@games日記(復刻版)    2014 June        トップへ

01 「ハミング」抄 月野ぽぽな 【選句余滴】 斉藤慎爾 (1/2)(4233回) 【選句余滴】(後半) (4234回)
04 蓼科遠征ゴルフ (4235回) 陸自コンサート (4236回) ひたすら会ゴルフ (4237回)
07 『愛と死の夜想曲』【深轍】(1/3) (4238回) 『愛と死の夜想曲』【深轍】(2/3) (4239回) 『愛と死の夜想曲』【深轍】(3/3) (4240回)
10 『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(1/3) (4241回) 『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(2/3) (4242回) 『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(3/3) (4243回)
13 カーナビを新調 (4244回) 佐久ー軽井沢ゴルフ遠征 (4245回) ポータブルDVDプレヤー (4246回)
16 『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(1/3) (4247回) 『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(2/3) (4248回) 『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(3/3) (4249回) 
19 所沢西武ゆり園 (4250回) 北山公園花菖蒲 (4251回) 空気入れ機 (4252回)
22 『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(1/3) (42453回) 『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(2/3) (4254回) 『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(3/3) (4255回)
25 隼人瓜 (4256回) 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(1/4) (4257回) 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(2/4) (4258回)
28 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(3/4) (4259回) 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(4/最終) (4260回) 伊藤園大賞に173万句 (4261回)


06/30 伊藤園大賞に173万句 (4261回)

◆ 伊藤園大賞に173万句(朝日新聞 2014-6-17)

「お〜いお茶新俳句大賞」(伊藤園)の記事が夕刊のトップに出た。
25回目を迎える今年は173万句が寄せられたと云う。

「季語なしでも口語体でも可、五七五のリズムは残す」という「新俳句」。
(これは角川春樹氏の「魂の一行詩」と同じ趣旨だ)

近年は9年連続で160万句以上が寄せられ、9割を占めるのが小中高生。
東京都荒川区の瑞光小学校は全校で俳句に取り組み、低学年も「季節の言葉」として季語を学ぶ。
出来た句は学校単位で新俳句大賞などに応募する。

想像力や表現力を育む目的で、2011年度からの学習指導要領で、俳句の創作学習の開始が 以前の小学5年から3年になり、多くの小学生が俳句を詠むようになった。
今年17回を迎える松山市の俳句甲子園も、過去最大の87校119チームがエントリーした。
神奈川大学主催の全国高校生俳句大賞と併せて、高校生と俳句をつなぐ催しとして定着している。

しかし、高校卒業後も俳句を続ける人は少ない。
俳句を学ぶには結社に入る事が多いが、「40歳で新人、60歳で一人前」といわれる結社は敬遠されがち。
若者が俳句を楽しむための受け皿作りが課題だ。

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「若者が俳句を楽しむための受け皿」として新聞・全国紙が機能しているかが気になっていた。
6/23の歌壇・俳壇を調べると、
【朝日歌壇】
《いつだって 強がる君は まっすぐで だから淋しい だからいとしい》(野洲市 谷 恵子)[永田和宏選]
《僕といるときだけ 髪を解く君よ それが本当に うれしかったよ》(熊本市 近藤 史紀)[馬場あきこ選]
《京都での 英語合宿だったけど 私の土産は 関西弁です》(横浜市 高橋 理沙子)[佐佐木幸綱選]
【朝日俳壇】
《もしかして 私の為に 薔薇開く》(富士市 蒲 康裕)[稲畑汀子選]
【読売歌壇】
《キーホルダー 「どないやねん」や「なんでやねん」 売り切れそうな「好きやねん」買う》(堺市 夏川 直)[俵 万智選]
【読売「俳壇】
《父ちゃんの 水鉄砲の よく飛ぶよ》(下田市 森本 幸平)[小澤 實選]

以上の歌・句が見つかった。青少年の「恋の句」まであと一歩だ。
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玉手 のり子】 ちょうどさっき、「僕といるときだけ・・・」の歌を読んで、いいなあと思っていました。新聞の投稿者の年齢ってどこで解るのですか?
北野 和良】 >のり子さん。熊本の近藤君や横浜の高橋さんは歌壇の常連さんで、以前から注目していて、歌を見ればまだ若い人だと推定できます。富士市の蒲君も詠いぶりからみて高校生ではないでしょうか?
北野 和良】 稲畑汀子氏や小澤實氏がこれらの句を選ばれた事がとても嬉しいです。

06/29 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(4/最終) (4260回)

『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(4/最終)

《撃たれても愛のかたちに翅ひらく》   中村苑子
《如月にうつくしく死ぬ生殖器》     大西泰世
《ほうたるのにほひのつきし睫毛かな》  飯田 晴
《鍵かけてしばし狂ひぬ春の山》     摂津幸彦

《死思へば君とのことは青葉木兎》    清水径子
《狡る休みせし吾をげんげ田に許す》   津田清子
《夢の世のえにしで藍がふかくなる》   大西泰世
《人抱けば人ひびきける霜夜かな》    小澤 實

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【選句余滴】    斉藤慎爾   (再掲)

 毎月定期的に出ている結社誌はおよそ千二百誌。全誌通読者はかつてこの世に一人も存在しない。
山本健吉から高柳重信に至る歴代の綜合誌の編集長、それに評論家、研究者も目を通した人はいない。
常識で考えればわかるように不可能なのだ。新聞、団地誌、社内報の俳句欄も加えると一体どれほどの句が作られていることか。
俳句人口二千万人説が定着しているが、話し半分のさらに半分にして五百万人。各人が日に一句作って、月の総数が一億五千万句。年に十八億句。
俳人が一日に一句しか作らないなんてことはまずありえない。五、六句は作る。そうすると数は・・・・・

