01 | 遍路休憩所 (3339回) (1) | #87 長尾寺 (3340回) (1) | お遍路交流サロン (3341回) (1) |
04 | #88 大窪寺 (3342回) (1) | お接待の饅頭 (3343回) (1) | 二胡演奏会 (3345回) (1) |
07 | USB ミニ掃除機 (3345回) (1) | 吉野川市菊人形展 (3346回) (1) | ミニ遍路 #5 地蔵寺 --#11 井戸寺 (1) |
10 | #5 地蔵寺 (3348回) (1) | 外人さんもお遍路を? (3349回) (1) | #6 安楽寺 (3350回) (1) |
13 | 太子駒つなぎの石 (3351回) (1) | 四国遍路の下座行 (3352回) (1) | #7 十楽寺 (3353回) (1) |
16 | #8 熊谷寺 (3354回) (1) | #9 法輪寺 (3355回) (1) | 売り切れました (3356回) (1) |
19 | うどん亭 八幡 (3357回) (1) | #10 切幡寺 (3358回) (1) | 吉野川・中州を渡る (3359回) (1) |
22 | #11 藤井寺 (3360回) | 源平かずら (3361回) (1) | 鳴潮祭ーーコーラス (3362回) (1) |
25 | 鳴潮祭ーー民族衣装とパフォーマンス (3363回) (1) | 鳴潮祭ーー模擬店 (3364回) (1) | 大谷焼き祭り (3365回) (1) |
28 | 大歩危ーー遊覧船から紅葉を (3366回) (1) | 妖怪屋敷と石の博物館 (3367回) (1) | かずら橋 (3368回) (1) |
11/30 |
![]() 大歩危から車で30分ほど行った上流に、「かずら橋」があった。 峡谷の高さ50mほどの所に、かずら橋が架かっていた。 幅1.5mほどで、足元の渡し板には隙間があり下の谷川の水面が見える。 橋がぐらぐらと揺れるので、両側の蔓で編んだ手すりを手放せなかった。 長さは50mほど。よく見ると鉄のロープの上に蔓を重ねてあるので、切れて落ちるという心配はないようだが、 観光客の皆さんは真剣な表情で蔓に掴まりながら渡っていた。 |
yukky802さん
2011/11/30 16:40
スリル満点ですね?。
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11/29 |
![]() 遊覧船乗り場のすぐ近くに、道の駅があり、「妖怪屋敷と石の博物館」が併設されていた。 三好市山城町は、徳島でも有名な「妖怪の町」だそうで、 つい先日も妖怪祭りが行われ、お面を被ったたくさんの妖怪たちが行列をして観光客を楽しませていた。 この地方に伝わる妖怪は40〜50種類もあり、水木しげるの漫画にもたくさん登場しているようだ。 石の博物館には、たくさんの宝石や鉱石の原石が展示されていた。 石の塊の中に出来る「水晶」や「方鉛鉱」などの結晶はは自然の不思議さを感じさせる。 また一見ただの色つきの石が、切り出して磨くと見事な宝石になることに感心した。 古代の人たちが、これを見つけ磨く技術をどうやって見つけ出したのか不思議だ。 この博物館は写真撮影禁止だったのが残念だ。 |
yukky802さん
2011/11/29 17:23
妖怪の町って言うのは面白いですね。
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11/28 |
![]() 紅葉を見ようと大歩危峡へ出かけた(11/22)。 「大歩危・小歩危」という名前は、その奇妙な漢字と一緒によく知っていたが、訪れるのは初めて。 遊覧船の船頭さんの説明では、「大股で歩いても、小股で歩いても危険なほどの狭く険しい山道」が由来とのことだったが・・・ 【大歩危】 大歩危(おおぼけ)は、吉野川中流域に位置する渓谷(先行谷)。 吉野川西岸の徳島県三好市山城町西宇地区の歩危茶屋付近から高知県長岡郡大豊町大久保地区の一部までと、その対岸となる徳島県三好市西祖谷山村の一部を指す総称でもある。 峡谷そのものを指す場合は大歩危峡(おおぼけきょう)と呼ばれることが多い。 夏季には多くのラフティング・カヤック愛好者を集めるほか、百年以上の歴史がある大歩危峡遊覧船で知られている。 数km下流の小歩危(こぼけ)と共に、大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)として一括りにされることが多い。 剣山国定公園に含まれている。 なお、那賀川上流域の徳島県那賀郡那賀町にも歩危峡(ほききょう)という峡谷があるが、大歩危とは関係ない。 【地名の由来】 一般には漢字説(「大股で歩くと危険」)が有名であるが、昔から現在の漢字で表記していたわけではなく間違いである。 「ほき、ほけ」は断崖を意味する古語である。 「おおぼけ」という音に対して、文化12年(1815年)編纂の阿波史では「大嶂」の字を充てており、明治6年(1873年)の地租改正の際に当時の三名村は「大歩怪」の字を充てている。 地租改正の際に「こぼけ」には「小歩危」の字を充てており、後に「小歩危」に合わせて「大歩危」と表記するようになった。 ーーーーーーーーーー 船から眺める峡谷の紅葉は水の青、灰白い岩肌と絶妙のコントラストだった。 |
