@games日記(復刻版)    2014 May        トップへ

01 ブログ日記 4200回 (4201回) 『100年俳句計画』−1 (4202回) 『100年俳句計画』−2 (4203回)
04 『100年俳句計画』−3 (4204回) 『愛の俳句 愛の人生』 (4205回) 『愛の俳句 愛の人生』−2 (4206回)
07 『愛の俳句 愛の人生』−3 (4207回) 『愛の俳句 愛の人生』−4 (4208回) 『愛の俳句 愛の人生』−5 (4209回)
10 『愛の俳句 愛の人生』−6/最終 (4210回) 俳人・鎌倉佐弓 (4211回) 俳人・上野千鶴子 (4212回)
13 鈴木しず子とその回想(抜粋) (4213回) しず子は北海道で【群木鮎子】となった? (4214回) 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その1) (4215回)
16 恋のない人生なんて〜(その2) (4216回) 恋のない人生なんて〜(その3) (4217回) 恋のない人生なんて〜(その4/最終) (4218回)
19 ネットのページから (4219回) 乃愛の小部屋 (4220回) 句集『天窓から』(その1) (4221回)
22 句集『天窓から』(その2) (4222回) 句集『天窓から』(その3) (4223回) 句集『天窓から』(その4/最終) (4224回)
25 ミラノ展 (4225回) キトラ展 (4226回) 谷口桂子 自選200句より(その1) (4227回)
28 谷口桂子 自選200句より(その2/最終) (4228回) 田中亜美  (1970年10月8日 - ) (4229回) 高勢祥子(1976−−) (4230回)
31 宇咲冬男 (4231回)


05/31 宇咲冬男 (4231回)

◆ 俳句同人誌 「あした」監修者、宇咲冬男先生(1931--2013)の句集から

《吹雪く夜を愛してならぬひと愛す》 《りんご剥く愛に渇きし掌のよりど》 《妻かなし噛みゆけばある梨の芯》

《妻あらぬ夜の閨粗く椿落つ》 《冬霧や離りて住めば深む愛》 《春の鴨浮きて互いに遠き距離》

《くらがりの恋の火種の落椿》 《昨夜からひと想いおり木瓜の燃ゆ》 《掛け置かる閨にひと夜の花衣》

《黒薔薇や恋は魔性の裏返し》 《カンナ散ってかくまで赤き花知らず》 《夜の雪や男も炎ゆる肌もてり》

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冬男先生の俳句の特徴を一言で述べさせていただくならば「断定と否定による象徴性」であると私は思っています。その上で、見事な切れの挿入と、思い切りの良い捨象が、スッキリとしていながらも深い味わいのある物言いになっている所以であると思います。 (俳句随想  尾秀四郎)
http://haiku-ashita.sakura.ne.jp/zuisou26.html

主な著書には暉崚(てるおか)康隆共著『連句の楽しみ』同『連句のすすめ』、『現代の連句一実作ノート』『あした 季寄せ−連句必携−』宇咲冬男編著、角 田双柿共編、『宇咲冬男のヨーロッパの軌跡−俳句■連句<連歌>−1990〜2005年−』この本は国会国立図書館の永久保存文化財に指定さる。   地球一周の紀行エッセイ『地球の風−港のバラード 101日』エッセイ『4Bと自転車とお寺』=文芸社刊=小説『白い野道』=鴨台文学=『或る断章』=鴨台文学・改題、群青=掌編小説『えんぴつこばなし』=俳諧くさくき社<くさ茎>連載。 ーーーーーーーーーーーー
男性俳人の愛の句は、女性俳人の肉感的な句に比べると、観念的なイメージが多いと思う。
《吹雪く夜を愛してならぬひと愛す》は不倫の句だろうか?

05/30 高勢祥子(1976−−) (4230回)

◆ 高勢祥子(1976−−)

《永き日やピアスの穴の増えて会ふ》 《啓蟄や着替ふるときの腕長し》 《花冷や誰にも触れぬ手を洗ふ》

《砂時計裏返すとき柚子の香す》 《梟の声の詰まりし枕かな》 《くちなはや昨日触れたる所へと》

《枯原の中の灯台ならば抱く》 《抱かれし日の洗ひ髪湧く如し》 《冬の夜の指は指より離れて倦む》

《特急の切符に冷えてゆく過程》

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1976年神奈川県藤沢市生まれ。中央大学文学部文学科国文学専攻卒業。1995年中央大学俳句ゼミ(学部内の自主ゼミ)で俳句をつくり始める。1999年「鬼」入会。2012年「街」入会。2012年第3回北斗賞受賞(「火の粉」150句にて)。俳人協会会員。
第3回北斗賞の受賞者である。 受賞作150句の入った今回の句集『昨日触れたる』。 現代の若手俳人らしい感覚のある句が多いが、 その辺りが個性の乏しさに繋がっているように感じる。

05/29 田中亜美  (1970年10月8日 - ) (4229回)

《遠き火事見つめる情事凌霄花》 《逢へばいま骨の髄までカンナ咲く》 《鳴りやまぬテインパニがあり蔦紅葉》

《少女佇ちやはらかな棒花菜雨》 《みぞおちといふ孤舟あり合歓の花》 《いつ逢へば河いつ逢へば天の川 》

《はつなつの櫂と思ひし腕かな 》 《夏木立カナリア色に肩抱けり》 《春宵の梢は白き焔かな 》

《欲望の芯のささくれ冬の蜂 》 《真夜すこし乱気流かな百合の花 》 《銀漢は裂けやすき肉牡蠣啜る 》

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日本の俳人、近現代ドイツ詩研究者。
東京都目黒区生まれ。明治大学文学部出身、新聞社勤務を経て、東京大学大学院人文社会系研究科修了。
1998年、「海程」入会、金子兜太に師事。2001年、海程新人賞受賞。2006年、現代俳句新人賞。2010年、邑書林のアンソロジー『新撰21』に100句入集。
「はつなつの櫂と思ひし腕かな」「いつ逢へば河いつ逢へば天の川」など、いわゆる花鳥諷詠から距離を置いた独特の詩情を持つ句が多い。パウル・ツェランなど近現代ドイツ詩の研究者でもある。
明治大学、青山学院大学、実践女子大学非常勤講師。現代俳句協会会員。2010年〜2011年、『現代詩手帖』にて俳壇時評を担当。2012年4月より『朝日新聞』にて俳句時評を担当。

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句集という時系列・系統立てた読み方ではないので、上に採った句から作者の人生を窺うことは出来ないが、何かエロチックな雰囲気を感じる句が多い。
 《花ミモザ恋も思想もねむたくて》

05/28 谷口桂子 自選200句より(その2/最終) (4228回)

【句集『妬心』抄】
《静脈に妬心満ちゆく夏の夜》 《抱かれてもかのひとを恋ふ夜の菊》 《電話なき霜夜の部屋の広きかな》

《煙草消す男に帰心小夜時雨》 《靴を履く背中見てゐる寒さかな》 《抱かれゆくうなじのまとふおぼろかな》

《芍薬の咲ききってをりをんなかな》 《ソーダ水男の嘘の解きやすし》 《三人といふ数の重さよ草いきれ》

《来世には生まれ変はれよと蟻潰す》 《薬指さり気なく見て夏氷》 《厚化粧する緋のカンナ咲きにけり》

《寝息あるほうへ寝返り冬の晩》 《薄紅梅添へぬ背中と歩きをり》 《かけ違へしボタンの重さ夕紅葉》

【俳句研究】
《再婚を告げられ涼しき顔つくる》 《香水のきつく捨て身のなれずをり》

  《霧の夜へ並ぶ枕のしろきかな》 《別れいふ喉を見てゐる寒さかな》

【俳句】
《ガラスコップにつかはぬ歯ブラシ梅雨じめり》 《子を抱かぬ腕に深紅の薔薇を抱く》

【現代俳句】
《母こぼす孫なき引け目夏氷》 《忘れられた女とならず花薊》

【あすなろ】
《野分中被害者意識つのりをり》 《遠く見るを忘れて久し春の虹》

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与謝野晶子のように、相手の妻からの略奪婚へ踏み切ることは出来ず、別れることになる。
子供は出来ず、母親から孫のいないことを責められるが・・・・

