01 | 明治の言葉 『三四郎』より(その36−37) (4475回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その38−39) (4476回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その40−41) (4477回) |
04 | 鶴田家納骨ー東山浄苑 (4478回) | 京土産 (4479回) | ダルマ市 (4480回) |
07 | 明治の言葉 『三四郎』より(その42−43) (4481回) | 節分豆撒き・高幡不動 (4482回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その44) (4483回) |
10 | 明治の言葉 『三四郎』より(その45) (4484回) | 《春の雨傘傾げあう江戸しぐさ》 (4485回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その46) (4486回) |
13 | 《戒名も価格破壊や春葬儀》 (4487回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その47−48)(4488回) | 《振売りが土圭代わりの江戸の民》 (4489回) |
16 | 確定申告ー【復興特別所得税】 (4490回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その49) (4491回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その50) (4492回) |
19 | 夏目漱石の俳句論(1) 『草枕』より (4493回) | 夏目漱石の俳句論(2) 『草枕』より (4494回) | 夏目漱石の俳句論(3/最終) 『草枕』より (4495回) |
22 | 夏目漱石ー余談(『草枕』より) (4496回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その51) (4497回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その52) (4498回) |
25 | 明治の言葉 『三四郎』より(その53) (4499回) | ブログ日記4500回 (4500回) | 明治の言葉 『三四郎』より(その54) (4501回) |
28 | 明治の言葉 『三四郎』より(その55) (4502回) |
02/28 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その55) ・鎧(よろい) ・卯の花縅(おどし) ・金糸(きんし)の刺繍(ぬい) ・幔幕(まんまく) ・彩色(いろどり) ・団扇(うちわ)を翳(かざ)して ・煙管(パイプ)を啣(くわ)えて ・燐寸(マッチ) ・丸卓(まるテーブル) ・従順(おとな)しく ・跟(つ)いて行って ・憚(はばか)りなき精神(こころ) ・「風は死に尽くした」 ・・・まるで詩のような |
02/27 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その54) ・滄桑(そうそう)の変 ⇒ 桑田変じて滄海とばるような大変化。世の変遷のはげしいこと。 ・果敢(はか)なきもの ・明白(あからさま)なる事実 ・埃及(エジプト) ・歩(あるき)ながら ・贏(か)ち得た所は物寂びている ・余波(なごり) ・齎(もたら)す ・苦悶が除(と)れる ・目標(めじるし) 贏(か)ち/齎(もたら)す、といった漢字は当用漢字にもなくとても難しい。 |
02/26 |
