大歩危ーかずら橋ー祖谷峡谷                2011/11/22               トップへ


大歩危ーー遊覧船から紅葉を (3366回) 

紅葉を見ようと大歩危峡へ出かけた(11/22)。
大歩危・小歩危」という名前は、その奇妙な漢字と一緒によく知っていたが、訪れるのは初めて。
遊覧船の船頭さんの説明では、「大股で歩いても、小股で歩いても危険なほどの狭く険しい山道」が由来とのことだったが・・・

大歩危
大歩危(おおぼけ)は、吉野川中流域に位置する渓谷(先行谷)。

吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる徳島県三好市西祖谷山村の一部を指す総称でもある。
峡谷そのものを指す場合は大歩危峡(おおぼけきょう)と呼ばれることが多い。
夏季には多くのラフティング・カヤック愛好者を集めるほか、百年以上の歴史がある大歩危峡遊覧船で知られている。

数km下流の小歩危(こぼけ)と共に、大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)として一括りにされることが多い。 剣山国定公園に含まれている。

なお、那賀川上流域の徳島県那賀郡那賀町にも歩危峡(ほききょう)という峡谷があるが、大歩危とは関係ない。

【地名の由来】
一般には漢字説(「大股で歩くと危険」)が有名であるが、昔から現在の漢字で表記していたわけではなく間違いである。
「ほき、ほけ」は断崖を意味する古語である。

「おおぼけ」という音に対して、文化12年(1815年)編纂の阿波史では「大嶂」の字を充てており、明治6年(1873年)の地租改正の際に当時の三名村は「大歩怪」の字を充てている。
地租改正の際に「こぼけ」には「小歩危」の字を充てており、後に「小歩危」に合わせて「大歩危」と表記するようになった。

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船から眺める峡谷の紅葉は水の青、灰白い岩肌と絶妙のコントラストだった。

      

妖怪屋敷と石の博物館 (3367回) 

遊覧船乗り場のすぐ近くに、道の駅があり、「妖怪屋敷と石の博物館」が併設されていた。

三好市山城町は、徳島でも有名な「妖怪の町」だそうで、
つい先日も妖怪祭りが行われ、お面を被ったたくさんの妖怪たちが行列をして観光客を楽しませていた。

この地方に伝わる妖怪は40〜50種類もあり、水木しげるの漫画にもたくさん登場しているようだ。

石の博物館には、たくさんの宝石や鉱石の原石が展示されていた。
石の塊の中に出来る「水晶」や「方鉛鉱」などの結晶はは自然の不思議さを感じさせる。

また一見ただの色つきの石が、切り出して磨くと見事な宝石になることに感心した。
古代の人たちが、これを見つけ磨く技術をどうやって見つけ出したのか不思議だ。

この博物館は写真撮影禁止だったのが残念だ。

  かずら橋 (3368回) 

 大歩危から車で30分ほど行った上流に、「かずら橋」があった。
 峡谷の高さ50mほどの所に、かずら橋が架かっていた。

 幅1.5mほどで、足元の渡し板には隙間があり下の谷川の水面が見える。
 橋がぐらぐらと揺れるので、両側の蔓で編んだ手すりを手放せなかった。

 長さは50mほど。よく見ると鉄のロープの上に蔓を重ねてあるので、切れて落ちるという心配はないようだが、  観光客の皆さんは真剣な表情で蔓に掴まりながら渡っていた。

でこまわし (3369回) 

かずら橋の近くの店で、でこまわし(300円)と鮎焼き(500円)を食べた。
この辺りの川では、鮎やアメゴが獲れるようだ。

でこまわし】 とは、徳島県に古くから伝わる里芋の田楽に似た郷土料理である。
人形(木偶)を意味する方言である「でこ」をくるくると回しながら食べる様子からこの名前がつけられた。

三好市祖谷地方の名物品で、人形浄瑠璃の阿波木偶に似ているところから名付けられたと云われている。
在来種の芋であるごうしいもや豆腐・こんにゃくを串に刺して下焼きをし、味噌だれをつけて再度焼いて出来上がりとなる。

おでん種を焼いたようなものだが、素朴な味で美味しかった。

  祖谷峡谷 (3370回) 

 かずら橋からの帰り道は、祖谷峡谷を通る道を選んだ。
 この山道は往路の道とは違い、細く曲がりくねった道が、山肌を走っている。

 谷の深さは200m〜300mほどもあるだろうか?

 道の細い部分では車のすれ違いも出来ず、片方の車が広い場所まで後退するしかないような道だ。

 途中に、谷を見下ろす岩に「小便小僧」の像が建っていた。
 ところどころで見事に色づいた紅葉が目を楽しませてくれた。