@games日記(復刻版)    2014 January        トップへ

01 元旦点描 (4082回) 面白レンズ 3−IN-1 (4083回) 液晶モニター (4084回)
04 手かせ?足かせ? (4085回) FAX電話機新調 (4086回) 腕時計型カメラ (4087回)
07 原町田七福神巡り (4088回) 巨大抽選機 (4089回) お墓マンション (4090回)
10 バイク駐車場 (4091回) 鬼瓦 (4092回) 消防分団の扉絵 (4093回)
13 北米の寒波 (4094回) 茅の輪 (4095回) 出雲四拍手 (4096回)
16 消防団出初式 (4097回) 木遣り (4098回) 梯子乗り (4099回)
19 ブログ日記 4100回 (4100回) PM2.5 (4101回) 利休にたずねよ (4102回)
22 直木賞 (4103回) 芥川賞 (4104回) ろう‐ばい〔ラフ‐〕【×蝋梅/×臘梅】 (4105回)
25 BIGLOBE の売却 (4106回) 地域防災ガイドマップ (4107回) 切手シートが (4108回)
28 東京都知事選挙 (4109回) 恵方巻 (4110回) 白洲正子 (4111回)
31 時分の花(『風姿花伝』より) (4112回)


01/31 時分の花(『風姿花伝』より) (4112回)

12〜13歳の少年は、稚児の姿といい、声といい、それだけで幽玄を体現して美しい、と、(世阿見は) この年代の少年には、最大級の賛辞を贈っています。
しかし、それはその時だけの「時分の花」であり、本当の花ではない。
だから、どんなにその時が良いからといって、生涯のことがそこで決まるわけではない、と警告もしています。

どんなに頂点を極めた者でも衰えが見え始め、観客には「花」があるように見えなくなってくる。
この時期でも、まだ花が失せないとしたら、それこそが「まことの花」であるが、 そうだとしても、この時期は、あまり難しいことをせず、自分の得意とすることをすべきだ、と世阿弥は説きます。

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白洲正子氏の『両性具有の美』(菊座の契りの章)の中に次のような文章がある。
『十三、四から二十歳前の男の子には、誰が見ても人間ばなれした美しさがある。
それが四、五年、長くて六、七年で消えてしまうところに物の哀れが感じられる。
男は男に成るまでの間に、この世のものとも思われぬ玄妙幽艶な一時期がある。
これを美しいと見るのは極めて自然なことであり、別に珍しいものではないと私は思っている。』

この文章は、上述の「世阿見の風姿花伝」の言う【時分の花】と同様だと思われる。
白洲氏はこの文章では、「男の玄妙幽艶な一時期」と言っているが、私は男女ともだと思う。
思春期の頃の女は、花で言えば蕾だが、ピチピチとした若さが匂い立ち、
美貌と言う域にはまだ達していないが、弾けるような命の輝きに満ち満ちている。
これもまた【時分の花】と言えるのではないだろうか。

世阿見が生きていた中世には、まだ女性が表舞台に立つと言うことがなかったので、 世阿見は自分と同じ男についてのみ著述したのだと思う。
「出雲のお国」が活躍したのは200年ほど後の時代になる。
現代で言えば、吉永小百合、安達裕実、薬師丸ひろ子、松田聖子などがデビューした時の清新な印象は まさに【時分の花】ではなかったろうか?

01/30 白洲正子 (4111回)

新聞の書評(田中優子氏)『白洲正子 ひたすら確かなものが見たい(挟本佳代著)』にこんな文章があった。

『重要なのは「型」であった。著者は白洲が「確かなるもの」を見極めようとしたその根幹に「型」の習得があったことに注目する。
白洲は能や香道の型を体得することで、そこにのみ個性が現れることを知る。
徹底的に型を身体に刻みこみ、型が重なって舞となり、舞が重なって能となることを悟る。
能では人間が自然の象徴として現れたり、過去を生きた亡霊として現れたりするが、
型を通してこそ、そこに個性が出現するとともに、自然と人間の関係にかかわる普遍的なかたちもまた、 顕れるのだった。

