@games日記(復刻版)    2011 September        トップへ

01 勾玉作り体験 (3282回) (1) 不思議な勾玉 (3283回) (1) 県立博物館 (3284回) (1)
04 釣りバカ日記 (3285回) (1) 専門用語 (3286回) (1) 魚の習性 (3287回) (1)
07 釣り竿 (3288回) (1) スピニング・リール (3289回) (1) 電動リール (3290回) (1)
10 釣り糸 (3291回) (1) 休み 休み
13 休み 趣味と道楽 (3292回) (1) 趣味と実益を兼ねる (3293回) (0)
16 姫路城ー平成の大修理 (3294回) (1) 忍者が (3295回) (1) 龍野・淡口醤油 (3296回) (1)
19 ひょうたんのようなかぼちゃ (3297回) (1) 年明けうどん (3298回) (1) 好古園 (3299回) (1)
22 ブログ日記 3300回 (3300回) (1) はやぶさ帰還カプセル (3301回) (1) 倉敷市 美観地区 (3302回) (1)
25 きび団子とむらすずめ (3303回)(1) 珍しい傘 (3304回) (1) 大原美術館 (3305回) (1)
28 尾道・文学の小道 (3306回) (1) しまなみ海道ー因島水軍城 (3307回) (0) 船の模型の展示 (3308回) (1)


09/30 船の模型の展示 (3308回) 

因島水軍城に、いろいろな船の展示があった。
水軍(海賊)が使ったような船の展示はなかったが、 中世から近代、現代、未来?の船の色々だ。

マルコポーロが見たであろう13世紀の中国船、
新大陸を発見したコロンブスのサンタマリア号、
大英帝国最強の頃の帆船カティサーク号、
ペリー提督が率いてきた黒船サスクハナ号、
練習船日本丸、南極へ行った砕氷船白瀬、
巨大なコンテナ船、アニメの宇宙戦艦ヤマト、などなど。

yukky802さん 2011/09/30 22:48 面白そうですね!。

09/29 しまなみ海道ー因島水軍城 (3307回) 

   

しまなみ海道】は、尾道ー(新尾道大橋)−向島ー(因島大橋)−因島ー(生口橋)ー生口島ー (多々羅大橋)ー大三島ー(大三島橋)−伯方島ー(伯方・大島大橋)−大島ー(来島海峡大橋)−愛媛県。

因島で「因島水軍城」を見学した。

村上水軍
村上水軍(むらかみすいぐん)は、日本中世の瀬戸内海[1]で活動した水軍(海賊衆)である。
その勢力拠点は芸予諸島を中心とした海域であり、後に大まかに能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家へ分かれた。
彼らの多くは真言宗徒であり、京都などに数多く菩提寺が残されている。
また、今も瀬戸内周辺地域には村上水軍の末裔が多く住む。主な活動は航行船の破壊、略奪、信書の開封破棄等を通じた同盟関係の分断である。
20世紀まで瀬戸内海で見られた漂海民も、村上水軍の末裔ではないかといわれている[2]。
代表的な表紋は「 丸に上文字」や「折敷に縮み三文字」など。

「起源」

これら三つの村上家の起源ははっきりしないが、もともとは一つの家であったという。
その起源として最も有力とされるのが、『尊卑分脈』に記された、河内源氏の庶流信濃村上氏を起源とする説である。
平安時代に活躍した村上為国の弟・定国が保元の乱後に淡路島を経由して塩飽諸島に居を構え、平治の乱後の永暦元年(1160)に越智大島[3]に居を移し、伊予村上氏の祖となったとされる。

越智大島を始め伊予各地には、源頼義が伊予守をしていた時期に甥の村上仲宗(信濃村上氏の祖)に命じて多くの寺社・仏閣を建立させたという伝承が残っており、もともと伊予は信濃村上氏と縁のある土地であったとされる。

また能島村上氏の系図では、自らの出自を村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする村上源氏としている。
因島村上氏にも同様の起源を主張する系図が残されている。
また信濃村上氏に残る系図には、源頼信の次男頼清が村上天皇の皇子為平親王の子源憲定(村上憲定)の娘婿として村上姓を名乗ったとする、よく似た説が伝わっている。その他に、伊予越智氏の庶流との説もある。