作者の著書『愛の俳句 愛の人生』(講談社2001)のあとがきにこんな文章がある。
『(12名の俳人の句を紹介した後で)私が描いたのは、愛より憎悪が深まった夫婦や、芸術家である父親の犠牲になったという子供であり、不倫や肉親との確執であった。どこかで強く愛情を希求しながら素直に求められない意固地さ、それゆえ抱えた深い孤独でもあった。
 私の興味の視点が器用よりは不器用、素直より屈折を抱えた人にあり、その結果、「愛」そのものでなく、その裏側にある闇や翳りの部分に光をあてることになったのかもしれない。しかし、孤独や葛藤とは無縁の、絵に描いたような愛情に溢れる世界はそれほどないというのも真実だろう。
 確かにここに登場した人たちは際立った印象がある。自己に強く執着した人間というのは共通する特性かもしれない。
自分でも御し難い自我を抱えながら、それゆえの誤解を受け、周囲と摩擦を生じながらも自己に忠実である姿、どんな境遇に陥っても自己を否定せず、窮地を転機に結びつけようとあがいた姿は、順風満帆な人生よりもはるかに得るものが多いような気がする。明日に向かって一かけらの希望も見いだせないときに、諦めるという発想を拒否した俳人たちの生涯をどこかで思い出していただければ、望外の幸せである。
 句集『妬心』に詠んだ愛憎もある。十七文字という制約の中にある俳句は、小説や随筆に比べて表現できることが限られている。それでも人生において二度とない耀きを放つ一瞬、置き換えのきかない情感を詠むことはできるはずである。その行間や背景に、どれだけの思いが凝縮されているの、実作者でもあった(ある)私には、その呻きにも似た叫びが聞こえてきそうなときがある。』

作者は、自らの苦渋に満ちた人生と重ね合わせながら、12名の評伝を書いたと思われる。

05/27 谷口桂子 自選200句より(その1) (4227回)

【句集『妬心』抄】

《春の雨どちらともなく時計はずす》 《抱かれて畳に広がる余寒かな》 《眉描く日と描かぬ日と花散りぬ》

 《春の闇噂がうしろ通り過ぐ》 《短夜に触れられぬまま紅おとす》 《ハンカチの折り目に妬心走り梅雨》

  《男靴そろへ灼かれる指の先》 《浮かぶのは横顔ばかり春の宵》 《過去未来触れぬ会話や夜半の春》

 《ストッキングはく脚に夏充満す》 《二番目といふ言ひ訳し初電話》 《脱ぎ捨てしパジャマのかたち夏の雲》

《暖炉燃ゆ男の爪のかたきかな》 《桜鯛ひと切買ひて妻ならず》 《薔薇買ひて幸せなふり土曜午後》

   《冬灯消すしぐさは妻の手にも似て》

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谷口桂子氏略歴:1961年三重県四日市市生まれ。
東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒。小説、エッセイ、人物ルポ、俳句を雑誌などに発表。
人物ルポは元首相、ノーベル賞受賞者から、山谷の日雇い労働者まで幅広くインタビューを手がける。
『週刊朝日』連載「夫婦の階段」「夫婦の情景」では、著名人夫婦350組をインタビュー。

俳句は24歳で鈴木真砂女に出会って作句を始め、のちに加藤楸邨「寒雷」へ。現在、無所属。

著書に、小説『ケンカこでまり』(集英社)、インタビュー集『夫婦の階段』、
評伝『愛の俳句愛の人生』(講談社)、句集『妬心』(角川書店)、句画帖『私の物語』(左時枝と共著)、
アンソロジー『現代俳句最前線』など。最新刊は書き下ろし小説『一寸先は光』(講談社)。

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句集『妬心』の前半には、恋人との逢瀬が綴られている。
《春の雨どちらともなく時計はずす》の句は、二人が暗黙の了解のもと時計を外し愛の行為に入る情景が、見事に詠われている。
しかし、読み続けると二人の関係は不倫の愛であり、相手の男には妻がいて、作者は妻の存在を強く意識していると読める。

05/26 キトラ展 (4226回)

『キトラ古墳壁画』展が国立博物館で行われていた。
新聞配達店のサービスで入場券を手に入れたので、勇んで出かけてみたが、
最初は炎天、次は雨なのに、120分待ちの大行列。
延々と待たされるのは適わないと諦めた。

《走馬灯 四神にまみゆ キトラ展》   《これほどの 人気とすごすご 引き返す》

05/25 ミラノ展 (4225回)

澁谷bunkamuraのミラノ展を見た。 ルネッサンス期の絵画。宗教画が多かった。

ポスターにある貴婦人像は、誰を描いたのかは分かっていないそうだ。
宗教画では、暗黙の形式があり、サクランボはキリスト磔の象徴として絵の隅に描かれる、など。

《涼風に 頬なぶらせて ミラノ展》

《ルネサンス 百物語 画の並ぶ》

《キリストの 受難の象徴 サクランボ》

05/24 句集『天窓から』(その4/最終) (4224回)

◆ 句集『天窓から』 より  鎌倉佐弓 (その4/最終)

【骨のかおり】     破局

《天高く夫のあたま揺れやすし》  《朝霞にけやきの猜疑心とがる》  《かみそりが光るのに前触れなどいらぬ》

《プライドが羽をまとえば鴉のかあ》  《夫への思慕をさえぎる塵あくた》  《意地萎えて一万本のねこじゃらし》

《夫と子得たのに畳ざらざらす》  《離婚願望ささえる森の静寂(シジマ)あり》  《潮騒に腐蝕してゆく夫婦像》

《玉葱ごろんいつ放り出されでもいい》  《愛ならば木の葉の裏でふるえている》  《枯草の妬心ふつふつ煮つまりぬ》

《つくしなど出るから明日は死ねないよ》   《乳と蜜の母にとどまる不発弾》

《ああひばり歌わねば気が遠くなる》  《桜よさくらわたしの場所がぼろぼろに》  《わが名さゆみ朧々となべぶたを持つ》


【幸福なうろこ雲】     母子で

《子を産んで手首ほろほろ夏兆す》  《石ふたつ夫のあそびを覚えている》  《霧くれば霧にもたれて親子なり》

《幸福ようろこ雲から降りてこい》  《銀杏ふる妻から母へふるるるる》  《夫と妻の隙間しゃぼん玉あがれ》

《冬来ると言われて乳房やわらかし》  《波の上の未来よ渇いてはならぬ》  《どこまでも鎖骨は鳥を追うかたち》

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幸せな結婚生活は破れ、母子の暮らしとなる。
      《泣けるだけ泣いてひまわり直立す》『走れば春』より

(作者のあとがきより)
 赤ん坊が寝てくれているわずかな時間をさらうようにして、自分の心を覗き込みます。それは天窓という屋根裏部屋の顔しか出せないような小さな窓から、外界を眺める姿にもっとも似ているでしょう。換気はおろか、明かり取りさえ役立っていると思えないわが家の天窓。けれども大空に近いだけ、天窓はおもいきり心を解放させてくれそうです。この句集名『天窓から』には、そんなわたしの願いが込められています。

05/23 句集『天窓から』(その3) (4223回)

◆ 句集『天窓から』 より  鎌倉佐弓 (その3)