個と普遍の両方をつかむ、そして自然に対する畏敬の念を顕す、そのための文化の基本となる型を、この社会は捨ててきた。』

能や香道だけではなく、歌舞伎も古典芸能も茶道や俳句や短歌も全てが伝えられてきた型を継承することを大切にしている。
単純に型を守り模倣するだけなら、個性は消えてしまうのではないか、と疑っていたが、
上の文章を信じれば、型を究めた後に初めて真の個性が表現できることになる。
どの道であれ、名人と呼ばれる人は、とことん型を究めた後でその境地に辿り着いた人なのだろう。

01/29 恵方巻 (4110回)

節分に向けてスーパーやコンビニで恵方巻の予約受付が始まっている。
今年の恵方は「東北東」だそうな。

チラシを見ると、300円〜1000円位まで、具の中身によって値段は様々。
高ければ御利益も大きいとは行かないだろうが、いざ買うとなると迷うところだ。

それにしても恵方巻を食べる風習が流行り始めたのはいつごろだろう?
少なくとも子供の頃には聞いた覚えがない。

バレンタイン、ホワイトデー、Xmas(ケーキ)と日本人は何にでも飛び付く民族だ。

01/28 東京都知事選挙 (4109回)

猪瀬前知事の辞任を受け、新しい都知事の選挙が1/23公示、2/09投票と決まった。
候補者には下記(届け出順)を含む16名が届け出た。

・宇都宮健児 67 無所属
・ドクター・中松 85 無所属
・田母神俊雄 65 無所属
・舛添要一 65 無所属
・細川護熙 76 無所属
・家入一真 35 無所属

選挙の争点は、少子高齢化や福祉、景気と雇用、原発エネルギー問題、 災害対策、東京五輪、教育などなど。
特に原発ゼロ、脱原発、原発維持のどれを都民が選ぶのかが注目される。

バス停傍にある掲示板には、何故か僅か5名の候補者のみがポスターを貼っている。
東京の西端にあるこの地域には、費用対効果を考えるとポスターを貼る値打ちがないということだろうか?

01/27 切手シートが (4108回)

年賀状の抽選で、切手シートが3枚当たった。
(もらった賀状は約100枚だから、ラッキーな方だ)

使い残りのはがきを普通はがきに交換しようとしたら、
4月から郵便料金が値上がり(+2円)となるから、急がないのなら4月以降でどうですか? と言われた。

買い置きの切手やはがきには、2円切手を買って足さなくてはならない。
消費税アップの影響はいろいろな所に出てきそうだ。

01/26 地域防災ガイドマップ (4107回)

銀行の窓口に「防災ガイドマップ」というのが置いてあったので貰って来た。
JR高尾駅を中心に半径2kmの地域にある避難場所、病院、消防、警察、GS、コンビニなどが記されている。

いざという時の役にも立つし、普段の散歩道を探すのにも重宝する。

2012年にお遍路で#25津照寺(高知県)の辺りを歩いた時に、
「昭和9年海粛襲来地点」の石碑や、道端に立てられた「浮津三番町西自主防災マップ」を見たことを思い出した。
南海トラフ地震による大津波の再来を真剣に心配している地域だった。

01/25 BIGLOBE の売却 (4106回)

先日、NECが BIGLOBEを売却すると言うニュースが出た。
BIGLOBEはインターネット・プロバイダーの最大手の一つだった。
プロバイダーとしてユーザーを確保することは、NECのパソコン事業と連携して事業拡大に貢献してきた。

しかしスマホの普及とともにインターネット・アクセスは固定光回線からLTEなど無線回線へ移行が烈しい。
またNECはパソコン事業もレノボへ売却したので、パソコンとの連携も意味が無くなり、
プロバイダー事業を売却することに決めたようだ。

25年前(インターネットはまだなく)パソコン通信と呼ばれた時代からずっとBIGLOBEに加入してきた私個人としてはとても残念だが、 これも時代の流れと受け止めるしかないのかも知れない。

01/24 ろう‐ばい〔ラフ‐〕【×蝋梅/×臘梅】 (4105回)

ロウバイ科の落葉低木。高さ2〜4メートル。葉は卵形で、対生する。
1、2月ごろ葉より先に、香りのある花を開く。
花被は外層が黄色で光沢があり、内層が紫褐色。中国の原産で、観賞用。
からうめ。《季 冬》「―や枝まばらなる時雨ぞら/竜之介」