この他、村上義弘は、愛媛県新居浜市沖の新居大島の生まれであると同島では伝えられており、水軍活動初期のものと思われる城跡や舟隠し跡などが残されている。

「村上水軍の活動」

文献史料上、最も古い記録は1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年)のもので、能島村上氏が東寺領の弓削庄付近で海上警護を請け負っていたという。
南北朝時代には、因島、弓削島などを中心に瀬戸内海の制海権を握っており、海上に関を設定して通行料を徴収したり、水先案内人の派遣や海上警護請負などを行っていた。

戦国期には因島村上氏が毛利氏に臣従した。
来島村上氏は河野氏に臣従し、村上通康は河野姓を名乗ることを許された。
能島村上氏は河野氏と友好関係を持っていたが、臣従はしなかった。その後は中国地方に勢力を張る毛利水軍の一翼を担い、1555年(弘治元年)の厳島の戦い、1561年(永禄4年)の豊前簑島合戦、1567年(永禄10年)からの毛利氏の伊予出兵、1576年(天正4年)の第一次木津川口の戦いなどが知られている。

「村上水軍の解体」

来島村上氏は早くから豊臣秀吉についたため独立大名とされ、他の二家は能島村上氏が小早川氏、因島村上氏は毛利氏の家臣となった。
1588年(天正16年)年に豊臣秀吉が海賊停止令を出すと、村上水軍は従来のような活動が不可能となり、海賊衆としての活動から撤退を余儀なくされる。
因島村上氏はそのまま毛利家の家臣となり、江戸期には長州藩の船手組となって周防国三田尻を根拠地とした。
能島村上氏は毛利家から周防大島を与えられて臣従し、江戸期には因島村上氏とともに長州藩船手組となった。
来島村上氏は江戸期に豊後国の玖珠郡に転封され、完全に海から遠ざけられた(森藩)。

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会社時代の同僚に、これら水軍の子孫と名乗る「越智氏」「村上氏」などがいたのを思い出した。



09/28 尾道・文学の小道 (3306回) 

倉敷で泊まり、翌日(12日)しまなみ街道へ向かう途中で、尾道に立ち寄った。
尾道駅の東側に小高い丘があり、短いロープウエイで登ると千光寺や公園があった。

展望台から見下ろすと、瀬戸内の海や港が一望できた。
しまなみ海道は、尾道から島伝いに7つの橋を渡り四国に辿り着く。

丘から下りる道は、「文学のこみち」と名付けられていて、
たくさんの俳人・歌人の句碑や、志賀直哉、林芙美子などの足跡を見られた。

十返舎一九の碑もあり、あの作者が尾道まで来たことがあると知り驚いた。
尾道は著名人の他にも俳句・和歌を嗜む人が多かったようで、
途中の小公園にそのような「地元の文人の足紋碑」が並んでいた。

ハリウッドには有名な「映画俳優の手形」が地面に並べられていて、
日本でもそれを真似たものがいくつかあるが、足紋を見たのは初めてだ。

yukky802さん 2011/09/28 17:06 足紋?、ちゅうか足跡の方が分かりやすいのか、って、珍しいですね。

09/27 大原美術館 (3305回) 

昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものです。
ギリシャ神殿風の本館の中には世界画壇の巨匠作品が多数展示され、ツタにおおわれた石垣 、門を入るとロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」「カレーの市民」の像が迎えてくれます。
隣接して、分館、工芸・東洋館があります。

大原孫三郎は1880年、親の代から紡績業を営む、倉敷の名家に生まれた。
日本の児童福祉の先駆者であり、岡山孤児院の創設者である石井十次との出会いが大原の人生を変えたという。
プロテスタント信者であった石井の影響で自らもプロテスタントに改宗した大原は、事業で得た富を社会へ還元することの重要性に目覚め、大原社会問題研究所、労働科学研究所、倉敷中央病院などを次々と設立した。
大原にとっては美術館の創設も社会貢献の一環という認識だったようだ。

(主な収蔵品)
エル・グレコ『受胎告知』(1599年?1603年頃)
エドガー・ドガ『赤い衣裳をつけた三人の踊り子』(1896年)
モネ『睡蓮』(1906年頃)

ルノワール『泉による女』(1914年)
トゥールーズ=ロートレック『マルトX夫人の像』(1900年)
ボナール『欄干の猫』(1909年)

マティス『画家の娘』(1918年)
パブロ・ピカソ『頭蓋骨のある静物』(1942年)
ゴーギャン『かぐわしき大地(テ・ナヴェ・ナヴェ・フェヌア)』(1892年)
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建物前にあるロダンの「洗礼者ヨハネ」は初めてみる像だった。

yukky802さん 2011/09/27 17:32 近くに、超一流の芸術品が有るなんて、良い環境です。

09/26 珍しい傘 (3304回) 

土産物屋の一つに「傘屋」があり、
16本骨や24本骨というのも売っていた。江戸時代の蛇の目傘の名残だろうか?

