@games日記(復刻版)    2012 February        トップへ

01 阿波史跡公園 (3431回)(1) 考古資料館 (3432回) (1) 図書貸出カード (3433回) (1)
04 無料バス優待券 (3434回) (1) 健康保険証の裏に (3435回) (1) 埴輪を (3436回) (1)
07 埋蔵文化財総合センター (3437回) (1) 引田・江戸時代の街並み (3438回) (1) 安戸池 (3439回) (1)
10 翼山温泉と民俗資料館 (3440回) (1) 不思議な写真 (3441回) (1) 神火大祭 (3442回) (1)
13 大麻比古神社 (3443回) (1) メガネ橋とドイツ橋 (3444回) (1) 巫女の舞 (3445回)(1)
16 写経(長谷寺) (3446回) (1) 駅路寺史跡 (3447回) (1) 佐那河内村の風車 (3448回) (1)
19 神通の滝 (3449回) (1) 12番札所焼山寺 (3450回) (1) 鬼子母神ご志納 (3451回) (1)
22 切手シート (3452回) (1) グリーンジャンボ宝くじ (3453回) (1) ABCフレッシュコンサート (3454回) (1)
25 大阪城 (3455回) (1) 天満宮 (3456回) (1) リルからお菓子が (3457回) (1)
28 ビッグひな祭り (3458回) (1) 奥座敷と坂本おひな街道 (3459回) (1)


02/29 奥座敷と坂本おひな街道 (3459回) 

道の駅からさらに7.5kmほどの場所にも、奥座敷(坂本)があるので、昼食の後でそちらへ向った。
道の駅「雛の里かつうら」から西へ向うと、山深い山村に入る。
細い山道を入ると、さかもとおひな街道。奥座敷と呼ばれる森本家の展示を見た。
小学生の描いた案内の看板を見て、森本家へ向う。
谷へ下る道には、俳句の書かれた短冊がたくさんぶら下がっていた。

森本家のひな飾り・展示は、とてもユニークな展示方法だった。
平凡な段飾りではなく、庭の芝生や板塀、縁側などにもおひな様が遊んでいた。
古い旧家の屋敷や庭のたたずまいとおひな様を組み合わせる演出は素晴らしいと思った。

座敷いっぱいにおひな様が広がっているのも面白い。
森本家を出て、街道に戻ると両側の家の前に思い思いにおひな様が飾られていた。

yukky802さん 2012/02/29 16:05 観光で来た方をおもてなしする?、素晴らしい事ですね、どのくらいの方が訪れるのだろう?。

02/28 ビッグひな祭り (3458回) 

徳島市から勝浦川に沿って県道16号を西に行くと、道の駅「雛の里かつうら」「人形文化交流会館」がある。
ここで「グローバル・ビッグひな祭り」 が始まったとのTVニュースを見て行ってきた。
道の駅名に「雛」を付けるほど、この町はお雛様を大切にしているらしい。
今年で第24回というから、ずいぶんと歴史のある祭りだ。

入場料300円を払って中に入ると、高さ8mの巨大なピラミッド型の雛飾りが目に飛び込んだ。
周囲にもぎっしりと雛人形が並べられ、いったい何千体、何万体あるのかと驚くばかりだ。
(これだけの飾りをどうやって作業したのか? 足場はどう組むのか? と不思議に思った)
御殿雛もたくさんあり、趣向を凝らした大型のものもたくさんあった。

ここに飾られた雛人形は、全国から集められたそうで、預け主を里親と呼ぶらしい。
全国から来た「変わり雛」は、形も様々、ガラスや陶器製もあった。
地元勝浦はミカンの産地。ひな人形もミカンの形だ。
秋田は秋田杉で作ってある。有田は極彩色の鮮やかな陶器。小樽はガラス細工だ。

市松人形もたくさん飾られていた。またひなの絵を描いた掛け軸もあった。
江戸時代ー明治ー大正ー昭和 へと時代の変遷が分かる展示もあった。
(明治時代のおひな様は、今よりも丸顔だったようだ)

