北条氏照まつり                2014/10/19              トップへ




地元の北条氏照まつりを見物した。(昨年は雨で中止だった)
元八小学校、元八中学校などが会場。
武者行列には本家小田原からも応援が駆けつけていた。


    

小中学生によるチアー・リーディグもなかなか見事な演技。

    

四谷中学校のハンドベルトブラスの演奏。

  

消防署のブラスや創価大学のバンド行進も。

  

地元の鳴瀧太鼓の演奏、子供や女性が大活躍。

    

【八王子城跡】
小田原に本拠をおいた後北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照(?から1590)が築いた山城です。
築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、
氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584)から天正15年(1587)の間とする説が有力です。
天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。
この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。
氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。

 八王子城は、関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、
落城時はまだ未完成の状態であったと考えられています。
 城は大まかに、城下町に当たる「根小屋地区」、城主氏照の館のあった「御主殿跡」などの「居館地区」、
戦闘時に要塞となる「要害地区」に分かれています。
 この城が築かれた時代は、それまでの戦闘重視の山城から、近世的な天守閣を持つ平山城、平城への転換期であり、
比較的なだらかな丘陵を利用して構築された滝山城から、より急峻な八王子城に移ると言うことは、時代を逆行する面もありました。
しかし、安土城をはじめ関西の城で取り入れられるようになり、
後に近世城郭の一つの特徴ともなった石垣を取り入れているところに、 古い時代の山城にはない、八王子城の特徴があります。