【あこや貝】     妊娠

《闇に闇ほうほうと咲き身ごもりぬ》  《瑠璃揚羽わたしのにおい嗅ぎにこよ》  《パセリ噛みつつ絶叫をかみ殺す》

《子をはらみ牡丹の蕊のあらあらし》  《激昂もレモンスカッシュの泡もまるみえ》  《受胎して象のあくびを眩しみぬ》

《こもりうた子宮の底へ暗がりへ》  《胎動に乗ってまどろむあこや貝》  《花へゆく人差し指はみだらなり》


【吹かれ上手】    出産

《ごうごうと鳴る産み月のかざぐるま》  《産声の金銀ひびわれてならず》

  《ほほえみの吹かれ上手な父になれ》   《妻ゆらゆら指から指輪はずしても》

《生まれくる前から嗤っていたお尻》  《この母の骨色の乳ほとばしれ》  《桜草おとこの指をおもいだす》

《失せたのは夫の恋を刺すナイフ》  《破られて切れてダリアは火照り花》  《今はむかし前髪は風のぬけがら》

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妊娠し、出産する、が、何かが起きた。
   《・・・夫の恋を刺す・・・》は何を暗示しているのか?

05/22 句集『天窓から』(その2) (4222回)

◆ 句集『天窓から』 より  鎌倉佐弓 (その2)

【きらりきらり】    婚約、入籍

《くすり指舐めて猫には猫の恋》  《すきと言えず鏡にすがる素手素足》  《君の瞳のおくの銀河に片思い》

   《彼とあう日まで香水つけっぱなし》    《そよかぜに弾けて鳳仙花は本気》

《彼へかれへ天上の蒼なだれおり》  《風だけでは足りないふたり婚約す》  《オリオンを掴みそこねた腕が好き》

《ひとひらのレモンに突き放されている》  《氷もて未婚の時間みがくべし》  《春風にめかくしされて入籍す》


【光はじく岬】     新婚

《芝ざくら夫が植えて妻が踏む》  《めくるめく闇をたよりに桜さく》  《椿落つ真昼間の陰(ホト)とじながら》

《のけぞって菜の花の黄のさわぐまま》  《わが胸の乙女座はかたむくのが嫌い》  《向日葵や耐えるおとこを夫にする》

《桃熟れてもうすぐ叫ぶ叫んでしまう》  《裂けながら石榴の素肌ただようや》  《愛されて竜胆ぎこちなく開く》

《カトレアに臆面もない襞ひだひだ》   《吹雪く夜の右の耳たぶから噛んで》

  《氷柱つらら歓びでがんじがらめ》   《女身とは光はじく岬かな》

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婚約し、入籍して新婚生活の歓びを大胆な句に詠んでいる。
《・・・・素手素足》の句は、奥坂まや氏の《時雨るるや恋のかたちの素手素足》と似た表現だが、どちらが早いんだろう?

05/21 句集『天窓から』(その1) (4221回)

◆ 句集『天窓から』 より  鎌倉佐弓  邑書林 (1992)(その1)
この句集は8つの章で構成されている。

【歌う青色】   恋愛時代

《白もくれん一糸まとわぬまま現われぬ》  《春や春のどにもいびきにも惚れて》  《花ふぶくうしろ髪からかわいがる》

《蓮華畑れんげはどうでもよくなりぬ》  《耳に息かけられて聞く蝉しぐれ》  《どちらともなく汽笛もつれあう》

《女郎花はじめに揺れた方が負け》   《満月の夜はつま先でさそってよ》


【オリオンの裏】

《乳房抱く少女の夏のほろ苦し》  《どこも晴れ我をさらって走りだせ》

《足裏ののぞみは星と睦むこと》  《山もみじ処女の声をちりばめて》  《あこがれはオリオンの裏の闇》

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作者の独身時代、夫となる男性との「恋の句」だ。

鎌倉佐弓氏・略歴
 1953年高知県生れ。埼玉大学在学中より俳句を作る。能村登四郎、林翔に師事。1988年沖珊瑚賞。叙情性豊かな作風で注目される。
 1998年より俳句雑誌「吟遊」を夏石番矢と刊行。編集にあたる。あふれる感受性で女性の内面を表現し続けている。
 日本を始めスロヴェニア、ポルトガル、ブルガリアでの俳句や詩の集まりに参加。2001年現代俳句協会賞受賞。世界俳句協会会員。
句集に『潤』(1984年)、『水の十字架』(1987年)、『天窓から』(1992年)、『現代俳人文庫 鎌倉佐弓句集』(1998年)、『走れば春』(2001年)、英訳句集『歌う青色』(2000年)。
 共著に『現代俳句パノラマ』(1994年)、『現代俳句ハンドブック』(1995年)、『現代俳句集成 全一巻』(1996年)など。その俳句は英語、ギリシア語、ロシア語、ブルガリア語、韓国語などに翻訳されている。

05/20 乃愛の小部屋 (4220回)

◆ 乃愛の小部屋  (ネットで見つけたページから)

人の手がしづかに肩へ秋日和  鷲谷七菜子(1923)
紅梅のあなた清十郎の恋    加藤三七子(1925)
逢ふための薄刃のごとき夏の帯 櫛原希伊子(1926)

どこまでが帯どこからがおぼろの夜 津沢マサ子(1927)
人体の自在に曲がる蛍の夜   寺井谷子(1944)
恍惚の直後の手足雪降れり   高澤晶子(1951)
その人の汗がひくまで待ちにけり   同

桃熟れてもうすぐ叫ぶ叫んでしまう 鎌倉佐弓(1953)
愛ならば木の葉の裏でふるえている  同

父親になりたいですか天の川   櫂未知子(1960)
水着選ぶいつしか彼の眼となつて 黛まどか(1962)
くちづけのあとの真っ赤なトマト切る  大高翔(1977)

05/19 ネットのページから (4219回)

ネットサーフィンで見つけたページから。

◆ 「俳句は虚と実の皮膜に生まれる文学。句は作句の青春性と虚実の世界に"遊ぶ" 至芸である」とは宇咲冬男先生の言ですが、出来得るならば、愛に満ちた生活の中から愛や恋の句を大いに詠みたいものです。(俳句同人誌 あした)

高橋治氏が書かれた「ひと恋ひ歳時記」の中には恋愛の様々なシーンを分類し、古今の俳人の句を抽いています。この中から私の独断と偏見をもって、いくつかの句を抽出してみました。

初恋や燈篭によする顔と顔       炭太祇
 万愚節に恋打ちあけしあはれさよ   安住敦
  細雪愛ふかければ歩をあはす    佐野まもる

妻二タ夜あらず二タ夜の天の川     中村草田男
 蚊の声や妻恋子恋妻恋し       石田波郷
  きさらぎの風吹ききみはひとの夫  桂信子

抱かれつつ撃たれてもよい葛の花    廣嶋美恵子
 愛はなほ青くて痛くて桐の花     坪内稔典
  夫恋えば吾に死ねとよ青葉木菟   橋本多佳子

接吻を知りそめし唇林檎食む      檜紀代
 わが死後も妻黒髪を洗ふべし     進藤均
  身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む   与謝蕪村

少女来て少女に増えし秘密かな     黛まどか
 冬灯消し憎きをとこに会いにゆく   長谷川双魚
  あきらめもつかず逢ひ得ず炭をつぐ  稲垣きくの

春冷ゆるむなしく別れ来し夜は      上村占魚

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与謝蕪村 にも艶っぽい句があると知り驚いた。
「俳句は虚と実の皮膜に生まれる文学」というのは言い得て妙だ。

05/18 恋のない人生なんて〜(その4/最終) (4218回)

◆ 【俳句界】2014-3 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その4/最終)