もつ部分の柄が、刀の柄になっているお遊びの傘もあった。

変わり傘といえば、開いた傘の布に「星座」が描かれている傘を見たことがある。
傘の布を天球に見立てたものだ。

星座を眺めながら歩けば、雨もまた楽しめるということか?
晴れた日の夜に、この傘を開いて夜空の星座と比べながら見つけて確認するのも面白いか。
晴れた夜に開いて役に立つというのが奇妙だ。

yukky802さん 2011/09/26 17:40 傘と言うと忘れものの代表の様に思われがちだが返ってこう云った特別の傘を思いを込めて使えば忘れないのだろうか?。

09/25 きび団子とむらすずめ (3303回)

きび団子を売る店がいくつもあった。
きび団子は串にさしてあると思っていたが、そうでないものもあった。

一軒の店で、抹茶と一緒に食べられるので入ってみた。
「きび団子」と「むらすずめ」に冷たい抹茶
冷たい抹茶は初めて飲んだが、暑い夏には嬉しいサービスだ。

むらすずめ
すずめが、群れで飛ぶようすから、その名がついたと言われている。
粒あんをカステラ生地で包んだ、上品な味わいです。

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きび団子には餡子は入っていないが、むらすずめには小豆の粒餡が入っている。 その人の好みに別れるが、僕はむらすずめが気に入った。

yukky802さん 2011/09/25 17:13 美味しそうですね。

09/24 倉敷市 美観地区 (3302回) 

倉敷市・美観地区には、江戸時代の商家などの建物が掘割に沿ってそっくり残されていた。
建物の多くは、中を改装して土産物屋、食べ物やなどになっているが、外観は昔のまま。

掘割に沿って柳の木が生えていて、青い空とよくマッチしとても情緒があった。
掘割には、小舟が浮かび観光客が舟から街並みを眺める趣向に。

黒い屋根に白壁(なまこ塀)の建物は江戸情緒そのものだ。
街並みの中で唯一西洋(ギリシャ)風の建物があり、これは大原美術館。

yukky802さん 2011/09/24 22:19 よくTV等で見る風景ですね。

09/23 はやぶさ帰還カプセル (3301回) 

姫路の同窓会の後、倉敷へ回った。
江戸時代からの古い建物の残っている倉敷の街のことは話には聞いていたが初めての訪問だ。
街並みを見る前に、郊外にある天文台へプラネタリウムを観にいった。

プラネタリウムでは、小惑星イトカワへ着陸し、土を採取した後地球へ無事に帰還した「ハヤブサ」の航行を 再現する宇宙映像がドームの天井に映し出される演出が行われていた。

さらにハヤブサの実物大模型も展示されていた。

また中秋の名月(満月)の前日で、この夜空の星座の見方、夏の大三角、琴座、ふたご座、さそり座などを勉強した。

yukky802さん 2011/09/23 19:21 天体の事も面白そうですね?、赤道儀等揃って入るのだが いまいち、観ようっていう気に成りません。 無精者は駄目ですね。

09/22 ブログ日記 3300回 (3300回) 

ブログ日記が、3300回になった。
旧Cafestaがオープンした2002年7月から書き始めたのだから、ちょうど10年になる。

コミュニケーション・サイトという呼び名が珍しかった時代で、
無料で遊べるということに魅力を感じて始めた日記だった。
会員は小学生から熟年と年齢幅も広く、ニックネームでの交流も珍しいことだった。

サイトへの書き込みがエスカレートして、長崎の小学生で事件が起きたこともあった。
ニックネーム=匿名、は功罪相半ばだろうか。
性的な表現の記事を書く人もいて、サイトの管理者がやっきになって抑制したこともあった。