旅のアルバム ↓
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/tabi.htm

yukky802さん 2012/02/29 16:05 観光で来た方をおもてなしする?、素晴らしい事ですね、どのくらいの方が訪れるのだろう?。

02/27 リルからお菓子が (3457回) 

台湾から東大・大学院に留学してきたリルさんは、
今は台湾へ戻り、日系の銀行に勤め、一昨年には結婚した。

今も時々メールやフェイスブックで会話をしている。
昨年の3/11の地震の時は、直後に電話をかけて来て安否を尋ねられびっくりした。

彼女から先日、台湾のお菓子が届いた。
日本の和菓子とよく似ていてとても美味しかった。

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お礼のメールを書いたら、彼女から次のようなメールをもらった。

『一番最近送ったのはお土産です(送ったのは大体お土産です……)
先々週の週末に台中に遊びに行ってきました、 美味しそうなのでつい買って送りました……
特にこれといった理由はなければ何かを書いてなかったですが、今後気を付けます。

この冬の台湾も例年より寒いですよ。
台北市内にある陽明山でも雪が降りました。
でも桜は長く咲いてくれそうでよかったです。

私も大阪城に登ってみたいですね!
小説のプリンセス・トヨトミを読んで、 大阪城についてもすごく興味を持ち始めました。

台湾の4月4日は子供の日です、 男女一緒です。
週休二日制になった後に祝日から削除されましたが、 去年からまた祝日になりました!

メールが長くなりましたので、ではでは。』

yukky802さん 2012/02/27 17:40 個人と個人のお付き合いには国境はありませんが、国と国と成ると何故かややこしくなって困りますね。

02/26 天満宮 (3456回) 

天満宮は、地下鉄・南森町駅のすぐ近くにあった。
ここも菅原道真公にちなんで梅が有名だが、やはりまだ蕾は固かった。
建物の中で、「梅盆栽展」をやっていたが、入場料が高いのでパスし、お参りだけして外へ出た。

神社のすぐ前に、天満天神 繁昌亭 があった。上方落語の拠点として 2002年に再建されたとある。

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東京は鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の四席。

上方(大阪)では明治時代から昭和初期の大阪市内、特にミナミ法善寺周辺には、北側に三友派の象徴であった「紅梅亭」、南側に桂派の象徴であった「南地金沢亭」(後に吉本興業(以下、吉本)が買収し「南地花月」)が存在ししのぎを削った。

他にもキタ北新地の「永楽館」(後に吉本傘下に入り「北新地花月倶楽部」)はじめ、上本町、堀江、松屋町、新町、松島、大阪天満宮界隈などに十数軒の落語専門定席が存在していた。
その後吉本が寄席で漫才主体の番組構成をとったことや、桂春団治など落語家の専属契約を推し進め、自社の経営する寄席である「花月」のみの出演としたことなどから、上方落語の寄席文化は壊滅した

戦後は上方落語の復興機運が高まるとともに、ミナミに戎橋松竹が開場(千土地興行(後の日本ドリーム観光)が経営)。
大阪唯一の寄席として人気を博した。1957年に経営難から閉鎖された後は、大阪では地域の有志が寺や公民館、蕎麦屋などを会場に「地域寄席」という形で寄席文化を継承してきた(「田辺寄席」「岩田寄席」など)。
2006年9月15日に大阪天満宮横に半世紀ぶりの寄席となる「天満天神繁昌亭」が開場した。

yukky802さん 2012/02/26 18:56 時々の事情で、寄席も大きく変化するんですね。

02/25 大阪城 (3455回) 

せっかく大阪まで出たので、観光も兼ねようと午前中に大阪城公園へ行った。
地下鉄・森ノ宮駅から噴水、市民の森を通り抜け、玉造門から城内へ入る。

内堀に沿って進むと梅林があった。 梅の花はまだ ちらほら。
早咲きの梅は咲いていたが、わずか。 蝋梅はきれいに咲いていた。

極楽橋を渡り、内陣に入ると天守閣が聳え立っていた。
入場料600円を払い、8階建ての天守閣に登る。素晴らしい眺望だった。

下りは階段で一段ずつ降りながら、いろいろな展示物を見ながら秀吉の仕事の勉強。
帰りは大手門から出て、天満橋駅まで歩く。 次は、大阪天満宮だ。

yukky802さん 2012/02/26 18:53 この城の形は見事ですね。

02/24 ABCフレッシュコンサート (3454回) 

