん、かえすがえすもごめんなさい!
北野 和良】 永田さん、川岡さん、大森さん、谷原さん。何かと物議を醸す投句をしてしまい、ちょっと後悔しています。名人の作は名人にしか分からないという風に感じてもいて、素人の私には秀句と月並みの違いすら読み取れないのが本音です。(自分が好きだと思う句とそうではないものとは区別できますが)そんな気持ちがあの句になりました。いずれにしろ俳句界の事情も教えて頂き大変勉強になりました。有難うございます。
谷原 恵里子】 ほんとに。話合う場所は以外にないので、有意義な時間になりました^_^
大森 理恵】 いえいえ、和良さんの投稿が無ければ、お話しが、ここ迄、発展しなかつたのですよ!
俳句は感じるモノなので、好きか嫌いかで良いのです。無駄な説明は全く不必要です
金子 敦】 理恵ちゃん、カッコいい〜! 色々なお話、とても勉強になります。「いいね!」のボタンを、いっぱい押しておきました(^^) 本当は、一つのコメントにつき、10回ほど押したい気持ちです(笑)

09/02 《ポスターは羊頭狗肉俳句甲子園》 (4324回)

《ポスター羊頭狗肉俳句甲子園》
第17回松山俳句甲子園 全国大会の結果     http://www.haikukoushien.com/
優勝  開成高等学校(東京) 準優勝  洛南高等学校B(京都)
3位  石川県立金沢桜丘高等学校(石川)      愛光高等学校(愛媛)
個人最優秀賞  湧き水は生きてゐる水桃洗ふ  愛知県立幸田高等学校 大橋佳歩

青春って何だ私だ炎天下 福岡県立筑紫丘高等学校 徳勝 有紀
喧嘩して夜店の裏を帰りけり  開成高等学校 日下部 太亮
夕焼や誰かの悲哀さへも写メ  沖縄県立浦添高等学校 金城 涼太
肝試し風の音にも汗ばみて 慶應義塾湘南藤沢高等部 瀬戸口 優里
臆病な飛魚だっているきっと  熊本信愛女学院高等学校 浦田 姫佳

ーーーーーーーーーーーーー
2月に松山俳句甲子園のポスターを見て、今年はどんな句が争われ選に勝ち抜くかと期待していた。
「恋は五七五」というポスターを大々的に掲げるのだから、入選句にも「恋の句」が登場するはずだと。
結果は上の通りで、「青春」を思わせる句はあるが「恋」は無かった。
作者の側に意欲がないのか、選者が堅苦しくて採らないのか?
手堅く勝つためには、選者好みの句を作るしかないのか?

「羊頭狗肉」という言葉を思い出した。
仮に品物や食べ物を売る店で、客が入りポスターにある品物を欲しいと言ったとき、
店が「その品はただいま品切れです」と言ったら客は怒り、店は非難されるだろう。
俳句甲子園の関係者は、どう考えているのだろうか?

09/01 俳句大学句会 (4323回)

Facebook上に開講した俳句大学に参加して下手な句を投稿してきたが、
第1回の句会が行なわれたので参加してみた。(新宿、家庭クラブ会館)

15名が参加、高橋信之学長の「現代俳句の展望」のお話の後で句会が始まった。
参加の15名が夫々2句を提出、それを読んで各人が特選、佳句、計6句を投票するというやり方だった。
投票が集計されて、票数の多かった(12票)から順に鑑賞意見の交換が行われ、最後に作者が明かされる。

如何にもベテランらしい技巧論も出て、なかなかついて行けなかった。
自分の句の一つに1票だけ入ったが、素人にしては上出来だった。
  《身を任せど心まではと夜の秋》    《ダリアにもメビウスの輪の恋模様》
この句は、柳原白蓮の歌をテーマにしたものだ(本歌取り?)

句会の後、2次会で居酒屋に行き、飲みながらの歓談。
これも句会の楽しみの一つらしい。



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