徳島七福神                2012/01/03               トップへ


正月に七福神を歩く習慣が出来、関東の七福神はほとんど制覇してきた。
鳴門に移り住んで、四国ではどうかと調べてみたが、
こちらでは七福神を歩くというのはメジャーではなさそうだ。
(八十八ヶ所霊場巡りの本場だから、仕方がないのかも知れない)

徳島市内に七福神があると分かったので歩いてきた。

・恵比寿太神 円福寺   ・毘沙門天 光仙寺   ・大黒天 願成寺

・寿老人 清水寺   ・弁財天 万福寺   ・布袋尊 明王寺   

・福禄寿 東照寺


JR徳島駅を中心に四方にあるので、巡る順序に迷ったが、
右回りと決め5時間ほどで回り終えた。

JR文化の森駅から西へ歩くと、最初の円福寺



本堂の恵比寿太神は厨子の中で姿は見られなかった。
また、境内に七福神が揃った石像も置かれていた。(ここだけで七福神巡りが叶う?)

   

道を北へ歩くと毘沙門を祀る 光仙寺。だがここでは寺に誰もおらず朱印を頂けなかった。
さらに北へ歩き(途中らーめんで昼食)、眉山の麓近くにある大黒天 願成寺へ。
(この寺には、大黒天の他に、恵比寿天、弁財天の石像・絵姿もあった)

    

新町川支流の掘割に沿って西へ歩くと、寿老人 清水寺
境内には本堂の他に幾つかの小堂があり、寿老人はどこに?と探しまわったら、
本堂横の住家の玄関の間に飾ってあった。

    

道を東北に引き返し、新町川支流に沿って北上すると、弁財天 万福寺
山門が鐘楼を兼ねて上に釣鐘があり、下から引くと鐘がなる仕組みになっていた。

また、『【お七地蔵】の説明の立て札が立っていた。
 江戸の昔、悲恋の主人公として芝居や浄るりに上演された
八百屋お七の養父母は阿波助任の出身で当寺の檀家であった。
そのため戦前までお七の恋人が奉納した金仏が安置されていたが供出した。
このたび、住職の発願によって再建になった。』

2年前に「東海七福神」(品川の近く)を歩いた。
この時、江戸時代の鈴が森刑場跡 に、お七処刑の説明板があったのを思い出した。

     

道を南東へ引き返すし、春日神社を経て、布袋尊 明王寺。朱塗りのお堂が珍しい
ご朱印をもらう時、玄関に七福神の木像が飾ってあった。

      

6寺を回り終え最後に福禄寿 東照寺が残ったが、時間も遅くなったので省略し、徳島駅へ戻った。

七福神巡りでは、色紙にご朱印を押してもらうのが一般的で、徳島ではどうかと心配していたが、
「奉納経」(1000円)という帳面(四国遍路の納経帳のようなもの)に 各寺のご朱印(各300円)を捺してもらうことが分かった。
各寺では、朱印、お札の他に、祝箸やしゃもじ、鉛筆、マッチ を頂いた所もあった。



四国(徳島)では、七福神を歩く人は少数派のようで、途中で出会うことも少なく拍子抜けだった。
車で回るという人が増えたのだろう。