文化庁や大阪府、大阪市が後援していて、新聞の募集に応募してチケットが当たり、
大阪ザ・シンフォニーホールでのABCフレッシュ・コンサートを聴いた(2/11)。

新人を紹介し、応援するコンサート。
オーケストラは大阪フィルハーモニー。指揮は飯森範親氏(まだ中年?)。

フレッシャーは、声楽の村松稔之(カウンーテノール)と法貴彩子(ピアノ)。

ヘンデルの”心を呼び覚ませ”、ロッシーニ”この胸の高鳴りに、テレマン”勇者のトランペットが鳴り響き”など。
男性のソプラノを生で聴いたのは初めてで、驚いた。オーケストラに交じってチェンバロが演奏されていた。

法貴さんの曲はラヴェル”ピアノ協奏曲ト長調”。とても伸びやかな演奏で将来が楽しみだと感じた。

ザ・シンフォニーホールはミューザ川崎と似ていてステージの後ろ側にも客席があり、たまたまそこの席が当たった。 ステージを上から見下ろす感じで、指揮者の表情や細かい手ぶりなどが良く見えとても面白かった。

yukky802さん 2012/02/24 19:48 応募のチケットが当たるなんて付いていますね、宝くじも当たる、かな?。

02/23 グリーンジャンボ宝くじ (3453回) 

グリーンジャンボ宝くじ」が売り出された。
売り上げの一部が東日本大震災の復興資金に充てられ、
前後賞を入れて5億円が当たる大型籤だ。

宝くじは、買わないと絶対に当たらない。
でも今まで年末ジャンボなども買ったが当たったためしがない。

今回の籤は外れても、復興資金に協力したとの大義名分が立つと思い、10枚だけ買った。

yukky802さん 2012/02/23 19:20 子供の頃から、くじものは苦手、全く買った事が無い?。

02/22 切手シート (3452回) 

鳴門に転居し、年賀状の枚数は激減した。
それでも女房と合わせて100枚ほどもらったのだが、
お年玉切手シートは、たったの1枚だけだった。

確率は、100枚に2枚のはずだが、今年は運が悪かった。
でも全く外れた人もいるだろうから、まあ良しとしよう。

yukky802さん 2012/02/23 19:20 子供の頃から、くじものは苦手、全く買った事が無い?。

02/21 鬼子母神ご志納 (3451回) 

長い参道には、十三仏の石像が並んでいた。
一つ一つに、どこの誰が奉納したかが書かれていた。

また、新しく「鬼子母神ご志納」の募集看板もあった。
一口五十万円で 25口の募集だ(合計1250万円)。

1000万円近い費用を個人で奉納された人はよほど信心深い人なんだろう、と感心した。

yukky802さん 2012/02/21 17:06 ほんとですね、庶民じゃ無いですよね?。

02/20 12番札所焼山寺 (3450回) 

神山町の県道から少し入った山の上(標高800m)に、12番札所・焼山寺がある。
歩いて参るのには大変な難所で、へんろ転がしと呼ばれる山道だ。

今は車道も整備されているので、車で登るのは何の苦労もない。
平日で参拝者も少なく、少し前に降った雪が参道などにも残っていた。

参道にある十三仏、御釈迦様にも雪が積もっていた。
池にも氷が張り、お参りを済ませ早々に引き揚げた。

yukky802さん 2012/02/21 17:06 ほんとですね、庶民じゃ無いですよね?。

02/19 神通の滝 (3449回) 

佐那河内の西に神山町がある。
ここは徳島県一の剣山の東、雲早山麓に当たる。

神通谷川の上流に神通の滝というのがあるので見に行った。(2/10)
標高7〜800m程の場所で、林道には雪が残り、
谷川の水も冷たく、随所にツララが出来ていた。

帰り道、道の駅「温泉の里 神山」コシヒカリ5kg(2000円)を買ってきた。

yukky802さん 2012/02/19 19:11 随分と高い所の滝なんですね。

02/18 佐那河内村の風車 (3448回) 

