@games日記(復刻版)    2014 March        トップへ

01 ゴルフの練習に (4141回) バスの案内表示板 (4142回) 新しいTVアンテナ (4143回)
04 NHK-TVの『俳句王国がゆく』 (4144回) ランドセル俳人ーー(続) (4145回) 雪景色 昭和記念公園2014 (4146回)
07 リーダーの引き際 (4147回) NHK-TV『俳句さく咲く!』 (4148回) 昔は良かった?(現代語で詠もう) (4149回)
10 ダメ句? (4150回) 覆水盆に返らず (4150回) 美しい日本語を残す? (4151回)
13 社員を熱くさせる改革力 (4152回) 俳句データベース (4153回) 存問の俳句(データベース論続き) (4154回)
16 句の背景を感じる難しさ (4155回) 言葉の三層構造 (4156回) 脳内の無意識の海から俳句は生まれる (4157回)
19 外国人にも俳句を (4158回) 恋する肉体 (4159回) 亀鳴く (4160回)
22 季語はネクタイ Tシャツの子が笑い (4161回) へそ出しに 旧かな遣いが 顔しかめ (4162回) ほめてやらねば 人は育たず (4163回)
25 表現のレベル (4164回) 俳句の未来?(のり子さんへの返信に代えて) (4165回) 「取り合わせ(二物衝撃)」は”中庸”が良し (4166回)
28 【龍谷大学第5回青春俳句大賞】 (4167回) 英語俳句 (4168回) ほめてやらねば 人は育たず (4169回)
31 昭和前期の女性俳人(1) (4170回)


03/31 昭和前期の女性俳人(1) (4170回)

『鑑賞 女性俳句の世界(4)』    青木誠一郎  角川文芸出版2008

昭和前期に活躍した女性俳人27名の紹介・作品が載っている。
中で気にいった恋/情念の句を選んでみた。

◆ 小池文子(1920生)

 《抱かれたし みじんの雪の 静かさに》
  《花山査子 くちづけかろく 髪も来し》
   《花いばら 髪ふれあひて めざめあふ》
    《春の雪 レダ描きし夜の 夫優し》

◆ 寺田京子(1922生)

 《ひとの夫 欲しいと青麦 刈られおり》

ーーーーーーーーーーー

  《夫ある 女奪はむ ムスカリィ》
    《紫の 匂える君や クロッカス》

03/30 ほめてやらねば 人は育たず (4169回)

山本五十六の言葉とされる、
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
(人は動かず→人は育たず、と言ったともいう。)

中学一年の孫が修学旅行で京都奈良を旅行した時に、俳句、或は短歌を作ることを課題に出されたと聞いて驚き、また小学校の授業にそういう形で取り入れられていると知ってとてもうれしくなった。

おおよその子供たちは初めての作品作りで戸惑ったと思うが、その拙い句・歌を褒められたら、これからも俳句・短歌の世界に親しみを持ち、やがては本格的にやろうとする子供たちも出てくると大いに期待できる。

中1の生徒に「季語」や「技巧」を求めるのは、角を矯めて牛を殺すようなものだ。
気持ちが素直に表現されていれば、それを褒めてやることが一番だ。

2020年の東京五輪に向けてスポーツ選手の育成が始まっているが、開催まで6年という時間は決して十分ではない。
俳人歌人の卵を育てるのには、もっと長い10年計画が必要だろう。
中1の生徒は10年後には成人して、才能の花を咲かせ始めるだろう。

「助長」はするべきではないし、盆栽を育てるのではないから、伸びようとする枝を無理矢理ねじ曲げたり、 切り落とすような真似は絶対にすべきではない。

本人の才能の方向を見定めながら、そっと背中を押してやる、それが大切だ。

03/29 英語俳句 (4168回)

【龍谷大学第5回青春俳句大賞】(2008)のページに英語俳句を見つけた。
日本語に直すとこんな句になるだろうか?

An empty can
 rolling and growling
  over the perdestrian crossing     (滋賀県 寺坂 操)
空き缶が 転がり横断歩道 駆け抜ける

thunderstorm over
 swallows on the wire
  again            (滋賀県 岩城 啓子)
雷雨去り 燕もどり来 電線に

A procession of ants
 dashes toword
  a follen cream   (東京都 斎藤 美希 学習院女子中等部3年)
列離れ 落ちたアイスに 蟻ダッシュ

Cicadas
 in the chorus
  become solo    (東京都 山田 友紀 学習院女子高等科3年)
残り蝉 夏のコーラス 懐かしみ

03/28 【龍谷大学第5回青春俳句大賞】 (4167回)

【龍谷大学第5回青春俳句大賞】(2008)のページを見た。
(最優秀賞)は次の三句だった。

《夏来たる 診察室の 絵がかわり》
   (茨城県 関根 奈々 つくば市立西中学校三年)
《アルバムに 貼らぬ写真や 晩夏光》
   (広島県 槇平 和崎 尾道北高等学校二年)
《大航海時代の航路 石榴喰ふ》
   (兵庫県 渡邊 康治 神戸大学大学院一年生)

 関根奈々(中3)さんの「夏来る・・・」の句は良いとして、後の2句のどこが青春らしいのかと、「青春俳句」という看板に騙されたという感じでがっかりした。

《桜咲く 折り目正しい セーラー服》 
   (大阪府 仁木 千奈津   市立聾学校中学部一年)

 私は、佳作に入った、仁木さんの句の方がよほど好きだ。選者には下記のそうそうたる(老齢の)方々が名を連ねている。三大俳句協会の揃い踏みで(有季、無季など)どちらかに偏った選考ではない。
思うに、俳句とは静かな心で花鳥風月を詠むものだという固定観念と(取り合わせなどの)技巧の上手下手に縛られ、青春の息吹を掬い取るという視点が軽んじられた結果ではないのか、と思った。

有馬朗人  元文部大臣。  日本科学技術振興財団会長。 俳誌「天為」主宰。
茨木和生 俳人協会理事。  大阪俳句史研究会理事。俳誌「運河」主宰。
ウルフ・スティーブン  龍谷大学国際文化学部教授。 俳句研究、翻訳を行なう。
大峯あきら  大阪大学名誉教授。哲学者。 同人誌「晨」代表
寺井谷子  現代俳句協会副会長。 俳誌「自鳴鐘」主宰。
山田弘子  日本伝統俳句協会理事。 俳誌「円虹」主宰。

(写真は”セーラー服歌人・鳥居”さん)

03/27 「取り合わせ(二物衝撃)」は”中庸”が良し (4166回)

 俳句では「取り合わせ」を重要視する。
 詠う情景を現わす、句に使う二つの言葉が時間的、空間的に適度に離れていて、句を読んで”ハッとする感じ”(衝撃)を大切にする。離れ方が少ない(小さい)と【付けすぎ】、逆に遠すぎると【離れすぎ】と言っている。

 話は飛ぶが、『謎かけ』という言葉遊びがある。
「【ライオン】とかけて、【警察】 と解く。
その心は、ひゃくじゅう【百獣・110】がつきものです。」

”ライオン”と”警察”の二つの言葉に(普通)関連性が全くないので、聞いた人は訳が分からず驚く(もの凄く離れている)。
その心で(百獣・110)と解かれて、”な〜るほど”と納得するといううわけだ。
ここで、二つの事が問題となる。
@ 「解かれ」てみる(答えを提示)と、納得できる。
A (百獣・110)は大人の日本人の常識だが、外国人には通じない。

 俳句の「取り合わせ」に戻ると、二つの言葉の関連性の推理は鑑賞者に任せッ切りで、「解き」は示されない。
 何かがキーとなって二つの言葉が繋がる、そのキーの知識は共有しているというのが前提になっている。しかし、詠み手と鑑賞者の知識が全く同じと言う事はあり得ない。詠み手が知っていても、鑑賞者は知らないと言う事は当然ある。
 これは「離れすぎ」という事になるだろう。(鑑賞者が不勉強と言ってしまったら身も蓋もない)

先に龍谷大学青春俳句の受賞作を挙げた。
大航海時代の航路 石榴喰ふ》  (兵庫県 渡邊 康治 神戸大学大学院一年生)
「大航海時代の航路」と「石榴」とはどういう関係があるのか? と、疑問が沸くが、それを結びつける知識は頭の中のどこを探しても見つからない。
【評・有馬朗人】はこう書いている。
『(石榴(ざくろ)はインド北西部からイランにかけての地帯が原産地である。大航海時代の船員たちが活躍した海岸に沿って石榴がよく実る。そのような気持ちで石榴を食べているのである。』

 しかし石榴についてネットで調べてみると、
@ 原産地について、イランの辺り以外にも諸説ある。
A ヨーロッパへの伝播はギリシャ時代、中国へはシルクロード経由で3世紀頃、日本には平安時代に、とあり、大航海時代(15〜17世紀)とは随分と離れている。
B 大航海時代、マゼランなどは南アフリカの喜望峰を経由して東洋を目指した。大航海時代の船員たちが活躍した海岸とは具体的にどの辺りのことを指しているのか?