万葉集巻頭の歌は相聞歌。
日本の詩歌の歴史は「恋歌」で幕を開けた。
今の俳句のなんと恋歌の少ないことか。
恋こそが誌の泉なのである。

本特集では、「恋の句」というテーマで、7人の俳人の句を紹介している。
自選の五句と簡単な本人コメントの構成である。

【田中亜美】(1970--)     (ねむたくて)

 《如月の漁影の如く恋兆す》     《春雪のあかるさ君と君の影》
 《抱擁は苦手ミモーザ捧げ持つ》     《花ミモザ恋も思想もねむたくて》
 《寄り添へば銀色となる春の海》

 恋というのは、その不確実性において、詩の言葉と似ていると思う。そもそも相手が受け入れてくれるかどうか。
 たとえ片思いでも、狂気とかストーカーではなく、詩とか言葉の類であるのかどうかという点で。

【高勢祥子】(1976--)     (過程)

 《あたたかい手かも秋海棠を指す》     《見てゐるはいつも裏なり冬の雲》
 《枯原の中の灯台ならば抱く》     《冬の夜の指は指より離れて倦む》
 《特急の切符に冷えてゆく過程》

 高校を卒業したある日、改札を出た所で知らない男の子に声をかけられた。通学の朝の電車でずっと見ていたと言われた。
 どうしてよいか分からず逃げるようにして駆け出してしまった。上手くいかない恋愛は、あの時何かを置き去りにしたからだという気がする。

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田中氏、高勢氏はまだ若い方だが、詠みぶりは穏やかだ。句集を読んでみたい。

05/17 恋のない人生なんて〜(その3) (4217回)

◆ 【俳句界】2014-3 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その3)

万葉集巻頭の歌は相聞歌。
日本の詩歌の歴史は「恋歌」で幕を開けた。
今の俳句のなんと恋歌の少ないことか。
恋こそが誌の泉なのである。

本特集では、「恋の句」というテーマで、7人の俳人の句を紹介している。
自選の五句と簡単な本人コメントの構成である。

【鎌倉佐弓】(1953--)     (君は五月)

 《サイネリア待つといふこときらきらす》     《こめかみは水のさびしさくちづけよ》
 《背のびして木洩れ陽を着る君は五月》     《オリオンを掴みそこねた腕が好き》
 《彼へかれへ天上の蒼なだれおり》

 池袋駅。新宿駅。待ち合わせ場所に先に来るのはいつも彼だった。「遅い」私の顔を見るなり口を尖らせ怒る。ごめんねと言いながら、その真剣さがちょっぴり嬉しい私。わざと遅れることもあったのは内緒だ。

【奥田好子】(1956--)     (夕鶴)

 《朧夜の片道切符濡れてをり》     《月見草一番星を追ひかけて》
 《やり直すつもり秋思の旅鞄》     《おでん煮て恋女房と呼ばれし日》
 《いつしかに鶴に恋していまひけり》

 初恋の彼は、今頃どうしているのだろうか。もう、戻れない、あの日あの時は誰にでもあるはず。やせ細るような恋心が懐かしくいとおしい。
 昨冬、初めて見た越冬鶴に、永遠に変わることのない真実の「愛」を教えられた。

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鎌倉氏の句は、初期の恋愛時代から選ばれている。

05/16 恋のない人生なんて〜(その2) (4216回)

◆ 【俳句界】2014-3 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その2)

万葉集巻頭の歌は相聞歌。
日本の詩歌の歴史は「恋歌」で幕を開けた。
今の俳句のなんと恋歌の少ないことか。
恋こそが誌の泉なのである。

本特集では、「恋の句」というテーマで、7人の俳人の句を紹介している。
自選の五句と簡単な本人コメントの構成である。

【保坂リエ】(1928--)     (初鏡)

 《逢ひたしの文にしぐるる日を化粧ふ》     《ジェラシーの視線は梅に繋がらず》
 《髪洗ふ思ひ出狂ほしきとき》     《初鏡逢はずに慣るること悲し》
 《深酔ひをたしなめをんな柿を剥く》

 恋の句はご法度が暗黙の了解と心得ていた俳句。だが今回私の第一句集(平成九年角川書店刊)、今日の俳句叢書「日溜り」より四句抄出。五句目は今回のご依頼に四十年連れ添った酒好きの亡夫を思い出しながらの一句。

【奥坂まや】(1950--)     (写真)

 《かの雲へ鞦韆揺るるかぎり愛(ハ)し》     《干傘のをとこのにほひ朝曇》
 《時雨るるや恋のかたちの素手素足》     《十薬や写真燃さねば恋終はらず》
 《いちじくの裂く六条御息所の恋》

 中学生のとき、塚本邦雄の短歌「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」に感動し、恋はこうでなくちゃ、と強く思った。まさに、そのような恋をし、捨てられて、物理的に可能だったら、相手を殺していたかもしれない。

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保坂氏の『恋の句はご法度が暗黙の了解』という言い方は、先日の鎌倉佐弓氏の言葉と重なり合う。

05/15 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その1) (4215回)

■ 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その1) (4215回)      05/15 ◆ 【俳句界】2014-3 『恋と愛を詠う』  恋のない人生なんて〜(その1)

万葉集巻頭の歌は相聞歌。
日本の詩歌の歴史は「恋歌」で幕を開けた。
今の俳句のなんと恋歌の少ないことか。
恋こそが誌の泉なのである。

本特集では、「恋の句」というテーマで、7人の俳人の句を紹介している。
自選の五句と簡単な本人コメントの構成である。

【文挟夫佐恵】(1914--)  (九十の恋)

 《恋要らぬ齢怖し菊人形》     《胸の炎のボレロは雪をもて消さむ》
 《風花や候文の恋ありき》     《香水は「毒薬」誰に逢はむとて》
 《九十の恋かや白き曼珠沙華》

 昨年の「白寿祝の会」の折り、若い句友から「九十の恋」の句があるが、次は是非「百歳の恋」の句を詠んで欲しい、との励ましの言葉を頂いた。
 今、百歳となった私は、さしずめ菊人形といったところか。

ネットで次のような句も見つけた。
《水着脱ぐや夕かげまとふ瑞乳房》      《はまなすの朱き実ほどの胸燃やす》

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大岡越前守だったと思うが、『女は灰になるまで』という名台詞があるが、まさにそれを地で行く人のようだ。

05/14 しず子は北海道で【群木鮎子】となった? (4214回)

■ 川村蘭太   鈴木しず子追跡
ーーしず子は北海道で【群木鮎子】となった?
 ここにまた、北海道俳壇を風のように通り過ぎたひとりの幻の女流俳人がいる。
彼女はS28年から翌29年(1954年)にかけ、俳誌『餐燈』に投句し、その名もペンネームで住所もまた不詳であったという。

【群木鮎子の投句作品】(一部)

 《唇塗れば青空いぶし銀に昏む》     《青葉風手管の口説聞きながす》
 《恋の夢わたしは匂うものさえない》    《男の体臭かがねばさみしい私になった》
 《花火消ゆ純潔とおき日の果てに》     《夫ならぬ人の唇あまし夜の新樹》

 《三百六十五夜男いて性根崩さるる》    《公園の真夜の接吻擦るひびき》
 《身を揉じて燃ゆる夫ほし夜がかぶさる》   《娼婦と違ふ夜の灯の暗さ撥ねかえす》
 《操とは明治の雪か消ゆばかり》    《痴戯に雪がくぜんと私をとりもどす》

 《春夜きし銭の男に負かされぬ》     《柔軟に夜の精液を吸ひあげる》

この鮎子俳句に接した人々は、当然のごとく鈴木しず子の出現かと、にわかに色めきたったことはすぐに想像がつく。
両者が同一人物ではないという確証はなにもない。

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この後しばらくして、群木鮎子も鈴木しず子も俳句界から姿を消してしまった。 生死も不明とのこと。