徳島市の西方に佐那河内村がある。
この辺りは山村で、大川原高原の山の上に15基の発電風車が立っていた。

この辺りの米は、県内で一番美味しいコメだと聞いた。
アキタコマチやコシヒカリなども作られている。

皇室へ献上(「献上米」)しているそうだ。
献上米は、精米したコメを、一粒一粒選りわけて、良く稔った米だけを贈るそうだ。

道の駅で魚寿司を買って食べたが、とても味の良いコメだった。

yukky802さん 2012/02/18 17:08 この風車の採算はどうなんでしょう?、高い外国製だと故障しても修理費が高くつきまた、モニュメントが増えたら?、再生可能エネルギーの将来のため良くありません。

02/17 駅路寺史跡 (3447回) 

長谷寺の境内に「駅路寺史跡」という石碑が立っていた。

天正13年 羽柴秀吉によるいわゆる「四国征伐」で、弟の秀長を大将とした羽柴軍が四国に攻め入り、木津城を攻めました。 長宗我部は、これを迎え撃ちますが、わずか8日間で落城します。

この戦いに功のあった蜂須賀に阿波が与えられたのもこの年。
いよいよ蜂須賀さんが乗り込んできました。ときの蜂須賀家当主は家政
この家政が徳島藩の初代藩主です。太閤記でお馴染みの蜂須賀小六は彼の父親です。

慶長3年 蜂須賀家政により駅路寺の指定を受けます。
駅路寺は阿波藩独特の制度で、藩内主要街道に沿った真言宗8ヶ寺がこれの指定を受けました。
旅人たちの便宜を図るとともに、不審な旅人などを監視することもまた、駅路寺の重要な任務だったといわれています。

裏山の中腹に金毘羅神社がある。
寺と神社は一体として経営されていたが、明治の神仏分離令で別けられた。

yukky802さん 2012/02/17 16:59 寺にも仕事をさせたのですね?。

02/16 写経(長谷寺) (3446回) 

鳴門線・金毘羅駅前(家から歩いても40分ほど)に長谷寺(チョウコクジ)(真言宗)がある。
http://www.chokokuji.jp/
この寺で毎月第1土曜日に写経会があると知り、参加してみた。

参加者は地元の人たち(常連?)10名ほど。
本堂に集まり、最初に「おつとめ」と称するお経を唱える。
その後、住職の講話があった。一時間余りかなり長い講話だった。

講話の後、お茶の休憩が入り、写経が始まる。
皆さんは慣れているらしく、手際良く筆が進むようだった。
僕は久しぶりの筆書きで、緊張しながら写経に挑む。

般若心経はお遍路で寺に参る度に、本堂と太子堂で必ず2度経本を読む。
しかし空で唱えられるまでには覚えていない。
一字一字を書き写しながら、思い出すという感じだった。

全部を書き写し終わるのに約1時間余り。
清々しい無心の一時だった。

yukky802さん 2012/02/16 16:36 お疲れ様でした。

02/15 巫女の舞 (3445回)

神火大祭の神事の間に、巫女の舞が奉納されていた。
二人の巫女がいて、二人揃った舞や一人ずつ単独の舞もあった。

途中で、巫女が「オカメの面」を被って舞を始めたのには驚いた。
さらに、刀を持って舞う場面もあった。

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この神社の御祭神は、大麻比古大神(おおあさひこ)・猿田彦大神(さるたひこ)
猿田彦は、ニニギの天降りの先導を行ったと古事記に書かれている。

また天降りの際に猿田彦神と応対したのが天宇受売命(アメノウズメノミコト)だ。
神話によれば、「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。
岩戸隠れで天照大神が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をした。
思兼神の発案により、岩戸の前で様々な儀式を行った。

