詩と写真のコラボレーション (2003/May)










☆ 真紅のバラ      by まりりん♪   →HP

 太陽に向けて花を傾ける
 真紅のバラ

 花びらいちまいいちまいに
 想いをこめて

 幾重にも重なる花びらに
 心をこめて












☆ 花よりも 花の名札を見て歩く   (小平市 三浦正明)

 
( 神代植物公園にて )








☆ 届かなかった思い   by いちご   →HP

どんなにどんなに
深く望んでも手に入れることができなかったもの

比較できないほど
一方通行の思い

たとえあなたがどこにいても
このキモチが届いたら良いのに

残念だけど
届かなかったこの思いが
いつか私の中で昇華されるように

あなたじゃなきゃダメだって思う気持ちが
私を後押ししてくれるように


(← 石楠花(カルミア・北米) 神代植物公園にて  )










◆ 玉藻帰る所の島、豫樟(くすのき)日を蔽すの浦に住せり    空海『三教指帰』より

 
(↑ 神代植物公園にて            四国八番・熊谷寺にて ↑)






☆ ありがとう    by さかなのくち   →HP

ありがとうって
いつも心でおもっても
言葉にするのはむずかしい

なんか とても 気恥ずかしくて
でも 言葉にしないとつたわらないんんだね

以心伝心なんて
ぼくにはできないから

ありがとうが何気なく言える人になりたい


(ポピー 相模原公園にて →)









◆ 六地蔵 手に手に落花 持て余す   (群馬県 酒井大岳)


(↑ 四国22番・平等寺にて)









☆ いきる    by ☆ ΥUЯΕΑ ☆(Μ)   →HP

    生きている中で
   忘れられない部分って
     あると思う
  忘れられないということは
   忘れてはいけないこと
      それが
      たとえ
   辛い部分だとしても


(← 四国・太龍寺へ向かう那珂川沿いの道で見た花)








☆ 老鶯や 山越えとなる へんろ道   (松山市 吉武宗史)


(遍路道には写真のような案内の立て札があり、これを見落とさないように注意しながら歩くと迷わないで済む)




Myself     by みんと   →HP

人は支え合って生きていくものだけど
群れて生きていくのとはちょっと違うよね

一人一人個性があるから
毎日飽きないし 楽しい

みんな一緒 何もかも同じ
そんな世の中だったら
生きてく希望も失ってしまうだろう

だから 私は…
私は私らしく 今を 精一杯生きよう


(シラン 相模原公園にて →)










◆ 山寺の 懸樋あふるる 春の水   (尼崎市 前田二三彦)


(四国21番 太龍寺)


◆ 布施置きて 我は乞ひのむ あざむかず 直にゐ行きて 天路知らしめ  (山上憶良)
(お布施を捧げます。どうぞ私達を騙さず、真っ直ぐこの子を連れて 天へ導いてやってください)



 今回の遍路の最終の寺(23番)薬王寺で司馬遼太郎氏の『空海の風景』の一節を刻んだ石碑を見た(左側の写真参照)。
 本堂へ上る長い石段を登る参拝客の様子を描写したものだった。



 僕は以前にこの小説を読んだ記憶がある。と言うか、この小説を読んで、空海という平安時代の坊さんが、 唐の長安まで行き(遣唐使)、当時のレベルではグローバルな活躍をした【超人】だったという認識をした。
 若い頃は誰でも、自分が挑戦する目標として何人かの個人(ニュートンやエジソン?)を思い浮かべると思うが、僕の場合は空海が その一人だったように思う。東夷と軽蔑される島国から、世界の中心たる長安へ出かけ、その皇帝に 一目置かせた【超人・知識人】空海。
 両手・両足・口に五本の筆を持ち、テン・隷・真・行・草の五体の文字を同時に書き分けることが出来 『五筆和尚』の称号までもらったという。