05/13 鈴木しず子とその回想(抜粋) (4213回)

■ 矢澤尾上   鈴木しず子とその回想(抜粋)
 目がくりくりとして美しいのが印象的である。年齢は十七、八ぐらいか時おり黙礼を交わすだけだったが、こうして一つ部屋で対面する機会はなく、この時、鈴木しず子の名もはじめて知った。 さて、作品となると、形も内容もまだまだ俳句とは云えず、些細なことがらを取りあげ、甘ったるい新詩めいた感情で、五七五らしく羅列する散文に過ぎないものだった。
ただひとつある長所を云えば、常識的な俳句のイメージでは作っていないことである。初心者のうちはとかく、俳句の形式ばかりにとらわれ易く、妙に風流めいた観念くさい句になりがちなのだが、彼女はその点、現実に即し、日常性を失わない自由さと素直さがあった。

 しず子の場合、多くを作り、多くを捨てるタイプと云ってよい。この体質は最初から最後まで変わらなかった。とにかく或る時期を托して、多数の作品中から光かがやくもののみを拾い集めた。その光は珠玉のかがやきかも知れない、或は単なる貝殻の光りだったかも知れない。そうなると数はいくらもなかった。光らざるものの残り大半は何の未練もなく恰も遠い海の中へ投げ棄てるかのように没にした。そして拾い収めたものが句集『春雷』であり『指環』にほかならなかったのである。

 《長き夜や掌もてさすりしうすき胸》   《霜の葉やふところに秘む熱の指》

外部より指導者に【松村巨湫】を迎えることになった。この時ぶんは俳句のコツを覚えたらしく、詩材の選択と表現にくふうがこらされて、それも気負って表現する気配は少しも感じられない。純粋性を保とうとする姿勢があり、著しい成長のほどが窺われる。

 《いにしへのてぶりの屠蘇をくみにけり》   《古本を買ふて驟雨をかけて来ぬ》

句集(春雷)は昭和二十一年二月に発行され、九月には初版が売り切れるという破格の好調さは、まさに春雷が鳴りわたる勢いを示した。評判がいいから再版を余儀なくされたと云えばそれまでであるが、結局、三版を重ねる(千五百部初刷りの後五千部ほど売れたという)に至っては、作者本人はむろんのこと、はたの私たちでさえ夢想だにしない評判のありかただった。この作者の青春のイメージともいえる作品群が、俳壇にさわがれたのは事実である。

 《体内にきみが血流る正座に堪ふ》   《夏みかん酢つぱしいまさら純潔など》
 《寒牡丹の葉のひろごりや夫さだめ》   《ひらく寒木瓜浮気な自分に驚く》

 《山の残雪この夜ひそかに結婚す》   《ダンサーになろか凍夜の駅歩く》
 《肉感に浸りひたるや熟れ石榴》   《実石榴のかつと割れたる情痴かな》

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鈴木しず子(1919生まれ)は、終戦の年には21歳、製図工として働き始めている。会社の俳句会に入り、俳句の勉強を始め、松村巨湫の指導で腕を上げて行った。
一度結婚するが、赤ちゃんが早世し(理由は不明だが)離婚した。朝鮮戦争が始まり、生活の為にダンサーとなり米兵の相手をつとめ、やがて黒人米兵のオンリーになったようだ。この辺りの事情から『娼婦俳人』と呼ばれたそうだが、句を読むとそのような生活だったことが覗える。 相手の黒人ケリーが負傷してアメリカへ帰り、結局別れることになる。その後、一時北海道へ渡ったということは分かっており、それらしい句もあるが、その後どうなったのかは不明のようで、自殺したとの推測もある。

一つ一つの句は、いわば「点の描写」だが、句集を読むと点が集まって線となり、さらに面に広がって作者の人生航路がおぼろげに浮かび上がってくるから不思議だ。

鈴木しず子の句集『春雷』『指輪』の詳しい記事はこちらに →
http://sky.geocities.jp/kitano555_2010/dokusho_2014/726_suzuki.html



05/12 俳人・上野千鶴子 (4212回)

『鈴木しず子』生誕90年 伝説の女性俳人を追って  河出書房新社 2009
を読んでいたら、『川村蘭太   鈴木しず子追跡』の文中に、上野千鶴子氏の俳句を見つけた。

【上野ちづこ】の俳句(上野千鶴子氏)
 《からだという一つのうそをまた重ね》   《むきみのあさりとなって悪戯あう》
 《春羊歯類ももいろドレスの中に満ち》   《レモン色の服着て女の体液も酸味》

 《あなたとわたしが塞いだジュウシイな夜》   《受胎告知 単性生殖の悪いゆめ》
 《処女ら狷介の眼にてバナナの衣剥く》   《愛咬の前後溶けゆく時間の端》

 《あなたを愛している 鉄の匂い》   《いわば痴情の愛のなつかしさ雪こんこ》

「対話篇性愛論」(河出書房新社)
 性愛をめぐるディスクールはあふれているのに、性愛のもう一方の当事者ー女ーの言説が、あまりにも少ないのだ。
一つのリアリティを二人の当事者が共有するとき、一方の当事者の証言だけで真相がわかるわけではないことを、芥川龍之介の 『藪の中』は示したはずだ。
さらに上野千鶴子は発言する。
 性愛のもう一方の当事者である女は、長いあいだ沈黙を強いられてきた。語ろうとすればそれははしたないことと見なされ、禁止と抑圧が働いた。語り始めれば、性を語るコトバはすでに男じたての論理に汚染されていた。たまさかに女だてらに沈黙の性を語ろうとする女がいれば、男の口調をそのまま写しとって男に迎合した。女は、男の憤激を買うことを、それほど恐れたのだ。女のコトバは、どこにも、ない。

上野千鶴子は、男の言葉によって支配され続けてきた女の性の領域を女性自身の言葉によってその復権を計ろうとしているのである。

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社会学者として有名、新聞の身の上相談では明晰な回答をされる上野氏に、上のような俳句を作ると云う一面があると知って驚いた。
俳句では鈴木しず子、短歌では川上史津子に匹敵するような詠いぶりだ。

05/11 俳人・鎌倉佐弓 (4211回)

《桃熟れてもうすぐ叫ぶ叫んでしまう》
  の代表句を持つ俳人・鎌倉佐弓(1953生)高知県に興味を覚えていたが、
彼女のブログを見つけ、次のような記事(2014-02)を読んだ。

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◆ 鎌倉佐弓
 「俳句界」3月号が発売された。この号には「3・11は終わっていない」のほかに、「恋のない人生なんて〜恋と愛を詠う」という特集もあって、こちらに私も句と短文を寄せている。

 季も恋もいずれも強いテーマで、事実、古来から多くの和歌集(古今和歌集、新古今和歌集など)でも、春、夏、秋、冬、旅、恋、雑といった部立てをして、それぞれに詠んでいた。花に恋を重ねるなんてこともあったが、そういう場合は恋の方がテーマとしては強いことが多かった。
 俳句の場合は、さらに短くなるのだから、季と恋はぶつかるだろうなとは以前から考えていた。そもそも私が恋の句を詠んでみようと思ったのは、なぜ川柳では恋が詠めて俳句では詠めないのか、疑問に思ったから。
 考えられるのは、俳句は花鳥諷詠が基本と思われていること。従って、恋は俳句にはある意味、邪道に近く受け取られていたらしいこと。また無意識かもしれないが、恋と季語はぶつかりあうことが多いと感じていたのではないか。さらに生の感情を詠むことに対する照れもあったかもしれない。