その一環として、アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし(『日本書紀』では千草を巻いた矛、『古事記』では笹葉を振り)、力強くエロティックな動作で踊って、八百万の神々を大笑いさせた。
その「笑ひえらぐ」様を不審に思い、戸を少し開けた天照大神に「あなたより尊い神が生まれた」とウズメは言って、天手力雄神に引き出して貰って、再び世界に光が戻った。

天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
アマテラスと高木神に、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ)からあなたが問いなさい」と言われたアメノウズメが名を問い質すと、その神は国津神の猿田彦と名乗り、道案内をするために迎えに来たと言った。

アメノウズメは天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、玉祖命(たまのおや)、石凝姥命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人としてニニギに随伴して天降りした。
アメノウズメはサルタヒコの名を明かしたことからその名を負って仕えることになり、猿女君の祖神となった。一説にはサルタヒコの妻となったとされる。

アメノウズメは大小の魚を集めて天孫(ニニギ)に仕えるかどうか尋ねた。
みな「仕える」と答えた中でナマコだけが何も答えなかったので、アメノウズメはその口を小刀で裂いてしまった。それでナマコの口は裂けているのである。

yukky802さん 2012/02/15 16:26 神話の世界も面白いものですよね、本当は学校でも教えたらいいと思う。

02/14 メガネ橋とドイツ橋 (3444回) 

心願の鏡池
  第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士 約千人が 大正6年から9年に かけて異郷の地 板東俘虜収容所に過ごした。
ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら1日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に 池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。
板東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を超えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。
以来70有余年を経て、この度 当神社では神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
  平成4年3月吉日 阿波国一の宮 大麻比古神社 社務所

ーーーーーーーーーーーーー 板東俘虜収容所の跡地は神社から見える近くにあり、今はドイツ館という施設が建ち、道の駅にもなっている。
ドイツ兵たちは、異国の神にどんな願いを祈ったのだろう?

yukky802さん 2012/02/14 16:33 いいお話ですね。

02/13 大麻比古神社 (3443回) 

 【阿波一宮 大麻比古神社御由緒 】
御祭神 大麻比古大神(おおあさひこ)・猿田彦大神(さるたひこ)

由 緒
 神武天皇の御代、天太玉命(あめのふとたまのみこと)の御孫天富命(あめのとみのみこと)勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め、阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進め給い、その守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。
大麻比古神社は、太祖天太玉命と猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。
 猿田彦大神は、昔大麻(おおあさ)山の峯に鎮まり坐しが後世に至り、本社に合せ祀ると伝えられる。

 延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮と称え、阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。
清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給う。
斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、神田山林を寄進、藩費を以って社殿の造営を行い、年々祭費を奉らる。

明治六年国幣中社に列す。
 明治十三年国費をもって本殿以下の造営が行われた。
現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五年氏子崇敬者の寄進によって造営された。

 大麻比古神社は、古来方除、厄除、交通安全の神として霊験を授け給い県内外の氏子崇敬者から「大麻(おおあさ)さま」「大麻(おおあさ)さん」「大麻(おおあさ)はん」と親しみをこめた御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。

ーーーーーーーーーーーーー
徳島県では、初詣の第一番の神社で、三が日に26万人がお参りに訪れ交通は大渋滞になるという。

境内には大きな楠が何本かあり、最大の楠木は樹齢1000年を超すという。
四角い形の厄除け祈願、丸い形の安産祈願の絵馬が奉納されていた。

yukky802さん 2012/02/13 18:53 立派な神社ですね。

02/12 神火大祭 (3442回) 

節分の日、関東では有名なお寺(成田山新勝寺、高尾山薬王院、高幡不動尊など)で豆撒きの行事が行われる。
横綱や有名タレントがゲストで豆を撒くので、たくさんの見物客で賑わう。

徳島/鳴門ではどうかと調べてみたが、そういう行事は無さそうだった。
代わりに徳島では有名な大麻比古神社で神火大祭が行われることが分かったので行ってみた。

二月節分当日 氏子崇敬者が願旨を記して奉納した祈祷木を神火によって焚き上げ、除災招福を祈願する。
午後一時半から神事が始まり、やがて境内にしつらえられた広場で薪に火を付け、
祈祷木の炊き上げと巫女の舞の奉納が行われた。