スタートは東京電力の直接運営だったと記憶しているが、やがて関連会社に移り、
さらに別の会社の運営に変わるという変遷を経て、現在のアットゲームスに吸収された。

サイト閉鎖の危機を何度か心配し、過去のブログをYahooサイトに復刻するようにした。
Cafestaの時代には、かなりたくさんの常連の友達が出来て、毎日の日記にたくさんのコメントをもらった。
多い日には30人もの人がコメントを書いてくれたろうか?
皆さんがニックネームだから、本当の実在の姿は知りようがなかったが、何度も書いてくれたコメントを読めば、 その人の人柄が何となく分かってきたものだ。
今、過去の復刻版を読むと、その時々のコメントが実に懐かしく感じられる。

現在のアットゲームスでは、残念ながらこのような会員同士の交流は希薄だ。
アットゲームス本来の会員の人、Cafestaから移ってきた人たちがどのような交流をしているのかも分からない。

毎日、ブログに記事を書くことは、殆ど自己満足の世界かも知れない。
ツイッターを試したことはないが、アットゲームスとどう違うのだろう?

インターネットの手段も、光から無線LAN(WiFiやG3など)へシフトし始めている。
パソコンもタブレットやスマートフォンの出現で様子が変わり始めた。
発売間近な Windows 8 は、画面タッチ操作のユーザーインターフェースを強く意識しているようだ。
スマートフォンで大きなシェアを持つ Android O/S は、いつかWindowsを追い抜くのだろうか?

ITの進化を眺めながら、もうしばらくは日記を継続したいと思っている。

yukky802さん 2011/09/22 22:33 もう10年経ちますか?、私がにこにこさんにコメントする様に成りパソコンは2台目に成りました。  W95から今はVistaです、つぎはW8に成る様です、この先パソコンはどの様に発展するか楽しみでもあり、また寂しさも、 必ずや、「あのころはよかったなぁー」って言う事に成るのでしょうね?。

09/21 好古園 (3299回) 

姫路城の西側に出来た「好古園」を見学した。

好古園
この姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、市制百周年を記念して建造された約3.5haの日本庭園で
文化財の保全と活用を兼ねた新しい文化の場として平成4年4月29日開園しました。

整備に先だつ7次にわたる発掘調査で、元和4年(1618)に本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、池、屋敷門、町筋等の遺構が確認されましたが、これは酒井家時代の「姫路侍屋敷図」に記されたものとほぼ合致しています。

庭園の計画は、京都大学教授中村一氏の設計監修を受けたものであり、確認された屋敷割や通路の地割を生かした9つの大小庭園群及びアプローチ樹林帯・広場で構成しています。
また庭園内には築地塀・屋敷門、長屋門や渡り廊下で結んだ2棟の休憩所「活水軒」「潮音齋」をはじめ、裏千家家元千宗室氏の設計・監修による茶室「双樹庵」を配しています。

この庭園は池や水の流れで結ばれた回遊式庭園ですが、最大の特徴は姫路城を借景としていることです。
姫路城西の丸一帯の豊かな原生林を背にする庭園は、歴史と自然が調和した優美な景観を創り上げています。

「好古園」の愛称は、藩校「好古堂」にちなんで命名されました。
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園内を遊覧していると、色々な場所から姫路城の姿を望むことが出来た。

yukky802さん 2011/09/21 18:59 お城も庭園の一部と言う訳で、なかなかうまい方法ですね。

09/20 年明けうどん (3298回) 

関西は麺類(うどん、素麺、冷麦)などが美味しい。
讃岐に限らず、播州も美味しい銘柄がたくさんある。

そんな店に「年明けうどん」の幟が立っていた。
大晦日には「年越しソバ」、年が明けたら「年明けうどん」を食べましょうを言うキャンペーンだった。

何年かすれば全国に定着するのだろうか?

yukky802さん 2011/09/20 17:30 面白いですね、まだまだ、新しい習慣が続々と出来て来ている様?。

09/19 ひょうたんのようなかぼちゃ (3297回) 

ひょうたんおような形のかぼちゃを売っていた。

200kgを超すような巨大カボチャをTVで見たことはあるが、これはまずくて家畜の餌にすると聞いた。

ひょうたん・かぼちゃは切ると中はかぼちゃで、味も悪くない。
保存がきき、半年置いても食べられるそうだ。

yukky802さん 2011/09/19 17:31 本当にひょうたんの様で、面白いですね。

09/18 龍野・淡口醤油 (3296回) 

姫路の街の繁華街を歩いていたら、
近隣の地元産品の露店が出ていて、「龍野・淡口醤油」を売っていた。

龍野・淡口醤油は、関東の醤油と違い色が薄い。
色を付けずに、良い味付ける」というコマーシャルを子供の頃から聞いてきた。
野菜の煮物などを作る時、色が薄いので素材の色を損なわない。