 小説家は「批評家やジャーナリズムに無視された」だの「悪評された」だのと嘆くが、贅沢な悩みという以外にない。
酷評なぞなだしも救われる。少なくとも一読はされているのだから。
結社の外の誰からも読まれない、読む方法もないのが俳句界。おそろしい虚しさに耐えているのが俳人なのである。
ここでは実作者が読者だ。小説は書かないが、漱石や鴎外を読むという作者ー読者の分離がない。
桑原武夫が「第二芸術」と断じた理由の一つだが、その当否は措いて、俳句を取りまく状況は、「第二芸術」時代から余り変わっているとはおもえない。

 近代俳句は結社によって支えられ、名句秀句が主宰者の単独の選で記録されてきたのも事実。今日の俳句雑誌もまた殆どがその形式を踏襲している。結社では主宰者の単選が絶対的な力を持つ。結社内部の俳人だけに通じる名句も、他の結社の人にとっては凡句でしかない。たとえ名句が生誕しても他の結社には伝えられない。

 『二十世紀名句手帖』といった企画は、多少でも俳壇事情に通じている人には、無謀な試みと映るであろう。誰もやらなかったし、やろうともしなかった。そこでは名句や秀句は『歳時記』を繙けばよいとの考えが支配的である。だが、『歳時記』の収録句は必ずしも名句ではない。
 大部分は「季語」を巧みに使った例として収載されている。しかもAなる歳時記に載った例句は、その後に他社から出版されたBやCなる歳時記にマゴ引きされる。かくて「人口に膾炙されている句」として認知され、その句が入っていない「名句集アンソロジー」は欠陥本との烙印が押されることになる。何という倒錯。人口に膾炙される句が名句ではないのだ。

 『二十世紀名句手帖』を試みにどこでもよい、ページを繰ってみてほしい。
私は確信をもっていうのだが、「あの作家にこんな名句があったのか」「こんな名句を作っている無名俳人がいたんだ」という賛嘆の念をおさえることが出来ないはずである。

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『愛と死の夜想曲』(河出書房新社 2003 )の鑑賞が終わった。
私がテーマとして追求してきた『恋、愛の句』にこれだけたくさんの句が作られていたことが分かったのは大きな収穫だった。

写実絵画は森本草介画(千葉県ホキ美術館)。

06/28 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(3/4) (4259回)

『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(3/4)

《身のうちに白桃を抱き会ひにゆく  辻美奈子
《虹二重神も恋愛したまへり》    津田清子
《岩かげに秘密の菫幼き愛》     永田耕一郎
《手に熱き穂麦や今宵娶るべく》   岸本尚毅

《血のうすくなるまで遊び椿山》   手塚美佐
《青大将この日男と女かな》     鳴戸奈菜
《夏帯や触れて冷たき男の掌》    河野多希女
《百合の香に近く未明を愛されし》  寺井谷子

《緋牡丹や夜解くほどの髪もなく》  高木すみれ
《抱けば君のなかに菜の花灯りけり》 河原枇杷男
《抱擁の草のいきれとなりにけり》  岩月通子
《つなぐ手をくぐりてゆきし蝶々かな》 西村和子

《ひとり臥てちちろと闇をおなじうす》 桂 信子
《枯山にすつぽりと入り女たり》   岩永佐保
《後の世に逢はば二本の氷柱かな》  大木あまり
《蛍火や手首ほそしと掴まれし》   正木ゆう子

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「白桃」「娶る」「青大将」「百合の香」「緋牡丹」「抱擁」「蛍火」

06/27 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(2/4) (4258回)

『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(2/4)

《月の海乳張る胸のしびれけり》   名取里美
《服を選る秋の光をまとふため》   木本英美
《花杉に息のにごりは許されず》   丸山佳子
《老いらくの恋の哀しき野分かな》  中村昭子

《羅や人悲します恋をして》     鈴木真砂女
《桜満開おのが身に皮膚いちまい》  辻美奈子
《太初より別離の空は青かりき》   堀井春一郎
《まひまひやむかしわたしは弓なりに》 栗林千津

《駆け落をし損じたるは櫻頃》    後藤綾子
《走り来し息もて逢わん冬渚》    寺井谷子
《同棲や秋暁男のみ覚めて》     堀井春一郎
《雁のゆくとき熱き息感ず》     佐野美智

《夢十夜ことごとく花吹雪せり》   沼尻巳津子
《どの春の星にて妻子われを待つ》  秋澤 猛
《みじか夜の栞のごとき女かな》   鈴木栄子
《人妻に春の喇叭が遠く鳴る》    中村苑子

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「乳張る胸」「老いらくの恋」「羅」「皮膚いちまい」「弓なりに」「駆け落」「同棲」

写実絵画は森本草介画(千葉県ホキ美術館)。

06/26 『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(1/4) (42547)

『愛と死の夜想曲』D 【死後】の章(1/4)

《山霞むあなたがみえない傍に来て》   瀬口有子
《髪洗ひ生き得たる身がしづくする》   橋本多佳子
《もの狂ひしてゐる春の峠かな》     柿本多映
《白馬を少女穢れて下りにけむ》     西東三鬼

《はぐれ蝶たつた一人の人さがす》    浦木やす子
《春闌けぬ深き谷より女連れ》      小澤 実
《ほうたるとひとつ息してゐたりけり》  坂本宮尾
《青葉して夢とうつつの切れ目なく》   山本洋子

