神火大祭、大麻比古神社                2012/02/03               トップへ


神火大祭  

節分の日、関東では有名なお寺(成田山新勝寺、高尾山薬王院、高幡不動尊など)で豆撒きの行事が行われる。
横綱や有名タレントがゲストで豆を撒くので、たくさんの見物客で賑わう。

徳島/鳴門ではどうかと調べてみたが、そういう行事は無さそうだった。
代わりに徳島では有名な大麻比古神社で神火大祭が行われることが分かったので行ってみた。


二月節分当日 氏子崇敬者が願旨を記して奉納した祈祷木を神火によって焚き上げ、除災招福を祈願する。
午後一時半から神事が始まり、やがて境内にしつらえられた広場で薪に火を付け、
祈祷木の炊き上げと巫女の舞の奉納が行われた。

祈祷木は7000本もあったらしくおよそ一時間ほどもかかる長い行事だった。
終わった後で、見物客に切り餅が振舞われた


大麻比古神社 

 【阿波一宮 大麻比古神社御由緒 】

御祭神 大麻比古大神(おおあさひこ)・猿田彦大神(さるたひこ)

  由 緒
 神武天皇の御代、天太玉命(あめのふとたまのみこと)の御孫天富命(あめのとみのみこと)勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め、阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め給い、その守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。
大麻比古神社は、太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。
 猿田彦大神は、昔大麻(おおあさ)山の峯に鎮まり坐しが後世に至り、本社に合せ祀ると伝えられる。

 延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え、阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。
清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給う。
斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って社殿の造営を行い、年々祭費を奉らる。

明治六年国幣中社に列す。
 明治十三年国費をもって本殿以下の造営が行われた。
現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営された。

 大麻比古神社は、古来方除、厄除、交通安全の神として霊験を授け給い県内外の氏子崇敬者から「大麻(おおあさ)さま」「大麻(おおあさ)さん」「大麻(おおあさ)はん」と親しみをこめた御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。

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徳島県では、初詣の第一番の神社で、三が日に26万人がお参りに訪れ交通は大渋滞になるという。

境内には大きな楠が何本かあり、最大の楠木は樹齢1000年を超すという。
四角い形の厄除け祈願、丸い形の安産祈願の絵馬が奉納されていた。


巫女の舞 

神火大祭の神事の間に、巫女の舞が奉納されていた。
二人の巫女がいて、二人揃った舞や一人ずつ単独の舞もあった。

途中で、巫女が「オカメの面」を被って舞を始めたのには驚いた。
さらに、刀を持って舞う場面もあった。

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この神社の御祭神は、大麻比古大神(おおあさひこ)・猿田彦大神(さるたひこ)
猿田彦は、ニニギの天降りの先導を行ったと古事記に書かれている。

また天降りの際に猿田彦神と応対したのが天宇受売命(アメノウズメノミコト)だ。
神話によれば、「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。
岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。
思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。

その一環として、アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。
その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
アマテラスと高木神に、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われたアメノウズメが名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言った。

アメノウズメは天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、玉祖命(たまのおや)、石凝姥命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人としてニニギに随伴して天降りした。
アメノウズメはサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることになり、猿女君の祖神となった。一説にはサルタヒコの妻となったとされる。

アメノウズメは大小の魚を集めて天孫(ニニギ)に仕えるかどうか尋ねた。
みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、アメノウズメはその口を小刀で裂いてしまった。それでナマコの口は裂けているのである。


メガネ橋とドイツ橋 

心願の鏡池
  第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士 約千人が 大正6年から9年に かけて異郷の地 板東俘虜収容所に過ごした。
ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら1日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に 池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。
板東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を超えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。
以来70有余年を経て、この度 当神社では神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
  平成4年3月吉日 阿波国一の宮 大麻比古神社 社務所

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板東俘虜収容所の跡地は神社から見える近くにあり、今はドイツ館という施設が建ち、道の駅にもなっている。
ドイツ兵たちは、異国の神にどんな願いを祈ったのだろう?