 その結果?として、恋を詠む場が俳句ではなく川柳になっていったのは当然だったかもしれない。川柳は季語を必ずしも必要としていないし、恋ほど詠んで、あるいは読んで、インパクトのあるテーマはないから。
 そこで、私が恋の句を詠むに当たって考えたのは、季語を入れなければという気持ちからは離れよう、だった。季語と恋は相殺しあうことが多いし、自分が詠みたいことにとって、それが恋のような感情の場合、季節は必要ないことが多いからね。

 でもね。俳句で恋を詠むって、あってもいいんじゃないか。川柳だってがんばっているのだもの。それやこれや考えて、恋を中心に詠み進めたのが、かれこれ20年ほど前。当時、恋の句を作りながら、悩んだのは、季語うんぬんではなく、川柳ではなく俳句で恋を詠むってどういうことだろう、だった。どうすれば、どう詠めば川柳ではなく、俳句になるのか。これはかなり悩んだ。(今もって結論は出ていない部分もある・・・)

 出来上がった句集『天窓から』は、季語がない句もあるね、で無視されたり、スルーされたこともあるけれど、その中でうれしかったのは、句集を読んでくれた橋 間石(正しくは門構えに月)さんから、橋さんの雑誌「白燕」へ原稿依頼が届いたことだった。残念ながら、その途中で橋さんが亡くなってしまったため、私の原稿は日の目を見ることはなかったが・・・
 まあ、それはともかく、こうして私も恋の句を発表できたのはよかった。 

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私は、短歌の世界には与謝野晶子や俵 万智のように愛を詠う人がいるのに、短歌の世界にはあまり見かけないのは何故かと捜し続けてきた。
結果、俳句の世界にも恋や情念の句を作る人はいるが、何故かあまり正面の舞台には現れないのだと分かって来た。
その理由の一端を上の鎌倉佐弓氏の文章がよく事情を説明しているように思った。
FB友の今村氏が「俳句界 3月号」をお持ちで、読ませて頂けることになったので楽しみにしている。
また句集『天窓から』を入手したので、じっくりと読むつもりだ。

05/10 『愛の俳句 愛の人生』−6/最終 (4210回)

『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子著 講談社2001を読んだ。(その6/最終)

【あとがき】(抜粋)
愛の俳句のアンソロジーはあっても、そこに作者の「愛の人生」を絡めた本はない。様々な愛の句を取り上げながら、その俳人の生涯をたどるというのが本書の目的であった。
ところが私が描いたのは、愛より憎悪が深まった夫婦や、芸術家である父親の犠牲になったという子供であり、不倫や肉親との確執であった。
どこかで強く愛情を希求しながら素直に求められない意固地さ、それゆえ抱えた深い孤独でもあった。
私の興味の視点が器用よりは不器用、素直より屈折を抱えた人にあり、その結果、「愛」そのものでなく、その裏側にある闇や翳りの部分に光をあてることになったのかもしれない。しかし、孤独や葛藤とは無縁の、絵に描いたような愛情に溢れる世界はそれほどないというのも真実だろう。

確かにここに登場した人たちは際立った印象がある。
中村草田男は強度のノイローゼ、日野草城は細菌恐怖症、杉田久女の「狂女」伝説、鈴木しず子の「娼婦」の風評・・・・。
だがそういった特異な部分はなくても、自己に強く執着した人間というのは共通する特性かもしれない。
それゆえのエゴイスティックな業や自己愛は誰もが多分に抱えていたはずである。

十二人の俳人については、できる限り素の顔を伝えようとしたため、ときには美談ばかりではない面も登場する。
しかしそれを含めて一人の生身の人間である。綺麗事だけではない「愛」の裏側の、「人間臭い」人生に私は心を惹かれた。
自分でも御し難い自我を抱えながら、それゆえの誤解を受け、周囲と摩擦を生じながらも自己に忠実である姿、どんな境遇に陥っても自己を否定せず、窮地を転機に結びつけようとあがいた姿は、順風満帆な人生よりもはるかに得るものが多いような気がする。明日に向かって一かけらの希望も見いだせないときに、諦めるという発想を拒否した俳人たちの生涯をどこかで思い出していただければ、望外の幸せである。

「人間よりも花鳥風月が好きなり」というのは正岡子規だが、私は「花鳥風月より人間」だと言われたことがある。
多くの人の「人生」を取材する仕事を続けてきた私の興味は他ならぬ「人間」であり、その人の心の奥底にひそむ「感情」に目が止まる。句集『妬心』に詠んだ愛憎もある。
十七文字という制約の中にある俳句は、小説や随筆に比べて表現できることが限られている。それでも人生において二度とない耀きを放つ一瞬、置き換えのきかない情感を詠むことはできるはずである。その行間や背景に、どれだけの思いが凝縮されているのか、実作者でもあった(ある)私には、その呻きにも似た叫びが聞こえてきそうなときがある。自分以外には誰にも届かない声、その人生を知りたいと思うのは、これまでの私の仕事の流れからしても自然のことかもしれない。

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著者。谷口桂子氏が句集『妬心』にどんな句を載せているのか、調べてみようと思っている。

05/09 『愛の俳句 愛の人生』−5 (4209回)

『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子著 講談社2001を読んだ。(その5)
各章について、自分の気に入った句を拾いあげてみた。

【西東三鬼】(1900−62)
 《汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ》  《青柿の堅さ女の手にすわる》
 《おそるべき君等の乳房夏来る》  《寒夜明るし別れて少女駆け出だす》
 《空港なりライタア処女の手にともる》  《滝の前処女青蜜柑吸ひ吸へといふ》
 《中年や遠くみのれる夜の桃》  《恋猫と語る女は憎むべし》

【稲垣きくの】(1906−87)
 《蛍燃えつきせぬひとを子に帰す》  《ゆきちがひになつてばつかり柳の芽》
 《滝の音によろけて掴む男の手》  《あたたかく強き手ひとの夫といふ手》
 《枯野の日帰りて逢へるひとならず》  《ぬけぬけと息白き嘘ををとこなり》

 《秋袷激しき性は死ぬ日まで》  《逢ひし日のこの古暦捨てられず》
 《落葉ふむ想ひひとつをもてあまし》  《セルの胸離す愛なきをたしかめて》
 《知らぬ顔するも嫉妬か秋あざみ》  《椿真赤嫉アダムのむかしより》

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西東三鬼はドンファン的な女性関係だったらしく、彼の句で少女=年下の女、処女=まだ寝ていない女と解釈すると分かるらしい。
稲垣きくのは女優で、不倫の句だ。
(続く)

05/08 『愛の俳句 愛の人生』−4 (4208回)

『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子著 講談社2001を読んだ。(その4)
各章について、自分の気に入った句を拾いあげてみた。

【日野草城】(1901−56)「ミヤコホテル」
 《けふよりの妻と来て泊つる宵の春》  《夜半の春なほ処女なる妻と居りぬ》
 《枕辺の春の灯は妻が消しぬ》  《をみなとはかかるものかも春の闇》
 《薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ》  《妻の額に春の曙はやかりき》

 《えりあしのましろき妻と初詣》  《くちびるをゆるさぬひとや春寒し》
 《朝寒や歯磨匂ふ妻の口》  《湯もどりの妻にあひけり草の市》
 《あはれなりひとりね妻の寝白粉》  《湯あがりの素顔したしく春の昼》


【鈴木しず子】(1919−??)「娼婦俳人」
 《娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ》  《ダンサーになろか凍夜の驛間歩く》
 《夏みかん酢つぱしいまさら純潔など》  《くちびるのかはきに耐ゆる夜ぞ長き》
 《欲るこころ手袋の指器に触るる》  《體内にきみが血流る正座に耐ふ》

