倉敷ー尾道                2011/09/11               トップへ


姫路の同窓会の後、倉敷へ回った。
江戸時代からの古い建物の残っている倉敷の街のことは、話には聞いていたが初めての訪問だ。


はやぶさ帰還カプセル (3301回) 

街並みを見る前に、郊外にある天文台へプラネタリウムを観にいった。

プラネタリウムでは、小惑星イトカワへ着陸し、土を採取した後地球へ無事に帰還した「ハヤブサ」の航行を 再現する宇宙映像がドームの天井に映し出される演出が行われていた。

さらにハヤブサの実物大模型も展示されていた。

また中秋の名月(満月)の前日で、この夜空の星座の見方、夏の大三角、琴座、ふたご座、さそり座などを勉強した。



  倉敷市 美観地区 (3302回) 

倉敷市・美観地区には、江戸時代の商家などの建物が掘割に沿ってそっくり残されていた。
建物の多くは、中を改装して土産物屋、食べ物やなどになっているが、外観は昔のまま。

掘割に沿って柳の木が生えていて、青い空とよくマッチしとても情緒があった。
掘割には、小舟が浮かび観光客が舟から街並みを眺める趣向に。

黒い屋根に白壁(なまこ塀)の建物は江戸情緒そのものだ。
街並みの中で唯一西洋(ギリシャ)風の建物があり、これは大原美術館。



大原美術館 (3305回) 

昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものです。
ギリシャ神殿風の本館の中には世界画壇の巨匠作品が多数展示され、ツタにおおわれた石垣 、門を入るとロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」「カレーの市民」の像が迎えてくれます。
隣接して、分館、工芸・東洋館があります。

大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。
日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが大原の人生を変えたという。
プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。
大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。

(主な収蔵品)
エル・グレコ『受胎告知』(1599年?1603年頃)
エドガー・ドガ『赤い衣裳をつけた三人の踊り子』(1896年)
モネ『睡蓮』(1906年頃)

ルノワール『泉による女』(1914年)
トゥールーズ=ロートレック『マルトX夫人の像』(1900年)
ボナール『欄干の猫』(1909年)

マティス『画家の娘』(1918年)
パブロ・ピカソ『頭蓋骨のある静物』(1942年)
ゴーギャン『かぐわしき大地(テ・ナヴェ・ナヴェ・フェヌア)』(1892年)

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建物前にあるロダンの「洗礼者ヨハネ」は初めてみる像だった。

街の一角に「星野仙一記念館」があった。この人はこの街の生まれなんだろう。
星野仙一語録の額や色紙、や野球のグッズがたくさん売られていた。

   



  きび団子とむらすずめ (3303回)

きび団子を売る店がいくつもあった。
きび団子は串にさしてあると思っていたが、そうでないものもあった。

一軒の店で、抹茶と一緒に食べられるので入ってみた。
「きび団子」と「むらすずめ」に冷たい抹茶
冷たい抹茶は初めて飲んだが、暑い夏には嬉しいサービスだ。

むらすずめ
すずめが、群れで飛ぶようすから、その名がついたと言われている。
粒あんをカステラ生地で包んだ、上品な味わいです。

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きび団子には餡子は入っていないが、むらすずめには小豆の粒餡が入っている。 その人の好みに別れるが、僕はむらすずめが気に入った。

珍しい傘 (3304回) 

土産物屋の一つに「傘屋」があり、
16本骨や24本骨というのも売っていた。江戸時代の蛇の目傘の名残だろうか?

もつ部分の柄が、刀の柄になっているお遊びの傘もあった。

変わり傘といえば、開いた傘の布に「星座」が描かれている傘を見たことがある。
傘の布を天球に見立てたものだ。

星座を眺めながら歩けば、雨もまた楽しめるということか?
晴れた日の夜に、この傘を開いて夜空の星座と比べながら見つけて確認するのも面白いか。
晴れた夜に開いて役に立つというのが奇妙だ。



  尾道・文学の小道 (3306回) 

倉敷で泊まり、翌日(12日)しまなみ街道へ向かう途中で、尾道に立ち寄った。
尾道駅の東側に小高い丘があり、短いロープウエイで登ると千光寺や公園があった。

展望台から見下ろすと、瀬戸内の海や港が一望できた。
しまなみ海道は、尾道から島伝いに7つの橋を渡り四国に辿り着く。

丘から下りる道は、「文学のこみち」と名付けられていて、
たくさんの俳人・歌人の句碑や、志賀直哉、林芙美子などの足跡を見られた。

十返舎一九の碑もあり、あの作者が尾道まで来たことがあると知り驚いた。
尾道は著名人の他にも俳句・和歌を嗜む人が多かったようで、
途中の小公園にそのような「地元の文人の足紋碑」が並んでいた。

ハリウッドには有名な「映画俳優の手形」が地面に並べられていて、
日本でもそれを真似たものがいくつかあるが、足紋を見たのは初めてだ。