Cafesta日記(復刻版)    2005 April       2005年 全タイトル一覧(月別)へ

01 心とはなんだろうか? (976回)...(9) 心の鍵は意識と無意識 (977回)...(7) 心は脳に宿る?(978回)...(11)
04 〈私〉と「私」と「自分」(979回)...(12) 「小びと」たち(980回)...(12) 脳のバインディング問題(981回)...(7)
07 クオリアとは何か?(982回)...(6) コラボレーション800回 (983回)...(15) 脳=「私」ではない? (984回)...(10)
10 脳を見ている「私」(985回)...(9) 小びとたちが考える(986回)...(11) 喜怒哀楽も(987回)...(13)
13 「よーい、ドン!」と(988回)...(9) 私は「意図」したと錯覚(989回)...(10) 脳は空間をひずませる(990回)...(8)
16 「意識」するタイミングは錯覚(991回)...(8) 心の地動説−1(992回)...(5) 心の地動説−2(993回)...(5)
19 心の地動説ー3(994回)...(5) 心の地動説ー4(995回)...(7) 「私」は何のために存在するのか(996回)...(4)
22 エピソード記憶(997回)...(11) 進化の結果が(998回)...(6) クオリアは無個性(999回)...(8)
25 Cafesta 日記 1000回...(16) 人の個性は小びとが(1001回)...(10) クオリアは何のためにある?(1002回)...(8)
28 クオリアと言語の違い(1003回)...(10) 動物は心を持つか?(1004回)...(11) 霊長類は心を?(1005回)...(9)



4/30 霊長類は心を?(1005回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-30 08:28:15 アクセス 32

霊長類は自己意識を持つのか? チンパンジーやオランウータンが自己意識のクオリアである〈私〉を持っていたなら、彼らも心を持っている と認めようというスタンス。
キャラップは、霊長類に鏡を見せたときに 彼らが鏡の中のサルに対して起 こす行動が、他社を威嚇するような行動なのか、自分を見る行動なのかによって 、自己意識の有無を調べた。
その結果、オランウータンやチンパンジーは、はじめは鏡の中の猿に対して 威嚇行動を示すが、彼らの行動は、二、三日後には、口の中を覗いたり、毛づくろいをしたりといった、自分を見る行動へ変化したという。 しかし、遺伝的に次に人に近いゴリラでは、いくら調べてみてもそ のような行動にはならなかった。
この結果から、オランウータンとチンパンジーの自己意識は  ゴリラより も人のそれに近い、という人もいる。
しかし、このテストは、〈私〉の有無を調べるテストではない。「私」が認 識する自己についての意味記憶(内部モデル)がどれくらい高度で精巧にできて いるかを、ある一面的な指標を使って調べているに過ぎない。
結局、心の定義を広めに解釈すれば、脊椎動物は心の五つの要素を持っているから、皆心を持つ、といえそうだ。一方、心の定義を狭く解釈すると、人と他の霊長類の知的情報処理には大きな差があるから、人以外は心を持たない、といえそうだ。
しかし、そもそも、どの動物が心を持つか、と聞くこと自体がおかしいので はないだろうか。私がこれまで述べてきたように、「知」「情」「意」や「意識 」が受動的なものだとすると、私たちが心だと思っているものは、昆虫の反射行動と大差ないのではないだろ うか。 そのことについて、次節で述べよう。
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目が見え始めた赤ちゃんに鏡を見せると、最初はそこに写っているのが自分 だとわからないが、しばらく繰り返すと 写っているのは自分だとはっきり認識 するようになる。
水槽の魚は、ガラス(鏡)に写った自分に威嚇行動を示す。 犬や猫はどうな んだろう?
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : ウチの子どもは子どもの頃鏡の自分と喋ってたような・・ ・・ホラー? (2005-05-01)
kiki。(kiki04) : 猫には鏡を見せたことなかったです (2005-05-01)
吉祥天♪(kissyoutenn) : うちのワンコは鏡にうつる自分を威嚇したりしませんね。じ っと見て匂いを嗅いでましたね (2005-04-30)
ゆっきー(y1234) : 人以外の霊長類は心を持たないと成ってしまうのは寂しい事ですね 。 (2005-04-30)
ろんろん(gaochan) : 犬は鏡には反応しないなあ〜・・・ (2005-04-30)
あけのハチロク(akeno86) : 学習しなければ 変わらないってコトなんでしょか(゜m゜;) (2005-04-30)
アー子(mieo9876) : 赤ちゃんに鏡を見せることしとけばよかった。 (2005-04-30)
月:るな☆(peachi3) : 赤ちゃんが鏡を不思議そうに見つめる姿を見たいです。 (2005-04-30)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 赤ちゃんって、鏡の前で、よくあそんでるなあ。 (2005-04-30)

4/29 動物は心を持つか?(1004回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-29 08:32:39 アクセス 38

心を持つのは人間だけなのか。ロボットも心を持てるのか、持てるとすると 未来のロボットはどうなるのか、といった、心の過去と未来について考えてみよ う。
「心」は「知」「情」 「意」「記憶と学習」「意識」の五つから成るといわれ る。大雑把に言って、「知」と「意」は大脳皮質がつかさどる作用だといわれている。
「情」は大脳の古い皮質がつかさどっている
魚類に始まる脊椎動物は、みな、脊髄、小脳、大脳といった同様な中枢神経 を持ち、魚類さえも、小さいながら大脳新皮質に対応する部位をもつことが知ら れている。
ということは、大脳新皮質に対応する部位までもつ動物、 すなわち、べての脊椎動物(魚類も、両生類も、爬虫類も、鳥類も、哺乳類も!)は、「 知」「情」「意」「記憶と学習」を少なからず行っていると思われる。もちろん、人の知性や感情に比べると、魚類の知性や感情は単純だが、少な くとも昆虫よりも複雑な行動を行っている。
では、「意識」はどうだろうか。「意識」はエピソード記憶を行うために生じたと考えられる。
 エピソード記憶をしない動物には、「意識」は必要ないからだ。 鳥類も、 いつ何が起こったかを記憶しているという研究結果がある。したがって、今分か っている範囲では、鳥類と哺乳類あたりが意識を持っているといえそうだ。
幼児はエピソード記憶を長く保てない、という研究結果もある。ただし、意 識は持っているようだ。
そんなわけで、私は、鳥類や哺乳類は心を持っていると思う
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(心の定義を広く捕らえたら)「鳥類や哺乳類は 心を持っている」という大 胆な説だ。確かに、ペットを可愛がる人は、その人のペットに「心」を感じてい るのかもしれない。
問題は、心を感じるペットに対して、人に対するのと同じように接している かどうかではないだろうか。嫌になった時に、モノを捨てるようにペットを捨て るなら、人と同じように とはいえない。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

もも(sdr0antinomy) : 猫を飼っていますが、一日一日感情が違うと感じています 。猫がご機嫌なときは、私もワクワクしてしまいます。 (2005-04-30)
暇な主婦(guutarasyufu) : カラスは心を持ってるんじゃないのだろうか??って思い ます・・ (2005-04-30)
ろんろん(gaochan) : 私は家族の誰よりも、犬に話しかけてるけど・・・んん〜・・・ 心はありそう!! (2005-04-30)
ゆっきー(y1234) : ペットの場合、心があるか、在る様に見えるから可愛いんでしょね 。 (2005-04-29)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 虫?かえる? (2005-04-29)
月:るな☆(peachi3) : 動物もちゃんと感情があるから鳴くんだよ。 (2005-04-29)
あけのハチロク(akeno86) : ペットって、自分も人って思ってるみたいでつよね (2005-04-29)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 漫画の世界みたいに、動物と話せる時代がくるかな?? (2005-04-29)
kiki。(kiki04) : 動物も喜怒哀楽表します。人間と喧嘩もするし相談も乗ってくれ るしね (2005-04-29)
yukko(raraby) : ペットも、家族の一員ですよね。心が伝わると思います。 (2005-04-29)
アー子(mieo9876) : しあわせを感じる心が大事ですね (2005-04-29)

4/28 クオリアと言語の違い(1003回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-28 19:07:52 アクセス 38

クオリアの表現のしかたの問題。 多様でつかみどころのない主観的な体験で あるクオリアが、脳のニューラルネットワークの中でどのように表現されている のか、という問題。
人のクオリアは言葉と違って漠然としていて、コンピュータで表現できない形而上のモノであるように感じ られる。 果たして本当にそうだろうか。
クオリアとは、五感から入ってきた情報と、自己意識のように心の内部から湧 き出たきた情報を、ありありと感じる 質感 のことだ。
エピソード記憶を鮮明にするためとはいえ、「意」や「情」が高まった時のク オリアはいかにも人間的で、直感的には、コンピュータやロボットなどにこんな 高尚なものが持てるわけがない、という気がする。
そのように感じる理由は、コンピュータの原理とクオリアの特徴が相容れないもののように思えるからだ
コンピュータが得意なのは言語処理だ。(コンピュータ言語)言語とは、時間軸上に伸びた紐のような構造体だ。 だから、聖徳太子以外の人は、二人以上の人が同時に話しかけてきたら混乱する 。
これに対し、クオリアを時間を輪切りにした断面は、脳の「私:の前に広が った鮮やかな空間である。この多元的な断面が 時間とともに展開していくのが、時空間に多元的に広がるク オリアなのだ。
これまでのコンピュータ言語が、人間の言語をまねて作られていたのだから 、コンピュータがクオリアを表せないのは、不思議なのではなく、当たり前だ。
人間の「自然クオリア」を表現するためには、「コンピュータクオリア」を開 発すれば良い。そのためには、従来型のコンピュータよりもパターン情報処理が得意なニュ ーラルネットワークを、うまく使えばいい。
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パターン情報処理やニューラルネットワークなどの、従来コンピュータとは違う形の技術が、ブレークスルーになるという 。 コンピュータクオリアが開発され、ロボットに搭載されたら、いよいよ心を持つロボットの誕生だ。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : 無機質は心を持てるのか?ロボットが感情で動くと怖いで すよね・・・ (2005-04-29)
ゆっきー(y1234) : クオリアを感じるコンピュータ、どうなんでしょう、想像できませ ん。夢を見るでしょ多分夢がクオリアかも?。 (2005-04-28)
はやぶー(hayabu) : 最初クリオネって読んでしまいました・・汗。アトムの世界が・ ・。 (2005-04-28)
めい(maymay0307) : この間TVでやってた感情を持つロボットの映画思い出しまし たw (2005-04-28)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : できるんかのう??? (2005-04-28)
優ちゃん(liliy_love) : 2001 A Space Odysseyみたいなスパコンがあったらちょっと 怖いと思う・・・ (2005-04-28)
kiki。(kiki04) : 人間の価値が薄れていくな〜 (2005-04-28)
いずむ(ism1974) : 心を持つロボット・・ 映画みたいだわ (2005-04-28)
あけのハチロク(akeno86) : 痛みとかも、感じられるんでしょか(゜m゜;) (2005-04-27)

4/27 クオリアは何のためにある?(1002回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-27 07:51:59 アクセス 31

もし、クオリアがなかったら、私たちの時間は無味乾燥のまま淡々と流れ、 めりはりがないまま膨大なエピソード記憶に流し込まれることになる。クオリアとは、エピソード記憶のどこを強調するかを決め、索引をつけるため のものだ
「情」はなぜあるのか、という問いへの答えも、感情・情動はクオリアを強調するためにあるのだと考えれば合点がいく
豊かな経験は、未来に反映される。今日は楽しかった、実に悔しい思いをした、悲しかった、という体験は、エ ピソード記憶され、自分の未来の判断に反映されるから意味がある。
面白いことに、感情・情動は、それを見た他人のエピソード記憶を協調する役 割も果たす。あの人は私と一緒にいて本当に嬉しそうだ、とか、私と思いっきり 口論した、といったエピソード記憶として、あなたと接した人の記憶に刻み込ま れる。
したがって、感情は、自他のクオリアを鮮やかにし、その結果としてエピソ ード記憶を強調しメリハリをつけるために存在するのだと考えられる。 昆虫は 感情や自己意識のクオリアを持たないと考えられるが、彼らは現在が味気ないな んて気づきもしない。生物の今の感覚として感情がなかったとしても、さして困 ることはないというわけだ。
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人の幼児期の経験・エピソード記憶はその人の人格形成に大きな影響を持っ ているように思う。
三つ子の魂 百まで とは、そういうことを云っているのだ ろうか?
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。ーーーーーーーーーーーー 【 追記】 本家HP 『 CPU グレードアップ 2.8GHz ♪』 をあっぷしました ↓ http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/dosv.html

暇な主婦(guutarasyufu) : 小さいときの記憶、嫌なことしか覚えてない^^; (2005-04-29)
いずむ(ism1974) : 色んな事を経験して感じてきたから今はあるんだな って。 (2005-04-28)
ゆっきー(y1234) : 犯罪者の幼児期の生活を調べるとその頃の生活に問題があり、それ が犯罪の遠因に成っているものが多い様ですね、エピソード記憶、大事ですね。 (2005-04-27)
ち?ちゃん(kassmon22) : エピソード記憶って、人格形成に大きな影響を持つほど大切な ものなんやね〜 (2005-04-27)
あけのハチロク(akeno86) : エピソード気憶なら、発達してるかも(・m・*)ププッ (2005-04-27)
ろんろん(gaochan) : メリハリのある人生だからこそ、生き生きとしていられるのかも ・・・ (2005-04-27)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : ( ̄∀ ̄ミチ)は、小さいとき、馬鹿なことしか覚えなかったんか なあ??? (2005-04-27)
めい(maymay0307) : そういうことを云ってるのでしょうねw 人間ってそういう 生き物だから楽しかったり悲しかったりするんでしょうから・・・ (2005-04-27)