yukky802さん
2011/11/28 17:26 如何にも危なそうな名前ですね。
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11/27 |
![]() 鳴門市の大麻町には8つの大谷焼きの窯元がある。 昔から藍染に使う巨大な甕(壺)を作ってきたようだ。 8つの窯元が作品を展示販売する「大谷焼き祭り」があり見物に出かけた(11/12)。 大きなものでは壺や水連鉢、小さなものは家庭で使う茶碗、皿、湯のみ。 タヌキやカエルの置物などもあった。 地元の大麻中学校には陶芸部と言うもあり、生徒たちの作品も展示されていた。 食べ物や飲み物のテントも出ていて、訪れた客たちが展示物を品定めして買っていた。 また地元の婦人会が「いも餅」を作り売っていた(5個400円)が、長い行列が出来ていた。 餅は鳴門金時と米粉で作り、中にはあずき餡。 土産に湯のみと酒とっくり、いも餅を買って帰って来た。 |
yukky802さん
2011/11/27 17:26 「いも餅」、美味しそうですね。
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11/26 |
![]() 模擬店は40以上もあり、食べ物、飲み物の店もあったが、 面白かったのは、 ・半弓ゲーム ・似顔絵(美術部の学生?) ・血液型占い ・メイド喫茶 などなど。 |
yukky802さん
2011/11/26 16:36 面白そう
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11/25 |
![]() 鳴門教育大学には現在、アジアを中心に14ケ国の留学生が来ている。 その留学生たちが、それぞれの国の民族衣装や歌、踊りを披露するステージがあった。 珍しい民族衣装も面白かったし、歌や踊りも楽しめた。 フィジーの国はキリスト教でミサの曲が素晴らしかった。 中国の留学生は京劇?の一場面の歌を披露した。 さすがにそれぞれの国を代表してやってきた留学生は芸達者だ。 |
yukky802さん
2011/11/25 17:10
留学生も頑張って居るけど、日本の学生さんも頑張って貰いたいですね。
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11/24 |
![]() 近くの鳴門教育大学の学園祭「鳴潮祭」を見に行った(11/12)。 キャンパスの中の広場にステージが作られ、そこでいろいろな催しが行われていた。 広場につながる道路の両側には「模擬店」などがたくさん作られ、各学科の学生さんが店番を。 校舎の中では、生け花展や抹茶の振る舞いもあった。 別の校舎では、ブロックで遊ぶ「おもちゃ王国」なども。 ステージでの合唱団 tadpole の混声合唱、学生さんが楽しそうに歌っていたのが印象に残った。 |
yukky802さん
2011/11/24 16:06 学生さんには良き教育者に成って貰いたいです。
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11/23 |
![]() 知人から源平かずらの鉢植えをもらった。 【源平かずら】 【 源平葛 】 クマズツヅラ科クサギ属。原産地は熱帯アフリカ地方。 つる性の低木で枝先に花をつけます。花びらは赤色、がくは白色、この対比により源平かずらの名前が付けられました。 光を沢山当ててやると、つるが沢山伸びてゆきます。 ですが、白色の部分が緑色になってゆきます。 半日陰ではそのようなことは起こりませんが、成長がやや遅くなります。 熱帯の植物です。冬はきり戻して家の中で管理をしてください。 冬場、あまり水をやらないのが越冬のポイントです。 仲間 葉が斑入りになるフイリゲンペイカズラや がくが桃色になるベニゲンペイカズラもあります。 |
yukky802さん
2011/11/23 16:55
葛と云う事で、つるは何かに利用出来ないのか?、実が出来たらいいなあ?。
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11/22 |
![]() 吉野川を渡ったところに遍路休憩所があり、ここで一休み。 この辺り(阿波川島)には昔、城もあったらしく、道路のマンホールの蓋には城が刻まれていた。 また火の見櫓と半鐘も珍しい風景だった(今は実際には使われていない?)。 道端の桜の木で花が咲いているのを見てびっくりした。 気温の変化が異常で、春と間違えて咲いたのだろう。 藤井寺へ行く遍路道は狭い街並みを通り抜けるが、町の人の好意で標識がたくさんあり、迷うことはなかった。 藤井寺も古い寺だった。 弁財天を祀る八角堂があった。 お参りを済ませ、これで今回のミニ遍路は終わった。 帰り道に吉野川市の菊人形を見学した(11/08日記参照)。 |