祈祷木は7000本もあったらしくおよそ一時間ほどもかかる長い行事だった。
終わった後で、見物客に切り餅が振舞われた

yukky802さん 2012/02/12 17:20 地方地方で変わった行事があるんですね。

02/11 不思議な写真 (3441回) 

ネットで面白い写真を見つけた。

このネガ写真の点を30秒見つめてください...ビックリしますよ
この鼻にある三原色の点を30秒ぐらい見つめてから、真っ白な画面に目を移すと......!

錯視、トロクスラー消失もすごかったけど、これは...
まさか脳にネガをポジに処理できる能力が備わっていたなんて...知らなかった...感動。

http://news.livedoor.com/article/detail/6224602/
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30秒ほどじっと見つめた後で、視線を左側の黒い部分に移すと、 女性のカラー映像が見える!

網膜の残像の効果らしい。

yukky802さん 2012/02/12 17:20 地方地方で変わった行事があるんですね。

02/10 翼山温泉と民俗資料館 (3440回) 

引田駅から南へすぐの所に、翼山温泉と民俗資料館がある。

翼山温泉の玄関に来て、建物を見上げると「引田社会福祉センター」とある。
400円という入浴料金は安い。この値段でサウナも楽しめるのだ。
東京の銭湯なら、サウナ追加料金を含めると、入浴料が800円以上というところも珍しくないのに比べると、400円は破格である。
浴槽は4つあって、一番奥が泡風呂、真ん中が泡のない大風呂、子供風呂、水風呂がある。
浴槽の湯加減は、熱すぎず、ぬるすぎずで適温である。
サウナは室内温度94℃、定員5〜6人程度だ。室内は木のいい匂いがする。

食堂もあり、豪華な御膳や一品物が揃っていた。

【民俗資料館】 東かがわ市の歴史や民俗に関する資料を収集、保管、展示している資料館。

■主な展示品 坂出塩田の開発や鉄砲の発明で有名な久米栄左衛門の資料、当地の産業である製糖(和三盆)や手袋業、漁業など地域の特色を示す資料です。

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砂糖菓子=和三盆は、どこのお土産物屋にも置いてある。ひな祭りをモチーフにした形も面白い。
和三宝という銘菓もあるようだ。

yukky802さん 2012/02/10 16:24 福祉センターと云う事から、入浴料が安いんでしょうね?、財源が安定しずっとこのままだといいですね。

02/09 安戸池 (3439回) 

 安戸池は明治時代までボラ漁(中高網)が盛んだった。
昭和3年(1928年)に野網和三郎によりここでハマチ養殖が始められた。

 野網和三郎(明治41年−昭和44年)は、父佐吉の理解と協力を得て、
昭和3年、遂に安戸池でハマチ養殖の事業に成功した。
彼によるハマチ養殖は香川県漁業の主幹漁業となっただけでなく、
今日の世界各地で行なわれている海面魚類養殖業の礎となった。

 また、安戸池は引田の新名所となり、昭和20年代には安戸池の観光化が進み、ハマチ釣り、海女 の実演や遊覧船、周辺には旅館もあった。
最盛期の!昭和30年代には1日に1,000人もの観光客
が安戸池に足を運んだといわれている。

 平成16年5月下旬には海と魚の漁業体験学習施設「マーレリッコ」が完成し、同年10月の第24回 豊かな海づくり大会において、同施設に天皇、皇后両陛下が行幸啓された。

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安戸池は現在、フィッシングセンターとして運営されていて、
養殖したハマチなどを放流し、餌釣り、ルアー釣りを楽しむことが出来る(有料)。

水温が暖かくなる4月から本格的な釣のシーズンに入るらしい。
暖かくなったら一度釣りに行ってみようと思う。

yukky802さん 16:07 池と言っても湾を閉めた様な海なんですね?、 道理で海水魚なんですね?、いろいろな施設があって良さそうな処ですね。

02/08 引田・江戸時代の街並み (3438回) 