 要するに有馬氏の解説は、理解を助けるためには何の役にも立たない。
作者は石榴を食べながら、ふと”大航海時代”という言葉が浮かんだのだろうが、そんな超個人的感想を他人に判れと言っても無理ではないか?

 以前にネットで見た辛口評論にこうあった。
『俳句界は古典教養、文学素養の多寡にずいぶんとこだわっている。 俳人同士が面と向かって教養があるのないのとやり合うことはないが、こんなことは誰でも知っておくことだと言わんばかりに、やたらに難しい言葉を詠み込んでいる。 選者は選者で、「それぐらいは俺だって分かっているよ」と、あるいは、知らないことは選者としての沽券に関わるということだろうか、一般世間では死語と化した難しい言葉の入った句を、あっさり採用しているケースが決して少なくない。 指導する者とされる側との教養合戦の様を呈している。』

 選者は、「大航海時代」と「石榴」の取り合わせの雄大さ?を評価したつもりかも知れないが、「離れすぎ」だ。
 取り合わせは、普通の鑑賞者にも分かる「中庸(ほどほど、常識的)」の距離であるべきだろう。

03/26 俳句の未来?(のり子さんへの返信に代えて) (4165回)

まず初めに、私は俳句については全くの素人・門外漢で、三本柱のどの協会にも与する訳ではありませんので、先日の「◆ 表現のレベル」の記事に「俳句界では老齢化と抒情を嫌う客観写生の影響で・・・」と書いたことで、結果的にホ伝統派を非難したように受け取られたとしたら、申しわけなくお詫びします。

 二か月前までの私は、俳句の三大協会のことも知らず、朝日俳壇という狭い窓から俳句界を覗いていただけだった。
その頃でも、二つの疑問を持っていた。
@ 歌壇にはランドセル歌人が5名以上いて、小(中)学生らしい素直な歌が入選しているのに、俳壇にはそういう子供たちが居ないのは何故か?
A 広い意味での恋の歌は散見されるが、恋の句と言えば”猫の恋”しか無いのは何故か?

 もう少し視野を広げないといけないと思い、歳時記を買ったのを皮切りに本(句集、歌集)を読み、ネットでも情報を集めてみた。

『胸に突き刺さる恋の句』(谷村鯛夢著)
『くちづけ』 (黛 まどか句集)
『言葉で世界を変えよう ー万葉集から現代俳句へー』(黛まどか、茂木健一郎共著)
『拾い集め句(川柳)』(時実新子)
『逢いたくなっちゃだめ』(坂東寛司&青嶋ひろの共著)


 私は大学時代から万葉集(の相聞歌)が大好きだった。
柿本人麻呂の荘厳な挽歌、山辺赤人の叙景歌、山上憶良の生活歌、額田大王や防人・詠み人知らずの恋の歌の数々。今に伝わる歌が100歌あるとすれば、その1/10以上は恋の歌だ。
俳句が詠む人の心を映すならば、同じように恋の句があるはずだと考えていた。

 何冊も本を読んだ結果、明治以来何人もの俳人が恋の句に挑戦してきたことが確認できた。
だが一方で、谷村氏や青嶋氏によって集められた句の大部分は、現代俳句協会、俳人協会、或は独立派の人たちの句であり、ホ伝統派の人たちは殆どいないことが分かった。
 その上、(杉田久女)は理由不明のまま結社から除籍処分を受け《虚子ぎらひかな女嫌ひのひとへ帯》の句を残し、《 打ちあけしあとの淋しさ水馬(アメンボウ)》を詠んだ(阿部みどり女)は高浜虚子に師事、発表始めは主情的な俳風だったが、後に虚子が客観写生を説くと彼女もそれに従い恋の句は詠まなくなった。(恋の句に対する冷淡な姿勢は今も変わっていないのではないだろうか?)

 ホ伝統派は句界の大樹として君臨しているが、河東碧梧桐を嚆矢として虚子の花鳥風詠・客観写生に対する反乱は絶え間なく続いて来ている。最近の角川春樹の「魂の一行詩」や草壁焔太の「五行詩」もその一つだ。

 ホ伝統派の新しいリーダーとなられた廣太郎氏が、ジーンズ、ノーネクタイのヤフーの宮坂社長のように柔軟でダイナミックな舵取りで新しい航路を開かれることを切に期待している。
 神君・虚子の遺訓を御旗に掲げるだけではなく、未来の俳句はこうあるべし、新しい歴史を作るという気概を示して欲しい。

玉手 のり子 北野さん、お調べお疲れさまでございます。谷村氏や青嶋氏のご本は読んでいませんが、伝俳系にも恋の句はあると思いますよ。今手元に資料がありませんが、新主宰もかなり詠まれていますし、私のつたない恋句もよく採って下さいます。それに、ホトトギス俳誌には学童の部の投句欄もありますし、伝俳の50歳以下の初心者教室もあります。ただ、人口が多い分、高齢化が目立つのは否めませんが、それは他結社も他の文芸・芸能も同じではないでしょうか。又、客観写生は虚子も「俳句への道」で「客観の事実を通して自分の主観が窺われるようにしたい」と言う風に述べておられました。ホトトギスの客観写生は事実をそのまま写すことではないと思います。昨日も現代・俳人協会・伝俳各結社の主宰クラスの方のお話を伺う機会がありましたが、そんなに隔たりは感じませんでした。ホトトギス・伝俳は北野さんのおっしゃるような雰囲気では決してないのです。今後の俳句の有り方を、より良くして行かないといけないと言う事は、ホトトギスだけではなく、俳句界全体の問題として、トップの方々は重々認識されていると思います。私は一会員に過ぎませんので、北野さんの研究やご意見を直接お伝えする機会は無いかと思いますが、又機会がありましたらお話ししたいと思います。

03/25 表現のレベル (4164回)

誌・句・歌の恋愛感情の表現の仕方を5段階に分けてみた。
@ 意識して避けるーーそれが節度だからーー85%
 (理由)(1)「恋・愛」感情のようなような事を、知らない他人に話す(詠う)のはハシタナイことだ。
   (2)歳をとり、そう言う事には興味が無くなってしまったから。
A さりげない表現で直接的でなければ良いのかもーー10%
  《ブーゲンビリアのブラウスを着て会いにゆく花束のように抱かれてみたく》 (俵 万智)
  《椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ》   (池田澄子)
  《恋人のからだの丘も春の暮》     (正岡 豊)
B 与謝野晶子さん位までは(髪、やわ肌、乳房、唇など)ーー4%
  《春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ》 (与謝野晶子)
  《ブラウスの中まで明るき初夏の陽にけぶるごとわが乳房あり》 (河野裕子)
  《くちづけの 秋の燈をふやしをり》  (黛まどか)
  《何もか 許して 夜の薔薇匂ふ》   ( 々  )
  《くちすへばほほづきありぬあはれあはれ》  (安住 敦)
C ドギツイ表現でなければ ーー1%
  《愛咬やはるかはるかにさくら散る》 (時実新子)
  《乳房つんつん私に背き恋をする》  ( 々  )
  《先生 あのね セックスしたよ とても びっくりしたよ》  (つくば市 小池 多和)
  《醒めはてし男の口を吸はむより かのくちなはの舌を吸はまし》 (原阿佐緒)
  《乳ふさをろくでなしにふふませて桜終はらす雨を見てゐる》 (辰巳泰子))
D 情熱を現わすのに遠慮なんかしていられないわ −−0.1%
  《抱きしめて這わせて噛んで抉じあけて掴んで裂いて突いて殺して》 (川上史津子)
  《背後(ウシロ)から串刺しにされ潰されて溺れ死のうかベッドの海で》  ( 々 )