yukky802さん
2011/11/22 20:17 ミニお遍路、お疲れ様でした。
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11/21 |
![]() #10 切幡寺から #11 藤井寺までは、約10km。 途中吉野川を渡るが、ここは全国一の大きな中州で、両側の川はそれほど幅はないが、中州を歩くだけで二時間近くかかる。 橋は欄干のない「沈下橋」だ。 中州には田畑があり、道も整備されていた。 途中にコソモス畑があり花が満開。 小学生の作った「お遍路さん、いつまでもお元気で」という看板がうれしかった。 |
yukky802さん
2011/11/21 17:06 沈下橋と中州、この辺では見られない風景です。
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11/20 |
![]() 朝食を摂り宿を出て、だらだら登りの道を切幡寺へ向かう。 書道と並行するように田んぼの中の遍路道を歩く。 門前町(土産物店、宿など)もきつい坂の途中にある。 坂を登り切ったところに山門。 中に入るとさらに「是より333段」の石の標識が。 333段を上るとやっと本堂に着く。 太子堂も鐘楼も古びていて、とても良い雰囲気だった。 |
yukky802さん
2011/11/20 19:31 お疲れ様でした。
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11/19 |
![]() 法輪寺を出たところで、高い山の上にある次の切幡寺までは無理だと判断し、 途中の「うどん亭八幡」(今夜の宿)に直行した。 うどん亭、海鮮料理、民宿を兼ねた店だった。 海鮮料理店を兼ねるだけあって、夕食は二の膳付きの普通の遍路宿の家庭料理とは一味違う豪華さだった。 料金は7000円超と少し高いが満足の一泊だった。 |
yukky802さん
2011/11/20 19:31
うどん亭という名前と海鮮料理?、遠いい様な気がするけど、美味しければ良いか!。
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11/18 |
![]() 寺門のすぐ前に茶店があったが、 「くさもち 売り切れました ごめんなさい」の立て札が。 午後も遅かったから仕方がないが、立て札を見ると、惜しかったな〜食べたかったな〜と思った。 |
yukky802さん
2011/11/18 16:52 無いと成ると、食べたくなるんだよね?。
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11/17 |
![]() 40分ほどで、#9法輪寺に。 この寺は、かなり離れた場所に仁王門がありかなり古いものだった。 彩色の仁王像はなかなかの迫力。 仁王門の天井に描かれた天井画を、陶板で再現したものが展示されていた。 仁王門からずっと歩いて山門に着く。 一帯は寺の所有地だと思うが、今は田畑に使われていた。 |
yukky802さん
2011/11/17 19:38
昔、八王子にも仁王門のある寺があり子供心に怖かったのを覚えて居る。
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11/16 |
![]() 一時間強歩いて、熊谷(クマダニ)寺に着いた。 この寺は、(本尊は千手観音菩薩の他に)十二神将を祀ってあるらしく、山門には彩色の神将像が。 境内にも幾つかの神将像があった。 本堂も、石段を登ったところにある太子堂も素朴な造りだった。 クマダニ(熊谷)という呼び方も意外だった。 関東人は「熊谷」→クマガヤ(埼玉県熊谷市や鎌倉時代前期の武将・熊谷次郎直実を思い出し)と読みたくなる。 |
yukky802さん
2011/11/16 17:19 そうですね!、この読み方珍しいと思います。
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11/15 |
![]() 安楽寺から十楽寺までは近くて15分ほど。 ここの山門も新しく明るい色に塗られていた。 本堂も真新しい建物だ。 手水場のデザイン(石の塊から水)も珍しい。 大きな不動明王の石像があった。 |
yukky802さん
2011/11/16 17:19
そうですね!、この読み方珍しいと思います。
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11/14 |
