妻籠宿                         2008-8-05

新穂高ロープウエイから下山して、158号で高山へ戻り、木曾街道 へ入った。
国道361号、地図で見ると立派な道に見えたが、高山寄りの峠道は、曲がりくねり、すれ違いも困難な狭い道。
この道で本当に良いのか? と心配になるほどの道、「冬季は閉鎖します」との看板も。

朝日ダムを通り過ぎ、道の駅「ひだ朝日村」 で昼食。
木曽福島で国道19号に乗り、妻籠宿 に着いた。

  

江戸時代の宿場町の雰囲気が今も残っている。
街道は思ったよりも狭い。観光客が道いっぱいに広がりながら歩いている。

  

江戸時代に掲げられていた「高札」 が残されていた。

  

茶店で、冷たい 抹茶かき氷 で一服。

  

大きな 釜 は何に使ったのだろう? 風呂か?   陣屋跡 は今でも厳しい。

  

書状集荷箱(ポスト)は、明治時代の復元か?

  

宿場の 悲恋物語 もあったようだ。

  

火乃要鎮 という用語(用字)は 初めて見た。

  

さして広くはない、むしろ狭いと感じる場所だが、坂もあり高低差がある。
どうしてこのような場所に宿場が発展したのか、理解しにくい・・・・・