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 夫々のレベルの詩・句・歌(/詩人)の割合%は私の独断だが、特に俳句界では老齢化と抒情を嫌う客観写生の影響でこうなったのではないかと推測している。
 『きっといちばん親しみやすいテーマは「恋愛」』(青嶋ひろの)を若い人が(若いうちに)もっともっと詠って欲しいと思う。
俳句甲子園や青春俳句募集の選者の方には、頭を切り替えてもらいたいものだ。


玉手 のり子 北野さんが、どうしてそんなに恋愛の詩にこだわられるのか、よく理解出来ません。 句会では兼題が出ることが殆どですし、吟行会では花鳥や風景がまず目に飛び込んで来ます。それをわざわざ恋愛に結び付けて詠む方が不自然のように思います。俳句の短い詩形は、恋愛に限らず感情をはっきりと打ち出して詠むのは難しいと思います。まだ短歌の方が七・七の部分で感情を表現しやすいとは思いますが。それに、みんながみんな黛さんや時実さんでなくても良くないですか。北野さんが恋愛にしか興味がないのなら、そういう歌人・俳人の作品を選んで読まれれば良いことだとは思いますが、恋愛を詠まないのは老齢化だとか花鳥諷詠の弊害のように決めつけられるとちょっとちょっとです・・・ って、いつも先輩に「またそんな(エロイ)句を詠んで!」と叱られてる私が何でホ俳句の立場に立って怒ってるのか自分でも分かりませんが(-_-;) 俳句甲子園でも、恋愛句の良いのが出たらもちろん選ばれると思います。俳句と言う詩形ではきっと昇華しきれてないから負けるのではないでしょうか。 だんだん何が言いたいのかわからなくなってきましたが、それぞれの性格もありますし、詠みたいことを詠めば良いと思います。
北野 和良 >のり子さん。ご意見を有難うございます。少し整理してから改めてご返事をしたいと思います。ただ一つ言えば、詩歌は自分の気持ちの高まりを言葉に紡ぐことで、突き詰めれば自分のために/相聞の場合は相手に読んでもらうために作るのであって、決して結社や師匠のために詠むのではないと思います。逆に言えば、(技巧についてのアドバイスは良いとして)中味についてとやかく批判したり方向を指示するのは間違いだと思います。先輩さんのお叱りは、自分が失った(精神的な)若さをのり子さんが保っていることへの嫉妬ではないですか?
玉手 のり子 同じ短詩でも、短歌と俳句では少し違うと思います。短歌は万葉の和歌の時代から相聞歌があるように、恋愛を詠む歴史がありますが、俳句の場合は「座の文学」と言う部分も大きいと思います。同じ兼題で詠んだり、同じ場所を見て詠む楽しさ、選句の楽しさもあります。私は結社や主宰の為に詠もうと思ったことはありません(それは却って僭越と言うか、失礼に当たるように思いますし)。先輩が私の句に対して言われるのは、一句として情が勝ってしまって季題が生きていなかったり、共感を得られない句になっている事へのアドバイスだと思います。でも、それを拾って下さる方もありますし、そこが「句座」の楽しさでもあるかと思います。逆に短詩の進む方向を指示されているのは北野さんのように思えるのですが。又何が言いたいのかわからなくなってきましたが、北野さんも句会や吟行会に参加されてみてはいかがでしょう。

03/24 ほめてやらねば 人は育たず (4163回)

山本五十六の言葉とされる、
「「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ
人は動かず→人は育たず、と言ったともいう。

中学一年の孫が修学旅行で京都奈良を旅行した時に、俳句、或は短歌を作ることを課題に出されたと聞いて、驚きまた小学校の授業にそういう形で取り入れられていると知ってとてもうれしくなった。

おおよその子供たちは初めての作品作りで戸惑ったと思うが、その拙い句・歌を褒められたら、これからも俳句・短歌の世界に親しみを持ち、やがては本格的にやろうとする子供たちも出てくると大いに期待できる。

中1の生徒に「季語」や「技巧」を求めるのは、角を矯めて牛を殺すようなものだ。
気持ちが素直に表現されていれば、それを褒めてやることが一番だ。

2020年の東京五輪に向けてスポーツ選手の育成が始まっているが、開催まで6年という時間は決して十分ではない。
俳人歌人の卵を育てるのには、もっと長い10年計画が必要だろう。
中1の生徒は10年後には成人して、才能の花を咲かせ始めるだろう。

大声で褒めるということは、狭い団体誌ではなく、全国紙に選抜してあげることだと思う。
大人と子供を同じ土俵に競わせて、句として未成熟なら落とすというのでは、配慮がなさすぎる。
全国紙俳壇の選者が、子供たちの為の特別枠を作り、才能の芽を掬い取るという英断を期待したい。

03/23 へそ出しに 旧かな遣いが 顔しかめ (4162回)

 ファッションの続き。 20年前くらいからだろうか、「裾出しルック」が流行り始めた(男女共に)。
男のYシャツの裾はズボンの中に、女性のシャツの裾はスカートの中に入れる、というのがそれまでの常識だった。

ところが、突然裾出しルックが流行り始めて、たちまち広まっていった。
その頃管理職にいた私は、若い部下のそんな姿に注意したが、「就業規則にありますか?」と一蹴された。
裾出しをベースとしたデザインの工夫がなされ、女性は軽やかに着こなすようになり、ダラシナイと顔をしかめるのは年配者だけとなってしまった。裾出しルックはさらに進化して、ヘソ出しルックも珍しくなくなった。

俳句人の好きな”旧かな遣い”は、アンチ裾(/ヘソ)出しルックのようなものではないのか?
古い明治を懐かしみ、学校では勉強したことのない旧かな遣いを、いかにも教養のように有難がる。
旧かな遣いの方が文字数が減り、上手く収まると言う実利も無くはないが、それは工夫次第。
今生きている時代=現代仮名遣いでどう表現するかを工夫することが、現代人の役目だろう。

100年後の人たちが、昔の句を鑑賞して、江戸、明治―大正、昭和ー平成の句を比較した時に、
詠う内容、表現の仕方を見て、ああ夫々時代によって変わって来たんだなと感じるのが自然だ。

平成のこの人の句は、まるで明治調だな、と評されて悔しくはないのだろうか?

