松山                2011/09/12               トップへ


しまなみ海道を通り抜け、今治から松山へ向かった。
この辺りの高速道は、対面通行のため走りにくいが、交通量は少ないので楽だ。

  松山 (3311回) 

松山へ着き、駅近くのホテルにチェックインしてから、路面電車に乗り道後温泉へ。
坊ちゃん電車」は一日に数回しか運転していなかったので、道後温泉駅で撮影のみ。

松山の観光名物は、「坊ちゃん」「坂の上の雲」俳人「正岡子規」などだ。

   ☆ 春や春 十五万石の 城下かな     (子規)

といった俳句が電車の中にも見られた。




  坊ちゃんの湯 (3312回) 

道後温泉は「坊ちゃんの湯」が有名だ。
街の入り口には、時計塔と足湯がある。

坊ちゃんの湯は、夏目漱石の頃からの姿そのままだ。
近くの温泉宿に泊まった観光客も浴衣姿で湯に入りに来る。

一階の神の湯(400円)は東西二つの湯船がある。湯船はこれも昔のままの石彫。
古事記神話を題材にした彫刻が彫られていた(文字は読めなかった)。

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1890年、道後湯之町の初代町長として伊佐庭如矢(いさにわゆきや)が就任した。
この頃、町の最大の懸案は、老朽化していた道後温泉の改築であった。

伊佐庭は町長就任に際して、自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。 総工費は13万5千円。当時の小学校教員の初任給が8円といわれた時代。 棟梁は城大工の坂本又八郎を起用し、姿を現した木造三層楼は、当時でも大変珍しがられた。
伊佐庭はさらに道後への鉄道の引き込みも企図し、道後鉄道株式会社を設立。
一番町〜道後、道後〜三津口間に軽便鉄道を走らせ、客を温泉へ運んだ。

文豪・夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のこと。
漱石はその建築に感嘆し、手紙や、後の小説『坊つちやん』の中で「温泉だけは立派なものだ」と絶賛している。
実際に、頻繁に通ったという。手紙によれば、8銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。小説には「住田」の温泉として登場する。

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入浴料 8銭は、初任給 8円の1/100となる。
現在大卒の初任給を20万円とすると、入浴料2000円となるからかなり高級な湯だともいえる。

  居酒屋・味六 (3313回) 

松山での夕食は、友人から紹介された居酒屋(天ぷら、一品料理)「味六」へ行った。
主人夫婦で切り盛りしている小さな店でだった。

友人の名を言うととても喜び歓迎してくれた。
たまたま店に来ていた客の一人も友人を覚えていて、話が弾んだ。
ここも魚が新鮮で、刺身も天ぷらも美味しかった

帰り際、これも店で食べていた別の客から、カラオケに行きましょうと誘われ同行した。
知らない街の知らない人からカラオケに誘われ、楽しく歌ったのは初めての経験だった。




  カフェ夢うらら (3314回) 

翌日、午前中は#48-#53の札所を回ってお参りしたが、その帰り道に
善応寺のカフェ夢うららに立ち寄った。

松山市善応寺の小高い丘にあるカフェ 「夢うらら」
瀬戸内海に浮かぶ島々、
山々の緑、
真っ赤な夕焼け・・・。
素敵な景色を眺めながら、 ほのぼの、のんびり、
ゆっくりとお茶はいかがでしょうか?

ここは会社時代の知人(同僚)がやっていると聞いて訪れたが、
知人はたまたま旅行中とのことで会えなかったのは残念だった。 (後日、電話で話が出来た)

小高い丘の中腹にあり、瀬戸内海を見降ろす風景が素晴らしかった。
サービスランチ(1000円)もボリュームたっぷりで美味しかった。