4/26 人の個性は小びとが(1001回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-26 08:57:50 アクセス 41

自分の中心にある〈私〉は、誰の心の中にもある、無個性な錯覚が作り出した 幻想に過ぎない。そんなことを言われたら、なんだか空しい気がする。
個性とか、自分らしさとか、創造性といった、人間にとって一番人間らしい 、生き生きとした部分が否定されたような気がする。 いいえ、ご安心ください 。 〈私〉が無個性だとしても、やっぱり人間は個性的で、ユニークで、創造的だ
では、心のどこに、これらの人間らしさが宿るのだろうか? 答えは もちろん、小びとたちだ。「知情意」「記憶と学習」を「私」の陰で担っている小びとたちに、だ。
私たち人間が生まれたとき、脳の中に複雑なニューラルネットワークの原型 が先天的に用意される。 小びとたちの赤ちゃんが人員配置されていると思えば いい。 笑う小びとがここに何人、怒りやすい小びとはここに何人、数を数える 小びとは何人、言葉を組み立てる小びとは何人、形を感じる小びとは何人、とい った具合だ。
小びとたちの最初の人員配置(学習前のニューラルネットワークの初期構造 )は遺伝による。 DNA という設計図による。だから、性格や能力は大雑把にいって親に似るわけだ。 そして、ニューラルネットワークのつながり方や発火のしやすさは、その後の学習によ って後天的に変わっていく。 
つまり、小びとたちが何を体験するかによって、笑う小びとの声が大きくな っていくのか、怒る小びとのほうなのか、言葉をつかさどる小びとなのか、が決 まる。だから、育つ環境は人格形成のために重要だ。 小びとたちの体験とは、外界とのインタラクションと、脳内の記憶とのインタラクションの二つだ。あなたがどんな環境に身を置き、どんな体験をし、何を脳の内部に記憶し 、どんな思考をするかによって、あなたの小びとたちは、よりあなたの小びとらしくなっていく
これがまさに あなたの個性となり、自分らしさに なる。 あなたの大切な 思い出は、エピソード記憶 として大脳の中に格納されている。 親切な小びと たちは、必要な時に、その大切な宝物を思い出させてくれるだろう。 あなたの 意識である「私」は受動的で、そのクオリアである〈私〉は無個性だけれども、あなたの無意識の中にいる小びとたちは個性的なのだ。
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人の人格、個性、能力などは全て「小びとたち」が担っている。その小びと たちの力は、遺伝子DNAで決まる部分と、育ち方による成長の違いによる部分と がある。 〈私〉という「意識」は、小びとたちによる全人格の一部だけが現れ ているのに過ぎない、という考え方だ。 人には「無意識」と云う部分がたくさ んある。しかし、その無意識も間違いなく人格・個性・能力の一部だ。 僕にはと ても納得の行く説明だ。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。 ーーーーーーーーーーーー 【 追記】 本家HPに 『 秩父・羊山公園の芝桜 』 をアップしました。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/tabi.htm

河内屋道助左右衛門(michigoro) : お笑いの小人やったらええなあ。 (2005-04-27)
月:るな☆(peachi3) : 今度小人さんに聞いてみたいことが・・・ (2005-04-27)
いずむ(ism1974) : 笑顔の小人であふれたい (2005-04-27)
kiki。(kiki04) : 小人さんを調教することって出来ないのかな〜? (2005-04-27)
ゆっきー(y1234) : 無数の小人さん達のお陰で怒ったり泣いたり笑ったり、想像しただ けでも面白いですね。 (2005-04-27)
ち?ちゃん(kassmon22) : 自分の中にどんな小人がいるんだろ?顔を見てみたいよ〜 (2005-04-26)
あけのハチロク(akeno86) : 多い少ないで、決まってくるんでしょかw (2005-04-26)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 自分の小人を叱咤激励したい。 (2005-04-26)
暇な主婦(guutarasyufu) : 個性が強すぎるのも考え物・・・こびとさんに英才教育を !^^; (2005-04-26)
Figaro♪(figaro8615) : 好奇心旺盛で、明るくていつも元気なこびとさんたちと一生 仲良く暮らしたいねヾ((=*^ェ^*=))1000回おめでと〜♪♪ (2005-04-26)

4/25 Cafesta 日記 1000 回♪ 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-25 07:54:58 アクセス 47

Cafesta 日記 1000 回♪ となった。 昨年10月(800回)の時に、こう書い た。
『この日記を続けて来られたのは、(毎回書いているが) 読者の皆さんの励 ましが大きい。  800回まで来ると、頂上の1000回がなんとなく視野に 入ってくるものだ。 生きている限り、喜びや悲しみがあり、 世界を見渡すとニ ュースの種は尽きない。  凡人としての煩悩もまた然り。 欲を捨て、こだわり を持たず、飄々と生きられるのはいつのことだろうか。 』

この一月ほど、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』(前野隆司著)を読みながら、要約を皆さんにも紹介している。
僕の技術者としての経験では、何かを本当に理解しているかどうかは、理解したつもりの中味を他人に説明し てみるとよく分かる
昔、自分の設計した回路の動作を、保守担当の人たちに説明するということ をよくやった。この部分がこのような目的で構成されていて、このような条件で 動作して、という風に説明していると、ふと条件の不備に気づく。 設計ミス  だ。
『脳はなぜ・・・』の本の仮説も、心の地動説 と著者が言っているように、大胆な発想の転換が求められる。 普段、漠然と 考えている「私」「自分」「意識」などのことを、厳密に整理しながら、全く新 しいパラダイムから見直し、再構成するという作業が必要だ。
コペルニクスやアインシュタインに匹敵するような大胆な仮説を、(納得・認めるかどうかは別として、)少なくとも何をどう考えているの か だけでも理解しようというのも、決して簡単ではない。
自分自身の理解を進めるために、あえて他人に説明するーー聞きたくもない 難しい話題にお付き合いさせられる人にとっては、いい迷惑かもしれない。それ でも、訪問者の(一部の)皆さんが、いろいろコメントされてそれが励みになっ ている。
「この本を買って読もう」「感想を整理して日記に書こう」「ここは分かっ たが、ここが分からない」 いろいろと考えているつもりだが、これらは全部、 僕の中の小びとたちの作業なのか?〈私〉はただ、小びとたちの作業の結果を、 川下で見ている・報告を受けているだけなのか?
少し前に『人間の本性を考えるーー心は「空白の石版」か』(スティーブン・ピンカー著)の紹介を途中までした(2004/11の日記)。 ピンカーの主張は、「人間の本性の大部分は遺伝子で決まり、魂はない」という ものだった。遺伝子=小びとたち、と言い直すと両者の意見は似通っているよう に思える。
ブッダは、「色即是空」と「縁起:関係性」を説いた。 日記を書き続けるということは、日記に書いた事柄を通して、 皆さんと僕の小びとたちが結びつき、情報を交換し合い、縁起を深めているとい うことなのだろう。
皆さんの〈私〉や僕の〈私〉は、その交流を眺めながら、自分が主体的に交 流していると 錯覚しているだけ。 真偽は別として、僕の小びとたちは、日記 の継続や皆さんとの交流にまだまだ意欲的のようだ。 もう少し続けよう(と、 錯覚し続けよう)♪

りえちゃんママ(takami1951) : 記念すべき1000回がとうとう来ましたね。  おめでとうございます。  (*^_^*)   (2005-04-29)
ち?ちゃん(kassmon22) : 凄いね1000回なんて♪なかなか真似出来ません! (2005-04-26)
暇な主婦(guutarasyufu) : 私が初めてニコニコさんのHPと出会ったときは600回ぐらいだったと思います。700回目のカキコに800回900回と続けてくださいって書いた(かな?)と思います。重いと言いながら・・・(笑)次は2000回目指して頑張ってください!!1000回おめでとうございます!! (2005-04-26)
ゆっきー(y1234) : 1000回おめでとうございます。これからも宜しくお願いします。 (2005-04-25)
吉祥天♪(kissyoutenn) : 日記 1000 回おめでとうございます。継続・・維持・・なか なかできることではありません。2000回目指してくださいね (2005-04-25)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : すごい!!( ̄∀ ̄ミチ)はまだ300じゃ。 (2005-04-25)
miffy(miffyoo12) : 祝ァ1000回。おめでとうございます。毎日楽しみにしています 。これからも続けて下さいね。 (2005-04-25)
ひつじのコクトー(jcocteau) : オオーw(*゚o゚*)w 1000回おめでとうございます。これからも よろしくお願いします。 (2005-04-25)
あけのハチロク(akeno86) : 1000回、オメデト(*^ー^*)∠※Pan!!。・:*:・ あけも、メザシマツ( ・m・*)ププッ (2005-04-25)
サチ☆(sattin2525) : それだけ続けられるってすごいです☆ (2005-04-25) ☆飛華 ☆(pikatyu) : 1000回おめでとう~継続は力なり、すばらしい功績だと思います 。 (2005-04-25)
ままん(tumarin) : 私の小びとさんはきちんと働いてくれているのでしょうか・・・( 笑)  1000回おめでとうございます♪ (2005-04-25)
ろんろん(gaochan) : ヽ(〃'▽'〃)ノ☆゚'・:*☆1000回オメデトォ♪あやかりたいな〜!! (2005-04-25)
kiki。(kiki04) : 1000回おめでとう。私の目標はとりあえず500かな? (2005-04-25)
もこ(moko_r6) : 1000回、オメデトウ・・毎日書く大変なことです。自分でも 、そう感じています。これからも、おてやわらかにお願いします。・・(銀行に 行くと、宝くじあるはずです・・) (2005-04-25)
月:るな☆(peachi3) : 記念すべき (*^-^)/☆*祝☆1000回☆おめでとう*☆\(^-^* ) (2005-04-25)

4/24 クオリアは無個性(999回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-24 19:33:34 アクセス 34

「意識」とは、小びとたちの連想ゲームの結果をクオリアとして感じるため のシステムであって、そこには「知」「情」「意」「記憶と学習」は含まれないのだ った(4/04の日記参照)。
ただ、私は思い出した、とか、こう考えた、こう決めた、こんな感情状態に ある、といったことを感じるためのシステムだ。 実はそこには 個性はない。 「無意識」の小びとたちがどんな結果を出し、そのうちのどれが選ばれて意識に 運ばれるか、によって、その人の個性は決まる。「私」は、その結果を感じてい るだけのシステムだから、どの人の「私」もさほど変わらない。
〈私〉とは、その「私」の中から、自己意識の部分だけを取り出して、さら にその中から「自己意識についての意味記憶」を取り除いたものだというのだか ら、「私」にも増して個性がない。
〈私〉とは、記憶とも「知」「情」「意」の多様さとも関係なく、ただ単に、ピュ アに、「〈私〉というクオリアは〈私〉である」という決まりが脳の中に定義さ れた結果作り出されたクオリアに過ぎないと考えられる。 なんだかあっけない 帰結だが、そう考えるしかない。
主体的であるように思える「知情意」のクオリアが錯覚だったように、リア ルに存在するように思える〈私〉のクオリアも、錯覚の決まりがあるから作り出 されたに過ぎない。何も個性はない。
人間の身体一つに、〈私〉は一つ。進化とともに「意識」というものができた 以上、人間の身体一つに、一つの〈私〉というものの決まりが定義された。それだけの話なのだ。
前野隆司の〈私〉も隣人の〈私〉も、ほぼ同じ、脳に書き込まれた単純な錯 覚の定義によって生み出されたクオリアだ。一人の人間に、一つの〈私〉の定義 があり、みんな同じように〈私〉という自己意識のクオリアを感じるように出来 ている、というだけの話なのだ。 古今東西、何十億年という世界の広がりの中 で、あらゆる人の〈私〉は、すべて同じような、無個性の錯覚の定義の結果に過 ぎないのだ。
この長い人類の歴史の中で、何十億人という人間の中で、どうして〈私〉は 、千年前に生まれた人の自己意識でも、今の隣の家の住人の自己意識でもなく、 前野隆司の自己意識として「私」の中に宿ったのだろう、なぜ、他の時代と場所 には出現しなかったんだろう、という疑問は、疑問にすること自体が誤りだった のだ。
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私は私、という実感=クオリアが、脳の錯覚によって作り出されたものだ というのは正直言って驚きだ。
しかし、人間にはどうして二本ずつの手足があるのかなどと疑問を持って悩 む人はいない。そうなっているから、そうなんだと納得している。 太陽が回っ ているのではなく、地球が回っているのだということを、目で見て実感した人は 宇宙飛行士以外にはいない。それでも、立派な科学者たちがそういうのなら、そ うに違いないと納得している。
私というクオリアは錯覚だ、というのも、いつか皆が納得する時が来るのか もしれない。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : アンドリュー・・大好きな映画です!脳の錯覚・・私は幸 せって思いこむのも錯覚かな〜? (2005-04-24)
にこにこ(xqf41336) : ◆今夜の日曜洋楽劇場アンドリューDNR114は見逃せませ ん。ロボットは心を持つか? (2005-04-24)
ゆっきー(y1234) : 有難う御座いました、毎日がその場その場での対応に成りがちで失 礼しました、ラテン語だったのですね、どうりで英語の辞書には無い訳ですね。 (2005-04-24)
にこにこ(xqf41336) : ↓ゆっきーさん、4/07の日記「クオリアとは?」を参照願いま す。 (2005-04-24)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : むずかしいのう。 (2005-04-24) ゆっきー(y1234) : すいませ ん「Qualia」って造語なんでしょうか?、ネットで調べたら「主観的体験が伴う 質感」等と書いてありましたね、たしかに、だとすると感情的なものが排除され て残った感触だけがそれなんでしょうか?。 (2005-04-23)
あけのハチロク(akeno86) : 錯覚ででも ヒトツ確固たるもんないと、頭が混乱するかも(・∀・;)アセアセ (2005-04-23)
ひつじのコクトー(jcocteau) : こういうことをテーマに、安倍公房が小説を書いたら、面白く なっていたでしょうね。 (2005-04-23)

