大塚国際美術館 (3202回) 「大塚国際美術館」は、大塚グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大級の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。 館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製しています。 それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。 また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないものですが、 陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。 門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・グレコの大祭壇 衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,000余点の検品のために、ピカソの子息やミロの孫達および各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。 このように「大塚国際美術館」は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。 (大塚国際美術館館長 大塚明彦) ーーーーーーーーーーーー 大塚国際美術館は、鳴門公園の近くに在り、上の説明のように世界の名画を「陶板名画」として鑑賞できるらしい。 入場料が3000円と聞いて驚いてもいるが、近いうちに一度見に行きたい |
大塚美術館−2 (3233回) 鳴門公園近くの大塚美術館に行ってきた。(6/12日記参照) 「陶板名画美術館」で古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点。 広い美術館の五つのフロアーに展示されていて、急いで見て回っても4時間ほどかかってしまった。 西洋美術史を勉強するような感じで、学校で学んだ有名な絵画がたくさんあった。 実物大の陶板名画ということで、写真撮影は自由と言うのが嬉しかった。 絵には一枚一枚説明が書かれていたが、全部を丁寧に読んでいたら、一日ではとても回れないだろう。 無線による音声ガイド器が500円 で貸し出されていた。 その他、ボランティアの人によるガイドツアーもあった。団体で来た人には便利なサービスだ。 驚いたのは、案内ロボットも動いていた ことだ。順路に沿って動きながら音声で説明していた。 |
大塚美術館ー3 (3234回) 途中でトイレに入ったが、便器の前の壁に「陶板画(ハガキ大)」が飾られていた。 用を足しながらも勉強しましょう、ということだろうか? このサイズの陶板画は、ミュージアム・ショップでは2〜3000円で販売されていた。 |
大塚美術館ー4 (3235回) 『ヴィーナス、キューピッドとサテュロス』コレッジョ作(1489〜1534) 作品の解説にこう書いてある。 「道徳的モラルが非常に厳しいキリスト教社会の中では、 女性が裸で自然の大地に眠るような情景は、 神話の口実なしには表現できなかった。 しかし実際にはこの口実のお陰で鑑賞者はエロチックな裸体を享楽できた。 森でヴィーナスが息子のキューピッドと昼寝をしている。 身体を覆うヴェールを剥いで見ているのは森のサテュロスで、好色の擬人像である。 絵を委嘱したマントヴァ公フェデリーコ・ゴンザーガはこうした快楽的テーマを好んだ」 ーーーーーーーーーーーーーー 建前(厳しい道徳的モラル)と 本音(エロチックなものを好む)を使い分けることは どこの社会にもあることだろう。 しかし西欧の方が上手に使い分けていて、現代の日本は下手だと思う。 西欧では「神話だから」という名目で、芸術家は堂々と裸体画(或は彫刻)を描き、 人々はそれを鑑賞するのに何ら罪悪感を覚えなくてよい雰囲気を作った。 一方日本では、エロチック=卑猥、という見方で「犯罪では?」ということにしてしまったため、 芸術家はその腕を存分に揮うことが出来ず、作られる作品はアングラへ流れることになってしまった。 僅かに美術館で展示されるような裸体画(或いは彫刻)やヌード写真集は、公に認められているが、 それ以外は非合法とされ、密かに売買されるモノ(ポルノなど)を見る人は、見つかりはしないかと ドキドキしながら鑑賞する羽目になっている。 いくら法律で規制し、取り締まりをしたとしても、 根本的な欲望が存在する限りは、裸体を描き、鑑賞するという行為はなくなりはしない。 法の網の目を細かくするというような解決方法ではなく、別のやり方もあるはずだ。 江戸時代以前の日本の方が余程上手だった気がする。 |