《春の蝉帯のゆるみに鳴きこもる》    三好潤子
《少しだけ死にたくなりぬ露の玉》    斎藤 玄
《白シーツ明日白鳥になるつもり》    辻美奈子
《虹二重二重のまぶた妻を持つ》     有馬朗人

《身のなかの逢魔が辻の蛍かな》     河原枇杷男
《乳房わたすも命渡さず鵙高音》     中嶋秀子
《逢ひにゆくカンナの緋途切れざる》   高浦銘子
《わが恋は芒のほかに告げざりし》    恩田侑布子

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「穢れて」「春の蝉」「逢魔が辻」「鵙」「カンナ」「芒」

06/25 隼人瓜 (4256回)

《みを捨てて 新たな命 隼人瓜》 和

            

昨年暮れに友人から隼人瓜を貰った。
一つは試食し、もう一つは新聞紙に包んで保存しておき、ひと月ほど前にプランターに植えてみた。
やがて芽が出て葉も伸びて来た。秋には実が成ると楽しみだ。

「隼人瓜」は熱帯アメリカ原産のウリ科の植物、日本では最初に鹿児島に渡って来たため隼人の瓜ということで、ハヤトウリという名前になった。
別名センナリウリ(千成瓜)。漬物、炒め物、煮物などにして食べることができる。

『ヨハネ伝』の第12章24節のキリストの言葉、「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」

06/24 『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(3/3) (4255回)

『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(3/3)

《蝶連れて狂ひしわれの遠出せり》   後藤綾子
《愛されてゐて薄氷を踏むあそび》   辻美奈子
《稲の花愛する人は受精せり》     高屋窓秋
《この恋に生きなば麦の金の禾》    林 桂

《白木蓮咲きしを閨のあかりとす》   井上 雪
《身の中を潮が引きゆく秋の暮》    加藤耕子
《降る雪も一途雛とは女とは》     加藤耕子

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俳句随想   那珂太郎 (『最も未来的な』 『「夜の桃」のエロス』 『俳句と私』『俳句寸感』)

(前略) 《あの世まで つづく紺青の空 も夏》

「あの世まで続く紺青の空」となどという言ひ回しは、修練を積んだ俳人はしないに違ひないこれに季語は無いから、「の夏」と付ける。冬・春は論外、秋より夏のほうをよしとした。そこに一拍置くから、「空」が切れとなる。いかにも素人の語法といふほかあるまい。(中略)
ところでこの句、文字で見るかぎりでは、「紺青の空」はあくまで青空のイメェジを喚起するにとどまるだらうが、音読するとき、「あの世までつづく」との対比から、「紺青(コンジョウ)」は「今生」ときこえないだらうか。晴れ渡った青空に吸い込まれるやうな、この世からそのままあの世へ吸い込まれてゆく思ひ。
−−実は作者はそんなことを意識して「紺青」の語を用ゐたわけではなかった。これもまた、別の友人に指摘されて、はじめて作者に意識化されたことである。
 すべての詩作品は、これを読む人によってはじめて成り立つのであり、いわば作品の実質は読者によって作られるといっていい。
作者は読者のよみを挑発することばの装置をしつらへるにすぎない。しかも読む側の経験ーー実経験や読書経験ーーなどを基にした読者の塑像力によって、はじめて作品は成り立つ。特に俳句のやうな短小詩型の場合、読者によって作られる領分がきはめて大きいと言はなければならないだらう。

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『読者の塑像力によって、はじめて作品は成り立つ』というのは心強い言葉だ。
自由に遠慮なく自分なりに句の鑑賞をしたいと思う。

06/23 『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(2/3) (4254回)

『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(2/3)

《晩夏来る遠浅にある乳房二個》    吉田透思朗
《桃買ひに黄泉の比良坂下りいる》   吉本和子
《早蕨の丘に乳房を噛みにけり》    新関岳雄
《野菊あり静かにからだ入れかへる》  摂津幸彦

《穴に入る蛇あかあかとかがやけり》  澤木欣一
《夏帯や一途といふは美しく》     鈴木真砂女
《狂はねば届かぬ高さ朴の花》     高澤晶子
《白鳥や抱かれ易き位置に立つ》    辻美奈子

《今死なば炎の中ならむ曼寿沙華》   荒井千佐代
《粉雪や朝より熱き女の身》      森 澄雄
《逢ひたくて蛍袋に灯をともす》    岩淵喜代子
《呪ふ人は好きな人なり紅芙蓉》    長谷川かな女

《きぬぎぬのうれひがほある雛かな》  加藤三七子
《わが肌のほとほとぬくし草枯るる》  原コウ子
《思ひきり愛されたくて囀りぬ》    吉井弥生
《夜の梅鋏のごとくひらく足》     柴田千晶

《暗室より水の音する母の情事》    寺山修司
《白百合の娼婦たらんとして眠る》   高澤晶子
《たらたらと蛍火夢の継目かな》    坂巻純子
《腋烟る少女でありし夏はるか》    正木ゆう子

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「乳房」「桃」「蛇」「蛍(火、袋)」「きぬぎぬ」「肌」「情事」「娼婦」「腋」。
「曼寿沙華」「紅芙蓉」「白百合」「朴の花」「黄泉の比良坂」。
「腋毛を剃る」というのは大人の女になった印・作法なのだろうか?