ろう【×蝋】→ みつろう。ろう。ワックス。
ろう【臘】 →  1 冬至の後、第三の戌(いぬ)の日に行う祭り。「臘祭」 2 年の暮れ。一二月。「臘月/客臘(かくろう)・旧臘」 3 僧の修行の年数。

「ロウバイの花」にどちらの漢字【蝋】or【臘】を使うかは、その人の感性によるのかもしれない。
ある俳句の会の歳時記では、【臘】 の字しか認めないと言う。解せぬ話だ。

01/23 芥川賞 (4104回)

第150回芥川賞は、小山田浩子『穴』が受賞した。
小山田さんは、こんな受賞の言葉を述べている。

『次作の構想は、と聞かれるといつも答えに窮する。書いてみないとわからないのだ。
書く前に決めていることはほとんどない。何を書こうとしているのか、書き終わってもわからないこともある。
(中略)私に必要なのは正しい一行目、極端に言えば正しい一文字目、それさえ書ければ、あとはその一文字、 一つの言葉が次を連れてくる。私の意図や能力を越え、逸れ、忘れ、文章が連ねられる。
私はそれを、書きながら読者として読んでいる。面白ければ嬉しい。
ああ、これはいいと思うと本当に楽しい。読むことと書くことには差がない。
書かれたものを読んで初めて、私は私が何を書いたのか知る。』

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私に必要なのは正しい一行目、極端に言えば正しい一文字目」という言葉が印象的だ。
文学に限らず、絵画、音楽、舞踊、ダンス、など芸術(創作)全般にこういうことがあるのかも知れない。
最初の音、一小節のメロディが浮かぶと、後は流れるように曲が生まれるのだろうか。

以前ある作家が、「作品の構想を練っている時に、締めの文章がふと浮かび、それに向かって一気呵成に書き上げた」 という趣旨のことを後書きに書いているのを読んだ。

相撲でも、立ち合いの前には色々と作戦を考えることも多いようだが、
自分の立ち合いに対して、相手がどう動いてくるのかは全く予測の外だろう。
ぶつかった瞬間に、相手の動きに対応するのは頭ではなく体の反応次第ということらしい。
日頃の練習の中で、どれほど多くの技のポケットを持ち、その技をすかさず取りだせる力士が勝利するのと似ている気がする。

01/22 直木賞 (4103回)

第150回直木賞が、朝井まてか氏『恋歌』と姫野カオルコ氏『昭和の犬』に決まった。
朝井まてかさんの受賞の言葉にこんな文章があった。

『何かを調べるのが好きだ。私にとって、小説の下調べ作業は「想像すること」と対になっている。
(書こうとする主人公の時代、何が流行っていたかなどを調べ)知れば知るほど面白くて、 ほんま、道草はやめられへんなあと、にんまりする。
 だが、いざ執筆となると、この下調べの成果が毒になりかねないから怖い。
ねえ、奥さん、あの頃の朝顔の種のお値段、知ってはるぅ? とばかりに盛り込んでしまうと、
読者から「よう、調べはりましたねえ」なんて感想が舞い込む。私は半笑いを浮かべながら、 内心では、ああ、やっちゃったと肩を落とす。調べたことをいの一番に感心されると、小説の「負け」なのだ。』

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小説を書くに当たって、読者が理解し易いように、人物、背景、小道具などなどについて説明を加える。
その説明のためには予め下調べが重要で、下調べに夢中になってついつい道草を食ってしまうと朝井さんは書いている。
僕は時代小説が好きだが、たいていの作者は武家の言葉や町民・農民の言葉を使い分けているが、その色付けを取り除くと 実は現代の言葉を使っていることが多い。
ところが、以前読んだある本では、江戸庶民の当時の話し言葉をよく調べ忠実に再現して書いてあった。
そうなると言葉の一つ一つで引っ掛かり、なまりのきつい方言、或いは古文のように意味を理解するのにとても手間取った。
そこでついつい「話の筋はどうなっているんだ? 著者は江戸庶民の話し言葉をこんなに詳しく調べたことを 自慢したいのか?」と思ってしまった。こうなっては朝井さんの言う「小説の負け」なのだろう。