大塚美術館ー5 (3236回) フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(通称ゴヤ) 1786年、40歳で国王カルロス3世付き画家となり、1789年には新王カルロス4世の宮廷画家となる。 このように、40歳代にさしかかって、ようやくスペイン最高の画家としての地位を得たゴヤは、1792年、不治の病に侵され聴力を失う。 今日ゴヤの代表作として知られる『カルロス4世の家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『マドリード、1808年5月3日』、『巨人』などはいずれも、ゴヤが聴力を失って以後の後半生に描かれたものである。 ーーーーーーーーーーーーー 有名な『着衣のマハ』、『裸のマハ』の二枚の画を並べて見ることが出来た。 |
大塚美術館ー6 (3237回) 7/13の日記に「写真撮影は自由」と書いたら、 yukky802さん から、次のコメントが。 2011/07/13 17:53 <写真撮影が出来るって珍しいですね、しかし、その写真は掲載とかは駄目なんでしょうね?。> 大塚美術館が入館者の写真撮影を許可している理由は次の二つだと推測している。 1)通常の美術館の原画は油絵などが多く、強い光(紫外線も)が油絵の材料を変質させ、画を傷めるため、 照明も暗く設定し、写真撮影(フラッシュ光)を禁止しているが、 大塚美術館の陶板画は「焼き物」なので、光で変質(傷む)ことはない。 2)展示されている陶板画のオリジナルは全て古いものなので、「著作権」の問題は起きない。 従って、個人で撮った写真をブログなどにアップするのも問題はないと解釈している。 |
大塚美術館ー7 (3238回) これも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵は、 「修復前」と「修復後」の二枚が部屋の左右に並べて飾られていた。 修復前の絵は、全体に薄く黒ずんでいて、部分的にひび割れなどの跡があるが、 修復後は、汚れが綺麗に取り除かれ、ひび割れなども無くなっている。 ただ、不思議な事だが、修復前の方が絵に深みがあるように感じた。 (好みの問題か?) |
なでしこが金メダル (3239回) 【フランクフルト(ドイツ)江連能弘】 サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会は17日(日本時間18日)、当地で決勝を行い、日本(なでしこジャパン)がPK戦の末、世界ランキング1位の米国を降し、初優勝した。 明け方に起きてTVをつけたら、後半戦が始まったばかりだった。 最初の得点はアメリカに先行されたが、その後1点を取り返し、引き分けに持ち込み、延長戦へ。 延長戦の後半、またもやアメリカに先行されたが、その後コーナーからのボールを澤が押し込み、PK戦へ。 PK戦を3−1で勝ち抜いた。 ランキング世界一のアメリカを破った必死の戦いは見事だった。 アメリカはさすがに世界一と言う実力を示したが、それに負けずに粘り勝ったグッドプレイだった。 |
ゴールデン・シャワー (3240回) サッカーの女子ワールドカップ(W杯)で日本のなでしこチームが表彰台に上がった時、 金色の吹雪が舞い散る演出があり、アナウンサーは「ゴールデン・シャワー」と叫んだ。 この言葉を聞いて、先日大塚美術館で見た「ダナエ」の絵を思い浮かべた。 【ダナエ】 マビュース(ネーデルランド)1527年 マビュースはネーデルランドの画家で、本名をヤン・ゴッサールトという。 1503年、30才でアントワープの画家組合に加入を許されるほどその技量には優れたものがあった。 ローマで、レオナルド・ダ・ビンチの作品に強い感銘を受け、以後盛期イタリア・ルネッサンスの影響を受けた画家となる。 「ダナエ」はギリシャ神話の、アルゴス王の娘で、彼女の息子は国王を殺すであろうとの予言を恐れ、王はダナエを銅の塔に幽閉する。 しかし、彼女に恋をするゼウスは、黄金の雨に姿を変えてダナエに近づき、ペルセウスが生まれた。 このペルセウスは予言通り王を殺すことになる。 ★「ゼウスが黄金の雨に姿を変えて」というところが絵に表されている。この場面を絵に描こうと考えたところがマビュースの天才だ。 ★ 日本の神話でも、三輪山の神(大王)が「蛇に姿を変えて」娘に近づくという話が残っている。 大昔の人達は何にでも変身できたらしい。実に羨ましい。現代人は科学知識を身につけた代わりに、このような能力を失った? ーーーーーーーーーーーーーーーー 台風6号が通過していったが、思わぬ置き土産があった。 一つは、アパートの地デジ集合アンテナが故障して、受信できなくなり、昨夜のドラマの一本が録画出来なかった。 もう一つは、NTTのADSLが故障して、インターネットの接続が不能になった(光電話はOK)。 いずれも午前中に修理が終わり回復したので、ほっとした。 |