![]() ブログ日記が4500回となった。 スマホの世界では、格安キャリア(WMVO)がどんどん増えて、従来型の(高い)料金体系に挑戦している。 端末も海外(台湾など)の安い機種が侵攻してきて国内メーカーは元気が無い。 パソコンでマイクロソフトがWindows10を発表し、期待が盛り上がってきた。 マイクロソフトはウィンドウズをパソコン以外の機器にも広げ、新しい操作画面を共通のものにしようと考えている。 本体がタブレットとノート型に変形する「2in 1」と呼ばれるパソコンでは、形状に応じて表示が変わる。 ゲーム機などと同じソフトが動く「ユニバーサル・アプリ」という仕組みが採用される。 スマートフォン用のWindows10も開発中だ。 IEに代わるブラウザ「プロジェクト・スパルタン」はウェブの最新技術を取り入れ、パソコンやスマホといった機種を問わず、 同じようにウェブサイトの機能が使える。 表示中のページに専用ペンや文字入力で直接メモを書き込み、保存や他の人との情報共有が出来る仕組みも搭載予定。 デジタル・アシスタントの「コルタナ」は利用者の声を認識し、簡単な作業や情報の検索などを行う。 (但し当初は一部の国や地域に限定され、日本では使えない可能性もある) Windows10で動く新しい機器「サーフェス・ハブ」は壁掛け式で会議室のホワイトボードや教室の黒板の置き換えを狙う。 Windows10は発売から一年間に限り、Windoes7と8.1の入ったパソコンに無償でアップグレードを提供し、サポート期間内は改良版を 提供し続ける予定。 Windows10への移行が一気に進むか注目したい。 |
02/25 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その53) ・樽柿(たるがき) ・肘(ひじ)の関節(つがい) ・居住居(いずまい) ⇒ 居住い ・小刀(ナイフ) ・紛擾(ふんじょう) ⇒ みだれもつれること ・着(す)げ更(か)え ・柿の核(たね) ・盆槍(ぼんやり) ・見てい玉(たま)え ・寂寞(じょうまく)の罌粟花(けし)を散らすや頻(しき)りなり ⇒ 寂寞(せきばく):日暮れ時のようにしずか、さびしい ・切棄(きりすて)る習慣 ・「泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒が入ったか、一目で分かるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。」 明治の新聞に「泥棒早見」という欄があったとは驚きだ。当時の読者はこの欄を見てどういう利益があったのだろう? |
02/24 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その52) ・製(こし)らえられて ・和気靄然(あいぜん)たる翻弄(ほんろう) ⇒(靄然):雲や草木の盛んなさま。おだやかなさま、なごやかなさま。 ・向後(こうご) ・二返目 ⇒ 二遍目 ・緩(ゆっ)くり ・宿所(宿所) ⇒ 下宿 明治の文豪として坪内逍遥がおり、 二葉亭四迷などが中心となって「言文一致」と呼ばれる日本語表記の変化が発生し、現在の日本語表記の原型が生み出された。 次いで夏目漱石と森鴎外(「舞姫」「即興詩人」)が現れ日本の近代文学が確立されて来たが、『三四郎』を読む限り日本語表記の確立は未だ手探りだったことが分かる。 |
02/23 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その51) ・可笑(おか)しい ・母の言条(いいじょう) ・宮籠(みやごもり) ・慥(たし)か ・能(よ)くって 「何でも三十円あると、四人の家族が半年食って行けると書いてあったが、そんなものかな、君」 三四郎の故郷は熊本、当時農村では自給自足の生活が基本だったから、金が必要なのは農具など工業製品を買う時だけだから、 この話はあながち嘘ではないが、東京の街に住む者には考えられない金額に思えたのだろう。 明治生まれだった私の父(銀行員)の初任給が四十九円、これじゃ”始終食えん”と嘆いて見せたのを思い出す。 |
02/22 |