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昨日の『利休にたずねよ』の感想文で、
(著者が茶の湯の専門家だとは考え難いので、これらの記述の為に多くの調査、勉強をされたのではないかと想像している) と書いたが、こういう感想は著者に失礼だったのかも知れないと・・・・・

01/21 利休にたずねよ (4102回)

第140回直木賞の『利休にたずねよ』(山本兼一著)を読んだ。
わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる千利休(宗易)の物語。

僕は「茶の湯」と言えば、表千家と裏千家があり、うるさい作法に従って茶をたてて飲むという位の知識しかない。
狭い茶室に入り、床の間の掛け軸や生け花、花器を鑑賞し、褒めたり、 茶を飲み終わった後で、茶碗を眺め褒めるのも作法だと聞いた。

この小説は、堺に生まれた利休が若い時から茶の湯を覚え、修行を重ね、49歳の時に信長に認められ茶頭となり、
信長の後で天下人となった秀吉の重い信任を受けた後半の生涯を中心に描いたものだ。
また黄金の茶室の設計などを行う一方、草庵茶室の創出・楽茶碗の製作・竹の花入の使用をはじめるなど、わび茶の完成へと向かっていく様子も詳しく語られる。
秀吉の聚楽城内に屋敷を構え聚楽第の築庭にも関わり、禄も3千石を賜わるなど、茶人として名声と権威を誇った。
当時の戦国武将、石田三成、徳川家康、古田織部、細川忠興、などなどにも茶の湯を教えた。
利休は60歳までは先人の茶を踏襲し、61歳から(つまり本能寺の変の年から)ようやく独自の茶の湯を始めたという。
つまり、死までの10年間がわび茶の完成期だったということになる。

小説では、侘び茶の作法や精神、美の追求がどういうものだったかに多くのページが割かれている。
(著者が茶の湯の専門家だとは考え難いので、これらの記述の為に多くの調査、勉強をされたのではないかと想像している)

利休が秀吉の怒りを買い死罪になった原因については諸説があるそうだが、
《政治権力者秀吉と芸術家利休の自負心の対決》という視点でこの小説は作られている。
さらに、史実には無い(と思われる)、高麗の高貴な姫との出会い(恋)を創作し、
不幸にも姫を殺してしまった悔いと形見の緑釉の香合を抱いたまま生涯恋い続けた利休という設定が、
ミステリーまがいの経糸として読者の興味を誘い続ける仕掛けとなっている。

利休が死の前日に作ったとされる辞世の句(遺偈)が残っている。(Wikipedia)
   人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 提ル我得具足の一ッ太刀 今此時ぞ天に抛

01/20 PM2.5 (4101回)

北京の大気汚染ついに「爆表」 高濃度PM2・5 今年初の警報
2014.1.16 10:09 [中国]

 中国・北京では16日、大気の汚染レベルを示す指数が、市中心部の計測地点で一般的な表示の上限である500を突破する「爆表」状態に相次ぎ陥った。
同市の大気汚染緊急指揮所は、最も重大な汚染を示す「ブルー」の警報を15日深夜、今年初めて発令し、市民に戸外での活動を控えるなどの防護措置を呼びかけていた。

1990年代、日本でも環境汚染・公害が大きな社会問題となっていた。
製紙工場からの廃液で瀬戸内海の魚に奇形の小魚が見られると言うニュースもあった。
そんな頃、この絵を描いてみた。→

日本では環境浄化のためにたくさんの法律規制ができ、各企業が規制を守るように変わり環境問題は改善されていったが、 今アジアの新興国では、かつても日本の環境問題を後追いしている。
北京の大気汚染の映像を見ると、彼らがとても可哀想に思えてならない。

01/19 ブログ日記 4100回 (4100回)

ブログ日記が「4100回」となった。
今年の成人式で話題になったことの一つは、 今の若者は『さとり世代』だということだった。
堅実で高望みをしない、現代の若者気質を表す言葉。