うどん汁などもこれを使うので色は薄いが味はしっかりしている。

始めて東京のソバを食べた時は、汁の色が濃いのでびっくりしたものだ。

yukky802さん 2011/09/18 17:16 以前大阪でうどんを食べた時に、その薄さに驚いた、 しかし、出汁が良く出ており旨さは抜群、所々で、美味しい者が色々で、面白い。

09/17 忍者が (3295回) 

姫路城の前の大通りで、突然「忍者」に出会った。
カメラを向けると、ポーズをとってくれた。

全国の色々な観光地に、侍姿や公家姿などのキャラクターがいて、雰囲気を盛り上げているのをTVで見るが、 この忍者もその部類なのだろうか?

姫路城には、有名な?「お菊井戸」の伝説がある。
戦国時代には忍者も活躍したのだろうか。

yukky802さん 2011/09/17 20:47 何でしょう、観光協会の回し者?、それにしても面白いですね。

09/16 姫路城ー平成の大修理 (3294回) 

中学の同窓会に出るため姫路へ行った。

シンボルの姫路城は、平成の大修理のため、巨大な仮屋根に覆われていた。
今回は、屋根や外壁の修理が目的だと聞いていた。

ニュースを見つけた。
「平成の大修理」が続く姫路城で、大天守の最上層にある鯱しゃち瓦(1・9メートル)2体にひび割れが見つかっていたことが14日、兵庫県姫路市議会経済委員会で報告された。
 同市は鯱瓦のほか同じく破損が確認された鬼瓦も新調する方針。

 城周辺整備室によると、鯱瓦は1960年製で、56〜64年に行われた「昭和の大修理」の際に新調。
今年6月に取り外して破損状況を調べたところ、2体ともひび割れが深く、西側の鯱瓦は、尾びれの付け根部分が完全に割れ避雷設備の金具で辛うじて固定された状態だったことがわかった。
ひびから浸透した水などが凍結し、傷が広がったとみられる。

 また、大天守の鬼瓦62枚のうち江戸初期〜中期に作られた約半数も割れたり、装飾が欠けたりしているため取り換えるほか、最上層の壁の漆喰しっくいや、土壁の下地に用いた雑木の小枝も傷みが激しいため塗り直す予定。

 費用は未定だが、大修理の工期(2015年3月末完成)に変更はないという。
(2011年9月15日12時02分 読売新聞)

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後4年間は、大天守の優美な姿が見られないのは残念だ。

yukky802さん 2011/09/16 20:27 修理完了までは、お預けですね。

09/15 趣味と実益を兼ねる (3293回) 

釣りもスポーツ」になりつつあるらしい。
前に書いた「ヘラ鮒釣り」も、管理釣り場の百戦錬磨のヘラ鮒をどうやって釣り上げるかに苦心する。
道具や餌、何よりもアタリの瞬間を逃さずどうやって針を掛けるかの技にに腐心する。

しかし、釣り上げたヘラ鮒はすぐにリリースし、持ち帰ることはしない。
鮒に傷を付けないように、返しのない釣り針を使う。
管理釣り場には、入漁券が必要で、餌代もバカにならないはず。

かなりの費用を使って、ヘラ鮒と対決するスポーツだ。 (それでもゴルフなどよりは安いか?)

僕のいる鳴門の堤防・波止釣りに入漁券(料)は必要ない
釣った魚は、フグを除けば持ち帰って食べることが出来る。 道具や餌代はかかるが、食べる実益もあるのが嬉しい。

yukky802さん 2011/09/15 17:14 プロの釣り師って言うのが居る様なのでスポーツとしての釣りも、在りなんでしょうね?。

09/14 趣味と道楽 (3292回) 

「趣味」と「道楽」はどう違うのか?