06/22 『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(1/3) (42453回)

『愛と死の夜想曲』C 【月朧】の章(1/3)

《乳垂るる妻となりつも草の餅》    芥川龍之介
《熱の中遠く遠くに青淡路》      松本美紗子
《花月夜死後もあひたきひとひとり》  福田甲子雄
《桃の花死んでいることもう忘れ》   鳴戸奈菜

《嫁の座といふ冬瓜のごときもの》    奥坂まや
《ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき》  桂 信子
《野苺に/天の/嗚咽の/はじまれり》 小宮山遠
《石蕗の花夢の中でも夢をみて》    長谷川草々

《虹立ちて忽ち君の在る如し》     高浜虚子
《身のうちの霜のこゑ聞くまくらがり》 山崎冨美子
《エプロンに無花果の染み同棲す》   堀井春一郎
《春眠の如くに涅槃したまへる》    行方克己

《ひと夜は母のふた夜は妻の切籠(キリコ)かな》 石原八束
《天地にいのちはひとつ潅仏会》    瀬戸内寂聴
《燕の子いのちとは無我夢中かな》   和田知子
《髪洗ふいくたびも修羅くぐりきて》  木田千女

《蛍燃えつきせぬひとを子に帰す》   稲垣きくの
《たてがみを刈り/たてがみを刈り/愛撫の晩年》 高柳重信
《初蛍ほどの人恋ひなりしかな》    岸 洋子
《水草生ふ後朝のうた昔より》     藤田湘子

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芥川龍之介、高浜虚子、瀬戸内寂聴など著名人も選ばれている。
写実絵画は森本草介画(千葉県ホキ美術館)。

06/21 空気入れ機 (4252回)

西八王子駅にある自転車預かり所の前に、空気入れが置かれていた。
自転車、バイク専用。使用料は無料だとか。

パワーがあり使い勝手は良さそうだった。

06/20 北山公園花菖蒲 (4251回)

ゆり園から歩いて40分ほどの北山公園で花菖蒲祭りが行われていたのでそちらへ廻った。
地元の人たちがボランティアで開催していたようだ。(入場無料)
かなり広い畑にたくさんの花菖蒲。種類も多かった。

広場の端には、地元の人たちの土産物屋も開いていた。

06/19 所沢西武ゆり園 (4250回)

所沢西武ドーム傍のユリ園に行って来た。(入場料1020円)
小さな山の斜面一面にたくさんのユリ、45万本あるという。
いろいろな色があり見事な景色だった。

このゆり園では、百合根の天ぷらを食べることが出来る。
蕎麦セット1000円。ほんのりと甘い味で正月以来の味だった。

06/18 『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(3/3) (4249回) 

『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(3/3)

《生きてまぐはうきさらぎの望の夜》  佐藤鬼房
《蓬摘み死なばほほゑむ唇ならむ》   河原枇杷男
《山眠る恋の終りを見届けて》     黛まどか
《いのちなり牡丹の奥の奥の渦》    殿村菟絲子
《髪洗ふ胸奥に瀧鳴りやまず》     坂巻純子
《女体とは揺れ異なれる櫻かな》    小林貴子
《雷遠し髪解きて夜は女の身》     平間真木子
《くらくらと髪結う愛の日を前に》   津沢マサ子

《月障のおわりし乳房委ねけり》    出口善子

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俳句随想   高橋睦郎

(前略)あえていえば俳句は日常の呼吸に近いものになっている、とはいえるだろう。
何処かに行った時のとりあえずの印象、誰かに会った時のとっさの挨拶は俳句になることが普通だ。
そして、これは私の場合の特殊事情ではなく、日本人すくなくとも詩歌に興味を持ち時に書くことのある日本人に共通する一般的事情ではなかろうか。

 そんなところから、わたしがひそかに俳句に期待していることがある。俳句はその短さから発語主体であるわれを出さず、表現対象のもののみを出すことがしばしばある。有季という主張に立つ限り、そのものは自然現象や自然物である場合が多い。自然を表に出し、自分を裏に引っ込める・・・・・これは自然環境の重視が急務の現在に有効ではないか、と思うのだ。(中略)

世界で最も短い定形、世界最小の詩である俳句に、いささかなりとも未来への期待が託せるとしたら、俳句は最も現代的な詩、いや未来的な詩ということになる。

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『自然環境の重視が急務の現在に有効』とは卓論である。
佐藤鬼房氏の「まぐはう」、出口善子氏の「月障」は大胆な表現だ。

06/17 『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(2/3) (4248回)

『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(2/3)

《姫はじめ闇美しといひにけり》    矢島渚男
《女身とは光をはじく岬かな》     鎌倉佐弓
《遠ざけし人恋ふ枇杷の咲きてより》  鶯谷七菜子
《夢見るはほたる袋の腕の中》     安藤登免子

《冬涛に思ひやまざる恋といふか》   稲垣きくの
《愛されずして沖遠く泳ぐなり》    藤田湘子
《望の夜のうなばら濡れていたりけり》 篠崎圭介
《五月闇躓くことは淫らなり》     出口善子

《妊りて紙漉く乳房冷々と》      井筒紀久枝
《人体に蝶のあつまる涅槃かな》    柿本多映
《蓬香を嗅ぐ刹那さへひとの妻》    堀井春一郎
《乳房うつごときあかつきありて海》  金子皆子

《冬の虹うつつを夢と思いけり》    渡辺
《桔梗白し激しき恋は一度きり》    平野周子
《空蝉の身の透くばかり恋わたる》   稲垣きくの
《早梅や坂は乳房のゆるるほど》    和泉香津子

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矢島氏の「姫はじめ」は大胆な言葉使い。
涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。
その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。また、涅槃は如来の死そのものを指す。
だが俳人が「涅槃(図)」という言葉を使う時は、男女の愛の行為の後の満ち足りた状態を指しているように思える。
お釈迦さまはこれを知るとどう言われるだろうか?