![]() 安楽寺のトイレに、「四国遍路の下座行」という額が置いてあった。 1、御手洗は独り黙して自分の心をみがく最適の道場 1、御手洗の掃除は最高の下座行のひとつ 1、善き行いは よいことをしたと自分もたのしく人もよろこぶ ーーーーーーーーーーーーー 「下座行」とは、自分の身を低くし、人から顧みられないようなことについて、手足を汚すことを厭わずに行うということです。 トイレ掃除などは、まさにこの「下座行」そのものであり、この行いを続ける中で、自分とその周囲の環境を変えてきたわけです。 ここで大切なことは、身を低くすることで人間としての謙虚さを身につけ、手足を汚すことを通じて目に見えない価値を実感することです。これこそが、現代人が失いつつある生活感覚を身につける基本だと言っていいでしょう。 長野のあるお寺の御住職の詩にこんな言葉があります。 「はきものをそろえると、心もそろう。 心がそろうと、はきものもそろう」 |
yukky802さん
2011/11/14 17:36
トイレ掃除はサボると落ちなくなってしまいます、
真面目にして居れば楽に落ちるのです。
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11/13 |
![]() 安楽寺境内に、「太子駒つなぎの石」があった。 聖徳太子が斑鳩の宮から、馬に乗って推古天皇の宮殿に通われた時、 途中の村で休まれた時に、馬をつないだ石を、奈良から移設したという説明が。 太子は毎日通われる道を変えたと伝えられているが、それは途中の村々の下情を視察されるためだったという。 奈良にあった石が遠い四国に移されるとは、珍しいことだ。 |
yukky802さん
2011/11/13 23:31
何故、四国にっと思うと不思議ですね?。
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11/12 |
![]() 安楽寺は色鮮やかな山門があった。 (仁王さまは木造で時代を感じさせるものだった) 境内に山頭火の句碑、 「うれしいことも かなしいことも 草しげる」 「もりもり もりあがる 雲へ歩む」 |
yukky802さん
2011/11/12 19:47
雲には夢がたくさん詰まって居るんでしょう。
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11/11 |
![]() 今年、色々な場所でお遍路を歩いて、以前はなかった新しい標識を見つけた。 英語の標識だ。 Walkers for SHIKOKU 88Temples ,Japan Total 1200km(loop), 45 days on foot !! Bikers for SHIKOKU 88Temples ,Japan Total 1200km(loop), 20 days on bicycle !! for 1000 years 海外にも八十八ヶ寺四国遍路に興味を持ち、歩く人、或いは自転車で回る人が増えてきたということだろうか? 外人さん(英語圏)は、お経(般若心経)をどうやって唱えるんだろう? |
yukky802さん
2011/11/11 19:52
お経(般若心経)ってもともと日本語では無いのでそのままじゃ無いのかな?。
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11/10 |
![]() 地蔵寺は、前回 #1−−#5 を歩いた時の最後の寺だったが、もう一度お参りした。 境内には、立派な八角堂や大きな銀杏の木があった。 この寺の近くには、五百羅漢の石像を祀った場所がある(有料)。 国道と平行する遍路道(旧道)をのんびりと歩くので、道に迷うことはなかった。 |
yukky802さん
2011/11/11 19:52
お経(般若心経)ってもともと日本語では無いのでそのままじゃ無いのかな?。
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11/09 |
![]() 菊人形展のあった吉野川市が、#11札所・藤井寺の近くだったので、 ついでにと思いたち、#5--#11 の遍路を歩いてきた。 #5 地蔵寺 −− #6 安楽寺 −− #7 十楽寺 #8 熊谷寺 −− #9 法輪寺 ーー #10 切幡寺 #11 藤井寺 二日間の歩きは、約35km、歩数にして63000歩だった。 |
yukky802さん
2011/11/09 20:07 お疲れ様でした。
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11/08 |
![]() 吉野川市(徳島県)で菊人形展が行われているので見に行った。 今年のテーマは、大河ドラマ「戦国の姫たち 江」 だった。 美しい姫たちや勇ましい武将姿の人形は、菊人形の伝統を示していたが、 ハイビジョンや3D映像を見なれた現代人にとっては、古典を見るという感覚だった。 大輪の菊の花も見事だった。 |
yukky802さん
2011/11/08 17:12
菊人形、以前は近所の神社でも見られたんですが今は大輪のお花だけだと思います。
毎年、大きな花をつくるのも大変でしょうね。
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11/07 |