 《まぐはひのしづかなるあめ居とりまく》  《肉感に浸りひたるや熟れ石榴》
 《實石榴のかつと割れたる情痴かな》  《すでに恋ふたつありたる雪崩かな》
 《黒人と踊る手さきやさくら散る》  《花の夜や異国の兵と指睦び》

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日野草城の「ミヤコホテル」は想像の産物だとの説があるそうだ。
鈴木しず子は終戦時20歳くらい。進駐軍、朝鮮戦争の頃が作句の中心で、その後の消息は不明、自殺したとの推測もあるらしい。
彼女の句については別稿で整理したい。
(続く)

05/07 『愛の俳句 愛の人生』−3 (4207回)

『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子著 講談社2001を読んだ。(その3)
各章について、自分の気に入った句を拾いあげてみた。

【三橋鷹女】(1899-1972)
 《鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし》  《初嵐して人の機嫌はとれませぬ》
 《われと行くは人の夫なり秋風に》  《千万年後の恋人へダリヤ剪る》

【石田波郷】(1913-69)
 《女来と帯捲き出づる百日紅》  《細雪妻に言葉を待たれをり》
 《夫の唇ほぐす春雷とどろけり》

(妻あき子の作品)
 《惜別や菊より冷えし夫の唇》  《妻の字は夫に似るとよ花菖蒲》

【久保田万太郎】(1889−1963)
 《わが胸にすむ人ひとり冬の梅》  《この恋よおもひきるべきさくらんぼ》
 《まゆ玉や一度こじれし夫婦仲》  《湯豆腐やいのちのはてのうすあかり》

【鈴木真砂女】(1906- )七歳年下の海軍士官との不倫の恋
 《人のそしり知っての春の愁ひかな》  《蛍火や女の道をふみはずし》
 《罪障のふかき寒紅濃かりけり》  《鏡台にぬきし指輪や花の雨》
 《水鳥や別れ話は女より》  《男憎しされども恋し柳散る》

 《羅や人悲します恋をして》  《夜光虫一人泣くとき声洩らし》
 《すみれ野に罪あるごとく来て二人》  《とほのくは愛のみならず夕蛍》
 《死なうかと囁かれしは蛍の夜》  《かのことは夢まぼろしか秋の蝶》

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石田波郷のように夫婦で句を作り合うというのも悪くはない。
久保田万太郎は俳句以外でも有名だが、妻以外の女性との交際もたくさんあったようだ。
男の浮気と女の不倫に対する社会の寛容度は随分と違うー特に戦前は。
女性俳句の血を吐くような情念は、この寛容度に対する抵抗のエネルギーの発露のようだ。
(続く)

05/06 『愛の俳句 愛の人生』−2 (4206回)

『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子著 講談社2001を読んだ。(その2)
各章について、自分の気に入った句を拾いあげてみた。

【杉田久女】(1890-1964)ホトトギス結社から除名される(S11)
 《花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ》  《なまぬるき春の炬燵に恋もなし》
 《足袋つぐやノラともならず教師妻》 《春やむかしむらさきあせぬ袷見よ》

【加藤楸邨】(1905-93)
 《はたとわが妻とゆき逢ふ秋の暮》  《毛糸巻妻は昔の片ゑくぼ》
 《妻の名を十日呼ばねば浴衣さむし》  《毛糸編はじまり妻の黙はじまる》
 《炎昼の女体のふかさはかられず》  《寝返りし手が手に触れず寒かりき》
 《妻を見てをり夜の白桃充実す》

(妻・千世子の作品)
 《嫁てふ場茶の花はうつむいて咲く》  《虎落笛嫁が泣く場は詩の中》

【橋本多佳子】(1899-1963)東京。38歳で未亡人となる。
 《雪はげし抱かれて息のつまりしこと》  《七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ》

【中村草田男】(1901-83)  『愛妻俳句』
 《妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る》  《夕汽笛一すじ寒しいざ妹へ》
 《八つ手咲け若き妻ある愉しさに》  《妻恋し炎天の岩石もて撃ち》

 《妻のみ恋し紅き蟹などを嘆かめや》  《虹に謝す妻よりほかに女しらず》
 《凌霄花は妻恋ふ真昼のシャンデリア》  《妻の裸身白背掻きやる赤らみぬ》
 《めぐりあひやその虹七色七代まで》

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加藤楸邨や中村草田男のように男性も色恋の句を作っていると初めて知った。句を読むかぎり両氏とも妻を称えているが、これらの句は代表句とはなっていないのに対して、
杉田久女、橋本多佳子らは結婚の境遇に満足できず、或は不倫の愛に苦しんでいて作った句が代表句となっている点が大きく違っている。
(続く)

05/05 『愛の俳句 愛の人生』 (4205回)

『愛の俳句 愛の人生』 谷口桂子著 講談社2001を読んだ。(その1)

【谷口氏のプロフィール】  1961年四日市市生まれ。 東京外国語大学イタリア語学科卒業。
小説、エッセイ、人物ルポ、俳句を雑誌に発表。
人物ルポは元首相から山谷の日雇い労働者まで幅広くインタビューを手掛ける。
著書に小説『エイク』(講談社)、週刊朝日連載インタビュー集『夫婦の階段』(NHK出版)、句集『妬心』(角川書店)など。
講談社の「MIME」で『男の気持ち』を好評連載中(2001時点)。インターネットでも『男の勘違い』を連載(2001時点)。
HTTP://homepage2.nifty.com/k-taniguchi/

著者谷口氏の代表句 《春の雨 どちらともなく 時計はずす

この本には、「まえがき」はない。
以下 12名の俳人を取り上げ、その作品を生み出した作者の実人生を探る試みをしている。

・杉田久女   生涯理解者を求め続けた伝説のヒロイン
・加藤楸邨   人間探求派俳人夫婦のライバル意識
・橋本多佳子  美貌俳人の一途で随順な人生

・中村草田男  愛妻俳句の第一人者が垣間見た狂気の世界
・三橋鷹女   主観性を突き詰めた孤高の自己愛
・石田波郷   万人に好かれた俳人の意外な「内面」

・久保田万太郎 「スタイリスト」俳人の逸話続きの私生活
・鈴木真砂女  波乱の生涯と一途な恋の情念
・日野草城   エロチシズムの才人と献身型の妻

・鈴木しず子  直情型の恋愛を繰り返した女の虚と実
・西東三鬼   型破りな鬼才が希求した平穏な日常
・稲垣きくの  「女優」俳人の凄絶な自意識と孤独

各章について、自分の気に入った句を拾いあげてみた。 (あす以降に)

05/04 『100年俳句計画』−3 (4204回)

『100年俳句計画』 夏井いつき著 そうえん社刊2007 を読んだ。(その3/最終)

【あとがき】
わが身をけずるように自分の作品にかける人生を送った古今の俳人は多いし、もちろんこの私だとて俳人のはしくれである以上、百年先の未来に自分の名を残せるような一句をものにしたい! という志は高くかかげている、が、ひとりひとりの俳人がその一点だけを念じて俳句を作り続けていたのでは、やがて俳句の未来はやせ細っていくのではないかと危惧するようになった。
少なくとも私は、自分の作品がくちはてているかもしれぬ「100年」後の未来に向かって、生きて在る以上何かを働きかけ続ける自分でありたいと思うようになった。

ーーーーーーーーーーーーーー
夏井いつき 1957年愛媛県生まれ。黒田杏子に師事。「藍生」俳句会会員。
1994「第八回俳壇賞」受賞。2000「第五回中新田俳句賞」。2005「NHK四国ふれあい文化賞」。
高校俳句選手権大会「俳句甲子園」の運営にたずさわる。

