蜂須賀桜                2012/03/15, 20               トップへ


徳島中央公園に「蜂須賀桜」(寒緋桜と山桜との交配種)があると言うので、15日に見に行ったが、残念ながらまだ蕾だった。
今年は寒さが長く、例年よりも20日程度遅れているようだ。  梅も菜の花もまだ満開になっていない。
公園の別の場所には、名前は分からないが早咲きの桜(ヒガンサクラ系?)が一本だけ咲いていた。

   

そのくせ、スギ花粉だけは飛び始め、悩まされるのが癪だ。
17日、北九州と四国(高知)に春一番が吹いたと気象庁は発表した。

3/20に咲くのが遅れていた蜂須賀桜も、もう咲いただろうと再度出かけた。

蜂須賀桜と旧原田家住宅】「国・重要文化財」
「原田家住宅」は明治初期、名東郡の幹部にあたる大属(だいかさん)を務めた
原田一平が阿波藩主最後の藩主・蜂須賀茂韶(もちあき)から譲り受けたものです。
城下にあった邸宅や門を東御殿庭園の樹木や庭石とともに
1882年(明治25年)に移譲復元しました。

庭園には一本の蜂須賀桜があります。
この桜は江戸時代、徳島城御殿に植えられていた桜で、明治維新の初年、14代藩主蜂須賀茂韶が
原田一平に移植し、守り育てるよう託したと伝えられています。

蜂須賀桜は樹齢二百年の大木で現在も大切に守られて、
3月初旬にはピンクの花が咲き誇り、桜祭りが行われて、屋敷内が一般公開されます。(住所 徳島市かちどき橋3丁目43)

桜はほぼ満開で、一緒に飾られた菜の花と素敵な風情を見せていた。

   

邸宅の庭のつくばいに桜の花びら。 サンシュユの花も満開だった。

   

また、徳島中央公園の木も咲き、公園北側の川沿いの桜並木も満開だった。

   

   

徳島中央公園は、徳島城址のある城山を囲む公園で、市民に親しまれている。
20日(祝)には、たくさんの人が散歩に来ていた。

珍しかったのは、高校の卒業生らしい団体が、「コスプレ」で集まり写真を撮っていた。
また、外国人留学生らしい団体(徳島大学生?)が、遊んでいたことだ。
バドミントンをしたり、綱渡り をしているのは、珍しかった。

   

中央公園に、蜂須賀家政公(徳島の初代藩主)の銅像が立っていた。
丸々と太って恰幅の良い方だ。

説明によると、太平記に出てくる豊臣秀吉の出世を助けた蜂須賀小六の息子だ。
秀吉の四国平定の大功により阿波一国をもらったようだ。
(秀吉が土佐を本拠とする長宗我部元親から取り上げた)

家政は藍、塩などの新産業を興し日本中に売り広めた。
また阿波踊りも家政によって始められたとの話もある。

戦前は野太刀と長槍を持つ甲冑姿の蜂須賀小六の銅像だったが、
戦時中に供出されてしまい、昭和40年に裃姿の家政像に替えられたという。

関ヶ原の合戦に際しては、はじめ石田三成の挙兵に応じた。
しかし、家政の子至鎮は小笠原秀政の娘を家康の養女という名目で妻に迎えていた関係から東軍に属し、野上に陣して南宮山に備えていた。結果、蜂須賀氏は徳川大名として生き残ることができた。
 その後、大阪の陣でも戦功を挙げ、淡路をも領し、本国阿波と併せて二十五万石の大名に飛躍した。以後、蜂須賀氏は代々封を次ぎ、明治維新を迎えたのである。

この公園には、赤い実のなる大木や、竜王さんのクスと呼ばれる樹齢600年の楠もあり、歴史を感じさせる。