![]() 電器店で見つけて、「USB ミニ掃除機」を衝動買い(500円)。 USBからの電源供給で作動する。 パソコンのキーボード回りの掃除に特化したもので、LEDライトも点く仕組み。 机の上の消しゴム滓を掃除するのにも便利そうだ。 |
yukky802さん
2011/11/07 16:43
USBって、どの程度の電流が取れるんだろう?、面白いですね。
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11/06 |
![]() 知人が参加する、二胡演奏会を聴いた(ふれあい健康館ホール、10/30)。 徳島二胡協会の主催。この団体はアマチュア団体でカルチャーセンターなどを中心に愛好者に二胡を教えているらしい。 協会の人たちの演奏は、いかにもアマチュアらしい演奏だった。 ゲスト参加で、新井裕子さんとその仲間が演奏したが、新井さんの演奏は素晴らしいものだった。 【二胡】 擦弦楽器の一種で、2本の弦を間に挟んだ弓で弾く。 琴筒はニシキヘビの皮で覆われている。 原型楽器は、唐代〜宋代にシルクロードを経由して西方より伝来したと考えられる。 その後劉天華などにより改良を重ねられ、現在普及している形は、1950年代から(文化大革命の停滞期を挟み)1980年代ごろに出来上がったものが基本となっている。 日本においてはこの楽器を胡弓と呼ぶ場合があるが、中国の二胡と日本の胡弓には直接のつながりがなく、まったく別の楽器であり、この用法は誤用である。 胡弓は日本の伝統楽器、および伝統的な擦弦楽器群の総称をいう。 また、中国には胡弓と呼ばれる楽器はない。 |
yukky802さん
2011/11/06 19:24
最近TVでよく見ます、独特の音色で如何にも中国を思わせるような音が聞こえますね?。
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11/05 |
![]() 志度の駅前で汽車を待つ間、喫茶店でコーヒーを頼んだ。 美味しそうなケーキも付き、おまけに饅頭が一つ。 店の人が、「お遍路さんにはお饅頭をお接待します」と。 讃岐の銘菓「かまど」だった。 こういう形のお接待は初めてだった。 |
yukky802さん
2011/11/05 17:05 お遍路さん特典ですね、やはり、恰好は大事?。
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11/04 |
![]() 大窪寺へお参りすると、めでたく「結願」となる。 門前の茶店では、結願をねぎらう「結願定食」「結願うどん」などのメニューがある。 今回は、つまみ食いの歩きで結願ではないが、栗の入った赤飯の定食を食べることにした。 なんだか嬉しく、とても美味しかった。 大窪寺で結願すると、山を越えて1番札所・霊山寺へ戻り報告をするのが正しいやり方。 しかし午後も過ぎてから山越えはきつすぎるので、またコミュニティバスの世話になり志度の町へ戻った。 |
yukky802さん
2011/11/03 17:40 栗の入った赤飯、美味しそうですね。
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11/03 |
![]() 大窪寺へ向かう途中に、お遍路交流サロンがある。 2004年に歩いた時、このサロンで「遍路大使任命書」をもらった。 一休みしながら話を聞くと、任命書の発行は延べで3000人ほど になるという。 毎年は300人前後。 今年は震災の影響か、例年よりも少ないそうだ。 最後の登りはきついので、交流サロン(道の駅)からコミュニティバスに乗り、大窪寺へ。 |
yukky802さん
2011/11/03 17:38 道の駅が一役かって居るのですね。
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11/02 |
![]() 長尾寺の山門には、釣鐘 があった。 朝晩の勤行で鳴らすのだろうか? 境内に樹齢何百年も経つ立派な大楠があった。 また山頭火の句碑「人生即遍路」が建てられていた。 ここから最後の大窪寺までは約16kmの長い登りとなる。 |
yukky802さん
2011/11/02 20:10 昔は、鐘の音で生活して居たんでしょうね?。
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11/01 |
![]() 遍路道には、ところどころに休憩所が作られている。 大部分は、地元の人たちの好意によってだ。 屋根つきの小屋、屋根とベンチ、ベンチだけの場合もある。 いずれにしても歩いてきて、ちょっと一休みしたい時に休憩所を見つけると実にうれしい。 背中の荷物を下ろし、一休みして水分を補給する。 あまり長い時間休むと、再び歩き出すのが辛いので、そこそこ休むとまた歩き出す。 |
yukky802さん
2011/11/01 17:39 そんな時のほっとした一時っていいですね。
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