03/22 季語はネクタイ Tシャツの子が笑い (4161回)

 ファッションは不思議なものだ。
 いわゆる制服を除けば、誰が何を着ようと自由だ。おめかしする人、ラフなカジュアルの人、スカートの長短・・・。
 私が会社勤めを始めた時、”ネクタイ”は必須だった。役人、勤め人のシンボル? ネクタイを締めないで職場の門を潜るということは考えられず、締めていないと周囲から注意された。(今でもそうだが、ネクタイを締めてさえいれば、社会人として一応信用できるという目印にもなっている)

 中年になった頃、アメリカのIT先進地シリコンバレーのエンジニアたちは、勤務中もネクタイなどせず夏はTシャツだと聞いて驚いた。また、お堅いことで知られたIBMのセールスマンが展示会に全員Tシャツで対応して話題になったこともあった。
 今は、省エネの風潮に乗じて、夏には首相もクールビズを率先してノーネクタイが普通になった。
つまり”ネクタイもTPOに合わせて、が新しい社会の常識”に変わった。

 俳句の”季語”を考えると、ネクタイのようなものだと思えて来た。
 季語が入った句は、@有季で規則をクリア、A自然と安定感が出る。
これはネクタイを締めた人を見て、この人は一応信用できる人だと判断するのに似ている。逆に言えば、勤め人/お役人はきちんとネクタイをするべきだという、一昔前の常識を今も信じている人に思える。
 ノーネクタイでも立派な仕事をしている人は山といるのに。
 《季語あれば 凡クラ句でも 許される》

 「無季の句は俳句ではない」という虚子の言葉を金科玉条のように信奉するのが、今も良いのかどうか?
 思いを五七五に綴る時、どうしても季語が入れられない時もあるはず。

 《人恋ひてかなしき時を昼寝する》 (高柳重信)
 《雨がふる恋をうちあけようと思う》 (片山桃史)
 《こいびとになってくださいますか吽》 (大西泰世)
 《私の虎私の羊を食べてはやく》 (前島篤志)
 《抱けば君のなかに花灯りけり》 (河原枇杷夫)


 これらを”季語が無い”ゆえに”川柳だ”、というのはおかしいと思う。
 私は季語を廃止せよと言ってるのではない。江戸俳諧以来、積み上げて来た季語の文化も尊重はすべきだ。
しかし、季語のない句も、心に響いてくる句であれば、俳句として認める度量を堅苦しい人に期待したいのだ。

03/21 亀鳴く (4160回)

月曜日の俳壇に、「亀鳴く」の句が二つ選ばれていた。
@ 《あの人の事を想へば亀鳴けり》 (小樽市伊藤玉枝)大串 章選
A 《亀鳴くを信じ八十路の一詩人》 ( 々  々  )稲畑汀子選

歳時記によれば、「亀鳴く」は春の季語である。
生物学的には、亀には声帯という器官がなく鳴くはずは無い。
ただ藤原為家の歌に典拠があり、「遊び心と想像力の所産」で空想上の春の季語として定着した、とある。

例句に、
 《亀鳴くを信じてゐたし死ぬるまで》 (能村登四郎)
 《亀鳴くを聞きたくて長生きをせり》 (桂 信子)
 《一日の眠き時間よ亀の鳴く》 (稲畑汀子)   などがある。
  (あぁ春はいつも眠いものよね)

「亀鳴く」を空想の遊び心と割り切るなら、「雀水に入り蛤に」と同類となる。
(亀が鳴かないって事ぐらい分かってるよ。ただ平安から受け継がれたジョークは後世にも伝えなきゃね)
Aの句は、能村登四郎、桂信子の句と同じ発想だから、理解出来る。

「亀鳴く」を、単に「春」の意味だと割り切るなら、稲畑氏の句も、〈眠い時間=春〉として面白い。
しかし、@の句がどうにも理解できない。〈あの人の事を想う=春〉とは何のことだろう?
選者の大串氏はどうしてこの句を一席に選んだのだろう?

作者の伊藤氏は「亀鳴く」で数句を作り投稿したら、二人の選者が別々のを選んでくれたので鼻高々だろうか。
月曜日の40句中、巧拙は別にすれば他の句は分かるものばかりだったが、@の句だけは分からない。
どなたか解説をしてくれませんか?   一番訳の分からない句こそが秀句なのだろうか?

03/20 恋する肉体 (4159回)

『恋する肉体』  (川上史津子著  飛鳥新社 2002年)
題名にドッキリし、表紙の写真に釣られて借りて来た。
川上氏(1972年生まれ)はエロキュン歌人であり、映画などにも出演しているそうだ。
歌を読んで分かるように、世間の常識、一夫一婦などには縛られず、自由奔放にSEXを楽しむ方のようだーー肉食系。

古来女性が恋の気持ちを詠う時には《「黒髪」の乱れもしらず・・・》という風に「黒髪」で象徴していた。
明治に与謝野晶子は《「乳ぶさ」おさへ神秘のとばり・・・》と初めて「乳」(乳房)を表現に使った。

その後、《やわ肌の熱き血潮・・・》《抱かれて息のつまりしこと》
《ひしと逢ひきし四肢てらす》《もうすぐ叫ぶ叫んでしまう》
《くちづけのあとの真っ赤な》《抱かれて痛き》
・・などなど恋情を具体的な言葉に置き換える試みが続いて来た。
これら歌人・俳人の表現は、いずれも(それが不倫であっても)純愛を詠ったものだった。

川上氏の歌は、二つの点で大きく異なる。
@ 詠うモノ(対象)がより具体的である。
A 受け身ではなく、自ら積極的に性愛に挑んでいる。一夜限りのマンハント?

 《金曜の夜の巡礼朝までを多少なりとも素敵な宿で》
 《いつからか誘い上手の我がいてこれも一つの才能かしらん》


歌集にある他の歌は、実にあからさまな表現で様々な性の行為を詠んでいる。
江戸時代の浮世絵などから現代にも伝わる四十八手、大部分の大人は体験している事だとは思うが、それをそのまま歌に詠もうという発想がユニークだ。或いは、もしこれを私歌集ならいざ知らず全国紙に載せるのは如何なものかと言う人も多いかも知れない。
歌集から抜粋した歌をページにまとめたので、興味のある人はどうぞ。
http://sky.geocities.jp/kitano555_2010/dokusho_2014/703_koisuru_nikutai.html

「あとがき」にこのように書いている。
 『「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」という諺があります。何事も実際に経験してみることが大切である、という意味です。 私の場合は「馬には乗ってみよ 人にも乗ってみよ」。正確には、乗ったり乗られたりですが。
 これが冗談かというと意外とそうでもなくて、うわべだけではなく、その人の本性を知るには、ぶっちゃけた話SEXが一番だと思うのです。甘いお口とは裏腹に我侭、傲慢だったり、逆に、印象よりもずっとずっと紳士的で優しかったり・・・・。』

初主演映画『胸が痛い』深作健太監督(シネマ☆インパクト、2012年)
他の著作、『えろきゅん』『恋する放課後♪

03/19 外国人にも俳句を (4158回)

五七五の短詩型の楽しさを外国人にも広めようと頑張っているようだ。
ただ、日本語と英語とでは言葉の体系が異なるので、簡単に置き換えは出来ない。

《古池や 蛙飛び込む 水の音》 (芭蕉)

英訳はいろいろとあるようだ。
A:〈A frog jumps into and old pond. Breaking the silence all around〉

B:〈Tere isi an old pond. A frog jumped into the pond. And made a splashing sound〉

C:〈An old pond・・・・/ A frog jumps into the pond./ Splash ! Silence again〉

D:〈Old pond / frogs jumping in / sound of water〉 (小泉八雲訳)

B、D は直訳に近い。AとCは水の音の前後の静寂に気づき silence の語を入れた。Cは更に / で切れ字の効果を入れている。

外国語で語数を限り、リズム感を出し、饒舌を押さえて、読み手の直感を刺激し想いを伝えることは容易ではない。
フランスには5000人ほどのハイキスト(俳句に挑戦する人)がいて、ある俳句の書物は7万部も売れているという。どういう俳句を作っているのか読んでみたいものだ。

外国に伝わったハイク(俳句)が、どういったルールを作るのか興味がある。
黛さんの考えは「短詩型+切れ」だ。
日本の季語と同等のものが出来るのかどうかは、夫々の国の状況によるがあまり期待は出来ない気がする。日本人の四季感を押し付けても彼らにはピンと来ないだろう。