4/23 進化の結果が(998回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-23 08:54:11 アクセス 32

では、エピソード記憶が出来るようになるためには、何があればいいだろう か。
答えは、「意識」だ。 「エピソード記憶」を持たない痴呆状態の動物がいたと しよう。この動物は、やったことを片っ端から忘れていくようなものだ。だとす ると、やったことを「意識」した直後に忘れるのではなく、そもそも「意識」し ていなくても問題ない。
「無意識」の小びとたちが行った「知」の処理の中から、最もやりたいこと を選択して実行する「意」の機能や、その時の感情を表現する「情」の機能があ れば、別にそれを「意識」していなくても問題ないのだ。
心の質感であるクオリアを感じる必要もない。
これは、一部の哲学者が好んで例に出す、ゾンビという状態に近い。(ゾン ビとは、外から見ると人と同じように振舞うが、心を持っていない存在と定義さ れている。)
エピソード記憶は、自分が行ったこと、注意を向けたことの記憶だ。たくさんの小びとたちだけではなく、「私」一人の体験でなければならな い。 エピソードを記憶するためには、その前に、エピソードを個人的に体験し なければならない。そして、「無意識」の小びとたちの多様な処理を一つにまと めて個人的な体験に変換するために必要十分なものが、「意識」なのだ。
「意識」は、エピソード記憶をするためにこそ存在しているのだ。 「私」は、 エピソードを記憶することの必要性から、進化的に生じたのだ
心の地動説に立ち、「意識」は無意識の結果をまとめた受動的な体験を あたかも主体的 な体験であるように錯覚するシステムだと考えれば、それが進化的に生じ生じる ことは さほど急激な変化ではない。
進化によって設計変更しなければならなかった点は、もともとあったたくさ んの小びとたちの結果をまとめる「意識」というちょっとしたシステムを作り、 もともとあった記憶のための内部モデルをちょっと作り替えて、行動の順モデル の一種であるエピソード記憶ができるようにするだけだから。
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「意識」や「私」が何故生じたのか、それが生じる(出来る)ために脳にどん な細工が必要か。著者の工学者らしい発想と意見が述べられている。
人間に「意識」(私)があるのは自明だ。しかし、何故それが生じたのか?  は推測するしかない。手や足はどうして二本ずつなのかと聞くのと同じで、誰 も答えは知らない。 何故そうなのかの答えを知らなくても、手足が二本あるロ ボットを作ることは出来る。
「意識」(私)の出来具合さえ分かれば、真似をして作り出すことが出来るは ずだという著者の論理が見える。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

あけのハチロク(akeno86) : 大元が意識なんでしょか。。。 (2005-04-23)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 写真、すごいです。♪⌒ヽ(*゚O゚)ノ スゴイッ!!! (2005-04-23)
miu(kr0199) : いつもmiuの日記にカキコ♪サンキュッ (o・~・o)♪ ってことで久々に こちらにスチャ!☆ミ(/ ̄^ ̄)/只今参上!って難しい...ビール券が見つかり発泡酒 に12本引き換えてきて飲んでしまったmiuには、にこにこさんの博学な内容がワカンナイ ヽ(◯0○;)ノ今度酔ってない時にじっくり読もう(o^∇^o)ノごめんね (2005-04-23)
ろんろん(gaochan) : "ノ(-________-;)ウゥーム・・・難解・・・ (2005-04-23)
ち?ちゃん(kassmon22) : ごめん!読んでる内に目と頭が痛くなってきた! (2005-04-23)
ゆっきー(y1234) : 体の中の小人さんは電子回路で再現出来るかも知れないが意識はど うだろう?、多分、意識って情報の発振現象なんじゃ無いかな、小人さん達が集 めた情報をも一度別の小人さんに渡して廻すんだ、人は生まれてから死ぬまでそ れを続けるのだと思う。 (2005-04-23)

4/22 エピソード記憶(997回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-22 18:42:28 アクセス 36

(承前)もしも、あなたが、今何を食べたか、とか、昨日はどこまで仕事を したか、を記憶する「エピソード記憶」の能力を持たず、リンゴは食べ物だ、とか、私の仕事は狩猟だ、といった「意味記憶」しかできないとしたら、どうだろう。
単純な狩猟生活は出来るかもしれない。あそこの谷には獲物がいなる、とか 、寒い季節には獲物が少ない、とか、シマウマは逃げ足が速い、とか、ブタは丸 焼きにするとうまい、とか、「意味記憶」ができればなんとか生きてはいけそう だ。
しかし、夕食はもう食べた、とか、昨日の獲物の残りを穴においてある、と か、一週間前に自分の子供が生まれた、とか、去年夏に家を建てた、といった「 エピソード記憶」ができないと、明らかに不便だ。
腹が減ったら食事をし、残した食べ物のことは忘れる、場当たり的な行動し かできない。極度な痴呆状態だと考えればいい。 実際、下等な哺乳類は、何らかの「意味記憶」は持つが、「エピソード記憶」を持た ないためにこのような生活をしているように見える。昆虫などのもっと単純な生物では、「意味記憶」さえ持たず、反射により生活しているように見える
つまり、私たち人間の「エピソード記憶」は、高度な認知活動をするために、「意味記憶」よりもあとで進化的に獲得されたものだと推測できる。
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記憶の名人と言われる人たちがいる。π=3.14159・・・・というランダムな 数字の羅列を何千桁分も覚えたりできる。
その人たちに、記憶のコツを尋ねると、物語性のある何か(エピソード)に 関連させて覚えるのだという。
中高生の時に、歴史の出来事の年や、原子の周期律表などを、ゴロ合わせを して覚えたものだ。こうすると何故か覚えやすい。語呂合わせもエピソード記憶能力の応用なのだろう。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

ろんろん(gaochan) : 物忘れがひどくなった最近は、いろいろな事にこじつけて、記憶してます〜^^ (2005-04-23)
ゆっきー(y1234) : リスとかがえさを隠しているけど後で覚えているのかしら?、記憶 ねー「富士山麓オウム鳴くや」とかやりましたねー。 (2005-04-22)
月:るな☆(peachi3) : たまに、ずべてを忘れてしまいたくなるけど・・・忘れたら不便 でしょうね。 (2005-04-22)
もこ(moko_r6) : 記憶は、古い物は、以外と覚えている・・アルツハイマーです・ ・(もこは) (2005-04-22)
Figaro♪(figaro8615) : そんな何千桁も覚えられないけど、旧国名や年号、化学記号 なんかは物語性のある何か(エピソード)に関連させて覚えてるヾ(=*^ェ^*=)ノニャン ★ (2005-04-22)
kiki。(kiki04) : 使い続けていないと忘れます (2005-04-22)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 3日で忘れます。 (2005-04-21) めい(maymay0307) : 確かに 痴呆の症状に似てますよねw 最近記憶力の低下が著しくて、歳を感じておりま す^^; (2005-04-21)
あけのハチロク(akeno86) : 気憶力は・・・あんまナイみたいでつ(・∀・;)アセアセ (2005-04-21)
暇な主婦(guutarasyufu) : 昨日のことを、1週間前のことをすぐに思い出さなくなっ てきてます^^; (2005-04-21)
yukko(raraby) : 今すぐ言えるのは、「いい国作ろう鎌倉幕府」1192年。。。 (2005-04-21)

4/21 「私」は何のために存在するのか?(996回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-21 07:21:50 アクセス 24

「意識」(「私」)は、なぜ、何のためにあるのだろうか?合理的な者が生 き残る進化の淘汰圧のもとで、意識 は何のために獲得されたのだろか。
心の天動説という古い立場から見ると、心の中心にある「意識」が、どのように、そして 、何のために、進化的に生じたのか、また、そもそもどの動物から「意識」を持 つようになったのか、といった疑問全体が漠然として解決不能の謎のように思え る。
「意識」という心の中心を持たない動物から、それを持つ動物への進化はい かにも急激で、前肢が手になり、羽になった進化のロマンよりも さらに断続的 で急峻な変化のように思える。
「意識」を持つ動物と持たない動物は、心の豊かさがあまりにも違いすぎるよ うに思える

しかし、心の地動説という新しい立場から見ると、「私」(意識)が何のために存在するのかは自 明だ。 「私」について考える時の鍵は「エピソード記憶」だ。
私たちの体験を日記のように記憶する「エピソード記憶」は、何のためにある のだろうか。 考えてみていただきたい。(続く)

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バクテリアのような単細胞の生物から、昆虫や鳥類や魚類、哺乳類を経て人類 が誕生したという進化論の立場から、「意識」(私)の出来上がった理由を考え ようとしている。
そしてその鍵が「エピソード記憶」の能力の獲得だと。犬や猫には、「知・情 ・意」や「記憶、学習」の能力はあるが、エピソード記憶はないのに違いない。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

ゆっきー(y1234) : 過去を記録することで未来に対する防衛をするため?。かな??。 (2005-04-21)
あけのハチロク(akeno86) : 進化の過程まででつか(-ω-;)ウーン (2005-04-21)
暇な主婦(guutarasyufu) : 本能が生きたいから・・・ (2005-04-21)
なを(thom_e_yorke) : エピソード記憶。でも、昨日のことを思い出そうとしても 、なかなか思い出せないときもあります (2005-04-21)

5/20 心の地動説ー4(995回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-20 20:50:18 アクセス 32

← 小びとたちに従う「私」は、川上にいるのではなく、図のように 川下にい る
昨日の絵の 従来の心のイメージだと、「私」は知・情・意の川の源流にいて 、全ての川の流れをコントロールしている。 たくさんの支流で たくさんの小 びとたちが働いていて、「私」はそれを全て把握している。「私」はすさまじく 物知りで、器用でなければならない。 そんな万能な「私」は不可能だ。

今日の図の「私」は、川の下流で、流れ込んでくる情報を見ている。そして、注目すべき特徴的な流れ(声の大きい小びとの言動)に注目し、そ の全てを自分がやったことであるかのように錯覚している、というわけだ。
川の途中がどうなっているのか、細かいことは知らないが、何が原因で何が 起こったのか、という大雑把な内容は把握している。細かいことは、よきにはか らえ だ。
考えてみれば、「私」の意識が知っていることは、その程度のことではない か。どうやってリンゴの色や形を認識したのかとか、どうやって考えたのかとか 、小びとがやっている細かいことはわからないのだ。 図のように、結果だけを見て自分がやったと錯覚している、おめでたい「私」がいると考えたほうが、川の流れのように自然ではないだろうか。
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著者の提案する『 受動意識仮説 』の意味が ようやく見えてきた。
「私」あるいは「自分」・個性の正体は、民主主義の小びとたちであり、〈 私〉はその小びとたちの活動を川の下流で見ていて、自分が指揮をしていると錯 覚しているだけ という仮説。
にわかには信じられない気もするが、天動説の中世に突然、地動説を聞いた 人も、そんな馬鹿なと言ったに違いない。 アインシュタインが、e = m x c x c 、つまり物質はエネルギーに変化すると言った(相対性理論)時に、それをす ぐに理解できた人が何人いただろうか。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : 細かいことほど考え込む方です^^; (2005-04-20)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : (* ̄ρ ̄)”ほほぅ… (2005-04-20)
kiki。(kiki04) : 難解度がたかいですね。ひとつずつ分かるには時間がかかりそう (2005-04-20)
ゆっきー(y1234) : まだまだ、難しいですね、「MC二乗」私も全く解らない?、私の 体の中の小人さん達には理解できません?。 (2005-04-19)
めい(maymay0307) : 日記を書き続けてることもすごいけど、内容の濃さにいつも 感心してますw (2005-04-19)
月:るな☆(peachi3) : そうだったんだ〜。 (2005-04-19)
あけのハチロク(akeno86) : どうして? まで、ヒトツヒトツ突き詰めていくことは、あけにはムリみ たいでつ(・∀・;)アセアセ (2005-04-19)

4/19 心の地動説ー3(994回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-19 07:53:04 アクセス 21