平成生まれの子供たちは、経済的・物質的には比較的恵まれ、不自由なく育てられたが、
「車やブランド品に興味がない」「欲がなく、ほどほどで満足する」「恋愛に淡泊」
「海外旅行に関心が薄く、休日を自宅やその周辺で過ごすことを好む」
「節約志向で無駄遣いはしないが、趣味にはお金を惜しまない」
「様々な局面に合わせて友達を選び、気の合わない人とは付き合わない」
などが挙げられる。

この世代は、高度成長期後のモノが十分に行き渡っていた時代に生まれ、物心ついたときにはバブルが崩壊し、不況しか知らない。
一方で、情報通信技術の進歩と共に、当たり前のようにインターネットに触れてきた
このように成熟した時代に多くのネット情報に触れる中で、彼らは現実的な将来を見通して悟ったようになり、無駄な努力や衝突を避け、過度に期待したり夢を持ったりせず、浪費をしないで合理的に行動するようになった、と見られている。

TVの番組で、「ブランドのバッグは欲しいけれど、自分だけがそれを持っていて仲間から浮き上がるのは嫌だ」
「恋人を持ちデートするよりも、仲間とワチャワチャする方が楽しい」と話す新成人に驚いた。

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このブログを書き始めた2002年には、インターネットが普及を始めていたが、
設備インフラはまだまだ貧弱な時代で、画像などの大きなデータは制限を受けていたが、
今はクラウドと呼ばれる大型のサーバーが随所にあり、それを(無料で)利用できるようになった。
ガラケーやスマホのカメラの性能も上がり、写真や動画を即時にアップし共有して楽しむことが当たり前となった。
そのような環境を初めから与えられて育ち、利用してきた若者が行き着くところが 《悟り世代》とは・・・・・

こんな意見もあった。
『逆に言うと、物質や見栄(顕示的消費)でしか満足を得られなかった世代よりも、今のさとり世代の方が(指摘通りだとして)よっぽど環境に負荷をかけない21世紀的な地球フレンドリーなライフスタイルだと思いますね。
上の世代もそろそろ悟ってはいかがでしょうか?』(島澤諭 | 経済学者)

01/18 梯子乗り (4099回)

梯子乗り(はしごのり)は伝統芸能の一つで、真っ直ぐに立てた梯子の上で曲芸を行うこと。

梯子乗りの起源は諸説ある。
消防出初式の発端になった万治2年(1659年)に行われた上野東照宮前の出初めから。
延宝年間に行われていた見世物(はしごさし)という説。
享保3年(1719年)に町火消が誕生した際、火災の方角を見るために長さすまたに身軽な若者が登ったもの。

また、町火消の中心となったのは鳶職であり、仕事前の準備運動や訓練のために行っていたと言われる。
現在では、消防出初式で消防士や消防団員が披露する他、鳶職の組合が正月に披露することがある。

八王子市でも、このような伝統行事の技が継承されているのは嬉しいことだ。

01/17 木遣り (4098回)

出初式で消防団有志による《木遣り歌》が披露された。
江戸時代の火消しがつかった纏を振りかざし、錆びのある歌声だった。

木遣り(きやり)は、労働歌の一つ。
1202年(建仁2年)に栄西上人が重いものを引き揚げる時に掛けさせた掛け声が起こりだとされる事がある。
掛け声が時代の流れにより歌へ変化し、江戸鳶がだんだん数を増やした江戸風を広めていった。

01/16 消防団出初式 (4097回)

八王子市の消防団出初式が行われたのを見に行った。 (市役所前、浅川河川敷、1/12)

市内の各町の消防分団も勢ぞろいして約1000名。
例年通りいろいろな行事・演技が披露され、最後は消防隊による一斉放水で締めくくられた。

七色の色水の放水は豪快で鮮やか。
着色料は環境に配慮して食紅を使ったそうだ。

01/15 出雲四拍手 (4096回)

神社では”二礼(拝)−二拍手ー一礼(拝)”が普通なのに、出雲大社は何故四拍手なのかと疑問に思って調べたら、なんと
伊勢神宮→八拍手
出雲大社、宇佐八幡宮、弥彦神社→四拍手
・それ以外の神社→二拍手   だと分かった。

人や神の魂には四つの種類があると考えられていました。
和魂・荒魂・奇魂・幸魂」です。この四つの魂それぞれに柏手を打つのが四柏手の原型だと思います。
出雲以外でも、宇佐八幡宮・弥彦神社などでも現在も行われている事、また神道の国家神道で最高位ともいうべきの伊勢神宮は八開手(八拍?)で、これらを『長手』と言っている事から推定すれば、四柏手以上の柏手を打つ事こそが古代からの正式な神に対する儀礼なのではないでしょうか?