和食(握り寿司が代表)の良さは世界中に広がっている。しかしTVなどで現地の寿司を見ると驚くことが多い。(寿司)タネや組み合わせが、現地風にアレンジされているからだ。しかし文化の伝搬とはそういうものだと思う。
俳句=短詩型(五七五)という基本ルールは別としてそれ以外は現地化するのが当然だ。季語や切れ字が切り捨てられても仕方がないことだと思うし、それで良いのだ。

柔道の試合着、テニスウエアについても然り。白一色の伝統派は譲歩せざるを得なくなった。

03/18 脳内の無意識の海から俳句は生まれる (4157回)

脳科学者の茂木健一郎氏はこう書いている。
『俳句はいわば、推敲の芸術です。言葉を限り、削り、そして焦点を合わせてゆく。黛さんが「もの」の文学だと言われるように、言葉によって「もの」に命を吹き込むような瞬間の革命、それが俳句というものです。
 一瞬を逃さない瞬発力とそれを普遍に導くような持続力。この一見相反する力を総動員させながら、自分自身の身体や意識が送ってくる微細なシグナルを言葉に変えて、自分の歌を歌うこと。このような「俳句を発する」行為に、物事を主体的に捉えようとする自覚があるのは言うまでもありません。
 そのとき脳内で無意識に起きている準備電位が、前へ前へと僕らの意識を誘っていることは想像に難くない。様々な経験が沈潜する無意識の海に支えられ、脳内では「俳句を発する」約一秒も前からニューロン(神経細胞)の発火が先行しているということです。』

アメリカの神経外科医ベンジャミン・リベットとドイツの生理学者ハンス・コルンフーバーによる「自由意思を調べる実験結果」に言及している。
『人が「指を動かそう」と意識するより一秒近くも前に、脳波の電位変化が起きていることが分かった。要するに、自分では自らの意思で行動しているつもりでも、意識以前に脳の指令が出ていたということです。端的に言えば、「僕らの意識は、脳内現象の事後の合理化にすぎない」可能性が明らかにされたのです』

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人は普通、「〈私〉という意識」が自分の行動(知・情・意)を支配していて、自分の意志で身体を動かしたり、言葉を発すると思っている(天動説的発想)。しかし事実はそうではなく、脳内で無意識に起きている準備電位がまず変化し、その結果が行動として現れる(心の地動説)というのが最近の知見だ。

この件については、次の本に詳しく書かれているので、興味のある方は読んでみて欲しい。
『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/3791/c_nikki0504.html
茂木氏のいう「微細なシグナル/準備電位」のことを、前野氏は「小人たち」と呼んでいる。

03/17 言葉の三層構造 (4156回)

寺田虎彦がこう言っている。
『日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。二つの世界の間の通路としては、通例、ただ小さな狭い穴が一つ明いているだけである。その存在を知っている人は穴を捜して行き来できる。まれに、きわめてまれに、天の焔を取って来てこの境界のガラス板をすっかり溶かしてしまう人がある。』

国立国語研究所の甲斐睦朗しは、言葉が三つの層に分かれた深い海に例えている。
 【表層水=若者言葉、流行言葉】、   【中層水=日常の言葉】、    【深層水=詩の言葉】。

表層水はいつも波立っていて、言葉は流行るがやがては廃れて行く。中の一部だけが中層水に取り込まれて行く。
中層水と深層水も同様だろう。日常用語の中から詩心に富んだ言葉だけが深層水に仲間入りする。深層水の言葉も、言霊の寿命を迎えて消えてゆくものもある。

季語は深層水の中で地位を保っていると考えてもよいが、それすらも時代の洗礼を受けるだろう。
よいモノを残し、働きの弱い言葉は思い切って追放するのが現代人の役割だ。

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松村 京子 表層水の言葉を使って詩や俳句を作ってもよいと思います。が、それが100年後・数百年後の人々に理解されるかどうか・・多分、その言葉に関する「古語辞典」が必要になるでしょうね。
玉手 のり子 寺田虎彦氏も今の若者言葉を聞いたら、意見を変えられるかもしれませんね(笑) そんなに無理やりに使命感を持って少数派の言葉を切り捨てなくても、使いたい人につかわせてあげても良いではありませんか?
北野 和良 >のり子さん。仰る通りかも知れません。無理やり追放などしなくとも、人が入れ替わって行けば使う言葉も変わって行くでしょうから。データベースを解析して、年代別の季語の使用率などを調べると面白いでしょうね。
千脇 義憲 寺田虎彦、懐かしいですね、岩波文庫の科学エッセイを、良く読みました

03/16 句の背景を感じる難しさ (4155回)

 NHK俳句(3/05) 題『草餅』を見た。

 《おらが世や そこらの草も 餅になる》 (一茶)

選者:宇多喜代子(現代俳句協会・特別顧問 紫綬褒章)   ゲスト:奥村彪生(伝承料理研究家)

投稿句の中から、

一席  《海と山 越えて届きぬ 草の餅》 (佐渡市 保品 ひろし)

選者の宇田氏はこのように、
『〈めったにしないことなんですが〉保品さんが佐渡市にお住まいということを鑑賞の中に入れてしまいましたが・・・海と山を越えてというのがちょっと大袈裟ですが、佐渡という場所でよく分かる・・・・』

佐渡ヶ島というキーワードが無く句だけを読めば、(北海道や沖縄から届いたのかなどと)「海と山」が少し大袈裟に感じられる。
新潟からフェリーで約1時間の佐渡ヶ島ということを知れば、「海と山」のイメージがより鮮明になり、「海と山」という表現ががさほど大袈裟ではなくなり、句全体がしっくりと落ち着くということだ。

年間大賞は次の句だった。
 《立春の 山々いまだ 天界に》 (美幌市 斎藤 慶子)

上の宇田氏の解説を聞き、虚子の句を思い出した。(『花鳥風詠そして未来へ』より)
 《爛々と 昼の星見え 菌(キノコ)生え》

稲畑氏の解説では、小諸の句会前にある人が、深い井戸を覗いた時、昼であるのに底に溜まっていた水に星が映り途中の石積みの石の間に菌(キノク)が生えていたという体験を話し、虚子が句に作ったという。
「井戸を覗いたら」という体験を共有しない限りこの句の良さは分からないと思う。
「句+解説」で秀句となるのなら、「省略の行き過ぎ」ではないのだろうか?

03/15 存問の俳句(データベース論続き) (4154回)

『お寒うございます、お暑うございます、日常の存問が即ち俳句である』(「虚子俳話」より)。
『風詠が無かったら詩という性質を忽ち失ってしまふ』(「俳句への道」より)

俳句=日常の挨拶x詩心、だと解釈出来るだろうか。

昨日、現代俳句協会の俳句データベースのことを調べ、現在収録されている句が36000句余で、如何にも少ないと感じた。
(これは入選した秀句、佳句にが限定した結果で、それ以外の句は外されたからだ)

会員が作る句はどれほどの数か?と分からなかったが、玉手のり子さんから、「自分は年に50句は作る(少ない方)」と聞いた。俳句人口を仮に200万人とし、年間10句とすると2千万と膨大な句が作られている計算になる。

日本全国では、毎日毎日人々が挨拶している。
「こんにちは。儲かりまっか」「ぼちぼちでんな」 1億の挨拶が交わされるが、これを記録してデータベースを作るほどの意義は見つからない。
俳句=存問=挨拶であるならば、作られた句の大多数は泡沫のように消えてもよいのかも知れない。今朝の挨拶はとても上手に出来たから日記に書き残そうと言う人はあまりいないだろう。

ただ出来上がっているデータベースを解析して、例えば
・季語の使用頻度、年時別の推移
・(季語以外の)日常用語の使用頻度、年時別の推移
・切れ字(や、かな、けり、など)の使用頻度、年時別の推移
などを公開して欲しいと思う。句作する人の参考になるはずだ。