心の天動説 に従ったトップダウンの考え方 →)
従来の考え方ーー心の天動説ーーでは、小びとのまとめ役として「私」がいた。
つまり、無意識の小びとたちは好き勝手にいろんなことをしているので収拾 がつかない。だから、意識の中心としての「私」が、「知」「情」「意」をうまく働 かせ、中心になって動いて、自分の個性を発揮しよう、というのが 心のやり方  だったはずだ。
そうではなく、「私」は小びとたちが好き勝手にやった結果を見ているだけだ としたら、だれがどうやって喧騒に決着をつけるのだろうか。 答えは、「私」 の独裁政治ではなく、小びとたちの民主主義によるやり方。 多数決だ。
脳のニューラル・ネットワークの基本は、「使ったものほど よく発火する」(ヘッブ型学習)だ。ある事柄 がきっかけとなって、小びとたちの連想ゲームが始まり、声の大きい小びとの決 定が意思となる。小びとには抑制という謙虚な作用や、いつまでも喋っていられ ない疲労効果もある。 小びとたちの社会は、ちゃんとボトムアップに働き、民 主主義によってものごとを決める。

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先日、同期会に出て、10数名が集まった。久しぶりで、皆が近況報告など をしながら楽しく時間を過ごした。 全員、喋りたいことはあるはずだが、つい つい声の大きい人の話が中心になる。そうはいっても、同じ人がいつまでも喋り 続けるわけではなく、 おとなしい人にも発言の機会を、という配慮も働く。
民主主義ーー小びとたちも同様なのだろう、と著者は言っている。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : 私も喋るばっかりかも^^; (2005-04-20)
kiki。(kiki04) : ん〜、心当たりあるかも (2005-04-20)
ゆっきー(y1234) : そうなんだ!、だから使いすぎるとその小人さんだけが活発に成り 元に戻らなくなるんですね、小人さん達があまり活発に成りすぎると精神安定剤 のお世話に成るってことでしょうか?。 (2005-04-19)
あけのハチロク(akeno86) : そんなトコまで強弱、あるんでつね (2005-04-19)
ひつじのコクトー(jcocteau) : そうか、小人の中にも、力の強い弱いがあるんだ。φ(*'д'* )メモメモ (2005-04-19)

4/18 心の地動説−2(993回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-18 09:01:15 アクセス 30

右の図が 心の地動説 だ。 (受動意識仮説) ↑ → (花は ホトケノザ)

「私」や〈私〉は世界の端っこにいて、無意識の小びとたちの「知情意」の結 果を受け取るだけの脇役だ
小びとたちから見ると、内部モデルも、自分も、世界も、同じようなものだ 。どれも、小びとたちから情報が流れ出て、その結果 何かが起こり、何かの結 果がまた小びとたちのところに流れ込んでくる、という構造になっている。
それは、自分のからだの運動だったり、言葉や行動だったり、他人の言葉や 行動だったり、脳内の順モデルによるシュミレーションだったりするが、どれで あっても、小びとたちから見ると外の世界だ。
小びとたちは世界の真ん中にはいない。 外の世界とつながっているだけだ 。 ましてや、「私」と〈私〉は、外の世界とつながってさえいない。小びとたちが教えてく れたことを通して 外の世界のことを知る 監獄の中の囚人であって、世界のほんの脇役に過ぎない。 もちろん、世界の中心になど い ない。 
 地球が、宇宙に広がる無数の惑星たちの ほんの一つに過ぎないのと同じよ うに。 これ(図)が 心の地動説(受動意識仮説)だ。

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心や意識などについて考える時、人間以外の生物にも心や意識はあるんだろ うか? という疑問が湧く。
木や花や虫や鳥にも、意識・心はあるのだろうか?犬や猫に、心はあるのだ ろうか? 人間に一番近いと考えられるチンパンジーやオランウータンに、心は あるのだろうか?
心を別にして、「小びとたち」を考えると、全ての生物は、小びとたちを持っていると思う。 人間の脳のようにたくさんの小びとではないにしても、知覚があって季節 (温度)を感じたり、喜びや怒りを感じ、動物はそれを行動に反映している。 雛から孵った小鳥が餌をとり、飛び方を覚え、子猫が歩き方を覚える様子には、 間違いなく記憶や学習能力が働いている。
小びとたちが連携して、命を支えている。そして、外の世界とつながってい る。無数の命が、宇宙の無数の星と同じように、つながり支えあっている。
どれが中心か? という問いは無意味のように感じる。 そういう意味で、著 者の【心の地動説(受動意識仮説)】は説得力を持っている。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

いずむ(ism1974) : 生き物はみんな感情があるんだよぉ (2005-04-19)
ゆっきー(y1234) : 言葉は無くても感情みたいなのはかなりの動物に有るんじゃないで しょうか?。 (2005-04-18)
月:るな☆(peachi3) : 花にも感情があるって聞いたことありますが・・・心は・・・? (2005-04-18)
あけのハチロク(akeno86) : 中心、作りたがるみたいでつね ヒトって (2005-04-18)
kiki。(kiki04) : 小人たちが中心であって中心ではない。何となく分かったような 分からないような・・ (2005-04-18)

4/17 心の地動説−1(992回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-16 20:52:45 アクセス 32

昔の人は、地球の周りを太陽や星たちがまわっていると信じていた。 天動説だ。
確かに、大地はどっしりとしていて、動いているようには思えないし、私たち は世界の中心にいるような気がする。 私たち現代人にも、 「太陽は東から上 がって西へ沈む」というように、日常生活では天動説に従った表現をしている。  実生活の中では、地球が中心だと考えても何も困らない。(中略)
昔、天動説を信じる人たちは、惑星の複雑な運動を表す式を書き、神様が創 った惑星たちは、なぜかわからないが、その複雑な軌道上を運動するのだと考え たという。 地動説に立てば、運動を表す式がとても簡単になるにもかかわらず 、だ。
小びとたち(無意識)は「私」に従っているのか、それとも、「私」(意識) は小びとたち(無意識)にしたがっているのか、という問いは、天動説 と 地 動説  の関係にそっくりだ
日常的な体験としては、私たちは、私たちの「意識」が星の数ほどの無意識 の小びとたちを従えて、「自分」という宇宙の中心にいるように感じる。 図の 、「知」「情」「意」を意識する「私」が中心にいて、「自分」をコントロール している。そう考えると落ち着くし、そう考えても日常生活を送る上では何も困 らない。心の天動説 だ。
しかし、地球が中心だと考えると惑星の運動が複雑極まりないのと同じよう に、「意識」が全ての始まりだと考えると つじつまの合わない現象が見つかり 始めている(リベットの実験など)。(続く)

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 今まで、最新の脳科学、心理学、認知科学などの発見を見てきたが、いよい よ著者の提案する 【仮説】 を聞く段階になった。 コペルニクスによる「地動説」と同じような発想の転換をしようということらしい。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

あけのハチロク(akeno86) : 発想の転換、色んなトコでしないとなんでつけどね。 (2005-04-18)
暇な主婦(guutarasyufu) : 実際に宇宙から見た訳じゃないから・・本当に地球は回っ ているのだろうか?なんて考えます^^; (2005-04-18)
いずむ(ism1974) : 今日も小人が動いている (2005-04-17)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : _〆ヾ( ̄(エ) ̄ メモメモ・・・ (2005-04-17)
ゆっきー(y1234) : コンピュータは、一つのCPUを如何に使って沢山の処理をさせよ うかと云う事を課題として、発展してきたが、人では無数のロジック(小人さん 達)を組み合わせることで如何に一人の人の意識を満足させるかと云う事を成し 遂げている。 (2005-04-16)

4/16 「意識」するタイミングは錯覚(991回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-16 08:34:51 アクセス 41

先にあげた米UCSFにリベット教授らは、もう一つの実験をした(1991年)。
頭蓋骨を切開した人の大脳皮質の体性感覚野に電気パルスの刺激を与えた。人差し指の触覚を担当する体性感覚野を刺激すると、人差し指が「 つるつる」や「ざらざら」なものを触っているときのようなクオリアを感じるのだ。
リベットは、大脳皮質を電気刺激すれば、すぐに、指が何かに触れた感じが するだろうと考えた。ところが、奇妙なことに、皮質への刺激を0.5秒以上続け たときに初めて皮膚感覚として「意識」されたのだ。
人は、物にぶつかったりした時、その瞬間に「痛い!」と感じる。そうでな いと、体の異変に対応するのが遅れてしまう。  それなのに、大脳皮質を刺激 した時は、指に刺激を与えた時よりも、 「意識」されるタイミングが0.5秒も遅 れるのだ。
これは奇妙な結果だ。この結果を説明するためには、こう考えるしかない。 「意識」するタイミングは、錯覚なのだ、と。 つまり、「私」(意識)は、意図した瞬間や刺激を受けた瞬間を遅れて感じているに過 ぎないのに、「意識は 無意識よりも前にある ように感じる」 と 脳に錯覚の決まりが書かれているために、 あたかも「私」がはじめて自分でやったことであるかの ように、例えば、指を自ら動かそうと意図したかのように錯覚しているのだ。
 しかも、そのようにリアルに勘違いできるように、脳内では時間調整が行われ、つじつまが合わせられているのだ。 もちろん、そう感じたほうが  都合がいいから そうなっているに違いない。
「意図」は行動の始まりであり、それは自分の「意思」が勝ち取ったものだと 錯覚した方が、人は自分の力で生きている感じがする。 そうでないと混乱する 。 「意識」 は 小びとたちの決定に従っているのに、あたかも 「意識」  が 「自分」 を従えている かのように錯覚している と考えても、なにも矛 盾はないのだ。私たちの直感には反しているけれども。

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『ジキル博士とハイド氏』という小説がある。善良な市民であるジキル博士 が、薬の作用で無頼漢ハイド氏に変身する話だったと思う。
性善説・性悪説というのもあるが、僕は自分自身を振り返ってみると、
 善なる心:社会の規範を守り、人に優しくしよう と
 悪い心 :規則を無視したり、人に意所悪をしたり、人の不幸を楽しむ と が
 両方ともあり、普段は悪い心を押さえつけ、善なる心だけがあるような振り をしているが、時々は、悪い心が行動を支配することを意識する。 自分が「意 識」して悪いことをしようというのではなく、自分の中の何かが勝手に悪いこと へ向かって動き出し、それを止められない、或いはどうなるのか見届けてやろう と傍観者的に見ている場合がある。 善い小びとも悪い小びとも、全部が自分で あることは間違いないのだが・・・・
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

ままん(tumarin) : 善い、悪いの判断は小人任せじゃない自分でありたいですね (2005-04-17)
とっと(rafu2005) : いつも悪い小人に打ち勝てるような、強い心をもっていたいも のです。。。 (2005-04-16)
暇な主婦(guutarasyufu) : 悪い心しかないかも^^;・・人に優しく!ありたいです (2005-04-16)
あけのハチロク(akeno86) : 最近犯罪犯した人が、頭の中で誰かが「やれ」と叫んだって コビト がなんでしょか。。。 (2005-04-16)
kiki。(kiki04) : 善と悪って裏表であると思っているからそれをどう付き合ってい くかで人間性が決まるのでしょうね (2005-04-16)
ひつじのコクトー(jcocteau) : ↓ 私も、ゆっきーさんと、同じような考えです。 (2005-04-16)
ゆっきー(y1234) : 神経小人は脳にだけ存在するのでしょうか?、手が厚いものに触れ た時等、その感覚は脳に到達する前に背骨の神経組織に居るこびとさんの反応で 手を引き込むだろうと、思っている。 (2005-04-16)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : |゜ー゜||。_。||゜-゜||。_。|ウンウン 自分の行動には責 任とらんとなあ。 (2005-04-16)

4/15 脳は空間をひずませる(990回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-15 08:49:38 アクセス 24

心理学や認知科学の教科書には、錯覚の実例がたくさん載っている。(この シリーズを始めた 3/30 日の日記を思い出してください。)
上の図では、二つのボールは同じ大きさで描かれている。ところが、向こう (奥)にあるボールは 手前のボールよりも大きく見えないだろうか? これは 、私たちが無意識のうちに、紙という平面の中に 遠近を見ようとすることによ る。
 つまり、脳の中には、「遠くのものは小さいはず」という遠近法の決まりが、記憶(内部モデル)として入っている。 それなのに、後ろのボールが妙 に大きいので、勘違いして、思ったよりも大きいぞ、ということを強調してしま うから、上のボールが大きく見えてしまうのだ。
私たちの脳は、【空間】を都合のいいように ひずませて理解している
脳は【時間】のつじつまも合わせる。 目の網膜で光を受け取ってから、その信号が脳の 第1次視覚野に到達する時間と、耳の鼓膜が音を受け取ってから、第1次感覚野に 到着する時間は異なる (音の方が早く到着する)。 しかし、(花火などを見 たとき)人は、同時か、または、光の方が早いように感じる。これは、信号の届 いた時刻を、脳が都合の良いようにずらしている結果だ。
 つまり、 脳の中には、「光と音は同時に届いたはず」という決まりが書き 込まれているというわけだ。 要するに、脳は、空間だけではなく、時間についても、錯覚によるつじつま合わせをして いる。これは、単に「知」がだまされているだけではない。 時間の流れとともに あるように思える 「意識」が騙されている ということなのだ。