![]() 余はまたごろりと寝ころんだ。たちまち心に浮んだのは、 Sadder than is the moon's lost light, Lost ere the kindling of dawn, To travellers journeying on, The shutting of thy fair face from my sight. と云う句であった。もし余があの銀杏返(いちょうがえ)しに懸想(けそう)して、身を砕(くだ)いても逢わんと思う矢先に、今のような一瞥(いちべつ)の別れを、魂消(たまぎ)るまでに、嬉しとも、口惜(くちお)しとも感じたら、余は必ずこんな意味をこんな詩に作るだろう。その上に Might I look on thee in death, With bliss I would yield my breath. と云う二句さえ、付け加えたかも知れぬ。幸い、普通ありふれた、恋とか愛とか云う境界(きょうがい)はすでに通り越して、そんな苦しみは感じたくても感じられない。しかし今の刹那(せつな)に起った出来事の詩趣はゆたかにこの五六行にあらわれている。 手掛(てがか)りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、 青春二三月。愁随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※(「虫+蕭」、第4水準2-87-94)蛸掛不動。篆煙繞竹梁。 と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易(やす)かったかと思う。 ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情(じょう)を、次には咏(うた)って見たい。あれか、これかと思い煩(わずら)った末とうとう、 独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※(「二点しんにょう+貌」、第3水準1-92-58)白雲郷。 と出来た。もう一返(いっぺん)最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入(はい)った神境を写したものとすると、索然(さくぜん)として物足りない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 漱石は、英語詩を作ったり、漢詩にも手を伸ばすと言う風に自在な人だったようだ。 |
02/21 |
![]() 恍惚と云うのが、こんな場合に用いるべき形容詞かと思う。 熟睡のうちには何人も我を認め得ぬ。明覚の際には誰あって外界を忘るるものはなかろう。ただ両域の間に縷のごとき幻境が横わる。 醒めたりと云うには余り朧にて、眠ると評せんには少しく生気を剰す。 起臥の二界を同瓶裏に盛りて、詩歌の彩管をもって、ひたすらに攪き雑ぜたるがごとき状態を云うのである。 自然の色を夢の手前までぼかして、ありのままの宇宙を一段、霞の国へ押し流す。 睡魔の妖腕をかりて、ありとある実相の角度を滑かにすると共に、かく和らげられたる乾坤に、われからと微かに鈍き脈を通わせる。 地を這う煙の飛ばんとして飛び得ざるごとく、わが魂の、わが殻を離れんとして離るるに忍びざる態である。抜け出でんとして逡巡い、逡巡いては抜け出でんとし、果ては魂と云う個体を、もぎどうに保ちかねて、氤※(「气<慍のつくり」、第3水準1-86-48)たる瞑氛が散るともなしに四肢五体に纏綿して、依々たり恋々たる心持ちである。 ーーーーーーーーーーーーーー 明覚と熟睡との中間にある恍惚の心の状態から句が生まれるということらしい。 『草枕』は変な小説だと思った。筋らしい筋はない。 中年の画家が温泉場に絵を書きに行き、様々な人と出会うが、それによって自らが変貌することはない。また、出会った相手も変貌することはない。画家にとって、それらの人々は、絵を書くための対象でしかない。最後まで傍観者にとどまる。ドラマチックな展開はない。 漱石はこの小説でドラマチックなストーリーを展開するのが目的だはなく、画や詩歌についての芸術論を述べるのが目的だったのだろうか? |
02/20 |
![]() 『今夜も一つこの主張を実行して見ようと、夜具の中で例の事件を色々と句に仕立てる。 出来たら書きつけないと散漫になっていかぬと、念入りの修業だから、例の写生帖をあけて枕元へ置く。 「海棠の露をふるふや物狂ひ」 と真先に書き付けて読んで見ると、別に面白くもないが、さりとて気味のわるい事もない。次に 「花の影、女の影の朧かな」 とやったが、これは季が重なっている。しかし何でも構わない、気が落ちついて呑気になればいい。それから 「正一位、女に化けて朧月」 と作ったが、狂句めいて、自分ながらおかしくなった。 この調子なら大丈夫と乗気になって出るだけの句をみなかき付ける。 春の星を落して夜半のかざしかな 春の夜の雲に濡らすや洗ひ髪 春や今宵歌つかまつる御姿 海棠の精が出てくる月夜かな うた折々月下の春ををちこちす 思ひ切つて更け行く春の独りかな などと、試みているうち、いつしか、うとうと眠くなる。』 (引用以上) ーーーーーーーーーーーーーーーーー 一つの着想から次々と変化させて句を作っていく様子が描かれている。 多くの俳人は同じようにたくさんの句を作り出し、推敲を重ねて一つに絞り込むのだろうか? FB渡部 稲穂さんが、『そのためには多作多捨。そして、感性である。』と書かれたのを思い出した。 (続く) |