 遍路から帰って本箱を探したら「空海の風景」が見つかった。
 昭和50年度芸術院恩賜賞受賞。S52年、中公文庫発行(上下)。

 『「お大師さんのころ、人里はこの日和佐まででしたやろか」
と、運転手の宮本富太郎老が潮風の中でいった。(中略)
 日和佐の浦をかこむ急峻の山肌に吊り上げられるようにしてたかだかと石段がかかっている。 上に山門があり、医王院薬師寺、とある。四国八十八ヵ所のうちの二十三番の札所だという。 このさき室戸まで札所がなく、宮本老の想像はそれがたねになっている。(中略)
 日和佐に入ると、医王院薬師寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下 しており、登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。齢の数だけ 落とすのだというが、異様な光景であった。なかには壮漢が小さな老女をかるがると背負い、どちらも 石のように無表情な顔でのぼってゆく。背中にとまっている老女が、一枚ずつ軽い硬貨をこぼしていた。』
(上巻 p108-p109)

 原文が見つかり、一仕事終わった気分でほっとしています。
 (上下巻合わせて720頁あるので、最後の方だったら大変だった?)

 昭和52年といえば今から約25年くらい前。この頃の本の活字は、今と比べるとかなり小さいですね。
フォント・スタイルも違い、とても読みづらい感じがします。
 よい機会なので、次の遍路(高知県・修行の道場)に出る前に、もう一度すっかり読み直しをしようと思っています。





☆  生きる勇気   by 白雪   →HP

生きること....

それは勇気

生きることを君が選ぶのなら

それは勇気を選ぶことなんだ

そんな君を僕は誇りに思う

生きるということは勇気

勇気なんだよ


(← 四国・太龍寺へ向かう那珂川沿いの道で見た花)






☆ 春うらら   by まりりん♪   →HP

 菜の花の黄色い色が

 そっと春をよぶ

 外に出ようと

 ささやきかける




    (四国・11番藤井寺の黄菖蒲 →)






◆ お遍路さんから帰ってきました。コラボレーションを再開します。(5/19)


■ お詫び  5/7〜5/17まで、四国歩き遍路に出かけるため、コラボレーションは休刊します。

■ 「四国遍路旅日記」はCafesta日記ログ(2003/5)に毎日アップする予定なので、そちらをどうぞ。


◆ ものの芽や のっと汐留摩天楼   (横浜市 高橋央尚)






◆ 日本国の責任者のごと 予報士は明日は晴れると繰り返しおり  (坂戸市 神田真人)


(↑ 電波時計の受信エリア)
 セシウム原子時計で作られた標準時のデータは日本では福島県と佐賀県の2ケ所のアンテナから発信されています。
福島県の送信局(おおたかどや山標準電波送信所)の長波標準電波は、周波数は40kHzで送信出力50kWです(99-6-10)。
九州長波帯標準周波数局(60 kHz)(はがね山標準電波送信所)は2001-10-1から稼動している。









☆ ぬくもり     by ゆりあちゃん   →HP


   いつも
 私の手が冷たいのは
   あなたの
   温もりを
分けてもらうためなの

   体温より
   温かな
  心の温もりを


(← 菊咲きイチゲ 城山町・カタクリの里にて)






◆ しゅうせんの 括られてゐる 過保護かな   (秦野市  久保田 元)


(「しゅうせん」は古い言葉で「ブランコ」のこと)






☆ 朝陽をあびて     by まりりん♪   →HP

 朝陽を浴びて目覚めた

   金色に輝く光浴びて

 今日も1日頑張るようにと

 心に決める瞬間ね


(黄色い節分草 城山町カタクリの里にて →)









◆ ライブにて戦争を観る 人間のトリックアートのごとき現実  (埼玉県 落合 定)









☆ ひとり芝居   by 白雪   →HP

ひとりで喜び

ひとりで泣いたり

ひとりで傷ついたり

ひとりで幸せ感じたり

人間はひとり芝居が好き

永遠に演じ続ける

人生という舞台で