・しゅ‐み【趣味】
1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「―は読書です」「―と実益を兼ねる」「多―」
2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「―の悪い飾り付け」「少女―」
3 物事のもっている味わい。おもむき。情趣。
「さびた眺望(ながめ)で、また一種の―が有る」〈二葉亭・浮雲〉

・どう‐らく【道楽】
1 本業以外のことに熱中して楽しむこと。趣味として楽しむこと。また、その楽しみ。「食い―」「着―」
2 酒色・ばくちなどにふけること。また、その人。「―で身をもちくずす」「―息子」

・どうらく‐もの【道楽者】
1 酒色・ばくちなどにふけり、本業に身を入れない者。
2 怠け者。横着者。「―で、のら者で」〈浄・卯月の紅葉〉

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辞典では上のように説明されているが、僕の理解では、
「趣味」は、自分の経済力、お小遣いの範囲で嗜むこと。
「道楽」は、そのことに熱中するあまり、お小遣いの範囲を超え、時には借金をしてでものめり込むこと

「趣味と実益を兼ねる」という言い方は、お小遣いの範囲だから可能となる。
趣味に打ち込み、人よりも秀でた場合、それをネタにしてお金を稼げる場合もあるだろうが、 大儲けとまではいかない。

一方、道楽で金をつぎ込んでも、それを取り戻すことは至難の業だ、と思う。

yukky802さん 2011/09/14 17:27 道楽と言うのは些か行きすぎた趣味なのかな?。 私は子供の頃からラジオが好きでアマ無線が遣りたくなり20代の頃は夢中でした。  何と言っても家業と趣味が同じなので材料は店にごろごろ在り もう、道楽に近かったかな?。  しかし、ラジオの全盛期は私が幼少の頃、とうに過ぎ去りその後の家電店は大変で店は傾いて来まして、そんな時、 無線繋がりの友人やら仲間からマイコンを教わり、30代でマイコンプログラムで食える様に成り、趣味道楽が 役にたち、大変助かりました。

09/10 釣り糸 (3291回) 

現在使われている典型的な釣り糸(ライン)はナイロン製だ。
柔軟性・弾力性があり丈夫で長持ちする。

しかし弾力性がある、という事は力が掛ると伸びるということ。
魚のアタリを手元で感じるには若干不利となる。

そこで、「フロロカーボン」や「PEライン」という糸が開発された。

フロロカーボン・ラインは、摩耗にも強いが、腰が強く柔軟性に欠ける

PEラインは、単糸ではなく撚り糸(4本、8本)だ。そのため 引っ張り強度がナイロンの3倍もある。
伸びが殆どないため、アタリの感度が鋭い。
さらにナイロンに比べ、紫外線や吸水による劣化が少ないので長持ちし、値段の高さをカバーする。
比重も軽く、水に浮く。餌(針先)を遠くへ飛ばすのにはとても有利な糸だ。

(今日から旅行に出るため、しばらく休みます)

yukky802さん 2011/09/10 17:32 糸にも色々あるんですね、また旅行の記事もお待ちして居ます。

09/09 電動リール (3290回) 

外洋で大きな魚を釣ったりする時は、太い糸を使い、長さも長く必要だ。
獲物の魚とタックルするために電動リール が売られている。

糸も太く長いので、糸を巻くドラムの径も大きくなっている。
順回転(送り出し)、逆回転(巻き取り)がレバー(ボタン)一つで切り替えられ、 回転速度も数段階ある。完全な電子メカだ。

値段も10万円近くはするようだ。
船の上で使うから、当然バッテリー駆動。(1〜2時間)。
予備のバッテリーとか、充電とか、悩ましい問題も付いて回る。

大きなエンジンの付いた外洋船?で大型の魚を追っかけるというのは、
全装備を考えると、もはや趣味ではなく道楽の部類だろうか?


yukky802さん 2011/09/09 17:43 よく、芸能人で釣り好きの人がTVで、カジキ等を追うのを見るが凄い迫力!、こう成って来ると釣りも立派なスポーツですね。

09/08 スピニング・リール (3289回) 

アユ釣りなどは、10m位の長い竿を使うが、釣り糸の長さもほぼこれと同じ。
アユを釣りあげたときに、竿を立てると魚(針)がちょうど手元に来る長さだ。

渓流でイワナ、アマゴなどを釣る人は、竿の長さ以上の糸を使い、手元でたるませた糸を適宜送り出すようだ。
魚を引き寄せたり、釣りあげるときは、糸を手元で引いてちょうど良い長さにして魚を網に取り込む。

長い糸を自由に伸ばしたり、巻き取ったり出来るようにするのが、スピニング・リール
リールには100m〜200m位まで巻けるように作られている。
実際に糸を200mも送り出すことは少ないだろうが、そうなっている。