では何故一般的には四柏手でなく二回の柏手なのか?という疑問があります。
古代確かに四回だった柏手が二回になったのは江戸期の国学それに準ずる神学の理論によるものではないかと推測しています。
それは、古代確かに四つであると考えられていた人や神の「魂」は「魂」「魄」二つであると理解しなおされたからではないでしょうか?

古代神道における「和魂・荒魂・奇魂・幸魂」の四つの概念を、江戸神学は「魂・魄」二つの概念に改めたのではないかというのが私の個人的推測です。
こういった霊に対する概念の変化も手伝って本来四回打つはずの柏手は二回に簡略化されることになったのかもしれません。

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/sihakushu.shtml

01/14 茅の輪 (4095回)

七福神巡りで「茅の輪」を見た。
初詣などで神社へ行き茅の輪を見るので、茅の輪=正月と思っていたが、
ネットで調べると、茅の輪=厄払いの行事で、 本来は6月と12月の晦日に行われて来たらしい。

「大祓(おおはらえ)」は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事である。
犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)、12月の大祓を年越の祓(としこしのはらえ)という。
6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。なお、「夏越」は「名越」とも標記する。
また、宮くぐり祭 や輪くぐり祭 とも呼ばれる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%A5%93

茅の輪は、正面から潜り、左→右→左と3回廻りながら潜るのが正式な潜り方らしい。

01/13 北米の寒波 (4094回)

この正月、北米でも記録的な大寒波があったと報じられた。
ニューヨークで、-16度を記録し十数人の死者が出たと言う。

この写真はシカゴ・ミシガン湖の凍結の様子を写したもの。 この日はー18度を記録したと言う。

1/13の朝日歌壇には次のような歌が出ていた。
『朝市は 倉庫の中で 開かれる 零下20度 ミネソタに冬』 (アメリカ 一杉 定恵)

地球温暖化の影響で、世界的に異常気象が頻発している。
温暖化→氷河などが溶けだす→海面が上昇と、暖かくなる方向を意識しがちだが、
局地的には寒冷化も激しくなっているようだ。

01/12 消防分団の扉絵 (4093回)

街中の勝楽寺の前に、消防分団の車庫があった。
そしてその扉には、ユニークな絵が描かれていた。

消防と言えば、火事の一報があれば緊急出動するというとても真面目なイメージ。
この絵は、江戸の町火消しの伝統を継ぐものだろうか?

01/11 鬼瓦 (4092回)

町田の乗運寺(毘沙門天)で、大きな鬼瓦を見た。
本堂の大屋根に乗っていた物のようだ。
高さは2mほどもあるだろうか。

塩山の恵林寺にもあった鬼瓦、姫路城の鯱鉾を思い出した。

01/10 バイク駐車場 (4091回)

街中に、「バイク専用駐車場」があった。
家から駅近くまでバイクで来て、電車に乗り換え通勤する人たちの需要に応えるようだ。

若者の車離れが言われているが、バイクは通勤時や街での買い物の必需品という事だろうか?

01/09 お墓マンション (4090回)

寿老人のある勝楽寺(浄土宗)には、高いビルの「お墓マンション」があった。
広い土地を占有する戸建て式ではなく、マンションの一角がそれぞれの墓になる集合型。

2霊タイプが80万円、5霊タイプは180万円。 普通の地上の墓は300万円と書いてあった。

お墓は作りたいが費用も節約したい人に人気があるのだろうか?
いずれにしろ商売上手なお寺さんだと感じた。

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(取らぬ狸の皮算用)
一つの階に、200家が入るとし、1家100万円x200=2億円
25階建てとすると、2億円x25=50億円(←総売り上げ)

お墓の総数は、200x25=5000家
1家が年に2回墓参りに来て、御布施、線香、お花などで5万円を費うとすると、
5万円x5000=2億5千万円(←毎年の収入)

01/08 巨大抽選機 (4089回)

原町田商店街通りに、巨大な抽選機があり、
買い物をして抽選券をもらった親子が楽しそうに機械を回していた。

機械がデッカイ分だけ、景品も豪華、大奮発なのだろうか?

