阿波踊り                2011/08/12〜15               トップへ


鳴門・阿波踊り大会 (3260回) 

徳島の阿波踊りに先立ち、鳴門でも阿波踊り大会が始まった(8/09-11)。

鳴門駅近くの大通りに、東西二つの演舞場が設けられ、桟敷席が作られた。
夜の本番に先立ち、「なると市連」は東日本大震災の犠牲者の追悼と被災者を励ますため、
四国霊場1番札所霊山寺で踊りを披露した。

鳴門市にも地元のたくさんの「連」があり、皆さんは揃いの浴衣を着て踊りに参加する。
徳島からも有名連がやってきて参加している。

一つの「連」は、踊り子(男女)、お囃子(三味線、太鼓、鐘、笛など)、提灯持ちなどで総勢100名前後。
幼児から学生、中年、壮年、熟年と年齢の幅はとても広い。 小中学生もとても上手で、熱が入っていた。

阿波踊り、「連」の構成 (3264回) 

阿波踊り、「連」の構成は、
・提灯持ち(先頭)  ・女踊り  ・男踊り  ・お囃子 が標準のようだ。
女踊りのグループの前に、(小中学生の?)子供たちだけのグループが入る場合もある。

提灯にはかならず「連の名前」が書かれている。
提灯持ちと一緒に小さな子供さんが一緒に歩いている場合がある。

女踊りは、グループの全員の踊りの動きが、揃っているのが特徴で優美・華麗だ。
列になったり、輪になったりとフォーメーションを変えるところも見ごたえがある。

男踊りは、一人一人が自分の得意の踊りをするようで、揃ってはいないが激しい動きに迫力がある。

お囃子には列の最後に位置し、三味線、笛、鉦、太鼓、鼓などがあり、賑やかに囃したてる。

桟敷席を踊りながら通過するのに、5〜7分程度だろうか?
皆さん全員が汗だくになって踊りを披露して退場となる

 三つ子の魂 (3265回) 

 徳島で生まれ育ち、阿波踊りに親しんできた人は、お囃子や「ヤットサー、ヤットヤット」の掛け声を聞くと 自然に体が踊りだすと言う。

 阿波踊りの連の踊りを見ていると、三歳くらいの小さな子どもさんも幼い手つきで踊っている。
小学生くらいの子供さんは、踊りの手つきもすっかり板に付き、大人顔負けに踊っている。

阿波踊りは、右手・右足(左手・左足)を同時に動かす独特の踊り方。
普段歩く時の動き(右手、左足)とは逆なので他県人はすぐには真似ができない。

しかし、三つの頃から動きを覚えれば、踊りの動きとして体に染みついてしまうのだろう。
お囃子を聞くと、自然に踊りの動き、足さばきになる。

汗だくになりながら、「踊る阿呆」になる気持ちがよく分かる。

囃子ことば (3266回) 

阿波踊りの囃子ことばといえば、
 「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々。
 「エライヤッチャ、エライヤッチャ ヨイヨイヨイヨイ」 というのが有名。
 ※もっとも、徳島では「踊る阿呆に、見るド阿呆!」というそうですが・・・

 ヤットサー、ア、ヤットヤット    ヨイサー ヤットサー
 ヤットサーヤットサー    ア、ヤットヤット


最近「男踊り」では
 サー、サー、サー、サー   ヤッサ ヤッサ ヤッサ ヤッサ
  など威勢のいいのが目立っている。

 踊る踊りは阿波踊り   ア、ヤットサー、ア、ヤットヤット

女踊り」 でよく聞く囃子ことばには

 ひょうたんばかりが浮き物か 私の心も浮いてきた   浮いて踊るは阿波踊り

 一かけ二かけ三かけて       四(し)かけた踊りは止められぬ
 五かけ六かけ七かけて       八(や)っぱり踊りは止められぬ   ア、ヤットサー、ア、ヤットヤット