ペールという針金の部品が付いていて、これを立てると糸が自由に送り出され、
ハンドルを回して巻き取るときはペールを寝かせる。

ドラグという仕掛けもあり、ペールを寝かせた状態でも、リールが逆回転出来るようにもなっている。
大型の魚を釣る時などに、魚が急激に糸を引いても、糸が送り出されて、糸切れを防ぐためだ。
どの程度の力でドラグを働かせるかを調節することもできる。

魚が掛って糸を巻き取る時、リールを回すハンドルは、右側/左側と付け替えることが出来るものが多い。

リールも安い物(中古品)は1000円程度、高い物は数万円もする。
ベアリングの数が多く、軽い力で滑らかに回せるようになっているそうだ。

yukky802さん 2011/09/09 17:40 道具の世界は限が有りません、凝ると大変な事に?。

09/07 釣り竿 (3288回) 

釣り竿には、目的(釣る魚、釣り方)に合わせて色々と工夫がされている。
投げ竿、磯竿、のべ竿、ヘチ竿、ルアーロッド、コンパクトロッドなどだ。
長さや素材、重量やしなり方、千差万別だ。

釣り具メーカーは、扱いやすく、丈夫な釣り竿を作るため開発を続け、 工夫を凝らした新製品を次々に出しているようだ。

有名メーカーの新製品は、びっくりするほど値段も高い。
いまでも釣り竿作りの名人と言われる人もいるのだろうが、メーカーの工業製品が圧倒的に多い。
アユ釣り竿の極上品は50万円もすると聞いた)

一方では中国製などの安い製品もたくさんある。
パッと見には、同じように見え、値段で言うと10倍以上違う。

安モノは結局損をするのか、腕前もないのに高い製品を買うのか、迷うところだ。

yukky802さん 17:00 なんだか、ゴルフにも似ている様ですね?。

09/06 魚の習性 (3287回) 

針に餌を付けて待っていれば、自然に魚が釣れるほど釣りは易しくはない。
釣りたい魚の習性をよく知り、それを利用しないと釣れない。

根魚か回遊魚か、水面から見て、上か中間か底近くかと魚それぞれの好きな場所があるようだ。
また砂や泥、或いは岩と言った状態や、水流があるかないかなどでいる魚が異なる。

普段どのような自然の餌を食べているかも重要な要素だ。
その魚が好む餌を上手に真似て用意すること。
疑似餌の場合も、ある意味で限りなく本物に似せて作ることだ。

本物に似せるーという意味には餌の動きも一つの要素。
ルアーの動きを本物の小魚に似せるテクニック、これも腕前の一つだ。

釣り具屋の主人が面白いことを教えてくれた。
魚を横から見て、上唇と下唇の位置をよく見る

。 上唇の小さい(受け口)の魚は、海面近くの餌を下から食べる。
下唇の小さな魚は、底の餌を掬い込むように食べるーー海底近くにいる。
上下が揃った魚は、中間を泳ぎながら餌の魚・プランクトンを食べる。

魚の口の形を思い浮かべながら、海の深さのどの辺りへ針を泳がせるか決めればよいと。

yukky802さん 2011/09/06 22:44 どんな道でも進んで行けば深いし、広い、なので、その道の名人と称される人たちが居るのであろう?。

09/05 専門用語 (3286回) 

釣りのガイドブックを読み始めて、最初にとまどったのは「専門用語」だった。
釣りの世界には独特の専門用語がある。 (これはどの世界、パソコンなどでも同じことなのだが)

もちろん親切な本には、用語集としてページが設定されているから、 分からなければそこを読めばおおよそ分かる仕組みになっている。

しかし、新しい、初めての言葉と言うのは一度読んで覚えるという訳にはいかない。
何度かハテな?を繰り返すうちに言葉が身に付いてくるものだ。

専門用語とは少し違うが、魚の名前も難しい。
魚にはその地方独特の呼び名があったりする。

魚は釣れたが、さてこの魚の名前は? と悩むことになる。

yukky802さん 2011/09/06 22:41 魚の名前って、釣り人とそうで無い人で違う様な?。

09/04 釣りバカ日記 (3285回) 