このような分析は、新季語の採録、季語からの除外などにも役立つはずだ。分析次第では、選者や作者の癖も見えるかも知れない。
ーーーーーーーーーーー
玉手 のり子 いえ、その、一か月に、発表するのが50句です。一年なら600句ぐらい。プライベート吟行や、友人のHPに出すのはその2〜3倍でしょうか。それでも、少ない方だと思います。
..
北野 和良 >のり子さん。間違ってごめんなさい。一日に2句のペースですか!お友達とおしゃべりしている間も、頭の中は句の言葉探しと推敲ですね。
..
玉手 のり子 ちゃんと選に入るような句ばかりではありませんが・・・友人との俳句メールでは、一日に10句ぐらい交換しています。それは数には入れていません。ほんとのお台所俳句、「アスパラガス百円だから買いました」みたいな(笑)
..
北野 和良 まさに存問ですね。
..
玉手 のり子 そう呼べるでしょうか^^; 連絡事項も「集合は一時半です梅の丘」とか、その方とのメールは全部五・七・五(笑)そんな具合ですから時々意味を取り違えて連絡ミスも(;'∀')
..
北野 和良 字数が少なくてメール代の節約になりますね。
..
北野 和良 >のり子さんへ一句進呈。《詩人(ウタビト)ぞ メール送るも 五・七・五》

03/14 俳句データベース (4153回)

現代俳句協会では、『IT部による「平成16年、現代俳句データベース」の構築に着手。』とある。

【収録方針 】
1、この現代俳句データベースは佐々木敏光氏の「現代俳句抄」(収録句数約 5000 句)を基礎データとし、順次、現代俳句協会IT部で追加して」ゆくものです。
2、その、収録方針は、明治以降の広い意味での秀句、歴史的に価値のある俳句作品を網羅することを目指します。
3、当面、現代俳句協会受賞作品全句、現代俳句協会歴代会長作品、歴代俳句大賞作品、現・現代俳句協会役員作品、およびIT部員の推薦句などを収録してゆきます。
  第1期の収録目標は10万とし、俳句データベース最大の規模を目指します。
4、将来的には、江戸期の俳諧(発句)も収録する方針です。

【季語一覧】には、「春(615)」「夏(816)」「秋(545)」「冬(555)」「新年(231)」と合計 2762の季語が登録されていて、 それをれの季語を引くと登録された例句が見られる。また「無季の句(949)」もある。
【作者一覧】には、あいうえお順に、5625名が登録。
http://www.haiku-data.jp/
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受賞作品以外の句は現在では登録から省かれている。(現在36543句登録)
第1期目標を10万句と限ったのは、受賞作品などに絞ったことでの暫定目標と考えたい。
このデータベースは一般開放されていて、誰でも自由に検索することが出来る。

現代俳句協会は会員数約7000名とあるので、各会員が年間10句(少ない?)作るとしても7万句と膨大な数となる。
ホトトギス、伝統俳句協会、俳人協会などとも提携して、投句・発表される全ての俳句を収録する巨大データベースを構築することは出来ないだろうか?(年間100万句以上とはなるが)。
そうすれば自分の作った句が、過去の誰かが作った句と同じかどうかを検証することも可能となる。
数1千万〜数億句のデータベース構築は、現在のIT技術ではさほど難しいことではない。

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玉手 のり子 データベース大変そう・・・ホトトギス誌に載せて頂く句だけでも、年間一人50句ぐらいでしょうか。どこまでを俳人とするのかにもよりますが、例えば私なども入れてもらえるなら、大体句会や俳誌に発表する句が月に50句ぐらい。でも私の周りでは少ない方です。
今村 征一 のり子さん 稲畑汀子26句稲畑廣太郎1句が載っていました。


03/13 社員を熱くさせる改革力 (4152回)

 ヤフー社長 宮坂学氏(46歳)(3/01朝日新聞より抜粋)
無借金経営で4千億円ものキャッシュを持つのに経営は保守的で、その様はまるで「眠れる獅子」といえた。
慎重居士だったヤフーが相次いで新機軸を打ち出す。即断即決で積極的に外部の力を取り込み、出資・提携先は31社に。ショッピング事業では出店料を無料にする大胆さで、先行する楽天の心胆を寒からしめる。

新社長の宮坂氏は、「会社を『社員の情熱と才能を解き放つ場』にしたい」という言葉で平均年齢34歳社員のハートをわしづかみにする。優秀なエンジニアにの報酬は社長を上回る1億円。部下の評価で上司を査定。移動先を自分で探す制度。新設の社員食堂は無料で社外の人の利用もOK・・・・。

前任者は1996年の創業初期から社長を続け、高収益体質の企業に育て上げた。だが長期政権に人心はうむ。硬直的な人事管理や保守的な経営方針が災いし、有為の人材が続々流出。それを経営陣は「去る者は追わず」と受け流し、出戻りを禁じた。

宮坂氏はいう。「社員が自分を表現できる会社にしたい。持続可能な会社にするには社員の力しかないので、いい社員を採用して情熱的に働けるようにしたい。いまの自分は「俺が、俺が」のスタイルではないし、自分がすべての答えをあわせ持っている訳でもない。答えはいつも部下が持っているんですね」。
「インターネットはそれまでできなかったことを一般の人ができるようにした。普通の人に「パワー」を与えるのが僕らの仕事なんです」。
彼は自社が持つビッグデータにも着目している。「膨大な情報をセンス良く提供するのは非常にいいことと思っています」。

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ソフトバンクの孫正義氏にも匹敵する器の大きいリーダーだと思う。

記事を読みながら、俳句界(のリーダー)と比較してみた。
思いだしたのは、昭和11年ホトトギスが理由も不明のまま杉田久女を除名した事件だ。
上の記事で、会社→ホトトギスなど、社員→会員、一般の人→俳句愛好家(非会員)として読むとして、俳句界が宮坂氏のような改革が出来るかどうかいささか心配になる。

俳句界には過去に蓄積してきた膨大な句データ(秀句、佳句、並句、むだ句、ダメ句)がある。このビッグデータを分析・整理して俳句愛好家へ情報提供するようなことは出来ないものだろうか。
愛好家が俳句作りを気軽に楽しめるよう交流サイトを立ち上げるとか、もっとインターネット/スマホを活用出来ないだろうか?
【追記】現代俳句協会では、『IT部による「平成16年、現代俳句データベース」の構築に着手。』とある。他のグループでも同様の動きはあるのだろうか?調べてみよう。

03/12 美しい日本語を残す? (4151回)

「美しい日本語を残す」というフレーズを考えてみた。
 ・「美しい日本語」とはどういう意味か?
 ・「残す」 という動作は、どうすれば実現できるのか?

「美しい日本語」には、〈昔から伝承されてきた〉というニュアンスが隠されている。昨日生まれたばかりの新語は、美しい日本語とは言わない。つまりまだ皆の評価が定まっていないからだ。昔から使われ続けてきた言葉の中で、皆が美しいと感じる言葉、それが美しい日本語だろう。
但し、単語(名詞、動詞、形容詞など)が単独で美しいだけではない。言葉が紡がれ連合してフレーズになってさらに美しい日本語となるのだ。
 《祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす》(平家物語)
 《行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし》(方丈記)
 《つれづれなるままに、日暮らし、硯(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ》(徒然草)

どの文章も、四六駢儷体に似て、韻を踏んだようなリズムで読者の心に迫り、千年の命を保っている。作られた時代という考慮さえあれば、現代にも充分通じる平明さを持っている、美しい日本語だと思う。

美しい言葉という概念には、「未来へも使い続けられる」という要素が欠かせないのではないか。
童話的に表現するなら、言葉は生まれた時に「魂・いのち(言霊)」を持つ。そして命のある限り人々と共にある。人々が言葉に飽きると命も消えてゆく運命にある。 言葉は時代の洗礼を受け続けながら、未来へ向けて時の川を下って行く。

流行り言葉や物を示す言葉なども、時代の流れで物自体が消えたり、時代の熱が冷めると消えて行く運命だ。
〈ポケベル〉〈洗濯板〉〈終身雇用〉などなどは消えて行く言葉で、これを止めることは出来ないだろう。

歳時記は俳句でよく使う言葉を集めたものだが、よく見ると命の消えかかった言葉もかなりある。
〈寒紅〉〈底紅〉などはその一つだと思うのだが、消えかかった火を火吹き竹で吹くように、句に織り込んで後世に残そうとして果たして成功するのだろうか?