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映画を見ていて、あるシーンが切り替わった瞬間に、スクリーンには次のシー ンの映像が映っているのに、何故か前のシーンの続きが目に浮かぶということは ありませんか? 僕は時々そういう経験があり、その切り替わりの短い期間のフ ィルムには、二つのシーンの重なった映像が記録されているのか、 それとも目 の錯覚なのか分からず、不思議に思っています。
脳の【時間】の錯覚、という観点から解釈すると、脳が続きのシーンを予測 して見せていて、 切り替わった瞬間だけ、次のシーンと重なってしまうのかも しれませんね。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : 目の錯覚じゃなく脳の錯覚なのですね・・ (2005-04-16)
あけのハチロク(akeno86) : ↓ あけも、ヒカリのホーが先にって思ってたでつ(・∀・;)アセアセ (2005-04-16)
月:るな☆(peachi3) : σ(・・*)アタシって逆を覚えてたのかな?覚えてたのがいつの まにか逆になったのかな?光は音速より早いっていつのまにか覚えてた。 あひ ゃ。ヾ(´∀`*)/ (2005-04-16)
ゆっきー(y1234) : TVドラマの背景やセットは後方の建物を小さく作って遠近感を誇 張する、この図もこれを景色として見たら当然小さく見えるべき後方の円が異常 に大きく感じるだろうし、一枚の図とした場合はこれは、図であって景色では無 いことを加味し自然に修正された情報を再修正する。 (2005-04-16)
ち?ちゃん(kassmon22) : 花火を見てると、光と音がずれてるよね〜 (2005-04-15)
水結(yu1221) : おーなんとなく分かった気がします。 (2005-04-15)
Figaro♪(figaro8615) : これを逆手にとった騙し絵もおもしろいねヾ((=*^ェ^*=)) (2005-04-15)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : なるへそ。 (2005-04-15)

4/14 私は「意図」したと錯覚(989回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-14 08:56:51 アクセス 34

(承前)リベット博士の実験の衝撃  (ここは、抄訳をして紹介する)
1980年代、米UCSFのリベット教授(医学部)が興味深い実験を行った。
人が、手や体を動かす時には、
@ 意識(動かそう) →A 無意識の運動準備(脳の運動準備電位)    →B 電気信号が筋肉に伝わる→指が動く の順序だろと考えて、それを細か く調べた。
ところが、結果は 衝撃的だった。
なんと、「無意識」下の運動準備電位が生じた時刻は、「意識」が「意図」 した時刻よりも350ms早く、実際に指が動いたのは、「意図」した時刻の200m s後だった。 つまり、順序は A→@→B だった。
一部の科学者は同じ実験を追試してみたが、誰がやっても同じ結果だった。  リベットの実験結果は間違っている、と科学的に証明できた者は誰もいなかっ た。
人が「意識」下で なにか行動を「意図」するとき、それはすべての始まりでは ない。「私」が「意識」するよりも少し前に、小びとたちは既に活動を開始して いるのだ。 言い換えれば、「意図」していると「意識」することを人に感じさせる脳の部 分は、脳内の小びとたちの活動結果を受け取って、自分が始めに「意識」したと 錯覚していると考えるしかない。
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「私」(意識)が、「意図」する前に、小びとたちが既に動き出していて、私 の意識はそれを自分自身の意思で行動を起こしたのだと勘違い・錯覚しているの だと、著者は言う。
腹が空いて、何か食べたいなぁと考える。 その時、ラーメンやカレーライ スや焼き魚定食などが頭に浮かぶ。マックやスパゲティが割り込んでくる時もあ る。 昨日は○○を食べたから、今日は別のものの方がいいなぁと思ったりする 。 「今日はラーメンにしよう」と決めたつもりが、実は小びとが決めて「私」 にそう押し付けていただけだとしたら・・・
しかし、こんな考え方もある。 健康を維持するためには、バランスの良い食 事を適量食べるのが一番いい、というのは常識だ。でも、毎日の食材の内容を分 析しバランスをチェックして、不足のものを補っていくというのは至難の業だ。
けれども、今何が不足しているかは、実は体が知っていて、自然にそれが食 べたくなるという気がする。計算や理屈ではなく、体が求めているという感じだ 。 これは、ひょっとしたら小びとの要求なのかも知れない。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

〈追記〉 本家HP 読書室に 『 白き女神を救え 』 (クライブ・カッスラ ー著) をアップしました。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/dokusho/kansho-m.htm

yukko(raraby) : 最近。ちょっと食欲がない。これも、小人さんの要求なのでしょうね。 (2005-04-16)
ゆっきー(y1234) : 思わず、遣っちゃタンだよ!、って言うのがそれなんですね。 (2005-04-14)
とっと(rafu2005) : 小びとかぁ・・・。あたしの中にも小びとがいるのだろうか・ ・・?! (2005-04-14)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : たまに酢の物が食べたくなる。 (2005-04-14)
ひつじのコクトー(jcocteau) : ___φ(゚ー゚*)フムフム___φ(。_。*)カキカキ そうなのか。恋するときも 、意識がさきかな。(*≧m≦*)ププッ (2005-04-14)
あけのハチロク(akeno86) : 痒いトキとか、かいたりするときのコトでしょか(・∀・;)アセアセ (2005-04-14)
Figaro♪(figaro8615) : ミトコンドリア・イブを思い出しちゃった((=>ェ(2005-04-14)
Figaro♪(figaro8615) : 2-3-1 (2005-04-14)
kiki。(kiki04) : 2−1−3と2−3−1ケースバイケースかな (2005-04-14)
暇な主婦(guutarasyufu) : 私は2−3−1の様な・・・^^; (2005-04-14)

4/13 「よーい、ドン!」と走り出す(988回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-13 09:18:52 アクセス 46

(詩をお借りしているみんとさんの あみあみ スプラウト展 より ↑)

ここまで、「知」と「情」が受動的であることを述べてきた。つまり「知」 も「情」も、 「注意を向ける」といった「意識」の積極的な働きかけの結果なの ではなく、 「無意識」にいる小びとたちがせっせと処理した結果をただ 「意識」が 受 動的に 見ているだけ と考えた方が、脳の仕組みから考えてつじつまがあうのだった。
さて、次に料理するのは「意」だ。 このようにお考えの読者も少なくないか もしれない。 「まあいい。〈知〉と〈情〉が受動的な作用だというのは受け入 れてもいい。 しかし、〈意〉が受動的だというのだけは勘弁してくれ。 だっ て、〈意〉は"意図"だ。自分は○○するぞ! という決定を下すの主体的な心の作 用だ。 

  間違いなく 自分の心の中心である"意識"(「私」)が、自分でやっている ことだ。
今日はリンゴをたべよう、これから出かけよう、映画を見に行こう、と自分 が決断するのは、 "意"が自分でやっていることとしか、考えようがないじゃない か。こればかりは間違いない。 これが受動的だとか、無意識に追従しているな んてことは、ありえない」。

そう。「意図」は間違いなく「私」が主体的に行っている事のように思える 。
運動会で「よーい、ドン!」というピストルの音を聞いて走り出すとき、  あなたは、ピストルの音を聞いたと意識する瞬間に、 走り始めるぞ、と決意し 、足の筋肉に渾身の力を込め、走り始めるーーように思える。 これがもしも錯 覚だったら・・・・。
もし、自分が「意図」していると信じている生き生きとした自分の決断が、選 択が、行動が、みんな、本当は他人の命令に従うような、または、他人に操られ ているかのような、よそよそしい追体験に過ぎないのだったら、どうだろう。 なんだか自分が奴隷になってしまったような、いやな感じかもしれない。 しか し、そう考えなければ説明できない実験結果がある。(続く)

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自分が考え、意図していると思ったことが、実は小びとたち決めたことだとし たら・・・ 皆さんは、どう思いますか?

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

kiki。(kiki04) : どんな意識なんでしょう (2005-04-14)
いずむ(ism1974) : どんな事も 意識が動いているのか・・ (2005-04-14)
ゆっきー(y1234) : しかし何かに押された結果意識して行動するんだね、何処かで小人 さんたちが押しているんだよ、意識のスイッチをね。 (2005-04-13)
もこ(moko_r6) : 哲学ヨン出て〃事に、「私はだれ?」「宇宙は?」に似ています ね・・私は、私に決まって居る・・しかしなぜ私?・・・今読んでる”哲学の道 ”も、おもしろいです・・ (2005-04-13)
月:るな☆(peachi3) : 脳の中に小人さんが暮らしてたらって思ったらなんだか楽しい気 もするね。 (2005-04-13)
あけのハチロク(akeno86) : 無意識の中にも、意識、あると思ってたんでつけど (2005-04-13)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 無意識じゃないのか。。。 (2005-04-13)
ままん(tumarin) : 衝動的な行動をとらないのは小びと達がとめてくれているからな のでしょうか・・・(笑) (2005-04-13)
暇な主婦(guutarasyufu) : お腹がすいてるのに食べたくないって時は「意」が邪魔を してるのか? (2005-04-13)

4/12 喜怒哀楽も(987回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-12 08:31:58 アクセス 47

嬉しい、悲しい、悔しいといった感情を作り出すときに 何が行われている のかを考えてみよう。
たとえば、あなたが愛する人とともに海に沈む夕日を見ている場合、あなた の心は、とても幸せな、しかしなんとも切ない、胸がキュンとした気分になる。 これは、「情」が行う複雑かつ理解不可能な働きのようにも思える。しかし、 このとき出現する「情」は基本的には情動的ではないだろうか。
感情というのはそもそも受動的なのだ。怒りたいと思って怒ったり、笑いたいと思って笑ったりすることは、 ないとはいえないが、普通ではない。 いろいろな状況が重なり合った結果、意 図するか否かに関わらず、怒りがこみ上げてきたり、喜びがこみ上げてきたりす る。「私」はなすすべがない。
「情」も、小びとたちの連想ゲームの結果であり、「私」から見ると受動的 なものである。
面白いことに、笑った顔を作ってみるとうれしい気分になる。見ている人ではなく、笑った顔を作ってみた本人が、だ。 笑った顔をする と、そのときの筋肉の状態が感覚受容器から脳にフィードバックされ、こんな顔 をしている時はうれしいはずだ、とうれしさの内部モデルが働く。その結果、「 情」は《「私」はいま うれしい》という心の状態を作り出すのだ。
「情」の際立った「欲」も同様に考えられる。食欲も性欲も排泄欲も自己顕示欲も名誉欲も社会貢献欲も、みん な、私たちが「意識」によって主体的にコントロールするものではない。多少は コントロールできるが、基本的には心の底からわきあがってくる。これも小びと たちの仕業といえるだろう。

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感情が 受動的だというのは、なんとなく納得できる。
〈私〉は 大会社の社長のようなもので、自分では特別に何もしないが、社 員・部下(小びと)たちが懸命に働いて、その結果を見たり聴いたりしているよ うな感じなのだろうか?
頭(理性)では堪えるべきだと分かっていながら、無性に腹が立つなどとい うことがある。自律的な小びとの一方(情)は怒り、もう一方の小びと(知)は 抑えなさいと伝えてきているのだろうか?

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

いずむ(ism1974) : 出来るだけ笑顔ですごしたい (2005-04-13)
ゆっきー(y1234) : 笑顔は自分も回りも楽しくさせる、小人さんの働きは他人までに伝 わるんですね。 (2005-04-12)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : あほな小人が多い( ̄∀ ̄ミチ)です。 (2005-04-12)
kiki。(kiki04) : 無表情な人は小人がたくさん働いていないのでしょうか? (2005-04-12)
ち?ちゃん(kassmon22) : 愛する人とともに海に沈む夕日を見ている・・・そんな光景、 トンとご無沙汰です! (2005-04-12)
月:るな☆(peachi3) : 額縁の絵がとてもかわいくってほのぼのしてる。いいね♪ (2005-04-12)
はやぶー(hayabu) : 無理しても笑わなくっちゃっていう時はありますけどね・・。 (2005-04-12)
チナ(´3`)(chinatu22) : そっか、そうですょネ、感情って自分で動かすことって あんまナイですよね! (2005-04-12)
あけのハチロク(akeno86) : 理性のコビトは、アケのナカでは弱いみたいでつ(・m・*)ププッ (2005-04-12)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 怒りっぽい人を、にこにこ笑顔にする方法はないかな?? (2005-04-12)
yukko(raraby) : 私には、いろんな小人さんがいるんですよね。鏡の前で、、笑った 顔をしてみよう^^ (2005-04-12)
ろんろん(gaochan) : 「笑った顔を作ってみるとうれしい気分になる」というのは事実 で、カウンセリングの場でも使います。 (2005-04-12)
暇な主婦(guutarasyufu) : 気持ちに余裕がある時は感動が大きいような気がします、 余裕のない時は怒りっぽい・・ (2005-04-12)

4/11 小びとたちが考える(986回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-11 07:19:42 アクセス 43

「私」は 主体的に考えているか? 「知」の働きのうち、感覚器官からの情 報を処理する知覚ではなく、脳の中の記憶を読み出してきて「考える」場合はど うだろうか。
「私」たちは、主体的に「考えて」いるような気がするが、果たしてそうなの だろうか。(中略)
答えは、脳の「知」にかかわる小びとたちが協力して、連想ゲームのように 働いた結果、みんなで答えを導いた と考えられる。 「私」たちが主体的に行 っていると思っている「思考」という行為は、実は無意識下の小びとたちが行っている自律分散計算 だと考えられる
問題の答えは、意識の上で「考えた」というよりも、自動的に「ひらめいた 」ように感じられる。 これは「考えた」のは実は 自分の「無意識」の小びとた ちであり、 「私」はそれを「ひらめいた」かのように錯覚しているに過ぎないと いうことを表している。
複雑な思考や意思決定の場合も、実は、同じように錯覚の積み重ねと考えら れる。 「知」の情報処理は、外部の状態の知覚も、記憶の連想も、小びとたち の仕業なのだ。