鳴門から西へ海岸線に沿って30分ほど走ると、東かがわ市引田の街に着く。

引田(ひけた)は香川県東かがわ市の地域名。旧大川郡引田町引田。
播磨灘に面する港町で、醤油醸造で栄えていた時代の古い町並みとともに、
世界で初めてハマチの養殖に成功した(安戸池)としても知られる。

平安時代より半島(城山)によって風が遮られる天然の良港「風待ちの港」として開かれた。
中世は引田城が築かれて商業が発展してその港町は日用品や米穀の集散地として賑わい、安土桃山時代に始まった醤油醸造は江戸時代後期になって廻船問屋や豪商も現れるほど隆盛した。

現在も港は地方港湾の指定を受け、また江戸時代から明治時代にかけての入り組んだ路地や古建築が多く現存して、近代以前の漁師町の風情をとどめている。

豊臣秀吉の時代に築城されたと言われる引田城(現在は城跡) 讃岐国に存在した3城→現高松市=玉藻城、丸亀市=丸亀城、 そしてここ引田に引田城があった。
現在も城山でその名残の石組みを見ることができる。

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昔、醤油醸造をしていた「井筒屋敷」は観光の拠点として整備され、お土産物なども売っている。
また明治時代の郵便局の建物が、外観はそのままに今は喫茶店となっていた。

香川県は明治時代から手袋の産地となり、今でも全国一の生産量だ。
古い機械も展示した手袋ギャラリーが面白い。 野球やゴルフの有名選手の手形、手袋が展示されていて、スポーツ選手の手は大きいと実感した。

yukky802さん 2012/02/08 17:06 歴史が豊富で観光も盛ん、近くにこう云ったところが多く在ると、楽しみですね。

02/07 埋蔵文化財総合センター (3437回) 

徳島県立埋蔵文化財総合センターは、埋蔵文化財を保存し、かつ、その活用を図り、
県民文化の向上に資するため、埋蔵文化財保護の拠点として設置されています。

続・発掘へんろ』展は、平成21年度から5カ年計画で、四国内の埋蔵文化財センター5団体が、これまでの発掘調査で得られた出土品を中心に、四国の歴史を時代毎に紹介する展示会です。
3回目となる今年度は古墳時代の副葬品や生活道具などを取り上げて、地域性や交流を考えます。

四国各地で発掘調査された古墳時代の遺跡・出土品についての巡回展示。
関連事業として、アワコウコ楽公開講座(ミニシンポジウム、調査成果報告会)、おもしろ古代体験、古墳巡りウォーキングを開催します。

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展示室はそれほど広くはないが、徳島県の古代遺跡の分布状況や発掘された遺跡などがぎっしりと並べられていた。

現代の感覚では、四国は文化の遅れた田舎、と解釈し大都会とは格段の差があると思う。
しかし展示された古代遺跡・遺物を見る限りでは、畿内・中国・九州などと肩を並べるようだ。
瀬戸内海を挟んで周囲の地方と盛んな文化交流があったように、また住んでいた古代人の数も 本州・九州に引けを取らなかったように感じられた。

その点では、関東の遺跡の方がいかにもヤマト王権から辺境の地という雰囲気だと思った。

yukky802さん 2012/02/07 15:26 日本の文化は西の方から伝わって来たのですね。

02/06 埴輪を (3436回) 

埋蔵文化財総合センターで埴輪を作る体験が出来ると聞き、応募した。(1/29日曜日)
埴輪には、円筒、家形、武人、鳥などの形があるが、大部分は円筒型
高さ45cm、直径22cm程のものが多いそうだ。

今回の体験では、実物の約1/3、高さ15cm程のものを焼物粘土を使って作成した。
1kg(実費300円)の粘土に砂を混ぜて良く練り込み、ひも状に伸ばしたものを積み重ねながら円筒形にする。
上側を少し広げた形に整え、三本のタガを回し、穴を2ケ所に開けた。

