亀戸七福神                2011/01/06               トップへ


高校の友人たちと七福神を歩いて来た(1/06)。
JR亀戸駅から北へ上がると 蔵前橋通り に出る。七福神はこの道の北側に六ヶ所。
最初は、寿老人(常光寺)

  

住宅街をしばらく西に歩くと 弁財天(東覚寺)

  

さらに西へ明治通りを渡ると、恵比寿神、大黒神(香取神社)。ここには二神が祀られていた。
御本尊の他に、水をかけて体をこするための焼き物の二神もあった。

  

昔(江戸時代?)、亀戸大根 というのがあったそうだ。(練馬大根と似たようなものか?)
お祭りに使う お神輿 も飾られていた。

  

毘沙門天(普門院) の寺は、廃寺かと思うくらいさびれた印象。
入り口近くに、「伊藤左千夫」の石碑があった。この碑文は不思議な彫刻で、文章の頭の一文字が抜けていた
(正)岡子規の門人となりアララギ派の歌人・・・(小)説歌論にも著作を残したが・・・
(大)正二年七月三十日五十歳にて死去・・・・    どういう意味があるのだろうか?

  

道を北へ向かい十間堀川の脇に、福禄寿(天祖神社)

  

南へ戻ると最後の寺、布袋尊(龍眼寺) 。昔から「萩の寺」として有名だそうな。

大納言家長卿の歌   ☆ ききしより 見る目ぞまさる この寺の 庭に散り敷く 萩の錦は

榎本其角の句    ☆ つき見とも  見えず露あり  庭の萩

芭蕉の句    ☆ 濡れてゆく  人もおかしや  雨の萩

  

『天台宗の龍眼寺は、慈雲山無量院と号します。応永2年(1396)良博大和尚が柳源寺と号して創建したと伝えられます』
【大納言家長卿】とは、源家長[?〜1234]鎌倉初期の歌人。後鳥羽上皇に仕え、和歌所開闔(かいこう)となり、新古今集の編集に当たった。
寺の創建より以前に家長卿は亡くなっているから、上の歌はこの寺の事ではないことになる??
(実際には、この寺が萩の寺として有名になったのは江戸時代に入ってからのようだ。)

この寺では、「水に溶けるお御籤」が売られていた。読み終わったお御籤の紙をつくばいの水に浮かべるとあっという間に溶けて驚いた。
布袋尊堂の前で記念撮影を。

  

色紙400円、朱印代200円で合計1600円だった。メジャー七福神でないためか、かなり安いと思った。

七福神巡りを終えて、帰り道にある 亀戸天神社 へ参拝。
この神社は、藤の花で有名だ。梅はまだちらほらだったが、蝋梅の花は満開だった。

  

境内からは東京スカイツリーがとても良く見えた。

  

風は冷たかったが、良く晴れてくれて楽しい七福神巡りだった。同行の皆さん、お疲れさまでした。