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何か解決を迫られている問題を抱えていたり、アイデアを出そうと必死で考 えている時などに、トイレの中や風呂の中で ふとヒントがひらめくことが多い 。
哲学者は散歩の途中で真理がひらめいたと言い、作曲家も芸術かも似たよう なことを言っている。
「潜在意識」という言葉があるが、これはまさに小びとたちが無意識に働い ているということだろうか。
知人やタレントなどを思い出そうとして、顔は浮かんできたが名前を度忘れ した(或いはその逆)ということがよくある。顔と名前をセットにして覚えてい たはずなのに、片方しか思い出せない。 しばらくして、ふっと思い出すことが 多いから、記憶が消えてしまったのではなく、うまく探し出せなかっただけだ。 「私」(意思)は思い出そうと必死になっているのに、顔の小びとと名前の小 びととが、うまく連携していない証拠だとすると、なるほどと納得のいく現象だ 。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

【追記】 本家HPに 『 甲府・信玄公祭り 』(旅のアルバム) をアップし ました。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/tabi.htm

暇な主婦(guutarasyufu) : 最近は無理に思い出そうとしてません^^;脳が退化中・ ・・ (2005-04-12)
kiki。(kiki04) : 私の小人は遠征中ですww (2005-04-12)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : ( ̄∀ ̄ミチ)の中の小人達はひねくれてそうじゃ。 (2005-04-11)
ゆっきー(y1234) : そうか!、ひらめきは小人さん達の共作なんですね、思案に暮れた 時よくお世話に成りましたよ、ただし、小人さん達はTPOをわきまえないです ね。 (2005-04-11)
ち?ちゃん(kassmon22) : お風呂に入って居る時、日記のネタが浮かぶんだけど、お風呂 から出たら忘れてる!( ̄m ̄〃)ぷぷっ! (2005-04-11)
あけのハチロク(akeno86) : 想い出せないコトすら、その後忘れちゃったり・・ (2005-04-11)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 私の小人は、のんびり屋です。 (2005-04-11)
はやぶー(hayabu) : 思い出そうとして思い出せないときはいらいらします笑  (2005-04-11)
ままん(tumarin) : 私の小びと達はお昼寝している事が多いような・・・(笑) (2005-04-11)
まどか(burabura) : 私の小人さんはバラバラに行動してるみたい。だから私は・・ ・  (2005-04-11)
yukko(raraby) : 脳の中に住んでる小人さんのはなし。とても、おもしろいですね ^^ (2005-04-11)

4/10 脳を見ている「私」(985回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-10 07:52:34 アクセス 28

赤いリンゴを見る時、私たちは、見た瞬間に「赤いリンゴだ」、と感じるよ うな気がする。 しかし、実は、リンゴの特徴は、色、形、動き、陰影、質感といった因子に細かく分けて別々に処理された後で統合されている。これは脳内の「知」が行う情報処理だ。
確かに、目はカメラであってコンピュータではない。だから、目で見た瞬間 に、「赤い」とか「リンゴだ」とかいった特徴がわかるわけがない。 一度、コン ピュータである脳に情報が運ばれて、そこで「赤い」とか「リンゴだ」とかいっ た特徴が計算されてやっと、特徴が特徴として 認識されるのだ。 (中略)
目のカメラから入ってきた生の画像に、大脳で計算して求めた「赤いおいし そうなリンゴ」という情報を巧妙に重ね合わせ、「私」(意識)に対して表示し ている。 私たちが、「赤いリンゴ」を見たことを「意識」するとき、実は私たち は、脳で加工された結果作り出され、画像に合わせて表示された、「赤いリンゴ」のクオリアを同時に感じているというわけだ。
「私」は、目で見るのではなく、脳を見ている、というべきなのだ。味覚も 同じだ。甘い辛いといった特徴のクオリアは、やはり脳で計算された後に、「私」 に対して表示されるのだ。
私たちが五感を感じる時、それは感覚器官で感じているのではない。  断 じてない。脳の「知」の働きが、あたかも感覚器のある場所で感じたかのように見せてく れている 巧みなオーメンテッドリアリティなのだ。
(オーメンテッド( augmented :増大した)リアリティとは、画像や注釈の ような情報を 環境の上に重ね合わせることによって、仮想世界のリアリティを 増大させる方法のこと)

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感覚器や運動・筋肉などに分散し、それぞれ受け持ちの仕事をこなす「小び と」たちからの情報を、脳は計算し統合して、「私」に(報告し)見せている  のだという。
「私」が「意識」を向けていれば、情報はきちんと届くが、「私」が何かに熱 中して意識を向けていないと、処理された情報は捨てられてしまい、私はそれに 気づかないのかも知れない。
社会の組織でトップに立つ人が、部下(組織下部)からの生の情報を大切に するのと似ているようだ。トップがワンマンになってしまうと、都合の良い情報 だけが上に報告され、都合の悪い情報は押さえ込まれ報告されなくなる。 都合 の良い情報だけでものごとを判断するようになると、その組織はおかしくなり、 やがて崩壊する。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

あけのハチロク(akeno86) : 合理化シテルみたいな感じなんでしょかね。 (2005-04-11)
ままん(tumarin) : その脳の成長には睡眠が深く関係していると、この間本で読みま した。良い睡眠・・・この頃出来ていないかも。 (2005-04-11)
ち?ちゃん(kassmon22) : 赤いりんごなのに、青いりんごって感知するのも怖いな〜(^。^;) (2005-04-10)
yukko(raraby) : 脳は、すごい、情報処理を、短時間にするのでしょうね。すごいなぁ ! (2005-04-10)
miu(kr0199) : (o・~・ o)あのぉ… 最近miuは話そうと思ってる事と口から 出る言葉が違うと気があるんですが(゜∀゜;).... (2005-04-10)
暇な主婦(guutarasyufu) : TVに夢中になってるとき、声をかけられても全然耳に入 ってません^^; (2005-04-10)
ゆっきー(y1234) : 同時の目に入った画像でも集中して見ている情報は解るがそうでな い情報は見捨てられてしまう、交通事故の原因なんてその原因が多くあると思い ます。 (2005-04-10)
月:るな☆(peachi3) : 心は心臓に存在するのではない。心全ての感情は脳で掌られてる 。σ(・・*)アタシの脳は是如何に・・・ (2005-04-10)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 脳をみているんかあ。。。 (2005-04-10)

4/09 脳=「私」ではない?(984回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-09 07:18:25 アクセス 39

4日の日記の絵で、「自分」と「外部環境・自分以外」とは、はっきりと別 れているように書かれていた。自分と自分以外・外とは、明らかに別というのが 普通の常識だ。
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シロアリにとって、腸内のバクテリアは「自分」だろうか
下等シロアリの仲間の腸内には、多種の原生動物やバクテリアが生息してい て、シロアリの食べたセルロースを消化し自らの栄養としつつ、その代謝産物を シロアリに供給している。 そして、なんと、下等シロアリの腸からすべての腸 内細菌を取り出すと、下等シロアリは生きていけない。下等シロアリが生きてい くためには、腸内の原生動物やバクテリアはなくてはならないのだ。
シロアリにとって、腸内のバクテリアは「自分」の一部といえるだろうか。 直感的には、そうはいえないように思える。なぜなら、バクテリアはシロアリと は容易に分離できる別の「物体」 だからだ。しかし、「物体」ではなく「現象」として見ると、つまり、そこに生じている生命現象の意味を考えると、バクテリアがシロアリの一部であるという事象は 、共生関係といえる。
人間の真核細胞内にあるミトコンドリアや大腸菌も、共生関係という意味ではシロアリとバクテリアの関係とそっくりだ。
胃の中の食べたものは自分だろうか? 物体として考えると、消化されている 最中は「自分」ではなく、消化されて吸収される瞬間に「自分」になるのかもし れない。しかし、現象として考えると、消化は不連続な変化ではない。つまり、 胃の中のものは少しずつ消化されていくから、食べ物は徐々に「自分」になって いく、ということになる。 「自分」と外の境界は、現象として考えるとあいま いであることが分かる。
「自分」の「身体」は「物体」だが、「自分」の「生命」は「現象」なのだ
自己と他者、中と外、という分け方は生命現象としてはそもそもナンセンス なのだ。 自己も他者も、知情意に対して流れ込んできて流れさっていく対象と いう点では同じようなものなのだということが出来る。
次の議論は、原因と結果という因果関係を疑ってみることだ。

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お酒を飲める/飲めないの違いは、腸内細菌(アルコール消化酵素)の違い だという説がある。飲める/飲めない は生まれつきで、その人の性格の一部に なっているが、それが腸内細菌のあるなしによって形成されているとしたら、腸内細菌もその人の人格の一部?という理屈になる。

【「生命」は「現象」だ!】という理解はとても難しいが、ブッダの説いた【色即是空】と共通しているようだ。
『「色即是空」が意味するもの (承前) 「色即是空 空即是色」の言葉は 、皆さんも知っていると思う。 (僕も四国遍路の時に、毎日毎日お寺で何回も 般若心経を読んだので、 この言葉だけは 口慣れている。)
「空」とは、 そこに見えているものには、「実体がない」ということ  を意味している。 普通は、実体があるからこそ、そこに物や人が存在して いると考える。 しかし仏教では、その存在はたんに現象にすぎないのだ と見る。
だから、空とは決して存在の「 無 」を意味する言葉ではなく、  実体の無を意味すると同時に 現象の「 有 」を意味している言葉だとなる。 では、実体がないのに どうして現象が生じるのか。 現象が相互に 限定したり、依存したりすることによってである。 現象のこの相互依存は、縁起 と呼ばれる関係である。  縁起によって、現実世界がここに生じていると いうわけだ。 「色」、すなわち物質や肉体の本質は 空 である。  空である ものは、現象として 物質や肉体である。  それ以上の神秘的な意味はない。  仏教の第一歩は、縁起と空の哲学 から始まっている。』(仏教「超」入門 』 (白取春彦著 すばる舎)より。2004/9/24の日記)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/3791/c_nikki0409.html

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : 人間の腸内細菌を全部とりだして・・・怖い話に変わって る〜 (2005-04-10)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 難しいじょ。 (2005-04-09) あけのハチロク(akeno86) : ちょっと、あけには難しくなってきたでつ。。(・∀・;)アセアセ (2005-04-09)
月:るな☆(peachi3) : 空だから知りたいと思うことがある (2005-04-09)
アー子(mieo9876) : むずかしいなりに、なんとか読めました。 (2005-04-09)
ひつじのコクトー(jcocteau) : ( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー 面白いです。仏教に共通した 考え方があるというのが面白い。 (2005-04-09)
ろんろん(gaochan) : んんん〜3回読んでも理解できない・・・・?(__!)?(!__)? (2005-04-09)
kiki。(kiki04) : 表裏一体として考えればいいということなのでしょうか? (2005-04-09)
はやぶー(hayabu) : 難しい・・。(;^_^A アセアセ・・・ (2005-04-09)
ゆっきー(y1234) : 哲学?、一番重要だが一番解らない学問、しかも一番学習から遠ざ けられている様に思う。脳の研究もコンピューター化の観点からは研究されてい るがこの様に哲学の方向からの研究は知りませんでした。 (2005-04-09)

4/08 コラボレーション800回(983回)        推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-08 07:32:16 アクセス 55

トップ画面に掲載している『詩と写真のコラボレーション』が800回を迎えた。

『Cafestaで日記を書き始めてから、日々感じたことを文章で発信するだけで は物足りないと思い、トップに季節やニュースをテーマにした写真を載せるよう にした。
11日の日記でCafestaには詩を創る人がたくさんいて、そんな詩を読ませても らうと心が休まると書き、柄にもない下手な自作の詩を書いたら、思いがけずた くさんの人からコメントを書いてもらいびっくりした。
その中で 【春の雪】さんからは、「 詩はとても素適だと思います♪ 日記 も画像を付けるスペースが有ると良いですね・・・。 」そして
【まりりん♪】からは、「 ☆にこにこさんの原宿ファッションへ贈ります 」と詩を戴いた。 (この他にも、【琴音】さんや【わっく(和巧)】さんから も写真に俳句を戴いている)
「詩と写真」を合わせて見るのは、皆さんにとっても興味深いことだと思う ので、トップにその試みをしてみようと思います。 だからこれは、詩を作って くれた人とにこにことの合作・コラボレーションですね。 うまくいくかどうか 心配ですが、ぜひお楽しみください。 』(2002/11/13の日記)
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/5510/c_nikki0211.html

