塩山・ころ柿の里ウォーキング 2012                2012/11/07              トップへ


11日(水)、ころ柿の里ウォーキング・信玄の里コースを歩いてきた。
JR塩山駅をスタートし、12kmほど(20000歩)のコースだ。

このコースは10年ほど前に知り、今度で5回目になる。
晴れていれば南に雪を被った富士山を遠望出来るし、
何といってもころ(枯露)柿ー干し柿を作る「柿すだれ」が見ものだ。
この地方では「百匁柿」(約400g)という大きな柿の木がたくさん栽培されていて、
これが一月ほど干されてころ柿になる。

大きな柿の木にまだ柿の実が残っているのは、青空に映える。
柿すだれは、何度見ても感動ものだ。
今年の柿は豊作らしい。

      

  ◆ ころ柿の出来るまで 

この地方では「百匁柿」(約400g)という大きな柿の木がたくさん栽培されていて、これが一月ほど干されてころ柿になる。

柿の実は、熟す前に収穫され、まず「へた」の周りだけ皮を剥き、一日ほど乾燥させる。
次に、全部の皮を剥く。
剥くのはピーラーを使い、農園に働く(パート)従業員さんなどで全て手作業だ。
(機械を導入するほどの生産量ではない)

剥いた柿を綱に縛り付け、横に渡した竹竿などに吊るす→柿すだれ
柿に虫が来ないように、硫黄の蒸気を流し、虫よけにする。

一月ほど干すと、美味しいころ柿が出来上がる。

出来上がったころ柿は、やはり大粒ほど値打ちがあり、 最上級品は1個 800円もする。
小粒でも、一個 2〜300円はする。

      

◆ 甘草屋敷  

JR塩山駅のすぐ前に、「甘草屋敷」がある。

甘草屋敷(高野家)は江戸時代からウラルカンゾウを栽培し、幕府上納と小石川薬園で栽培する際の補給源として、 免税の甘草園の役割を果たしてきた。

甘草は食品の甘味料として使われたり、漢方薬の原料として使われている。

甘草屋敷でも、柿すだれでころ柿を作っていた。


◆ 武田信玄と山本勘助 

山梨県では今でも、武田信玄と山本勘助は英雄だ。
JR甲府駅前には巨大な信玄像が建っているし、JR塩山駅にも信玄像がある。

今回歩いたウォーキングコースには、山本勘助不動尊堂がある。
(山本勘助が刻んだという不動尊木像が安置されていた。

このコースの案内看板は、数年前に比べて立派に整備され道に迷うこともない。
市が力を入れ、歩く人たちも増えている証拠だろうか?


  ◆ たまご村  

ウォーキング・コースの途中の「たまご村」に立ち寄った。
鶏を放し飼いにして育てて、そのたまごを販売している。

元気に走り回る鶏の卵は、鳥小屋に寿司詰の鳥の卵よりも栄養価が高いのだろうか?
値段はかなり高めだった。
卵の他にもケーキなどいろいろな物を売っていた。

休憩室でコーヒーを飲んだが、ゆで卵(無料)のサービスがあり嬉しかった。   

     



◆ 太子橋と腰掛石 (3680回) 

白髭神社を過ぎ恵林寺へ向う途中に、浄土真宗大谷派の常泉寺がある。
小さな寺だが、この寺の境内に「太子橋と腰掛石」というのがあった。

聖徳太子が立ち寄り石に腰をかけて休憩したという伝説があるそうだ。

奈良(大和)にいた聖徳太子が本当にこんな遠くまで来たのだどうか?

     

僕の故郷の姫路にも聖徳太子に纏わる伝説が伝わっている。
大和と播磨の方が、信ぴょう性は高い気がするが・・・・

思い出したが、四国でお遍路を歩いていた時、#6安楽寺に「太子の駒繋ぎの石」というのがあった。
説明を読むと、奈良から移設したものだった。
太子ゆかりの有難いxxを、売るという商売があったのだろうか?


◆ 恵林寺  

恵林寺は、武田信玄の歴史にも登場する有名な寺だ。
立派な山門をくぐり本堂にお参りする。

本堂には、恵林寺を創建した夢想国師中興の末宗和尚
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」で有名な快川智勝国師の木像が安置されていた。


       


■ 東司(トウス)

恵林寺の傍のトイレに「東司(トウス)」という看板があった。
東司(とうす)とは、仏教寺院における便所のことをいう。禅宗寺院では重要な伽藍のひとつとなっている。

「東司」とはもともと便所の守護神のことを指し、「西浄」とともに「東浄」と称されていた。
古くは、寺の役職によって「西浄」・「東浄」は使い分けられていたようであるが、その後「東司」と呼ばれるようになったようである。
「東司」として現存する遺構は少ない。

一日中、とても良く晴れて歩くのには最高の天候だった。
JR中央線も便利になり、30分に一本くらいの割合で電車が来るので、時間待ちも大したことはない。
恵林寺近くの岩波農園でころ柿を注文してきたので、年末に届くのが楽しみだ。