粘土は軟らかく、上に積み上げていく内に、下側が自分の重みで変形して歪になってしまうので、
それを直しながら作るのがとても難しかった。

出来上がった埴輪模型は一月ほど自然乾燥させ、(3/10)焼き上げる予定だ。

yukky802さん 2012/02/06 16:38 古代人も同じような苦労をしたのだと思うと面白いですね。

02/05 健康保険証の裏に (3435回) 

健康保険証の裏に、「臓器提供の意思表示」が出来るようになっているのに気付いた。

提供する臓器は、【心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、眼球】 とある。

本人或いは家族がサインすれば提供の意思と判断される。

僕自身は病気になっても、薬や手術で治すのに医師や病院を頼りにするが、
他人の臓器提供を受けてまで延命しようとは思わないので、 臓器を提供する意思はない

yukky802さん 2012/02/05 20:20 今は法が変わって、本人の意思が無くても家族だけの意思表示で臓器提供出来るので救われる人が増えましたね。

02/04 無料バス優待券 (3434回) 

高齢者のための「無料バス優待券」制度があると聞き、市役所で発行してもらった。

無料区間は市内全域だそうな。
一度発行してもらうと、生涯使えるという。(無料)

今まであまりバスを利用したことはないが、どこへ行くのに便利か、調べてみようと思う。

yukky802さん 2012/02/05 20:17 無料は良いですね、八王子市は1000円です。

02/03 図書貸出カード (3433回) 

市立図書館は、7分ほどの距離だ。
小説を借りて読もうと思い、「図書貸出カード」を作ってもらった。

4週間で10冊まで借りることが出来る。
インターネットも利用出来、蔵書検索や貸出予約をすることもできる。

八王子の図書館も良く利用したが、近隣の市町村の図書館と連携して利用することもできた。
鳴門ではどうなのか? 徳島の図書館と連携しているのか? 今度尋ねてみよう。

yukky802さん 2012/02/03 16:28 今度の所では図書館が近くて良かったですね、八王子では遠くて歩けませんでしたからね。

02/02 考古資料館 (3432回) 

 園内に建つ「市立考古資料館」では、市内で発掘された縄文から平安時代にかけての資料約七百点を収蔵・展示している。
古墳や矢野城跡などの歴史遺産が残っている近くには展望台や遊歩道があり、散歩を楽しむ市民の姿が多く見られる。

銅鏡、銅鐸、鉄剣、鉄の鏃、甕、壺などのたくさんの出土品が並べれていた。
四国/徳島にも縄文人がたくさん住んでいて、九州や畿内と文化の交流があったことが示されていた。

yukky802さん 2012/02/02 15:31 そう云えば、地元にも郷土資料館ああるけれど行った事無い?。

02/01 阿波史跡公園 (3431回)

 徳島市国府町西矢野の四国霊場第十五番札所・国分寺から北西へ約五百メートルの場所に、阿波史跡公園がある。
公園内には本物そっくりに再現された竪穴住居や県内最大の古墳群があり、古代にタイムスリップしたような気分になる。

 公園は一九九三年三月、市制百周年事業の一つとしてオープンした。面積は六万五千平方メートル。
周辺に気延山古墳群があり、四世紀初めから七世紀初めにかけての古墳が百基以上点在している。

 中でも目を引くのが「古代生活」ゾーンに建つ竪穴住居(約五メートル四方、高さ約四メートル)三棟と高床倉庫(長さ約七メートル、幅約二メートル、高さ約八メートル)一棟。建築材料はカシや桜、ヨシで、くぎは一本も使わず、当時の工法に忠実に復元されている。
竪穴住居の内部は薄暗くひんやりしており、自由に見学できる。土間に切られたいろりやカズラで編んだ木組みに、古代人の生活がしのばれる。
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本物そっくりに再現された竪穴住居や高床倉庫は、一見の価値がある。
「気延山古墳群」の立て札があり、小山全体が「前方後円墳」だと知り驚いた。

奈良、京都、大阪などの天皇陵は厳重な囲いがあって墳墓内へは入れないが、
この古墳は上に登り大きさを実感できたのが嬉しかった。

yukky802さん 2012/02/01 16:16 上から見えるのは良いですね。



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