泉涌寺、石山寺、五個荘・近江商人の里 2005/3/14
(三日目)
・泉涌寺 「大涅槃図」(特別公開)見学
大本山といわれる大寺院も十指にのぼるなかで、東山連山三十六峯の南端、
月輪山麓の清らかな涌き水のほとばしる仙境に、総本山真言宗泉涌寺派の総本山御寺泉涌寺がある。
皇室の御菩堤所として特異な、格調高い法域で、
寺院の東の丘陵には皇室の陵墓月輪陵(つきのわりょう)が静かに眠る聖域でもある。
千五十年前第五十三代淳和天皇の天長年間に空海(弘法大師)が、法輪寺という草庵を営なんだのが始まり。
http://www.mitera.org/HTML/EVENT/SANPAI%7E1.HTM
皇室にゆかりの深いお寺(ミテラ)だという。
歴代の天皇や皇族方は必ずこのお寺にお参りされるらしい。 皇太子ご夫妻の写真も飾ってあった。
大涅槃図はとても大きなもので、釈迦が横になって寝ていて、お弟子たちがその回りに坐っている。
(写実絵というよりは、少し漫画ちっくな書きぶりだった)
・石山寺 西国第十三番札所
http://www.saikoku33.gr.jp/dai13/
「平安時代寛弘元年(1004)紫式部は新しい物語を作るために石山寺に七日間の参籠をしていた。
東門院が女房の紫式部に命じて新作の物語を書かせようとしたので式部は祈念のため籠ったのである。
折しも八月十五夜の月が琵琶湖に映えて、それを眺めていた式部の脳裏にひとつの物語の構想が浮び、
とりあえず手近にあった大般若経の料紙に
『今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…』と、
ある流謫の貴人が都のことを想う場面を書き続けていった。
この寺は(勿論)初めて来たが、源氏物語を書くために紫式部が籠ったと云われるお堂が珍しかった。
お寺の寺域は広く、後ろの山全体が公園のようになっていて、四季折々の花が楽しめるようだ。
少し登った山の中腹に「紫式部の銅像」があり、早咲きの桜が咲いていた。
下のお庭も整備されており、季節になると花菖蒲が見られるようだ。 モミジも良いのかもしれない。
・五箇荘 近江商人の町並み、ひな人形めぐり
江戸から明治期にかけて建てられた豪商の邸宅。
公開しているのは外村宇兵衛邸・外村繁邸・あきんど大正館の3館で、財力と生活の知恵を取り込んだ見事な屋敷。
http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/eki/gokasyo.html
月曜日は休館日に当たるそうだが、ツアーのために特別に入らせてもらい、地元の案内人(ボランティア?)のおばさんが
面白おかしく説明をしてくれた。
近江商人という言葉は江戸時代から有名だが、明治に入ってもその気風を受け継ぎ、大成功した人たちが何人も居るという。
会社は東京や大阪にあるが、自宅はこの五個荘に構え、月に一度?帰ってくるという生活だったようだ。
明治・大正の時代に百年は保つ丈夫な家作りをしたそうだが、社会の変化が激しく、今見るとただの古い家にしか見えないのが残念だ。
家の調度や古い雛や人形が展示されていたが、戦前の思想の一端を覗くようで面白かった。
岐阜羽島駅より、新幹線で帰京。 あわただしかったが、充実した三日間だった。
今回は何故かお菓子類の土産が多かったようだ。