01/07 原町田七福神巡り (4088回)

原町田七福神巡りをした(1/3)。
現在JR町田駅(横浜線)となっている場所には、「原町田商店街」があるが、
由来は天正15年(1587)の「二の市」に遡り、
江戸末期には江戸から開港された横浜へ物資を運ぶ「絹の道」としても栄えてきた場所だ。

七福神は市制50周年を記念して創られたそうだ。

大黒天(小田急町田駅前広場)→弁財天(母智丘神社)→毘沙門天(乗運寺)→福禄寿(商工会議所前)
→布袋尊(勝楽寺)→恵比寿天(町田天満宮)→寿老人(宗保院)

01/06 腕時計型カメラ (4087回)

普通の腕時計としても使え、内部に小型カメラを持つ製品を買ってみた。

写真、動画、録音が出来る。
写していると気づかれずに撮れるのが利点だが、
ファインダーは無いので、写す対象に正しく向けるのが意外と難しい。

どういう場面で活用できるか、いろいろと実験中だ。

01/05 FAX電話機新調 (4086回)

暮れに電話回線に不具合があった。
(発信は出来るのに、着信が1コール位ですぐに切れてしまう)

電話機の故障だと判断し、思い切って新しいFAX電話機を買ってきたが、
予想とは違い、原因は電話機ではなかった。
NTTに連絡して調べに来てもらったら、回線・端子箱の不具合だと分かり修理してくれた。

古い電話機はまだ使えるが、せっかくだからと新しい器械を使うことにした。
ビックカ*ラで買ったのだが、ネットでしらべると、.comでは3000円ほど安く売っていたので、
店に賭け合うと、特別に.com値段に値引きしますと応じてくれた。

(教訓)
→素人判断で慌てて買ったりしないこと。
→ネットを活用して、安値を探すこと。

01/04 手かせ?足かせ? (4085回)

脚に筋力を付けようと「アンクルウエイト」(1kgx2)を付け始めてから4ヶ月になる。
(朝着替える時に付け、夜風呂に入る前に外す。ゴルフの日は付けない。)
体重が2kg増えたのと等価だから、その分負荷がかかり筋力が増す勘定だ。
日常の行動で負担を感じることはないが、筋力が増えたのかどうかも分からない。

ゴルフのスコアが劇的に改善された訳でもない。 アンクルウエイトでは主として脚力に有効で腕や上半身には効き目がないと考えて、
「リストバンド・ウエイト」(0.5kgx2)を買い、先日から付け始めた。
こちらの方が動きの邪魔になったり、動作によっては負荷を感じる。
その分、効き目があると良いのだが・・・・・・

01/03 液晶モニター (4084回)

突然の不幸?
パソコンのモニターが突然に壊れた。(電源回路、インバーターの故障らしい)。

4年ほど使っているので、諦めて新品を買いに行った。
今度はPhilipsの5年保証付きにした。サイズは23インチと少し大きくした。

01/02 面白レンズ 3−IN-1 (4083回)

昨年暮れに液晶モニターを買ったショップで、面白いレンズを見つけた。
3-IN-1 LENZ For CELL Phone(スマホ)、1500円。

スマホのカメラレンズ部に取り付けると、フィッシュアイ効果のある写真が撮れる。
撮影対象に1cmまで近づけるので、マクロ撮影の効果も出せる。

本格的な芸術写真?は無理だが、遊びには使えると見た。

01/01 元旦点描 (4082回)

東京では2014年の元旦は穏やかな晴れとなった。
皆さん、明けましておめでとうございます。

娘たち夫婦、孫も揃ってお節料理で祝い、年賀状をチェックしてから、 子安神社へ初詣に行った。
例年並みの混み具合、家族でお参りし、子供たちにかしわ手の打ち方を教えているおじいちゃんもいた。

お御籤は「大吉」。
”冬かれて 休みしときに 深山木は 花咲く春の 待たれけるかな”
ーー騒がず時を待ちなさい、というお告げだった。



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