06/16 『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(1/3) (4247回)

『愛と死の夜想曲』B 【花火】の章(1/3)

《遠花火この世の端にゐる思ひ》   関 礼子
《春の宵皿を汚して男去る》     北さとり
《梅漬けてあかき妻の手夜は愛す》  能村登四郎
《今生の狂ひが足らず秋蛍》     手塚美佐

《この枯れに胸の火放ちなば燃えむ》 稲垣きくの
《ひとづまにゑんどうはやはらかく煮えぬ》 桂 信子
《山桜人体も水ゆたかなる》     久保純夫
《君寄らば音叉めく身よ冬銀河》   藺草慶子

《たましひの濡れるるにまかす山葵》 坂巻純子
《初蝶の輝く翼受胎告ぐ》      有馬朗人
《抱かれて地の果てまでのかくれんぼ》 大西泰世
《蛇(クチナワ)が<隠れて生きよ>と人妻に》 摂津幸彦

《うしろより乳房殺され蛍籠》     出口善子
《祭あはれ奇術をとめを恋ひ焦れ》   出口善子
《月の暈牡丹くづるる夜なりけり》   石井露月
《恋とおちがふ紅葉の岸をともにして》 飯島晴子

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俳人にとって「蛍」は「恋心」「恋の行為」を暗喩する言葉のようだ。
同じように「蝶」や「蛇」なども好んで使われている。

06/15 ポータブルDVDプレヤー (4246回)

”FORESTA”というコーラスグループのDVD10枚組(27000円ほど)を女房の誕生日祝いにプレゼントした。
TVでも見られるが、自室でも聴けるようにと、DVDプレヤー(10インチ)(12000円ほど)を購入した。
コンパクトで車の中でも楽しめるような付属品も付いていた。
イヤホーンも付属で、満足してもらえた。

06/14 佐久ー軽井沢ゴルフ遠征 (4245回)

二泊三日、2プレイの旅行に出かけた(6/11-13)。
佐久にある新居さんのリゾートマンションを拠点に、(安藤さん、真一さん)
佐久リゾートGCと軽井沢72西コースのプレイ。
初日は移動日で、夕方に権現の湯で疲れを落とす。
2日目は朝雨模様だったが、ゴルフ場で粘っている間に小止みとなったのでプレイを。
3日目は朝から晴れて浅間山が良く見えた。
2時頃にはホールアウトして風呂に入ってから帰路に。
寄井SAで激しい雨となったが、八王子に帰ると晴れていた。
楽しいゴルフ旅行だった。

06/13 カーナビを新調 (4244回)

◆ カーナビを新調

 古いカーナビは5年ほど前の製品で、画面が5インチと小さかった。
動作に不足はないが、地図が古くなり「新東名」などが入っていない。地図データを更新するには16000円ほどかかる。
 通販で1万円(+消費税、郵送料)を見つけたので買う事にした。画面は7インチ。欠点はVICS機能がないこと。簡単に取り外してポータブルとして持ち歩くことが出来る。
 さっそく車のダッシュボードに取り付け、スマホとも併用出来るようにした。スマホは記録してある楽曲を再生するオーディオ機器代わりにもなる。

          

06/12 『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(3/3) (4243回)

『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(3/3)

《人間には花びらがある葛湯吹き》   清水径子
《ゆめにみる女はひとり星祭》     石川桂郎
《擁きあふわれら涅槃図よりこぼれ》  恩田侑布子
《花葡萄坐れる女の乳房三つ》     安井浩司

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俳句随想  上野千鶴子

《中年や遠くみのれる夜の桃》   三鬼
京大俳句会時代、西東三鬼はわたしたちのヒーローだった。
《白馬を少女穢れて下りにけり》  三鬼
これもどきりとするほど、エロティックで、あおあおと若さがにおいたつ。だが、いかにもこれどどうだ、といわんばかりのけれんみのある作品にくらべると、冒頭に掲げた一句は、若いころにはよく味わえなかったものだ。
「中年や」の切れ字、五七五の定型、そして季語使い。俳句の定石におとなしく納まってみせながら、ぶきみにその規矩をはみだしていくエロスがある。
熟れて頽れていくもろい果実。人の肌のように産毛を光らせ、女の尻のまるみと裂け目とを持っている。
内部から充実しながら、果皮を破ることもなく、とじこめられて腐っていく。夜の闇の中で、知る人もなく熟れ、蜜をすする人もない。わたしはここにいて、夜の桃に想像力が届いているが、遠くにあって手は届かない。わたしは、中年が、そういうものであることを、知っている。

 俳句というのは節制と断念の器だと思っていたわたしには、十七文字のなかにこんなにもたわわなエロスを盛り込むのは、邪道であり奇跡だった。
 ところで人はいつから中年になるのだろうか? 今は亡き作家の森瑤子に、『情事』という小説がある。(中略)彼女はそのなかで女主人公についてこう書いている。「セックスをやってやってへどがでるほどやりまくりたいと思った。」
五十代に入った今のわたしには、「夜の桃」の胸苦しいまでのエロスは、もはやなつかしいものとなった。

