引田の町、安戸池                2012/02/01               トップへ


 引田・江戸時代の街並み  

鳴門から西へ海岸線に沿って30分ほど走ると、東かがわ市引田の街に着く。

引田(ひけた)は香川県東かがわ市の地域名。旧大川郡引田町引田。
播磨灘に面する港町で、醤油醸造で栄えていた時代の古い町並みとともに、
世界で初めてハマチの養殖に成功した(安戸池)としても知られる。

平安時代より半島(城山)によって風が遮られる天然の良港「風待ちの港」として開かれた。
中世は引田城が築かれて商業が発展してその港町は日用品や米穀の集散地として賑わい、安土桃山時代に始まった醤油醸造は江戸時代後期になって廻船問屋や豪商も現れるほど隆盛した。

現在も港は地方港湾の指定を受け、また江戸時代から明治時代にかけての入り組んだ路地や古建築が多く現存して、近代以前の漁師町の風情をとどめている。

豊臣秀吉の時代に築城されたと言われる引田城(現在は城跡) 讃岐国に存在した3城→現高松市=玉藻城、丸亀市=丸亀城、 そしてここ引田に引田城があった。 現在も城山でその名残の石組みを見ることができる。

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昔、醤油醸造をしていた「井筒屋敷」は観光の拠点として整備され、お土産物なども売っている。
また明治時代の郵便局の建物が、外観はそのままに今は喫茶店となっていた。

   

   

香川県は明治時代から手袋の産地となり、今でも全国一の生産量だ。
古い機械も展示した手袋ギャラリーが面白い。

   

野球やゴルフの有名選手の手形、手袋が展示されていて、スポーツ選手の手は大きいと実感した。

町の外れ、御幸橋を渡ると、誉田(ホンダ)八幡神社があった。
祭神は応神天皇。地元の氏神として親しまれている。
秋には、収穫を祝う大祭がある。引田は、自治会ごとに自分達の「獅子」と「やっこ」を持っている。
祭りでは、町並みの東の端、誉田八幡宮の「お旅所」からお旅筋を通り、八幡宮へと行列を為し、獅子の舞を奉納する。
見どころは「投げ奴」、約5mの長い棒の先に羽根飾りを付けた「やっこ」を旅途中に投げ合いながら進む。
昔ながらの狭い道筋を投げ奴が通る様子は圧巻である。

      

本殿は山の中腹にあり、100段ほどの石の階段を登らねばならなかった。

      

町の中に、積善坊、善覚寺、萬生寺という寺もあり、積善坊には西行の歌碑もあった。

   

西行が引田を訪れた時に詠んだ歌。
◆ あら鷹の したも引田の浦なれば 沖へにかかる 白鳥の松



  安戸池  

 安戸池は明治時代までボラ漁(中高網)が盛んだった。
 昭和3年(1928年)に野網和三郎によりここでハマチ養殖が始められた。

 野網和三郎(明治41年−昭和44年)は、父佐吉の理解と協力を得て、
 昭和3年、遂に安戸池でハマチ養殖の事業に成功した。
 彼によるハマチ養殖は香川県漁業の主幹漁業となっただけでなく、
 今日の世界各地で行なわれている海面魚類養殖業の礎となった。

 また、安戸池は引田の新名所となり、昭和20年代には安戸池の観光化が進み、ハマチ釣り、海女 の実演や遊覧船、周辺には旅館もあった。
最盛期の昭和30年代には1日に1,000人もの観光客が安戸池に足を運んだといわれている。

 平成16年5月下旬には海と魚の漁業体験学習施設「マーレリッコ」が完成し、同年10月の第24回 豊かな海づくり大会において、同施設に天皇、皇后両陛下が行幸啓された。

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安戸池は現在、フィッシングセンターとして運営されていて、
養殖したハマチなどを放流し、餌釣り、ルアー釣りを楽しむことが出来る(有料)。

水温が暖かくなる4月から本格的な釣のシーズンに入るらしい。
暖かくなったら一度釣りに行ってみようと思う。