平成に生きる私たちは、この時代を作りあげたことに誇りを持ち、使われる言葉に自信を持つべきだ。
新しく生まれた言葉を吟味し語句に紡ぎ、この言葉は未来に生き続ける命があると見極める力を養う方が大切ではないのだろうか?

自分の句は100年、1000年経っても古ぼけない、それを目指して現代からの言葉選び/言葉紡ぎをすることこそ「美しい日本語を残す」ことではないだろうか。
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/chotto.htm

03/11 覆水盆に返らず (4150回)

太公望の故事から『一度起きてしまった事はけっして元に戻す事は出来ないと言う意味で「覆水盆に返らず」と言うようになった』。
同じ意味を表す英語の諺に "It's no use crying over spilt milk."(こぼしたミルクを嘆いても無駄) がある。

孔子(紀元前552年)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。孔子が起こした儒学は徳川幕府が官学に採用したことで武士はもちろん庶民にもよく知られ、日本人には馴染みの人物・学問だ。

「三省」「啓発」「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」「義をみてせざるは勇なきなり」といった言葉が「論語」に由るとは知らないまま、覚え使っている人も多いだろう。

孔子は思想家としてまた教育者として優れた人物だった。「論語」に残る彼の言葉は、2600年経った今の世でも処世訓として参考になる言葉が多い。 彼は【君子は南面す】(天子や皇帝など指導的立場にある人物は正しい道理を示すという意味)を理想とし、徳治政治を説いた。 『政を為すに徳を以ってす。例えば北辰の其の所に居て、衆星のこれに共(ムカ)うが如し』(北極星が真ん中にあって、他のもろもろの星がその方向を向いているようなものである)。そして彼は春秋の乱れた政局を見て、400年ほど前の『周』の時代・周公旦の政治に戻すべきと考えて、そのことを諸国の王に説いて回ったが、ついにそれを実現することは出来なかった。

■ 周から見れば未開、野蛮の国である楚の「熊」や「虎」の部族に対して、周公旦は『中原・周の礼』を示し、彼らを説得し 周に臣従させることに成功する。また、成王も自分の過ちに気づき、周公旦に帰国を願う。
 楚における成果を持ち帰った周公旦は、成王を助け、官制を万全に記した『周官』、礼制の書『周礼』の完成に 没頭したという。
★ この時代から数百年の後に生きた孔子は、諸国入り乱れて戦う社会状況を嘆き、周公旦が確立した『周礼』を 復活させれば世の中の乱れが収まると考え、そのことを諸侯に説いて回った。(が、残念ながら孔子の言に耳を傾ける 君主はもはやいなかった)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/dokusho/shukotan.html

■ 孔子にも部分的な成功はあった。(55歳の時)
孔子が魯の国で大司寇(警察長官)として政治に参画した。史記にいう。
 『孔子が国政に参与するようになって、たった三ヵ月で商人は掛け値をしなくなり、男女は礼を守り、 落し物を拾ってもネコババせず、関所の役人も賄賂を取らなくなった』

しかし 「論語」には『斉人女楽をおくる。季桓子これを受け、3日朝せず。孔子去る』 (斉が女楽を送り込み、大臣の季桓子は政務を放棄した。責任を取って孔子は去った:失脚した)とある。

時の流れに竿挿して昔へ戻そうとすることが、如何に困難・不可能であるかを示している。
言葉(日常用語)も同様だろう。為政者が言葉を変えようとして失敗した例が韓国にある。
韓国は、ハングル文字+漢字の国だが、数十年前に国粋主義で漢字の教育を10年間ほど止めた時期があった。その時子どもだった人たちは、漢字を覚えられず、成人してからとても苦労をしたそうだ。いま漢字は復活している。

言葉は時代と併走する生き物で、誰かが意図的に変えたり、方向づけしたりは出来ないものだと思う。
昭和21年(1946)11月16日付けの内閣告示による【現代仮名遣い】は指示というよりは、現状を整理・追認したものだ。

余談だが、虚子の句に《蛇穴を出て見れば周の天下なり》がある。
この「周」は上に挙げた周の国のことだろうか?

03/10 ダメ句? (4150回)

雪の残る浅川土手を歩いて、一句。

    《残雪と 競い合うかな 梅の花》

       《白梅と 競い合うよな 名残り雪》

          《白梅を引き立てますわと 名残り雪》



03/09 昔は良かった?(現代語で詠もう) (4149回)

人間は幼い頃の記憶(言葉や生活習慣)に愛着を持つ。
時代が移り、年を取るとついつい『昔は良かった』という言葉が出がちだ。

言葉は時代と共に移り変わって行く。図に整理したように日常用語は二つの要素から成り立っている。
  ・一つは千年来、変わらず使い続けられてきた言葉。
  ・もう一つは、時代と共に変化して行く言葉(語彙、話し方、発音などなど)だ。

狂言を見ていると、室町時代の日常語のはずだが、現代では珍しい言葉遣いに驚く。
江戸時代の歌舞伎、浄瑠璃なども同じこと。解説を聞いて初めて、ああそうかと理解出来る。しかし考えてみると、これらの分かりにくい言葉も、その時代の人にとっては日常使っていて、何の不思議もない言葉だったはずだ。

人々はいつの時代も「今の言葉を話し」「その言葉を文芸に記録した」だけの話だ。
明治維新と共に、江戸言葉は明治言葉に変わって行った。サンギリ頭を叩いて見れば・・・文明開化の影響だ。明治後期、多くの小説家が生まれ名作を残してきた。これは「江戸言葉と新しい明治言葉の混合された当時の文体」となっている。
「たけくらべ」「虞美人草」「三四郎」などを読むと、理解できないほどではないが、現代の言葉との違いに戸惑うことも多い。(当時の人たちはこれらの作品を何の苦もなく普通の言葉として読んでいった)

          

俳句と言う文芸においても事情はまったく同じだと思う。
子規や虚子はその当時使われていた日常語を素直に句に使ったはずだ。芭蕉や蕪村に対抗して新しい俳句を打ち立てようと意気に燃えた彼らが、わざわざ江戸言葉に戻ったはずがない。

しかし、今子規や虚子の句を読むと、ああ古い言葉のオンパレードだ、時代は変わったと感じる。
古いと感じる要素は、「語彙、文語体、旧かな遣い」などだ。彼らの時代にはこれらがまだ日常に生き残っていたからに違いない。(平成の今、これらは日常用語としては死語に近い)

俳句を嗜む現代人が、先人を尊敬しお手本にして、道を究めたいと願うのは立派なことだ。しかしそれと明治言葉を学び、(擬古文のように)模倣することは全く別のものだ。
文語体や旧かな遣いは、音を縮めるのに便利だなどと言うのは、ただ楽をしたいための言い訳に過ぎない。(現代俳人の多くが旧かな遣いには俳味があると勘違いをしているとしか思えない)
現代語を使って、どう表現すれば十七音に収められるかに真剣に取り組むのが本筋だろう。

50年、100年後の俳人が平成の句を鑑賞する機会があるとして、そこまで生き残っている句はどんな句だろうか。
時代を越えて今でも新鮮に感じられるこの句を作った人はどんな人だったのだろう、という句こそが秀句だと思う。
 《朝顔に釣瓶とられて貰ひ水》 (千代女)
 《菜の花や月は東に日は西に》 (蕪村)
 《我ときて遊べや親のない雀》 (一茶)
 《我が恋は 林檎の如く 美しき》 (中川富女)
 《われ男(を)の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子》 (与謝野鉄幹)
これらの句・歌は「平明に、すらり」と詠まれている。