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上野氏の『五十代に入った今のわたしには、「夜の桃」の胸苦しいまでのエロスは、もはやなつかしいものとなった。』というのは、 正直な感想だろう。エロスに満ちた句は、若い時にしか作れない。
若い作者が、思いきり自らのエロスを詠いあげることのできる俳句界に変わるのはいつのことだろうか。

06/11 『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(2/3) (4242回)

『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(2/3)

《帯解きし渦の中なる花疲れ》     鈴木世記
《かわたれの生身つめたし月見草》   文挟夫佐恵
《くちづけのうごかぬ男女おぼろ月》  池内友次郎
《逢へぬ夜の風鈴しげく鳴ることよ》  中村苑子

《うすものに月光を容れ女ざかり》   檜 紀代
《逢へる辺の蛍の息のやはらかに》   矢島渚男
《雪はげし抱かれて息のつまりしこと》 橋本多佳子
《われは恋ひきみは晩霞つげわたる》  渡辺白泉

《菊枕ひと夜のくぼみありにけり》   佐藤博美
《七草に喩ふればはこべらの妻》    三森鉄治
《そのゑくぼ吸ひもきえよと唇づくる》 篠原鳳作
《山青しひとにつけきし乳の傷》    矢島渚男

《窓の雪女体にて湯をあふれしむ》   桂 信子
《どこまでがわたしどこから春の闇》  山下知津子
《牡丹雪その夜の妻のにほふかな》   石田波郷
《虹に謝す妻よりほかに女知らず》   中村草田男

《吾恋は闇夜に似たる月夜かな》    夏目漱石
《人を恋ふゆゑの白息かと思ふ》    石川仁木
《花の闇ひらくに銀の鍵使ふ》     鳥居真里子
《抱擁を解くや月光なだれ込む》    山下知津子

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昨日も出ていた山下知津子氏の句は、何歳頃に作られたのだろうか?

06/10 『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(1/3) (4241回)

『愛と死の夜想曲』 A【火傷】の章(1/3)

《春はあけぼの陰(ホト)の火傷のひりひりと》 辻 桃子
《暖炉灼く夫よタンゴを踊らうか》     三橋鷹女
《朧なるものの初めのわが乳房》      山下知津子
《コスモスなどやさしく咲けど死ねないよ》 鈴木しづ子

《虫の戸を叩けば妻の灯がともる》     古館曹人
《われにつきゐしサタン離れぬ曼寿沙華》  杉田久女
《夥しきは鳥のおちゆく夢精かな》     久保純夫
《ももいろの舌を秘蔵す野分あと》     嶋野国夫

《逢ふための薄刃のごとき夏の帯》    櫛原希伊子
《どこまでが帯どこからが朧束ねゐる》  津沢マサ子
《あらたまの春あけぼのの母乳なり》   北川英子
《蛍火や夫婦に乱れ籠一つ》       市川恵子

《一夜吾に近寝の白鳥ゐてこゑす》    橋本多佳子
《後ろより抱くいっぽんの瀧なるを》   恩田侑布子
《除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり》    森 澄雄
《花いばら髪ふれあひてめざめあふ》   鬼頭文子

《花の水脈その源をつきとめし》     鞍 悦子
《黒髪は眠らずにゐるきりぎりす》    大木あまり
《逢ひにゆく雲抱くやふに花だいて》   長谷川双魚
《満開の桜のこゑに耳とざす》      坂本宮尾

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この本にある五つの章の標題が何を示しているのかは分からないが、
前章【深轍】よりもエロチックなイメージが強い句を集めてあるようだ。
また、句の表現・言葉をよく読むと、作者の生きた時代が浮かび上がる気がする。

少年少女にも性教育が大切だと言う趣旨で、「われめちゃん」などの言葉が作られたりしたが、
辻桃子氏他の「陰(ホト)」、久保純夫氏の「夢精」という言葉を句に詠み込むことなどを俳句界はどう受け止めているのだろうか?

06/09 『愛と死の夜想曲』【深轍】(3/3) (4240回)

『愛と死の夜想曲』【深轍】(3/3)

《夏帯をしめ濁流をおもひをり》    飯島晴子
《銀のさびしさ青麦の中で逢えぬか》  廣嶋美恵子
《虹の橋この世のいづこにも触れず》  和田知子
《風花に眸もやして逢ひしこと》    横山房子

《肉体やとりとめもなく青葉して》   鳴戸奈菜
《人体の自在に曲る蛍の夜》      寺井京子
《閉経までに散る萩の花何匁》     池田澄子
《ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜》  桂 信子

《空蝉のごとく服脱ぐ背を開けて》   加藤三七子
《あなたとわたしが塞いだジュゥシイな夜》 上野千鶴子
《心中も情死も野分のあとのこと》   保坂敏子
《放下して白き牡丹の中にゐる》    後藤綾子

《少女期の尾が見えており冬すみれ》  寺井谷子
《いくたびも身を貫かれ雛の夜》    久保純夫
《むかし吾を縛りし男の子凌霄花》   中村苑子
《花衣ぬぐやみだるる恋に似て》    千原叡子

《空蝉の泪のいろに白日は》      斉藤梅子
《月に照る身のいづこより壊れゆく》  津田清子
《春の川指を流してしまひたく》    長谷川秋子
《殺されて/はないちもんめ/はるのゆき》  小宮山遠

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桂 信子氏の句は良く見るが、横山房子氏、千原叡子氏の句も良い。
鳴戸奈菜氏、寺井京子氏、後藤綾子氏は女性ならではの肉感的な句だ。
いずれにしても愛の句は女性の独壇場だ。

