西沢渓谷ー塩山    2008 Novenber 11        トップへ

西沢渓谷(国定公園)は、山梨県の北東部、雁坂トンネルの手前にある。
トンネルを抜けると埼玉県に通じている。  標高が高いので、秋の紅葉も比較的早い。
早朝に家を出て、中央道を走り、9:30頃に渓谷の入り口に。

  

ここからは沢伝いに登り、竜神の滝、貞泉の滝、五段滝、不動滝を経て展望台に出る(約2時間)。

  

谷川の水は、深い淵ではエメラルドグリーンに染まっている。土壌の銅分が溶け出すらしい。
川は下流では笛吹川となり、太平洋に繋がっている。

  

渓谷沿いの道は狭く険しいが、鎖やロープなどが整備されていて、小学生でも安全に歩けるようになっていた。
展望台のある場所へは、急坂を上る階段が整備されていたが、息が切れた。

  

この辺りの山は、いろは紅葉など赤く染まる木は少なく、黄色い紅葉が多い。
展望台で昼食をとり、帰りは谷川の反対側の尾根道を下る。
昭和の時代(41年まで)には、木材を運んでいたトロッコ列車の走った道なので平坦で歩きやすい。

  

尾根道から眺める山々の紅葉は、秋を感じさせる素晴らしさだった。

  

西沢渓谷のある三富地区から、道を下り牧丘地区に出る。
この辺りは、ころ柿の産地で、干柿作りが盛ん。
恵林寺の傍に大きな干柿(枯露柿)の生産農家があり、見事な柿スダレが 庭一杯に広がっていた。

昨年は、塩山駅からハイキングで歩いた(約8km)が、今年は車。
農家で枯露柿を一箱(5400円ー20個入り)を予約してきた。 12月の後半に出来上がって届くはずだ。

  

恵林寺 は1330年、夢窓国師(むそうこくし)によって開かれ、戦国武将・武田信玄が菩提寺と定めた
臨済宗妙心寺派(りんざいしゅうみょうしんじは)の古刹です。
武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川和尚に命じましたが拒否され、
怒った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶ならを封じ込め火を放ちました。
天正十年(1582年)快川和尚、壮絶な火定(かじょう)遂げた際の一句です。

「安禅不必須山水減却心頭に火自涼」
(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず しんとうめっきゃすればひもおのずからすずし)

  

黒門を入り参道を上がると四脚門(赤門)が現れます。
この赤門は織田信長により全山焼かれた後、徳川家康によって再建されたもので、
1606年の棟札が掲げられ国の重要文化財に指定されています。
庭に置いてある、庫裏の鬼瓦の大きさ(高さ3mほど)にはビックリした。

  



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