逆に未来人この句は平成俳人の句だが、まるで明治の句みたいだね、と言われるとしたら悔しくはないのだろうか?
 《寒紅を引きて底紅思ひだし》 (明治調)
 《口紅を選ぶ桜の蕾いろ》 (平成調)(初めてのデートまっさらな靴)を加えると短歌になる。

03/08 NHK-TV『俳句さく咲く!』 (4148回)

この番組を初めて見たが、平成生まれのアンダーチーム2名と昭和生まれのオーバーチーム2名の対戦と言う形式、選者は神野紗希氏。
先週の良かった句《白菜を切る音 雪を歩く音》についての討論や、「句またがり」「とり合わせ」「むだ句」「季語が動かない(のが良い句)」などいろいろと勉強になった。
視聴者からの投句で作者の小学生の映像が出たり、キラリ大賞《しゃぼん玉人生うまくいかないな》が紹介されたりした。
対戦ではメンバーの作った句に、皆で○とダメを投票していたのが面白かった。中で、《雪はげし抱かれて息のとまりしこと》(橋本多佳子)の句も紹介されびっくりした。

平成チーム(一人は中学生)を一人前に扱っていることがとても良かった。
先日見た「俳句王国がゆく」もそうだが、若い人が中心になっていて、新聞の投句欄とは随分と違うことを実感した。

        

この番組の選者は、来月からホトトギス主催稲畑廣太郎氏に変わるそうだ。見逃さないようにしよう。

03/07 リーダーの引き際 (4147回)

日本の法律では、20歳で成人、75歳からは後期高齢者と決めていて、医療、福祉などなどでこの年齢を区切りにしている。75歳が最適かどうかは分からないが、人間はこの歳の前後から体力・知力が衰え始めるのは事実だ。
役所、企業その他いろいろの団体でも、この歳の辺りでトップリーダーの交代が行われるのはこの事を踏まえての判断だろう。
(町のお豆腐屋さんが子どもは別の道へ進んだため、俺は死ぬまで豆腐屋を続ける、というのとは訳が違う)

トップリーダーが若い世代にバトンを渡すには、頼れる後継者の育成が欠かせない。長い間リーダーとして君臨した実力を過信し、或は後継者の育成を怠った結果として、80〜90歳になってもリーダーを続けると言うことは、組織としては大きな損失だと思う。

ふと気になって朝日歌壇、朝日俳壇の選者方の年齢を調べてみた。
・朝日歌壇(平均 75.5歳)
 高野公彦氏ー73歳、永田和宏氏ー67歳、
 馬場あき子氏ー86歳、佐々木幸綱氏ー76歳

・朝日俳壇(平均 78.7歳 但し長谷川氏を除くと85歳)
 大串 章氏ー77歳、稲畑汀子氏ー83歳
 金子兜太氏ー95歳、長谷川櫂氏ー60歳。

      

歌壇と俳壇で平均年齢に差があると見るか、どちらもそろそろリーダーの交代時期が来ていると見るかは微妙なところだ。
(まさか実務を引退したリーダーが隠居仕事に撰者をやっているとは思えないし、選抜の実務は弟子に任せ名前だけ貸しているとは思いたくない)
人間は歳を取ると自分の成功体験に拘りどうしても保守的になる。
高齢のリーダーの独断・専横は往々にして老害となり組織の発展を妨げるものだ。

引き際を悟り、潔く後継者に道を譲る人こそ、真のリーダーシップを知る人ではないだろうか?
ーーーーーーーーーーーー

(追記)奇しくも今日、半年前のニュースを見た。
【「ホトトギス」主宰、34年ぶり交代 稲畑廣太郎さんに】(2013年10月27日)
正岡子規や高浜虚子が選者を務めた俳句誌「ホトトギス」の創刊1400号を祝う会が27日、都内のホテルであり、34年ぶりの主宰交代が発表された。虚子の孫である稲畑汀子(ていこ)さん(82)から、汀子さんの長男の廣太郎さん(56)が引き継いだ。汀子さんは名誉主宰となる。

稲畑汀子氏は見事なバトンタッチを果たされたことになる。廣太郎氏は2014-4からNHK-TV『俳句さく咲く』の選者も務められるそうだ

03/06 雪景色 昭和記念公園2014 (4146回)

2/26、暖かい日和に誘われて、雪の残っている昭和記念公園へ行った。
道路の雪は溶けていたが、芝生にはまだ雪が残り、中々の風情だった。
俳人を真似て、句を作ってみた。

  《雪椿 昭和の森は 春日和 》   《雪吊りや 役割終へて 風に揺れ》

        

03/05 ランドセル俳人ーー(続) (4145回)

小林凜くんの記事が夕刊にでた。中学受験に受かり、「パソコン部とか、やりたいことがたくさんある。俳句が分かる友達や先生に会えるといいな」と。
最近の作品の中から。
 《羽化したるてんとう虫や我に似て》
 《どんぐりに目鼻を書けば母に似て》
 《ラブレター師の手に渡す落椿》

凛くんが充実した中学生活を楽しみ、好きになった女の子にラブレターを渡す日が来ることを祈っている。

少し前にダ・ヴィンチNEWS(2013-5-5)を読んだ時、凛くんが俳句を作っていると聞き、教師が『俳句だけじゃ食べていけませんで』と話したと書いてあったのを読んでとても腹が立った。

「俳句だけじゃ食べていけない」のは事実だとしても、そんなことを言うのではなく、教師が自分の授業で、『凛くんは俳句を作っている。今日は皆で俳句作りをしてみよう』と言い、子どもたちに初めての俳句に取り組ませ、発表し合えば、凛くんのセンスや実力が皆にも分かって一目置くようになり、いじめは自然に消えて行ったのではないだろうか。

教育とはそういうものだと思うのだが、皆さんはどう思いますか?

03/04 NHK-TVの『俳句王国がゆく』 (4144回)

NHK-TVの『俳句王国がゆく』を見た。今回の舞台は徳島県牟岐町。
     

地元牟岐町チームの3名と俳句王国チーム3名との勝負の形で、アドバイザーは櫂未知子氏(群青代表)。
毎回、題が出され句を読み、どちらのチームの句が優れているかを、観客が紅白のウチワを挙げて決める仕組み。
それぞれの句について、詠み人、他の人、アドバイザーが説明や気にいった所を話すのを聞くと、分からなかった部分が見えてとても勉強になった。
4回戦目(題は癖)では参加の各人が詠んだ句に、詠み人を隠して互いに票を入れる。投票の終わった後で、票数を数えてから、誰の句だったかを開く。
今回は五票を獲得した《忘れたり落としたりこの春ショール》(松本千鶴)が選ばれた。
二票の句《涅槃図に足くせ悪き者もゐて》の句について、櫂氏が
 涅槃図に → 涅槃図や (切れを効かす) 或いは
 者もゐて → 者もをり (落ち着きが良い)       と添削されて勉強になった。

牟岐町では小学校の授業に俳句を取り入れていて、小学生の4句も披露された。
東京都清瀬市では、俳人の「出前授業」も行われているらしく、子どもたちに俳句の面白さ、楽しさを教える試みがもっと増えるとよいと思った。

03/03 新しいTVアンテナ (4143回)

アパートのTVアンテナが新しく立て直された。 見ると前後の建物も同様だ。
このアパートは築20年ほどのようだから、雪で倒れたのをきっかけに全部新しくしようと言うことだろう。BS受信も復活し、これで安心だ。

借家住まいというのも悪くないと思った。

03/02 バスの案内表示板 (4142回)

バスの案内表示板が新しくなった。

案内する中味によって、画面が切り替わり文字も大きくなったのでとても見やすくなった。

こういうサービスはありがたい。

03/01 ゴルフの練習に (4141回)

雪の後、久々にゴルフの練習に行った。
練習場は写真のような状態で、打って落ちたボールは回収できない状態。
今日は、3籠までですと言われた。

練習する人もちらほらで、2籠打って引きあげた。



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