![]() 菊人形展のあった吉野川市が、#11札所・藤井寺の近くだったので、 ついでにと思いたち、#5--#11 の遍路を歩いてきた。(11/24--25) #5 地蔵寺 −− #6 安楽寺 −− #7 十楽寺 ーー #8 熊谷寺 #9 法輪寺 ーー #10 切幡寺 ーー #11 藤井寺 二日間の歩きは、約35km、歩数にして63000歩だった。 |
![]() 地蔵寺は、前回 #1−−#5 を歩いた時の最後の寺だったが、もう一度お参りした。 境内には、立派な八角堂や大きな銀杏の木があった。 この寺の近くには、五百羅漢の石像を祀った場所がある(有料)。 国道と平行する遍路道(旧道)をのんびりと歩くので、道に迷うことはなかった。 |
![]() 今年、色々な場所でお遍路を歩いて、以前はなかった新しい標識を見つけた。 英語の標識だ。 Walkers for SHIKOKU 88Temples ,Japan Total 1200km(loop), 45 days on foot !! Bikers for SHIKOKU 88Temples ,Japan Total 1200km(loop), 20 days on bicycle !! for 1000 years 海外にも八十八ヶ寺四国遍路に興味を持ち、歩く人、或いは自転車で回る人が増えてきたということだろうか? 外人さん(英語圏)は、お経(般若心経)をどうやって唱えるんだろう? |
![]() 安楽寺は色鮮やかな山門があった。 (仁王さまは木造で時代を感じさせるものだった) 境内に山頭火の句碑、 「うれしいことも かなしいことも 草しげる」 「もりもり もりあがる 雲へ歩む」 |
![]() 安楽寺境内に、「太子駒つなぎの石」があった。 聖徳太子が斑鳩の宮から、馬に乗って推古天皇の宮殿に通われた時、 途中の村で休まれた時に、馬をつないだ石を、奈良から移設したという説明が。 太子は毎日通われる道を変えたと伝えられているが、それは途中の村々の下情を視察されるためだったという。 奈良にあった石が遠い四国に移されるとは、珍しいことだ。 |
![]() 安楽寺のトイレに、「四国遍路の下座行」という額が置いてあった。 1、御手洗は独り黙して自分の心をみがく最適の道場 1、御手洗の掃除は最高の下座行のひとつ 1、善き行いは よいことをしたと自分もたのしく人もよろこぶ ーーーーーーーーーーーーー 「下座行」とは、自分の身を低くし、人から顧みられないようなことについて、手足を汚すことを厭わずに行うということです。 トイレ掃除などは、まさにこの「下座行」そのものであり、この行いを続ける中で、自分とその周囲の環境を変えてきたわけです。 ここで大切なことは、身を低くすることで人間としての謙虚さを身につけ、手足を汚すことを通じて目に見えない価値を実感することです。これこそが、現代人が失いつつある生活感覚を身につける基本だと言っていいでしょう。 長野のあるお寺の御住職の詩にこんな言葉があります。 「はきものをそろえると、心もそろう。 心がそろうと、はきものもそろう」 |
![]() 安楽寺から十楽寺までは近くて15分ほど。 ここの山門も新しく明るい色に塗られていた。 本堂も真新しい建物だ。 手水場のデザイン(石の塊から水)も珍しい。 大きな不動明王の石像があった。 |
![]() 一時間強歩いて、熊谷(クマダニ)寺に着いた。 この寺は、(本尊は千手観音菩薩の他に)十二神将を祀ってあるらしく、山門には彩色の神将像が。 境内にも幾つかの神将像があった。 本堂も、石段を登ったところにある太子堂も素朴な造りだった。 クマダニ(熊谷)という呼び方も意外だった。 関東人は「熊谷」→クマガヤ(埼玉県熊谷市や鎌倉時代前期の武将・熊谷次郎直実を思い出し)と読みたくなる。 |
![]() 40分ほどで、#9法輪寺に。 この寺は、かなり離れた場所に仁王門がありかなり古いものだった。 彩色の仁王像はなかなかの迫力。 仁王門の天井に描かれた天井画を、陶板で再現したものが展示されていた。 仁王門からずっと歩いて山門に着く。 一帯は寺の所有地だと思うが、今は田畑に使われていた。 |
![]() 寺門のすぐ前に茶店があったが、 「くさもち 売り切れました ごめんなさい」の立て札が。 午後も遅かったから仕方がないが、立て札を見ると、惜しかったな〜食べたかったな〜と思った。 |
![]() 法輪寺を出たところで、高い山の上にある次の切幡寺までは無理だと判断し、 途中の「うどん亭八幡」(今夜の宿)に直行した。 うどん亭、海鮮料理、民宿を兼ねた店だった。 海鮮料理店を兼ねるだけあって、夕食は二の膳付きの普通の遍路宿の家庭料理とは一味違う豪華さだった。 料金は7000円超と少し高いが満足の一泊だった。 |
![]() 朝食を摂り宿を出て、だらだら登りの道を切幡寺へ向かう。 書道と並行するように田んぼの中の遍路道を歩く。 門前町(土産物店、宿など)もきつい坂の途中にある。 坂を登り切ったところに山門。 中に入るとさらに「是より333段」の石の標識が。 333段を上るとやっと本堂に着く。 太子堂も鐘楼も古びていて、とても良い雰囲気だった。 |
![]() #10 切幡寺から #11 藤井寺までは、約10km。 途中吉野川を渡るが、ここは全国一の大きな中州で、両側の川はそれほど幅はないが、中州を歩くだけで二時間近くかかる。 橋は欄干のない「沈下橋」だ。 中州には田畑があり、道も整備されていた。 途中にコソモス畑があり花が満開。 小学生の作った「お遍路さん、いつまでもお元気で」という看板がうれしかった。 |
![]() 吉野川を渡ったところに遍路休憩所があり、ここで一休み。 この辺り(阿波川島)には昔、城もあったらしく、道路のマンホールの蓋には城が刻まれていた。 また火の見櫓と半鐘も珍しい風景だった(今は実際には使われていない?)。 道端の桜の木で花が咲いているのを見てびっくりした。 気温の変化が異常で、春と間違えて咲いたのだろう。 藤井寺へ行く遍路道は狭い街並みを通り抜けるが、町の人の好意で標識がたくさんあり、迷うことはなかった。 藤井寺も古い寺だった。 弁財天を祀る八角堂があった。 お参りを済ませ、これで今回のミニ遍路は終わった。 帰り道に吉野川市の菊人形を見学した(11/08日記参照)。 |