02/19 |
![]() 『一番手近なのは何でも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。 十七字は詩形としてもっとも軽便であるから、顔を洗う時にも、厠に上った時にも、電車に乗った時にも、容易に出来る。十七字が容易に出来ると云う意味は安直に詩人になれると云う意味であって、詩人になると云うのは一種の悟りであるから軽便だと云って侮蔑する必要はない。軽便であればあるほど功徳になるからかえって尊重すべきものと思う。 まあちょっと腹が立つと仮定する。腹が立ったところをすぐ十七字にする。 十七字にするときは自分の腹立ちがすでに他人に変じている。 腹を立ったり、俳句を作ったり、そう一人が同時に働けるものではない。 ちょっと涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。 涙を十七字に纏めた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。これが平生から余の主張である。』(引用以上) ーーーーーーーーーーーー 『 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。』 冒頭の一節でよく知られている漱石の小説・草枕。若い頃に読んだ記憶はあるが、詳細はすっかり忘れていた。 先日ふとしたきっかけ、「分明」(他との区別がはっきりしていること。あきらかなこと。また、そのさま。)という言葉から 草枕に辿り着き、小説を読み返してみたら、文中に上の【俳句論】を見つけた次第。 俳句という詩が生まれる瞬間の状況、背景、心情などへの考察が独特で面白い。 |
02/18 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その50) ・戸ごとの軒燈(けんとう) ⇒ 軒先につける灯り ・思付(おもいつき) ・藁葺(わらぶき) ・買い易(か)えてくれ ・捏(こね)て 吉田健一『東京の昔』に、あのころは蕎麦屋、鮨屋、小料理屋の店先によく軒燈がつるされてあり、それがいまになってノスタルジーに誘うという箇所がある。あのころとは一九三0年代東京。 落ち着きのある路地が薄暗くなるなかにぽっと店屋の軒燈がともると、山の手暮色という言葉が浮かんできたりする。 |
02/17 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その49) ・唐物屋(とうぶつや) ⇒ 洋品店、雑貨屋のこと ・先達(せんだっ)て ・一先(ひとまず) ・言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈に致した ・郵函(ポスト) ・狡(ずる)い ・瓦斯(ガス) ・頓着(とんじゃく) ⇒ 深く心に掛けること、気にすること ![]() ・無煙無臭無芯 ・火力強大 一升の水五分間に沸騰す (灯油を気化して燃やす圧力式バーナーのようだ) |
02/16 |
![]() 今年も確定申告の時期が来たので、申告書を作成した。 最近数年は、国税庁のホームページを利用している。 当年度分を保存しておいて、翌年に下書きとして利用することも出来るので便利だ。 H26年度分では、歯のインプラント治療費15万円が突出しているので、医療費控除が効く。 計算を進めると、最後に【復興特別所得税】(2%)として1745円が追加されていた。 福島の復興にこんなところで協力させられているとは知らなかった。 |
02/15 |