期間にすると、約2年半になる。日替わりで毎日コラボを掲載するのは、僕 の楽しみの一つになっている。詩・俳句・短歌の多くは新聞などから借りている 。
「写真」は自分で撮ったもの。僕は写真を撮るのが好きなので、写真のネタに困ることはない。それどころ か、撮った写真の中で自分でもよく撮れたと思うものを、PCやアルバムに残すだ けでなく、 HPへ来る人に見てもらえる、発表の場があるということはとても励 みになるし、幸せだと思っている。
上の日記で、『【春の雪】さん、日記も画像を付けるスペースが有ると良いですね・・・。 』という意見はリニューアル後のCafestaに実現され ている。時代の変化?
2年半(800回)の間に、いろいろの事情から「写真の置き場」も数箇所のサ ーバに分散されている。困ったのはCafestaのサークルの画像置き場の写真が消 えてしまったことだ。 Yahoo-Geocitiesにもサーバを借りている(無料)が、こ ことても永久に大丈夫という保証はない。
それで、最近になって、コラボレーションの全てをもう一度自分のPCに吸い上げ、再編集した。 PCからCD-ROMに焼き込めば、ネットなしでオフラインでも鑑賞? 出来る ように。 コラボの内容にどれくらいの価値があるかは別として、僕自身の生きてきた証拠として、大切にしておこうと思っている
Cafestaの皆さんからも たくさんの詩を使わせてもらった。今日の詩をお借 りした 【ひまわりさん】 もその一人。いつも、ありがとう。 これからも  よろしく♪

【追記】 本家HPに 『春爛漫 (旅のアルバム)』 アップしました。   花の写真を どうぞ ♪ http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/tabi.htm

河内屋道助左右衛門(michigoro) : 継続は力なり。 (2005-04-09)
いずむ(ism1974) : 色々 勉強になってます☆ (2005-04-09)
ゆっきー(y1234) : トップのかたくりですよね、花の名前全然知らなかったんですが、 お陰さまで少しずつ解って来ました、これからも楽しみにしています。 (2005-04-08)
とっと(rafu2005) : 800回ってすごいですね。根気のいることです。素晴らしいこと です!! (2005-04-08)
あけのハチロク(akeno86) : 800回にもなったんでつねw (2005-04-08)
はやぶー(hayabu) : 800回 おめでとうございます♪すごいですねぇ。生きた証・・あ たしにはあるかなぁ?笑 (2005-04-08)
アー子(mieo9876) : これからも、楽しみにしています。 (2005-04-08)
暇な主婦(guutarasyufu) : 毎日日記のアップだけでも凄いことなのに、他にもHPが あり・・にこにこさんって文才がありすぎ!分けてください^^ (2005-04-08)
yukko(raraby) : 花の写真見せていただきました。花たちの声が聞こえてきそうで す。800回すごいですね^^おめでとうございます。。 (2005-04-08)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 継続できるのが凄いなあ。 (2005-04-08)
Figaro♪(figaro8615) : 800回おめでとう♪PAN!(=*^ェ^*=)∠※.。・:*:・゚`☆、。・:*:・゚` ★これからもずっと続けて:幸せの波紋をもっともっと広げてね♪ (2005-04-08)
kiki。(kiki04) : 800回おめでとう。やはり継続は力なりなんですね。私もがんばり ます (2005-04-08)
りえちゃんママ(takami1951) : 何時も写真を楽しみにこのHPに来ています。  これから も宜しく!!   私には文才が無いので、見せてもらうだけですが・・・・ (2005-04-08)
ひまわり(sweetyo) : 大切な記念の日に、使っていただいてとても嬉しいです。 (*゜ ∇^v)⌒☆アリガト!これからもよろしくです♪ (2005-04-08)
月:るな☆(peachi3) : 800回おめでとうございます。いつも、楽しみにしてきてます 。これからも、頑張って下さい。 (2005-04-08)

4/07 クオリアとは何か?(982回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-07 07:21:56 アクセス 36

クオリアとは、ラテン語で「質」という意味で、「心の質感」という風に使われる。
例えば、「私」たちが、恋人と一緒に海に沈む夕日を見ている場合を想像し てみよう。 すばらしいオレンジ色は、なんとも幸せな、でもちょっぴり切ない 。 何だか感動的な、涙が出そうな質感を持って、「私」たちの脳に響いてくる 。
潮の香りも同じだ。化学分析機のようではなく、地球に抱かれている喜びの 感じや、懐かしいような寛げるような感じを伴って、「私」たちの脳に響いてく る。 「ああ、私はずっと永遠に、恋人と共に、このままこうしていたい」、「 幸せ」が、ずしんと脳天を突き抜けて飛び出しそうな、〈私〉自身の質感。 明 らかに、人の心はこのような質感を作り出している。
脳の巨大なニューラルネットワークは、何らかの計算によって「私」の中にク オリアを作りだしているのだ
クオリアの謎を解明するには、天動説から地動説へと考え方を百八十度変えるような、コペルニクス的転回が 必要なのではないか。現代の科学者の「心」観には、錬金術師が金を合成しようとしていたのと似 て、大きな考え違いがあるのではないか。(脳科学者・茂木健一郎)
私は、地球が世界の中心だという大前提をコペルニクスが見直したように、 意識が自分の中心だと言うことを見直すことによって、心の錬金術を終わらせる新しい心の見方を思いついたのだが、 良く調べてみると、すでに私と似たような考え方が公開されていた (川人光男など)。
彼らは、心の地動説のための重要なヒントを既に見つけ出している。 ここでキーになるのは、発 想の転換だ。内と外、中心と回りといった空間的な常識と、ものごとのタイミン グや原因と結果といった時間的な常識を見直してみると、そこに新しいパラダイ ムが見えてくる。さあ、謎解きに出かけよう。

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僕たちの日常の生活では、天動説で太陽が東から昇り西に沈むと思っても何 の不都合も生じない。しかし、天動説に基づいて、太陽や惑星の動きを正確に模 倣する模型を作ろうとしても、複雑すぎて作れない。 地動説に切り替えて、太 陽の周りを惑星が楕円軌道で回っていると理解したとたん、太陽系の運動模型を 作ることはとても簡単だ。
たくさんの小びとたちのやることに注意を払い、観測し、これらを結びつけ理 解する「意識」というシステム』という発想を変えさえすれば、問題は単純で分 かりやすいものになるということらしい。
いよいよ第二章に入り、著者の提案する「新しいパラダイム」を見ていくこと にする。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

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【追記】 本家HPに 『画像掲示板』 を新設しました。  画像(写真)つき で お話したい方 どうぞ、おいでください♪
http://www.honeyjam.jp/sr3_bbss/sr3_bbss.cgi?cat=4691xqf41336

あけのハチロク(akeno86) : 色んなモノ、観たり感動したりって、脳がさせてたんでしょか (2005-04-08)
暇な主婦(guutarasyufu) : 最近は綺麗な物を見ても感動しなくなったと旦那が言って いた・・感情も年とともに退化してるのだろうか? (2005-04-08)
月:るな☆(peachi3) : クオリア作りすぎてるかも (2005-04-08)
ゆっきー(y1234) : では、無意識と言うのは小人さんたちが勝手に活動している事が無 意識なんですね、パソコンのプログラムなんかでは割り込み処理なんて言うのが そんなのに似ていません*。 (2005-04-08)
アー子(mieo9876) : 読むから理解するには・・・ (2005-04-07)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : カラー?きれいじゃ。 (2005-04-07)

4/06 脳のバインディング問題(981回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-06 07:43:16 アクセス 31

脳内のたくさんの小びとたちが行う「知」「情」「意」の処理に「注意」と いうサーチライトを当てるためには、「意識」はたくさんの小びとたちの振舞い を理解し観測できる必要がある。そのためには、「意識」は、たくさんの小びとたちすべてが何をやっているのかをトップダウ ンに把握している万能かつ巨大なシステムでなければならない。
だから、「私」が脳の中の一部分に局在するとは考えにくい。
この問題を、「脳のバインディング問題」という。(日本語では 結びつけ問題 ともいう)
脳の中で「無意識」に行われているさまざまな処理を それぞれの小びとた ちに分解して理解するというのはいい考えだ。そう考えると「無意識」の処理の ことをイメージできる。 しかし、たくさんの小びとたちのやることに注意を払 い、観測し、これらを結びつけ理解する「意識」というシステムについて考えよ うとした瞬間に、話はまた分からなくなる。

バインディング問題がわからないということの原因は、「無意識」にせっせ と仕事をこなす小びとたち、という考え方に間違いがあるのだろうか。私はそう ではなく、そもそも「意識」が主体的に小びとたちの仕事を結びつける、と考えること自 体が間違っていると思う。バインディング問題、というネーミングが、そもそもおかしいのだ。

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「我 思う。 ゆえに我 あり」という哲学者の言葉がある。我(私)が中心 にいて、意識/無意識の自分の思索・行動のすべてを統合しているという考え方 だと思う。
いわば中央集権的なイメージで、そのトップに「我(私)の意識」があると いう訳だが、著者・前野氏は そうではないのではないかと書いている。 話はい よいよ核心に近づいてきた。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

【追記】 本家HP 読書室に『 新妻 』(池波正太郎著)をアップしました。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/dokusho/kansho-m.htm

kiki。(kiki04) : 自分の行動わかっていないときがあります (2005-04-07)
暇な主婦(guutarasyufu) : 命令を無視して勝手に動き回る小人さんが増えると・・怖 い (2005-04-07)
ゆっきー(y1234) : 小人さん一人一人がコンピューターとするとそれらをネットで繋い でいる意識サーバーが私なんでしょうか?、膨大な並列処理が頭の中に或るんだ と思います。 (2005-04-06)
とっと(rafu2005) : うん?む・む・難しい・・・。 (2005-04-06)
あけのハチロク(akeno86) : 全てを理解は不可能かも・・・・ (2005-04-06)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 難しいですな。 (2005-04-06)
はやぶー(hayabu) : 我 思う。 ゆえに我あり かぁ・・。あたしの意識はあたしに もわからないことがある・・(;^_^A アセアセ・・・ (2005-04-06)

4/05 「小びと」たち(980回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-05 07:56:53 アクセス 41

脳の無意識を担う「小びと」たち 脳の中にたくさんの小びとがいて、それぞ れ自分の仕事をせっせとこなしている様子をイメージしてもらいたい。
(小びと→おのおのの処理をこなすモジュール/脳のニューラルネットワー ク(神経回路網))

脳には、赤いリンゴを見た時、色を識別する小びとがいる。 また、丸い形 だということを識別する小びともいる。 これらの結果を受けて、「赤くて丸い この物体はリンゴだ」という答えを出す小びとがいる。これらの知覚情報処理は、「知・情・意」のうち、「」がおこなっている。
リンゴを見た時に「食べたい」という「」(意思)を作り出す小びともいる。リンゴを食べる時の美味しさを思い出して、幸せ な気分になる「情」の小びともいる。
このような脳の情報処理の流れをおおざっぱに描くと上の図になる。図の上 側に描いたのが「私」、つまり、「意識」だ。 人の「意識」は、何かに注意を向けることが出来る。注目するといってもいい。 どうしてそうなるのか不思議だが、「私」が注 意を払って、「意識」したことだけが「意識」され、それ以外は小びとたちが「 無意識」下でせっせと処理している。
私たちが自分で考え、行動し、笑い、楽しむ時、それは「私」がやっている ことであって、 小びとたちに任せきりにしていることではないと感じる方も少 なくないかもしれない。 「私」から小びとへの矢印は、単なる注意ではなく、 積極的な働きかけと考えていただいた方がいいのかもしれない。

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体の外からやってくるいろいろな刺激、熱い、寒い、ぶつかって痛いなどは、 確かに意識していなくても、五感が検知し神経を通り処理されて「私」に届くよ うに思える。
脳の中には、何千何万という小びとがいて、それらを処理してくれていると いう。ただし、小びとの一人一人は、それぞれ受け持ちの一つの処理だけしかや らないようだ。
決まった処理をする一人一人の小びとに相当するモジュールを作り、それら を結合することは技術の問題であって、現代の科学技術でも十分作れそうだ。 もちろん、十分な数のモジュールを小さく作り、人間大の体の中に納められるか という点では技術としてのブレークスルーが必要となるだろうが。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : もっと小人さんを下さい(笑) (2005-04-07)
ゆっきー(y1234) : 脳の動きって面白そうですね、コンピューターじゃ無くて生体で処 理しているんだからなんとも不思議です。 (2005-04-06)
あけのハチロク(akeno86) : コビト、色んなのが居すぎでつ(・∀・;)アセアセ (2005-04-06)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 私の頭の中は、落語やオペラの好きなの小人がいっぱい。(*^m^*) ムフッ (2005-04-06)
Howard(howardsda01) : ふむ究極超人アールの鳥坂先輩を思い出すな。って知らんか 。 (2005-04-06)
いずむ(ism1974) : いずむの脳はきっと小人が足りないんだわ (2005-04-06)
ち?ちゃん(kassmon22) : 小人が疲れて休んでる時は、その部分が鈍くなっちゃうのね。 (2005-04-05)
モモンガマザー(momo1910) : 脳の中に「小びと」だなんて面白い発想ですネ♪ (2005-04-05)
にこにこ(xqf41336) : ↓ひまわりさんへ。 花の名前は「ムスカリ」ですよ♪ (2005-04-05)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : みちすけの頭の中には、しょーもない小人や、働かない小人が 、いっぱいすんでるんやろなあ。 (2005-04-05)
ひまわり(haatorabu2303) : お花が凄くかわいいんですけど・・・お名前は? (2005-04-05)
ろんろん(gaochan) : 面白そう!読んでみたくなりました・・φ(゚-゚=)メモニャン (2005-04-05)

4/04 〈私〉と「私」と「自分」(979回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-04 07:38:57 アクセス 51