原罪 (3244回) 大塚美術館でたくさんの西欧名画を見たが、キリスト教に関連する画がとても多かった。 「キリストの磔と復活」や「聖母マリアの受胎告知」などだ。 もう一つは『ギリシャ神話』『旧約聖書・創世記』を題材にした画だった。 キリスト教には、【原罪】という考え方がある。 (宗派によって、解釈が違ったり、原罪を認めない宗派もあるらしいが) 【『創世記』にみる「原罪」】 そもそもキリスト教の原罪の概念は『創世記』のアダムとイヴ(エバ)の物語に由来している。 『創世記』の1章から3章によれば、アダムとイブ(エバ)は日本語で主なる神と訳されるヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)の近くで生きることが出来るという恵まれた状況に置かれ、自然との完璧な調和を保って生きていた。 主なる神はアダムにエデンの園になる全ての木の実を食べることを許したが、中央にある善悪の知識の木の実(いわゆる禁断の果実)だけは食べることを禁じた。 しかし、蛇は言葉巧みにイヴ(エバ)に近づき、木の実を食べさせることに成功した。 アダムもイヴ(エバ)に従って木の実を食べた。 二人は突然裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉をあわせて身にまとった。 主なる神はこれを知って驚き、怒った。こうして蛇は地を這うよう定められた呪われた存在となった。 結果的に、2人は主なる神との親しい交わりを失い、永遠の生命を失い、自然との完全の調和も失った。 ヤハウェ・エロヒムはアダムとイヴ(エバ)が命の木を食べることを恐れ二人を呪い、エデンの園から追放した。 いわゆる失楽園である。子孫たちにも2人の行動の結果が引き継がれることになった。 ーーーーーーーーーーーー 7/15の日記に書いたように、 「「道徳的モラルが非常に厳しいキリスト教社会の中では、 女性が裸で自然の大地に眠るような情景は、神話の口実なしには表現できなかった。 しかし実際にはこの口実のお陰で鑑賞者はエロチックな裸体を享楽できた。」 『創世記』では、「二人は突然裸でいることが恥ずかしくなり、イチジクの葉をあわせて身にまとった。」と書かれ、 キリスト教は「人間は裸を恥ずかしがるものだ」と定義し、裸を人に見せたり、絵に描くことを禁じた。 しかし、何故か「創世記や神話」であれば、裸を描くのも構わないと許した。 建前=人間世界のモラル と 本音=創世記、神話の世界(=エロチックを好む本性)の見事な使い分けだ。 |
原罪ー2 (3245回) 昨日の創世記の中に、 「蛇は言葉巧みにイヴ(エバ)に近づき、木の実を食べさせることに成功した。 アダムもイヴ(エバ)に従って木の実を食べた。」と書かれている。 神の意思に背いて(禁断の)木の実を食べたが、悪いのは (唆した)蛇 → イヴ(エバ・女性) → アダム(男) の順になるので、 中世の男性中心(キリスト教)社会では、「女性が悪の根源で男性を堕落させた」という考えがあった。 「女性こそ全ての悪の根源である」とはいうものの、 その女性に限りなくエロスを感じ、求めずにはいられないのが男である。 男は女に誘惑され、その餌食となる。 そんな思想を具体化した絵があった。 モッサ、ギュスターヴ・アドルフ(1883〜1971) 『彼女』 「彼女」の下には、小さな無数の男が累々と横たわっている。 |
花の色は (3246回) 「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世に古る 眺めせしまに」(小野小町) という歌がある。 絶世の美女と言われた小野小町も、年をとればただの叔母さんとなり、最後は死ぬ運命。 人間の宿命ー無常感 を現す歌だ。 美女も年を取り死ぬ運命を免れない、という事を現した絵画があった。 美女はヴィーナスのように美しく描かれているが、死(骸骨)と向かい合っている。 或は、骸骨(死)が「お前だって死を免れないのだよ」 と囁いている。 |
神と人間 (3247回) 神は永遠の命を持ち、人間は寿命がある(創世記)。 ちっぽけな存在である人間が、神と争うなどとんでもないことだ。 花のような美女に、ヴィーナスよりも美しいという評判が立ち、 神と比べ争ううなどとは不遜だとして裁判が開かれる。 弁護人になった男は、裁判官たちの前で、女の衣裳を剥ぎ、 この美しい女が罪を犯したのでしょうか? と裁判官に問い質す場面だ。 これは魔女裁判と同様に、キリスト教の権威を守るために実際にあった事件のようだ。 |
ルイ14世 (3248回) フランスのルイ14世(太陽王)は1643年から72年間の永きにわたり国王として在位した。 彼の肖像画を見て、ファッションは面白いと思った。 気づいたことは、 ・ガウンの下の足にはタイツを履いている。 ・高いヒールの靴を履いている。 ・髪の毛はカツラ。 現代でも、芸能人などはこれに近いファッションなのかも知れないが、 一般人には恥ずかしい奇妙な衣装だ。 |
ゴシップ・ネタ (3249回) 貴族の家の風景、若夫婦と執事が描かれている。 説明によると、政略結婚をした若夫婦は、結婚後数日でお互いに飽きてしまい、 執事は請求書の束に頭を抱えている絵だという。 盛大な披露宴で世間を驚かせたが、二人に愛情などは無くたちまち離婚の危機。 まるで有名人のゴシップ・ネタそのものだ。 こういうことは珍しくはなく、現代なら写真週刊誌の絶好のネタになる。 しかし写真のなかった昔に、こんな絵を画家に描かせたパトロンの目的は何だったのだろう? |