 笹山通れば笹ばかり 石山通れば石ばかり   猪豆喰うて ホーイホイホイ

 新町橋までいかんかコイコイ   お先のお方におまけなや 私しゃ負けるの大嫌い
 わたしゃ負けるの大嫌い 負けてお顔が立つものか  ヤットサー ヤットヤット


などがある。

「笹山通れば笹ばかり・・・・・」のフレーズは学生時代に酒を飲みながら歌った覚えがあるが、 阿波踊りの囃子とは知らなかった。

踊りの衣装 (3267回) 

阿波踊りの始まる前(7月)に、阿波踊り会館に有名連の衣装(浴衣)が展示されているのを見た。
それぞれに、色と柄に工夫され色鮮やかで華やかだ。 連の名前も染め込んである。

  

男の浴衣は、一重(裾をからげる)、あるいは法被で、腰に印籠 を下げる。
頭は手ぬぐいを盗人被りに。女性が男踊りをする場合は、ねじり紐を乗せることが多い。

  

女の衣装にはさらに一工夫がある。
下に着る浴衣の上から、半身の羽織(法被)を重ね着して華やかさを演出している。
下半身を蹴だし(腰巻)で巻くスタイルもある。 いずれも太い帯をきりりと締めている。

もう一つは、てっこう(手っ甲、腕のカバー)だ。白い手っ甲で腕先までが覆われている。
手っ甲先の可愛らしい手首としなやかな指の動きが色っぽさを演出する。

浴衣の下の足先、蹴だしちらりと見える足首と白い足袋 を履いた下駄さばきがとても艶やかだ。
深く被った笠(破れ笠)も心憎い。紅い口元しか見えないが、全員が美人に見える。

  

演舞場だけではなく (3268回) 

徳島の阿波踊りでは、(今年)4つの有料演舞場(市役所前、藍場浜、紺屋町、南内町)が設けられて、
チケットはコンビニなどからも購入できる仕組みだった。(自由800円〜S1800円)(約2万人収容?)

演舞の時間は、18時〜20時と20時30分〜22時30分と2部に分かれ、観客席は総入れ替え制。
観覧席は長さが120m、一つの連が踊りながら通るのに5〜7分ほどだから、 およそ20ほどの連の演舞を見られる。

この他にも、アスティとくしま、徳島市立文化センター、あわぎんホール などでも有料の公演が見られた。
さらに、NHK徳島放送局、四国電力 などにも(無料)の演舞場が作られていた。

また、街の大通りが通行止め(歩行者天国)になっていて、新町川沿いの公園広場なども小さな演舞場となっていた。
阿波踊りの「連」は大きな有名連、企業連、市役所・病院連などの他に、大学、地元の街の小さな連などさまざまあって、
有料演舞場ではなく、街中で自由に踊る連もたくさんある。(全部で300ほど?)

     

有料演舞場に拘らず、街中の自由気ままな踊りを楽しみ、また自分もその中に混じって踊る、それが徳島スタイルなのかも知れない。


市の人口の4〜5倍が (3269回) 

今年の阿波踊りの人出は、4日間で131万人(昨年よりも4万人減)と発表された。
徳島市の人口は約26.5万人だから、およそ1日当たり30万人近い観光客が訪れた勘定になろうか。

昨日書いた有料演舞場(桟敷席)の収容人数はわずか2万人ほど(二回で4万人)
桟敷席を買わなかった残りの人たち(25万人以上)は、街の広場や歩行天を巡りながら踊りを楽しんだことになる。

僕自身は夜の踊りを楽しんだ後で、汽車?で鳴門に帰ったが、普段は一両の機動車が4両に増やされていてそれでも立つ人がいた。
各方面へ帰る汽車や長距離バスは、年に一度の賑わいだったのだろう。


余談だが、東京に住んでいた僕は、JRや私鉄のことを「電車」と呼んできた。 しかし、四国の人は「電車」とは言わず、「汽車」という。 走っているのは、重油?で動く機動車で、電気の架線はない からだ。