桜 2010                2010/04               トップへ


◆ 鎌倉 源氏山公園    2010-4-04

鎌倉の源氏山公園も桜の名所 だと聞いて行ってみた。
JR鎌倉駅から歩いて20分ほど。
小さい山だが、登りの坂道は予想外にきつかった。(途中に「銭洗い弁天」がある)

◆ 銭洗い弁天     「洗ったお金が倍になる」

銭洗弁天(宇賀福神社)(ぜにあらいべんてん)、正式名は 銭洗弁財天宇賀福神社。

源頼朝に、巳年の1185年(文治 1)、巳の月、巳の日の夜、
「この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる」という夢のお告げがあり創建されたと伝える。
その後、北条時頼が霊水で金銭を洗い、一家繁栄を祈った。それが今日の銭洗信仰の始まり。



ザルが置いてあったので、ポケットの小銭を入れて洗ってきた。
果たしてご利益はあるのか?

登り切って少し行った場所に広場があり、周囲には桜が満開。
お花見の人たちもたくさん来ていて、思い思いに宴会を。

源頼朝の立派な銅像 が置かれていた。 (幕府を開いた若い頃の像のようだった)

   

◆ 化粧坂   「化粧坂」(けわい坂)という標識があり、狭い山道があった。

名の由来として以下のような説が伝えられているが、ほとんどは後世の創造の産物と思われる。
・平家の大将の首を化粧して首実検したから
・この辺に遊女がいたからという説
・険しい坂が変じたという説、
・坂の上が商取引が盛んで「気和飛坂」
・木が多いので「木生え坂」など。

「化粧」を「ケショウ」と読むとそれは現在の意味の通りに「白粉でお化粧」の意味であるが、
古くは「ケワイ」とも読み、その場合は「身だしなみを整える」と言う意味に使われる。

その意味からは「都市」=「ハレの場」 に入る境で「身だしなみを整える」と言う意味で「ケワイ(化粧)坂」
つまりは「鎌倉中」への境界である坂との意味と考えるのが自然であると言う説がある。
(「中世都市鎌倉の実像と境界」p178 五味文彦)

鎌倉以外にも「化粧坂」という地名は各地にみられ、多くは中世の国府や守護所などの近辺に見られる。
その伝承の中にも境界で「身だしなみを整える」と解釈出来るものがあり、「境界の場の呼称」として「化粧坂」と通称されていたそのひとつとも考えられる。

   




◆ 八王子 浅川堤     2010-4-08

家を出て浅川土手を通りながら西八王子駅へ出るのは いつもの散歩コースだ。
途中の陵南公園にも見事な桜が多い。  花桃なども見頃だった。

   

   

   

陵南橋は多摩御陵(大正、昭和天皇陵)へ通じる橋だ。とても風情がある。

   

土手の桜の下で弁当を食べる。 近場でこんな見事な桜が見られるのは幸せなことだ・・・・