![]() ◆ 《振売りが土圭代わりの江戸の民》 (土圭=時計) 「振売り」は自分が売り歩く場所、歩く順路を決め、毎日同じルート、同じ時間で回ることにしていたので、町の人々は「魚屋がきたから何時」「八百屋が来たから何時頃」と時計代わりに重宝していたという。 『守貞謾稿』では、油揚げ、鮮魚・干し魚、貝のむきみ、豆腐、しょうゆ、とうがらし、すし(図2)、甘酒、松茸、ぜんざい、しるこ、白玉、納豆、海苔、ゆで卵など食品を扱う数十種類の振売商売を紹介している。 中でも「冷水売り」は”夏日、清冷の泉を汲み、白糖と寒さらし粉の玉を加え一椀四文で売る、求めに応じて八文、十二文で売るときは糖を多く加える也、売り詞(ことば)「ひゃっこいーひゃっこい」。 食品以外にもほうき、花、風鈴、銅の器、もぐさ、暦、筆墨、樽、おけ、たき付け用の木くず、ざる、蚊帳、草履、みのかさ、植木、小太鼓、シャボン玉、金魚、鈴虫・松虫などの昆虫、錦鯉など日用品や子供のおもちゃ、果てはペットを商う振売も紹介されており、その中には現代も残っている「さおだけ売り」も入っていた。 食品、日用品を売るほかに、生活の中で必要なサービスを売り歩くもの、ある種の物品を買い歩くものも存在した。 前者は錠前直し、メガネ直し、割れ鍋直し、あんま、下駄の歯の修繕、鏡磨き、割れた陶器の修繕、たがの緩んだ樽の修繕、ねずみ取り、そろばんの修理、こたつやぐらの修繕、羽織の組紐の修繕、行灯と提灯の修繕、看板の文字書きなど。修理用の道具や材料を入れた箱などを天秤棒にぶら下げて歩く姿は普通の振売と全く変わらない。単純に食品を売るよりも、多少の職人技が求められる。 後者は紙くず、かまどの灰、古着、古傘、溶けて流れ落ちたろうそくのカスを買い歩く。江戸時代においては紙は貴重だったので、買い集め溶かしてすき直し、再生した。かまどの灰は畑の肥料に使い、古着は仕立て直すか布地に再生し、古傘は張り直して使い、ろうそくのカスは集めて溶かして芯を入れ直せば新しいろうそくとして売り出すことができた。 振売は社会的弱者のための職業とされており、幕府は振売のための開業許可を50歳以上か15歳以下の人物、そして身体が不自由な人物に与える、と触れ書きを出した。(この規則は必ずしも守られなかったようだ) |
02/14 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その48) ・御母(おっか)さん ・其処(そこ)で立談(たちばなし) ・洋筆(ペン) ・号鐘(ベル) ・あのおんなの夫(ハズバンド) ・自分から事が起こったと認めない申分(もうしぶん)である ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その47) ![]() ・暢気(のんき) ・冬(衣偏+親)衣(ふゆシャツ) ・手跡(て) ・差図(さしず) ⇒ 指図 ・一時を凌(しの)いだ 漱石が提案した当て字も時代に淘汰されたことが分かる。 |
02/13 |
![]() 《戒名も価格破壊や春葬儀》 《戒名は階名ではないぞ仏生会》 戒名(法名)を付けるのは日本仏教特有で他の宗教には見られない習慣だ(法律で義務付けられている訳ではない)。 (普通は死後に)大金を払って戒名を付けてもらい極楽往生を願う。庶民をこういう習慣に巻き込んだお寺の戦略はいつ頃成立したのだろうか? 戒名(法名)にもお寺さん或いは社会への貢献度に応じていろいろなランクが有り、僧侶(お寺)に払う寄進料も変わることになっている。 しかし「地獄の沙汰も金次第」ではなかろう。高い料金の戒名を買い、極楽へ行っても地位争いをするというのは如何なものか。 戒名相場の高騰を批判し、安い値段の戒名を提供するネットサービスも現れている。 いっその事、無戒名(無法名)を貫くのも故人/個人の意志か? 《法名はなくて往生伊勢参》 葬儀屋さんに、戒名は不要で俗名でとお願いすればよいです。 浄土真宗における「法名」(ほうみょう)とは、仏弟子となった名告りである。 また浄土真宗では、位牌は祀りませんので、個人の法名ができ次第、仏具店で法名軸を頼まれるかまたは過去帳に記入されることになります。大谷派(東本願寺派)と本願寺派(西本願寺派)とでは、法名軸が違います。 ![]() ![]() |