ーーーーーーーーーーーーーー
◆ 俳句を作る時、働かせる脳の部分とは、子供の頃には使っていたが、大人になって使わなくなった部分を復活させているのだろうか? 非論理、水平思考、飛躍、空想、そういったことがとても重要な気がする。

新聞にこんな投稿句を見た。《幼来て ピンクいと云ふ 桃の花》
赤、白、青などの色名詞に「い」を付けると形容詞になる。
赤い、白い、青い、などだが、ピンク色に「い」を付けることはない。
まだ言葉を充分に覚えきっていない幼児にだけ、思いつく「ピンクい」という言葉。

俳人はこのような通常では使わない言葉遣いを捜しているようにも思える。

◆ 数か月前にたまたま俳句に興味を持ち、歳時記から始まってたくさんの俳人の句を読み、
「俳句に恋の句が少ないのは、俳人の年齢が高いせいだと考え、子供たちに俳句の楽しさを教えれば、20歳前後には恋の句を作るはずだ」と考えた。
夏井氏は子供たちに俳句を教える活動に精力的に取り組まれていると分かった。
全国紙や俳句誌を見ていたのでは分からない活動がここにはあった。
大いに期待しながら待つことにしよう。

05/03 『100年俳句計画』−2 (4203回)

『100年俳句計画』 夏井いつき著 そうえん社刊2007 を読んだ。(その2)

【本文】(「句会ライブ」の記録)(抜粋)
春(一年生、ぶらんこ、春の空など)、夏(夏来る、葉桜、母の日など)、秋(休暇果つ、秋日和、秋の蝉など)、冬(冬麗、冬夕焼、マスクなど)と約50の季語を使って、
小学校、中学校、高校での「句会ライブ」の授業の様子、生徒たちの作品の紹介などが記録されている。

おとなでも子どもでも、「ブランコ」が春の季語だと知ると、なんで? どうして? と不思議がる。
俳号「しいたん」こと饗場詩野ちゃんが、にこっと答えてくれた。
「あのね、ブランコのった時って、体がふわっとしてそのまま空に飛んでっちゃいそうでしょ。それって春みたいな感じだと思う。ブランコって、体中がはるみたいになっかうんだよね」
季語の存在を頭で理解するだけでは、季語を知ることにはならない。五感のアンテナで体験してこそ、自分のものとなる。
私が教えるのは、たったひとつ。「取り合わせ」という俳句の技法の中の、最も基本的な「型」をひとつだけ教える。

たとえば季語「春の空」を使えば、これで五音だから、「あとはね、残りの十二音に言葉をいれていけばいいの」
「俳句はこんなふうに縦に一行に、間をあけないで書くのが正しい書き方。さらにその下に、作者の俳号を書く。俳号は自分で好き勝手につけていいの。

《春の空ほんとの心伝えたい》
《はいごうはなみこというよつくしんぼ》
《さよならというのはつらいさくら草》   なみこ(小一)

《へんろみちあひる三わのおせったい》  夏雲
《氷ふむぱりっと朝がわれました》  春雲
《あこがれの君とあいつとチューリップ》

《春風にだかれてねむる真之介》 上甲雪菜(小三)
《しかられてゆらゆらにじむふじの花》  吉田千与美(小四)
《ヒヤシンスまっすぐみつめたその先に》  莉菜(中三)

《ふゆのかぜかきくけこぎつねかわいいね》  まえ川一さ
《はるのかぜなにぬねのらねこおこってる》  大おくあみ
《なつのかぜだぢづでどんどこおおだいこ》  たちばなひろ人

《あきのかぜぱぴぷぺぽすとにてがみいれ》  山下ちさと
《でこぼこなあおいちきゅうのクリスマス》  中浦健太郎(小三)
《約束の校門で待つ春隣》

《凍返る恋はボクだけ避けていく》
《言い出せない恋の言葉も春隣》

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◆ 子供たちの作った俳句を読んで正直びっくりした。
素直な発想と何の衒いもない言葉選び。これらはある意味で、小さい子供たちの描く絵のようにも思える。
子供たちの描く絵には、大人になると書かなくなるような線使いがある。幼い証拠とも云えるがそこに魅力がある。
だんだん大きくなり知恵がついてくると、そういう絵は描かなくなる。脳の使い方が違うのかも知れない。

05/02 『100年俳句計画』−1 (4202回)

『100年俳句計画』 夏井いつき著 そうえん社刊2007 を読んだ。

【はじめに】
「100年俳句計画」。ーー五七五だからおもしろい!−−
これが私たちがかかげる帆柱だ。
「私たち」とは、俳句集団「いつき組」の仲間たち。
「そして、私は、「いつき組」組長を名のる、「俳人」。

「俳句」って、あの五七五?
なんだかとっても古くさそうだし、
むずかしそうだし。
それにめんどくさそう!

うん、「俳句」のことを知らない人たちはみんなそういう。口をそろえたように、みんな同じことをいう。
たった十七音に感動を凝縮するなんてできない!
そのうえ季語をいれないといけないなんて、私にできるはずがない。

ところがどっこい!
剣道や柔道に「型」があるように、俳句にだって「型」がある。「型」をひとつと、「季語」をひとつ教えてもらうだけで、「俳句」はカンタンにできちゃう。日本語が話せる人なら、五分で一句!
だれでも俳句は作れるんだよ。(中略)

一度「俳句」を覚えると、毎日がきらきらしてくる。人生から退屈という言葉がなくなる。悲しいことや苦しいことにぶつかっても、心の中にそれを乗り越えるエネルギーがムクムク生まれてくる。
なんでだかわからないけれど、「俳句」にはそんな力があるってこと、私は「俳句」に教えてもらった。
そして、何よりもおもしろいのは、「俳人」というすてきな人種と会話を楽しめること。「俳人」っていうのは、「超」前向きで、好奇心ばりばりで、深い思いやりを持った人種。
他人の心の痛みにも、空の色合いにも、今日咲きそうな桜のことも、やってきた燕たちの言葉も、月の形にも、電信柱をゆする木枯らしの話にも心をかたむけることのできる人種。(中略)

うつくしい風を帆にとらえ、私たちの「100年俳句計画」はさらなる海原をめざす。

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夏井氏は俳句をとても前向きに捉えられている。
この本を読んで行けば、私にも方の力を抜いて俳句を楽しむと云うことが出来るようになる気がする。
(続く)

05/01 ブログ日記 4200回 (4201回)

ブログ日記が 4200回 になった。
昨日(4/29)のTVニュースで、『Internet Explorerの脆弱性に問題が発覚し、Microsoftが使用を控えるようにと警告』とあった。
Microsoftが対策を施したソフトを公開するまでの当面の対策としては、他社のブラウザを使って欲しいとのこと。

他のブラウザとしては、Googleクローム、オペラ、Firefoxなどだが、一般の人は簡単に変更することは難しいはず。
さらに企業・官公庁などではIEでないと困るケースもあり、しばらく混乱が続きそうだ。

さらに『ポップアップ広告』のしつこい跳梁が話題になり、三面記事に注意が書かれるほどだ。
これも、防ぐ手立てが難しく一般の人は悩んでいる。
禁止する法律もなく、しばらくは我慢しながら、ひたすら「消す」しかなさそうだ。

スマホの普及はどんどん進んでいるが、通信料の高さも悩みの種で、格安スマホの台頭も話題になり始めている。
本体が一万円ほど、3G回線限定で通信料が2,3000円ほどというプランだがどこまで浸透するか注目したい。

一方で一日の内にスマホに向かう時間が長くなる傾向に注意喚起が行われ始めた。
スマホに夢中になり人と人との関わりが薄れるのも問題視されている。

ウエアラブル端末やロボットの動向も気にかかる所だ。しばらくは目を離せない。



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