鳴門に引っ越してきてから、暇つぶしに堤防・波止釣りを始めた。
釣りは小学生の頃に近くの川で鮒釣りをした覚えがある程度で、知識も腕も殆どない。

TV番組で時たま釣りの場面を見るが、釣りにのめり込む人の気持ちは分からなかった。

素人が始める釣りだからと、安い入門用の釣り具一式と堤防釣りの本を買い、
本を読みながら見よう見まねで始めてみた。

幸い鳴門という場所は、堤防釣りの出来る小さな漁港や波止がたくさんあり、
車で10〜20分も走ればそれらの釣り場へ行くことが出来る。

人気の場所だと他に釣りに来ている人もいるが、あまり他の人がいない場所もあり、
一人で練習するのに気兼ねなしに出来るのが嬉しい。

(しばらく「堤防釣り」をテーマに日記を続けたい)

yukky802さん 2011/09/05 22:37 全く縁が無かった分野への挑戦!、期待して居ます。

09/03 県立博物館 (3284回) 

徳島市文化の森にある県立博物館はとても立派な博物館だった。
小高い丘を「文化の森」として整備し、建物や大きな噴水、散策路、駐車場などがあった。

博物館では、「手塚治虫展」が催されていて親子連れで賑わっていた。
一般展示は無料開放(夏休み期間のみ)されていたので、覗いてみたが、
徳島県で発掘された化石、古代遺跡の品々や、捕獲された動物のはく製などもあった。

この辺りには昔はオオカミなどもいたそうだ。
魚やウミガメ、鳥などと一緒にチョウチョウのはく製もありちょっと驚いた。

豊かな自然が今も残されているーーそれが徳島の印象だ。

yukky802さん 2011/09/03 14:59 夏休みの間、無料解放って良いですね。

09/02 不思議な勾玉 (3283回) 

勾玉(マガタマ)は、「丸玉」「管玉」「空玉」「ナツメ玉」などといった
遺跡から発掘される「玉(宝物)」の一種。

縄文時代から古墳時代に見られ、必ず穴があいていることから、紐を通して首や腰にぶら下げたと考えられている。
但し、現代人のストラップのようなアクセサリーではなく、神に仕える巫女や貴人だけが着けたとも。

勾玉にも写真のように色々な形があった。
玉(宝物)の材料には、石、ガラス、土、骨、角、牙、貝、金属など様々なものが使われた。

石の玉には、「滑石」と呼ばれる比較的柔らかい不透明な石で作ったものもあれば、メノウ碧玉、とても堅い翡翠を使ったものもある。
大昔の人が硬い翡翠にどうやって穴をあけたり、磨いたり出来たのか詳しいことは分かっていない。
(以上、体験教室の資料より)

yukky802さん 2011/09/02 22:44 大昔にドリルは無いしね、やはり少し硬い石を工具にして空けたんでしょうね?。

09/01 勾玉作り体験 (3282回) 

県立博物館の、「勾玉を作ろう」体験教室 に応募したら、当選したのでわくわくしながら参加した。
40名ほどが集まり、大部分は小学生とその保護者(父母)だった。

講師の先生が小学生にも分かるように丁寧に説明しながら手本を示し、それを見習いながら作る。
材料は消しゴム大の滑石
(子供の頃に道で遊びに使ったローセキのような石、石の中では一番柔らかく加工しやすいそうだ)。

作業に使うのは3種類のサンドペーパー。荒いもの、中間、仕上げ用は目の細かいもの。
初めに石に、作りたい勾玉の形を画く。削る部分が少ないように、出来るだけ大きさいっぱいに画く。
最初に、出来上がった時に紐を通す穴(2.5mm)を手回しドリルで開ける。(意外と簡単)

次は、角の部分から削っていく。机にサンドペーパーを置き、石を押しあてながら削る。 石が面白いほど簡単に削れるのに驚いた。

勾玉の窪んだ形の部分は、机の角にサンドペーパーを曲げて置き、そこに押し当てるようにして削る。 これも思ったよりも簡単だった。

あらかたの形が出来たら、中間の荒さのペーパーに取り換えて、削りながら形を整え、傷を消していく
最後は目の細かいペーパーで表面を滑らかに仕上げていく。
石の表面が磨かれて光沢が出てくるのが楽しかった。

2時間ほどで、全員の作品が完成。
削って出来た石の粉を片づけ、テーブルから床まできれいに掃除をさせられた。(これも体験だ)

費用は石の材料費100円(小学生は無料)だけ。

勾玉は縄文時代から作られ、発掘されている。
古代の人は、どんな気持ちで勾玉を作り、どうしてこんな形にしたのだろう?

yukky802さん 2011/09/01 17:53 サンドペーパーやドリルの無い時代に作った先人を想像しながら文明の利器で簡単に出来ちゃうって、ちょっと複雑ですね。



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