02/12 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その46) ・位地(いち)関係 ⇒ 位置関係 ・浪漫的自然派 ・釣り洋燈(ランプ) ・猖獗(しょうけつ)を極める ⇒ たけくあらあらしいこと、わるいものの勢い盛んなこと。 「猖獗」は、エボラ熱の流行などに使われることば。イスラム国の暴挙もこれに近いか? |
02/11 |
![]() 【江戸しぐさ】とは「特定非営利活動法人江戸しぐさ」(理事長 越川禮子)によって復活運動が行われ、 江戸川区などでは街ぐるみでそれに協力しているようだ。 例えば次のような生活習慣があったと言う。 《傘かしげ》 雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと[10][27]。 《肩引き》 道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと[2]。 《時泥棒》 断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪(十両の罪)にあたる。 《うかつあやまり》 たとえば相手に自分の足が踏まれたときに、「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることで、その場の雰囲気をよく保つこと[28]。 《七三の道》 道の、真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の3割にして、残りの7割は緊急時などに備え他の人のためにあけておくこと 《こぶし腰浮かせ》 乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分腰を浮かせて席を作ること[29]。 《逆らいしぐさ》 「しかし」「でも」と文句を並べ立てて逆らうことをしない。年長者からの配慮ある言葉に従うことが、人間の成長にもつながる。また、年長者への啓発的側面も感じられる[29]。 しかし『江戸しぐさ』が江戸時代に実際に存在していたとする文献的証拠は存在が確認されていない[15]。 従って上に上げたような「江戸しぐさ」も現代人の創作だとして否定的意見の人もいて真偽のほどは定かで無い。 |
02/10 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その45) ・劇(はげ)しい ・不平(こぼ)している ・雲母(マイカ) ・十六武蔵 ⇒ 盤と石とを用いるゲーム ・弧光燈(アークとう) ・小片(パーチクル) 明治の広告【本家 桃谷順天館・にきびとり美顔水】 ![]() いつの世もこういった類の悩みと民間療法は絶えないものらしい。 先般大手化粧品メーカーの製品で事故が発生して訴訟沙汰になったのを思い出す。 桃谷順天館は現在も大阪に本社が有り、薬用スキンコンディショナーを発売しているようだ。 |
02/09 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その44) ・紋付(もんつき) ・出立(いでたち) ・受附(うけつけ) ・捕(つら)まえて ・誰某(だれそれがし) ⇒ 誰彼 ・仏蘭西(フランス)式の髯(ひげ)を撮(つま)んで ・折襟(おりえり) ・黒繻子(くろじゅす) ・画工(アーティスト) ・襟飾(えりかざり) ・肉汁(ソップ) ・兵児帯(へこおび) ・遮(さえぎ)る |
02/08 |
![]() 久しぶり(前回は2005年)に豆撒きを見に行った。 今年の年男は、つのだひろ、女優の夏樹陽子、ミス日本グランプリ・芳賀千里など。 キティちゃんも愛嬌を振りまき、京都から舞妓さんも。 ここは以前から、豆を裸で撒くので拾うのに躊躇する。 小袋に分けて入れてくれないものか? 《白鳳は豆鷲掴み鬼は外》 和 白鵬が豆を撒いた成田山新勝寺、実際の掛け声は「福は内」のみだったらしい。なぜ「鬼は外」を避けるのか? 桃太郎伝説が残る岡山でも、最近は「鬼退治」はせずに、鬼ヶ島へ行き、鬼を説得し改心させて仲良くするという話に変形されていると聞く。 勧善懲悪は流行らないという世の中の空気は分かるが、昔話や伝統行事まで変形させてしまうのは如何なものかと思う。 |