06/08 『愛と死の夜想曲』【深轍】(2/3) (4239回)

『愛と死の夜想曲』【深轍】(2/3)

《傷舐めて母は全能桃の花》    茨木和生
《月光はあまねし家庭内離婚》   江里昭彦
《あぢさゐの花より解くみごもりぬ》   篠原鳳作
   手偏に解(たゆく): 疲れて力がない。だるい。
《天涯や女に陰(ホト)の毛を与へ》  堀井春一郎

《昏々と眠り半身茂るかな》     鳴戸奈菜
《末枯やねむりの中に生理くる》   寺田京子
《やはらかく肩つかまれし蛍狩》   朝倉和江
《われを消すものほうほうと蓮枯れて》 手塚美佐

《黒牡丹もどきの閨とおもひけり》   大木孝子
《十三夜なきがらの陰(ホト)火のごとし》 熊谷愛子
《あぢさゐの闇夜も知らぬ深眠り》   三橋鷹女
《寒月下あにいもうとのやうに寝て》  大木あまり

《かげろふを二階にはこび女とす》   加藤郁乎
《父の意思夏こそ光れ杉・陰毛》    堀井春一郎
《くれなゐの泪ぎつしりざくろの実》  和田知子
《うつし身に白きもの着る虹のあと》  岩月通子

《女陰(ホト)の中に男ほろびて入りけり》 堀井春一郎
《毛糸編み来世も夫にかく編まむ》   山口波津女
《花の夜の言葉ひとひら信じたき》   町野けい子
《蝮草知らぬわが身の抱き心地》    恩田侑布子

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今日の20句のなかでは、熊谷愛子氏の大胆な句を取りたい。

06/07 『愛と死の夜想曲』【深轍】(1/3) (4238回)

斉藤慎爾氏の編集になる俳句アンソロジー『愛と死の夜想曲』という本を読んだ。
この本には、【深轍】【火傷】【花火】【月朧】【死後】の五章があり、夫々に編集者の拾い上げた句が載せられている。

【深轍】(1/3)

《くちすへばほほづきありぬあはれなり》 安住 敦
《空蝉の脚のつめたきこのさみしさ》   成田千空
《一度だけの妻の世終わる露の中》    能村登四郎
《ふれあひて水引草も世も淡し》     中嶋秀子

《迎火と送火の間夫婦なり》     植村通草
《雪の木に抱かれていま夢うつつ》  成澤たけし
《乙女らよ空蝉の背の割れざまよ》  永島靖子
《吾が死後も妻黒髪を洗ふべし》   進藤 均

《身を反らすたびにあやめの咲きにけり》 大西泰世
《気管支を痛める恋や麦の秋》     寺井谷子
《吾妹子の髪に銀河の触るるかに》   依田明倫
《てふてふや遊びをせむとて吾が生まぬ》 大石悦子

《少年の見遣るは少女鳥雲に》     中村草田男
《愛人の麦のひがしを刈りのこす》   摂津幸彦
《息触れて初夢ふたつ響きあふ》    正木ゆう子
《ほうたるよせつせつ水も炎なす》   熊谷愛子

《体内に泉あるごと愛すなり》     辻美奈子
《竹皮を脱ぐかたはらに女身かな》   岩城久治
《恋人や額にあおい木がしげり》    津沢マサ子
《恍惚の直後の手足雪降れり》     高澤晶子

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今までに読んできたアンソロジーで見た句もあるが、初めて知った作者・句も多い。 編集者の努力を多としたい。
今日の20句の中では、大西泰世氏の句が一番好きだ。

06/06 ひたすら会ゴルフ (4237回)

昔の会社の仲間とゴルフをした。 会の名前は「ひたすら会」。
順位も賞品もパーティもなく、ただ”ひたすら”ゴルフプレイに興じようと言う会だ。
3組12名が集まった(大相模CC)。

今日は比較的調子も良く、(55-48)で回れた。
最近、どちらかのハーフで50を切れるようになった。 もう一息で、100が切れそうだ。

06/05 陸自コンサート (4236回)

東京芸術劇場で行われた陸自コンサートを聴いた。(6/01)

演目は、
戴冠式行進曲  Gマイアベーア/Wヴァンデルビーク
自由への捧げもの  FJゴセック/Dドンティーヌ
民衆の祭りのためのコラール  Cケクラン
天と地をめぐりて  Fスパーク

序曲「謝肉祭」  Aドヴォルザーク/LDスタイガー
メキシコの祭り  HQリード

久し振りの金管を楽しんだ。

06/04 蓼科遠征ゴルフ (4235回)

三島周辺のグループ「かなめ会」に入って約2年になる。
このグループは毎月定例のコンペがあり、優勝者は賞金がお預けになる。
年度が終わった後、前年度の優勝者と有志が集まって、信州・蓼科方面へ遠征ゴルフツアーが企画される。
私はラッキーにも優勝者の一人となり、5/28−29に遠征に参加した。

今回は、「蓼科東急GC」と「フォレストカントリー三井の森」で2プレイ。
宿泊はエクシブ蓼科だった。 昨年も参加できたが、今年も夕食の後、カラオケで盛り上がった。
二日プレイは新ぺリアのコンペ、初日は7位、二日目は3位となりラッキーだった。

06/03 【選句余滴】(後半) (4234回)

