野川ー深大寺 散歩                      2007/02/07

小金井市、三鷹市を流れる”野川”は小さい川だが自然が残された川だ。 JR東小金井駅からしばらく歩くと、都立野川公園に出る。
この公園は、わんぱくの森、ゲームの森、ピクニックの広場などがあり、自然を楽しむことを趣旨に整備されている。
公園の中には小鳥たちを観察できる特別の保護地域も作られている。
今日の散歩は、ここから歩き始めて、深大寺を通り、京王線・調布駅を目指すことにした。

 

公園の南の入口を出てすぐのところに竜源寺がある。
この寺は、新撰組隊長・近藤勇の墓所になっていて、近藤勇の銅像も建っている。
近藤勇は、天然理心流の近藤家の養子となり、この道場からたくさんの新撰組隊士が出た。
【天然理心流】
天然理心流ではまず、”柄の事””先の事””慶の事”の切紙三本を習う。
これは手の内(握り)と打込太刀と、左右の切り落としを含む打ち合いをさす。
ふつう、手の内は〈鶏卵を保つが如し〉といって、潰さぬよう、落とさぬよう握るものとされるが、
同流では、〈鶴卵を保つが如し〉と述べる。鶴の卵という表現でないと、間に合わないほど、太い木剣を用いるからである。
また、同じ動作を繰り返していると、ついつい変化技を出したくなる。 変化すれば負けにつながる。だから我慢して打ち合う。これが”根”である。
要するに、太くて重い木剣をもって、”力”と”根”を養うのが天然理心流の基本である。

大河ドラマ「新撰組」を思い出しながら、龍源寺を後にした。

 

野川は調布飛行場の西を南東に向かって流れていく。
川幅は10mほどの小さい川だが、コンクリートで川岸を固めるようなことをせず、自然の岸辺が残されている。
川の両岸には散歩道がつくれれており、車を気にせず、ゆっくりと自然を楽しみながら歩けるようになっている。

 

水車小屋には、なぜか郷愁を覚える風情がある。
流れる水の力で、ゴットン、ゴットンと回るところが面白い。

電力などなかった江戸時代の農村では、とても重宝な仕掛けだったのだろうと思う。
野川の岸を歩いていたら水車小屋風の休憩所があった。
小さな流れもあり、水車が回っていた。 しかし、よく見ると「運転時間は 9時から5時まで」の立て札が。
水の力で回っているのではなく、裏に隠されたモーターで回っているらしい。



川は野鳥の楽園でもあるようだ。  いくつかの種類の鴨や白鷺を見た。
もちろんスズメやムクドリ、セキレイなども遊んでいる。

こんな自然の川はぜひとも、いつまでも残していってほしいものだ。
川を下っていくと、調布市の深大寺に出る。   その後は、多摩川に合流して東京湾へ出るようだ。

 

深大寺にお参りした。   3月3、4日には「だるま市」 があるようで、その準備が行われていた。

ネットで調べたら、深大寺はとても古いお寺だ。
【深大寺】   奈良時代(天平5年)満功上人によって創建された深大寺。
東京では浅草寺に次ぐ古い歴史を持つ。  境内のいたるところに水路や池があり、水に囲まれた名刹。
厄除け、商売繁盛、縁結びの寺としても名高い。
本尊:恵心僧都作の阿弥陀如来像   寺宝:釈迦如来像(白鳳時代・重要文化財)
先日行った武蔵国分寺が天平十三年(741)だから、それよりもさらに8年ほど古い創建だ。

 

境内に、句碑がいくつかあった。
『 遠山に 日の当たりたる 枯野かな 』       (虚子)
『 萬緑の中や 吾子の歯 生え初むき  』       (中村草田男)

珍しい「切支丹灯篭」もあった。 江戸時代、このあたりにも隠れ切支丹がいたのだろうか?

 

深大寺は「深大寺そば」で有名だ。   門前に何軒もの蕎麦屋が軒を連ねていて、どこに入ろうかと迷う。
そのうちの一軒、嶋田屋には、「創業文久年間」の暖簾が架かっている。
文久元年とは、幕末の1861年だから、今から150年ほど前、お寺自体の創建733年に比べるとそれほどの昔からではない。
そうは言っても、30年ごとに代が変わるとすると、5代以上続いている古いお店だ。  店の前に飾ってある石の像も面白い。

 

深大寺の門前に、なぜか「鬼太郎茶屋」がある。
「鬼太郎」とは、水木しげる氏の”ゲゲゲの鬼太郎”のことだ。
茶屋の建物には、妖怪の絵が描かれている。  庭にも、妖怪たちが勢ぞろい。
”目玉小僧の提灯”も下がっていて、お店の車にも、妖怪の絵。

 

茶店の食べ物も、妖怪仕立て。  僕は、目玉こぞうの栗ぜんざい(500円)を食べてみた。   土産には、妖怪模様の缶ジュース。

 

深大寺を出ると、調布駅までは およそ30分程度。
調布の町も、なぜか鬼太郎たち妖怪に占拠されていた。 鳥取県境港と競争? 合同作戦?