02/07 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その43) ・回(めぐ)らして ・殻竿(からさお) ⇒ 麦・豆類・栗などの脱穀に用いる農具。唐棹、連枷 ・歯を露(あら)わした ・大濤(おおなみ) ・縋(すが)るように ・歇(や)みそう ・必竟(ひっきょう) ⇒ 必竟、つまるところ、つまり、所詮、結局 (挿絵はなし) ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その42) ・尤(もっと)も ・退(さ)がって ・晩餐(ジンナー) ⇒ ディナー ・遺画(いが) ・気韻(きいん) ⇒ 気品の高い趣 |
02/06 |
![]() 「初不動」(1/28)という縁日があるらしい。 高幡不動では、この日ダルマ市があった。 良いお天気でたくさんの人が来ており、だるま屋さんも腕によりをかけて売っていた。 ちょっと大きめだと2万円! (特大は10万円するだろうか?) お母さんに連れられた稚児さんがたくさんいた。初不動と関連するのか |
02/05 |
![]() 《スーパーの有難さ知る京みやげ》 和 久しぶりに京都へ行き、帰りに駅で京漬物を買って帰った。 確かに京都を感じさせる味で美味しい。が、高い! 頂きもののマロンケーキは絶品だった。 |
02/04 |
![]() 鶴田のお父上が亡くなられ(91歳)、49日法要と納骨式が京都・東山浄苑で執り行われた(1/31)。 東山浄苑は東本願寺が運営する(いわば)お墓マンションだ。 建物内の広い部屋に、(まるで)ロッカーのように仏壇?が並んでいた。 大型・中型・小型・上下二段分割などにより値段に差がある仕組みだった。 一戸建てからマンションへ、という時代の流れをそのまま写したようだった。 |
02/03 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その40) ・俗礼にかかわらない所だけがイブセン流なのか、 ⇒ (俗礼):世間の習わしを気にしない所・・・ ・印形(いんぎょう) ⇒ 判子 ・小口当座預金通帳 ・行き慣(つ)けた ・隠袋(ポケット) ・鼓(つづみ)を稽(なら)いたい 美禰子さんがノラのような進んだ考えの持ち主なのか、ただ跳ねっ返りの娘なのかと三四郎は判断に迷う。 イプセンの小説の影響はやがて平岩らいてふのような女性を生み出す。 ![]() ・隠袋(かくし) ・挟(はさ)んで ・手摺(てずれ)のした札を攫(つか)み出した ・聊(いささ)か ・折角(せっかく) ・頗(すこぶ)る長く ・周囲(まわり) ・悉(ことごと)く ・衒(てら)わない ・悪(にく)らしい ・画舫(ゴンドラ) ・倒(さか)さ ・呆(ぼん)やり ・赤い片(きれ) 「画舫(ゴンドラ)」の当て字は全く分からない。 |
02/02 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その38) ・電鈴(ベル) ・窓掛(まどかけ) ⇒ カーテン? ・背に倚(よ)りかかって ・加徒力(カソリック) ・廂(ひさし)の広い髪 ・腰を卸(おろ)した ・凝(じっ)として 外来語を必死で日本語/漢字に置き換えようとした苦労が偲ばれる。 ・廂(廂)の広い髪は、当時流行った女性の髪型のようだ。 ![]() ・蝋燭立(ろうそくたて) ←蝋の漢字は旧字を使っている ・暖炉台(マントルピース) ・臆断(おくだん) ⇒ 臆測による判断 ・外面(そと)、戸外(そと) ・馬券で中(あて)る ・沓脱(靴脱) ← 三和土のこと ・靴を穿(は)いて ⇒ 履いて ・私語(ささや)いた ⇒ 囁いて ・周章(あわて)ながら ⇒ 慌てながら 漢語の教養が溢れていると言うべきか、口語体が未完成だったと言うべきか? |
02/01 |
![]() ◆ 明治の言葉 『三四郎』より(その36) ・異を樹(た)てる ・自分の存在を閑却された心持 ⇒(閑却)なおざりにすること。いい加減にほうっておくこと。 ・尠(すくな)からず ・自身の発起に係(かか)る ・些(ちっ)とも ・田臭(でんしゅう) ⇒ 田舎臭いこと ・廃(よ)そう ・見舞(みやげ) 漱石の使う言葉は、庶民よりも知識人のレベルなのだろうか。 ![]() ・少時(しばらく) ・乗(か)けたり除(わ)ったり ・信用し悪(にく)い ・己惚(おのぼれ)て ⇒自惚(うぬぼ)れ ・愚弄(ぐろう) ⇒人をあなどり、からかうこと 掛け算、割り算を乗除算とはいうが、三四郎のように書く人はあまりいないと思う。 |