【選句余滴】(後半)    斉藤慎爾

『二十世紀名句手帖』を試みにどこでもよい、ページを繰ってみてほしい。
私は確信をもっていうのだが、「あの作家にこんな名句があったのか」「こんな名句を作っている無名俳人がいたんだ」という賛嘆の念をおさえることが出来ないはずである。
私自身、「私たちの先行者は、ここまでやったのだ」と粛然とえりを正すことが幾度もあったことを書きとめておきたい。
選句にあたっては、まず諳んじている句を抽出していった。近現代俳人の主要作家については全作品に当たっている。編集者としてこの半世紀、直接に私淑した近現代俳人を故人に限って順不同に挙げれば、誓子、三鬼、静塔、不死男、汀女、楸邨、林火、兜子、草田男、耕衣、青畝、白虹、八束、重信、青邨、綾子、敦、窓秋、稚魚、登四郎、欣一、節子、敏郎、紀音夫、鬼房、敏雄、苑子、春一郎、聞石、壽美子、五千石らがいる。仕事(編集者)の枠を超えた交誼というべきもので、私のような弱齢では珍しいかもしれない。俳句の黄金時代を同時代的に生きてきたという実感がある。

『二十世紀名句手帖』には、子規の作品から、最近の俳人まで、すべて百年という歳月に拮抗している句を収録している。
◎ 作家の代表句といわれるもの必ずしも名句ではない。一冊の句集を例にとれば、序文で師が選んだ句、あるいは作者の自選から漏れた句に掬うべき珠玉があった。
◎ 雑詠欄の投句者の作など、ここに収載されなかったら、永劫に、当の結社内部でも忘れさられ埋もれていったであろう。これは考えてみれば恐ろしいことではあるまいか。
◎ 近現代俳句史上の著名俳人も、百年という時間に濾過させると、なぜ名が残ったのか不可解と当惑することがあった。編者や出版社の恣意、政治力学と、「夭折、無名、地方性」のために真に顕彰される俳人が埋没させられたのである。(後略)
 2003年8月    斉藤慎爾

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斉藤慎爾氏編集の『二十世紀名句手帖』は、全八巻あり、
【愛と死の夜想曲】【季節の宴から】 【花と樹木の響宴】【動物たちのカーニバル】
【星と月のシンフォニー】【時と祭のコスモロジー】 【海と山のラビリンス】【旅と人生の嬉遊曲】
が発刊(河出書房新社)されているが、私は自分の興味から【愛と死の夜想曲】だけを読んだ。

06/02 【選句余滴】 斉藤慎爾 (1/2)(4233回)

斉藤慎爾氏の編集になる『愛と死の夜想曲』という本を読んだ。
内容を紹介する前に、(後書き)に当たる氏の言葉を取りあげる(その1)。

【選句余滴】    斉藤慎爾

毎月定期的に出ている結社誌はおよそ千二百誌。全誌通読者はかつてこの世に一人も存在しない。
山本健吉から高柳重信に至る歴代の綜合誌の編集長、それに評論家、研究者も目を通した人はいない。
常識で考えればわかるように不可能なのだ。新聞、団地誌、社内報の俳句欄も加えると一体どれほどの句が作られていることか。
俳句人口二千万人説が定着しているが、話し半分のさらに半分にして五百万人。各人が日に一句作って、月の総数が一億五千万句。年に十八億句。俳人が一日に一句しか作らないなんてことはまずありえない。五、六句は作る。そうすると数は・・・・・

近代俳句は結社によって支えられ、名句秀句が主宰者の単独の選で記録されてきたのも事実。今日の俳句雑誌もまた殆どがその形式を踏襲している。
結社では主宰者の単選が絶対的な力を持つ。結社内部の俳人だけに通じる名句も、他の結社の人にとっては凡句でしかない。 たとえ名句が生誕しても他の結社には伝えられない。

『二十世紀名句手帖』といった企画は、多少でも俳壇事情に通じている人には、無謀な試みと映るであろう。誰もやらなかったし、やろうともしなかった。
そこでは名句や秀句は『歳時記』を繙けばよいとの考えが支配的である。だが、『歳時記』の収録句は必ずしも名句ではない。
大部分は「季語」を巧みに使った例として収載されている。しかもAなる歳時記に載った例句は、その後に他社から出版されたBやCなる歳時記にマゴ引きされる。
かくて「人口に膾炙されている句」として認知され、その句が入っていない「名句集アンソロジー」は欠陥本との烙印が押されることになる。何という倒錯。人口に膾炙される句が名句ではないのだ。

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俳句界の事情がとても良く分かる記述だ。
毎日、毎月、俳人たちの作る句は膨大な数となり、誰一人としてその全ての句に目を通すことなど絶対に出来ない事実。
膨大な結社に分かれていて、夫々が自分たちの周辺しか見知っておらず、その狭い世界の中だけで交流している事実。
これらはある意味「群盲、象を撫でる」現象と似ているように思える。

06/01 ◆ 「ハミング」抄 (4231回)

 月野ぽぽな(1965生)

《ふくらはぎの深さに藤の花咲けり》  《あめんぼう宇宙ぽろんとさざなみす》

《短夜のグランドピアノ獣めく》   《舌先の尖る泰山木の花》

《その中に崩落の音花カンナ》   《自らに逆らうかたち稲光》

《桜咲く乳房あることたしかめて》   《佐保姫のハミングをするときは風》

《求めあう体の奥の葛嵐》   《白ききょう傷を見せ合う少女たち》

《撫子の空にくすぐったいところ》   《草の絮アダムの指と神の指》

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ネットで偶然に月野ぽぽな氏の名前を見つけ、上の句を探し出した。 どこか謎めいた雰囲気の句だ。



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