「意識」「脳」「身体」などの概念を整理するために、定義をはっきりさせ ておく。
「自分」:自分のからだと脳を含めた個体としての自分のこと。
「私」 :前野隆司の「意識」のこと。「私」(意識)は「自分」の脳が作り出すと (一元論者は)考える。
〈私〉 :自己意識について感じる部分のこと。生まれてからこれまで、そして死ぬ まで、自らが生き生きと自分の意識のことを振り返って、ああ、これが自分の意 識だ、と実感し続けることの出来る、個人的な主体そのもののこと。

哲学者がよく例にあげる思考実験だが、「自分」の肉体を脳を含めて完璧にコピーできる機械があったとしよう。この機械で、前野隆司とうりふたつの複製を作った場面を想像していただき たい。
このとき、複製された前野隆司2号は、もちろん「意識」を持っていて、「 私」も前野隆司だと言うだろう。何しろ、何もかも同じなのだ。 しかし、さっ きまで前野隆司の自己意識だったし、ずっと連続していた前野隆司1号のほうの 自己意識であり続ける〈私〉は、たった一つだけだ。
〈私〉が2号に乗り移るわけでもなく、2号のほうの自己意識はぶきみな他人 の自己意識であって、〈私〉ではないとしか思えない。こういう存在が、オリジ ナル前野隆司のほうの〈私〉だ。

別の思考実験をしてみよう。ある朝起きてみると、脳の中の〈私〉、つまり、自己意識をつかさどる部分が他人の脳に移植されていたとしよう。 すると、〈私〉の肉体が前野隆司ではなくなったばかりか、記憶を意識す る「私」も他人のものに移り変わっているはずだ。つまり、〈私〉は〈私〉のま ま連続だが、「私」も「自分」も昨日までの前野隆司のそれではなくなってしま ったということになる。
つまり、〈私〉は、「私」の自己意識から、前野隆司の意識である、という部分を除い た部分だということができる。

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ここのところは、なかなか飲み込めないかもしれない。しかし、この〈私〉の 定義をしっかりと覚えておく必要がある。
シュワルツネガー主演の映画「シックスデー」では、上の思考実験のように、シュワちゃんの複製が作られ、混乱するという 筋書きだった。シュワ1号の〈私〉とコピー2号の〈私〉とは当然別物だった。
昔愛読したSFに『デュマレスト・サーガ』(E.C.タブ(英)著 創元推理文庫 全30巻)がある。この本の中では「 ある秘薬を使って、自分の意識だけを他人の肉体に移す」ことが出来るという設 定だった。上の第二の思考実験のように。 老人がこの秘薬を使って若者の肉体 と入れ代わり、青春を取り戻すということもあった。

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

kiki。(kiki04) : 何これ〜というのが第一印象でした。(写真のことです) (2005-04-05)
暇な主婦(guutarasyufu) : 「トータルリコール」を思い出してしまった^^; (2005-04-05)
いずむ(ism1974) : 開いた瞬間ちとびびったw (2005-04-05)
ゆっきー(y1234) : 多重人格症って言うのかな、本当にある病気ですね、突然病気にな って性格が異なる自分がもう一人出てきちゃったらこわいですね、幸い健康なの で私は私だけです。パーマンって漫画で1号、2号ってありましたね。 (2005-04-05)
ひつじのコクトー(jcocteau) : 哲学者はそんな思考実験をしているのですか。φ(・ω・ )かき かき (2005-04-04)
とっと(rafu2005) : なんだか写真に驚き(@_@。 (2005-04-04)
あけのハチロク(akeno86) : 脳みそ、今は使いたくないデツ(・∀・;)アセアセ  オシオトで使い果たし (2005-04-04)
yukko(raraby) : 写真びくりしました! (2005-04-04)
はやぶー(hayabu) : Σ( ̄□ ̄)!!  こ、怖すぎです・・。 (2005-04-04)
アー子(mieo9876) : (私)の定義、日にちをかけて、何回も読んで、理解に努めま す。 (2005-04-04)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : こわっ。 (2005-04-04) ひまわり(sweetyo) : ガ━━━(゚ロ゚;) ━━ン 写真が怖い (T_T)ウルウルヾ(^^*)マァマァ (2005-04-04)

4/03 心は脳に宿る?(978回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-03 07:40:17 アクセス 40

」はどこにあるのだろうか。昔は、心臓にあると思われていた。だから心の臓器と書く。しかし、現代人はそうは思わないだろう。
私は、すべて「脳」にあると思っている。しかし、そうではないと考える人 たちもいる。
最近、神経学者は、脳のどこで何が行われているかを必死になって調べてい る。 その結果、「知」「情」「意」が脳のどこで処理されているのかは大雑把にいえばわかってきた。また、「記憶と学習」が脳で行われている処 理だということも、明らかにされている。
しかし、「意識」は別だ。コンピュータやロボットにはないし、そもそも人の「意識」がどうやって 出来ているかわかっていない。
 だから、「意識」と「脳」は別物だ、という人たちがいる(心身二元論者)。「意識」はもっと霊的な存在だから、物体である脳をいくら調べても、決し て見つからないはずだ、と二元論者は主張する。
ある日本の一流大学教員が心理学の授業中に調査したところ、学生の30%は 、心は脳の作用だということを信じなかったという。死後の世界や占いを信じる 人も、潜在的二元論者といっていいかもしれない。 (中略)
では、具体的に、「意識」の何が謎なのだろうか。
 ずばり、@ 〈私〉 の不思議A バインディング問題B クオリアの問題        の三つだ。

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僕・(にこにこ)は死後の世界や占いを、〈積極的・確信的には〉信じてい ません。でも、本当はどうなんだろう? ひょっとしたら「魂」というものはあ るのかも知れない。あるのか、ないのか、はっきりと教えてもらいたい。
 そのことが得心できたら、信じる派に変わっても良いと思っています。
昨年『 仏教「超」入門 』(白鳥春彦著 すばる舎2004)を読み、「ブッダ(釈迦)は輪廻はないと 言った」ことや地獄・極楽や死後の世界は後世の人(僧侶)が創り出したものだ と知って、否定的な方へ傾いています。
皆さんはどうですか? 潜在的二元論者ですか?

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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

暇な主婦(guutarasyufu) : 自分の胸に聞いてみなさいって・・頭を押さえます・・ (2005-04-05)
ゆっきー(y1234) : 多分、心は目の上あたり、おでこの裏かな、だって何時もここで念 写をするでしょ。 (2005-04-04)
☆飛華☆(pikatyu) : いつか来た夢を良く見ます。人が行方不明になったとき、今まで に3度居場所が見えて、見つけることができました。理由は私にはわかりません 。でも、でも目を瞑ってじっとその人のことだけ考えていると見えるんです。い つか私の脳も輪切りにして研究してください。死んだら提供します。 (2005-04-03)
あけのハチロク(akeno86) : 目に見えないもの、わかんないコトだらけでつ@ (2005-04-03)
ろんろん(gaochan) : 例えば脳に異常がないのに、まるで脳に異常があるような症状を 起こすヒステリー(脳に異常がないのに、手足が麻痺したり、声が出なくなった りする)・・・これは「心の傷」であって「脳の傷で」はありません。だから脳 =心ではないんですね。。。 (2005-04-03)
ひつじのコクトー(jcocteau) : もっと科学が進めば、色々なことが分かるのかな。人間が知り すぎるのも怖いなあ。(>▽<;; アセアセ (2005-04-03)
yukko(raraby) : 心ってどこにあるんでしょうね?わたしハ、占いとか信じてしまう 方です。 (2005-04-03)
kiki。(kiki04) : 結局のところ誰にもわからないのかな〜 (2005-04-03)
月:るな☆(peachi3) : σ(・・*)アタシも知りたい本当の真実を・・・あるやなしやっ て悩ましすぎるよね〜。死んでも分からなかったらどうするのって感じ(;´▼ `A`` (2005-04-03)
アー子(mieo9876) : 信じる・信じない、これも心→脳の働き。 (2005-04-03)
ひまわり(haatorabu2303) : にこにこさんって凄く勉強家ですね。いつも感心しちゃい ます。 (2005-04-03)

4/02 心の鍵は意識と無意識(977回) 推薦 (0) 生活 > 日常/生活 2005-04-02 20:37:41 アクセス 18

「意識」という言葉には、いくつかの意味がある。「意識がある」というと きには覚醒していると云う意味もあるが、ここでは、モノやコトに注意を向ける 働きと、自分は自分であることを認識できる自己意識を合わせたものを指すこと にする。
自分は今、見ている、触っている、喜んでいる、記憶を思い出している、自 分のことを考えている、といった心の感覚だ。つまり、「意識」とは、「知」「情」「意」「記憶と学習」全体を主体的に統合する作 用だと一般には考えられている(私・著者はそうではないと考えるのだが、その 意味は第二章で述べる)

人間は立ったり坐ったり生活をしているとき、「無意識」に体を動かしてい る。「意識的」にやろうとしても、どうしても出来ない「無意識」の動作もある 。(例えば、心臓の鼓動など。)
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「無意識」も「心」なのか? ということでは、学説も分かれるようだ。しかし、この疑問の中に、問題を 解く鍵があるらしい。
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

あけのハチロク(akeno86) : 無意識の意識って言い方することもあったような。。。 (2005-04-03)
能っち(noi006) : 無意識と意識ねウーン生体活動とかーそういうのって、違うと思うね 。言葉を変えるべきだと思うモン。だって、脳みその中に入っている情報を探すっ ていうことにしても、意識して思い出すけど、無意識にシナプスが作られるわけ でしょ〜?ということは、人間を機械だと考えて、動作と回路は違う言葉だと思 うのね〜それを繋ぐのがプログラムなわけで〜。アタシ的には別物だとおもうっ てことでつよ!! (2005-04-02)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : 奈良の鹿? (2005-04-02)
にこにこ(xqf41336) : ↓ちーちゃんへ。 例えば【反射動作】、脚気を調べ るのに膝小僧の下をポンと叩くと正常な人は脚が勝手に動きますね。これは「意 識していない」動作ではないですか? (2005-04-02)
ひつじのコクトー(jcocteau) : (-ω-;)ウーン 難しい。 (2005-04-02)
ち?ちゃん(kassmon22) : 無意識に何かをするって言う経験はしたことないです。そんな 時って意識が飛んでいるのかな? (2005-04-02)
ゆっきー(y1234) : 嫌な言葉だが植物人間って言葉があります。脳の機能がまたは一部 の機能が著しく低下し心臓だけ動いている状態です、こんな事を思うと、心臓の 動きは無意識でしょうね、ただし興奮したりすると早くなるけどねこれとても意 識的にはゆっくり出来ないのか?。疑問一杯で?、わかりません。 (2005-04-02)

4/01 心とはなんだろうか?(976回) 推薦 (1) 生活 > 日常/生活 2005-04-01 21:29:56 アクセス 35

私たちは「心」を持っている。
心をこめて人に接するし、嬉しい時は心から嬉しい。心から恋をするし、心 から幸せを願う。 
 そうだ。私たち人間にとって、なくてはならないものだ。心は確実に私たち の中にある。大切なものだ。
しかし、「心」とは何なのか。改めて考えてみると、何だか漠然としている 。
 人間の心には五つの働き、「」「」「」「記憶と学習」「意識」があるとされ、右の図のように表される。
「知」:知性、知力、考える作用。
「情」:感情。
「意」:意図、意思決定をする働き。考えをまとめて話したり、行動したりす る。
「記憶」:覚えること。次の二つの種類がある。
〈宣言的記憶〉→文章のような記号やイメージを使って表せる記憶。これもさ らに二つに分かれる。
 【エピソード記憶】→日記のように、自分がいつ何をしたかをエピソードの 連続として順番に覚えていく記憶。
 【意味記憶】→辞書のようなもの。モノやコトの記憶。リンゴとは何か、の ような記憶。
〈非宣言的記憶〉→練習するとボールをうまく投げられるようになったり、 スキーを滑れるようになったりする。このような、投げ方や滑り方についての記 憶。体が覚えているような記憶。
「学習」:勉強する時の意味記憶の学習や、スポーツをするときの非宣言的 記憶の学習など。記憶している内容をよりよいものに更新していく働き。
今のコンピュータやロボットは、「知」「情」「意」「記憶と学習」の能力を持っている。しかし、最後の「意識」だけはまだ持っていない

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「鉄腕アトム」のアトムやウランちゃんは、まるで心を持っているように描か れていたし、 AI、アイ・ロボット、アンドリューNDR114、ターミネーター などのいくつかのアメリカ映画も「ロボットが心を持ち始める」ように作ら れていた。しかし、観客の僕は「ロボットが心を持つのは夢物語」だと感じてい た。
だが、著者の前野氏は、「近い将来、心を持ったロボットを簡単に作れるよ うになるだろう。」と書いている。その秘密が、この先に展開される。 わくわ くするではないか・・・
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この日記は、『 脳はなぜ「心」を作ったのか』《「私」の謎を解く受動意識 仮説》(前野隆司著 筑摩書房2004)を読んで書いています。若しも記述に誤り があっても、それは読み手である私の責任です。

月:るな☆(peachi3) : ロボットが心を持つのは、まだちょっと怖いような気がします。 (2005-04-01)
yukko(raraby) : ロボットが、心をもつ将来^^。。人間が、心を無くしてしまわな いようにしたいものです。。 (2005-04-01)
neko(neko105) : 考えたことなかったような気がします。 (2005-04-01)
ひつじのコクトー(jcocteau) : ロボットが心を持つなんて、怖いなあ。ヒイィィィ!!!!(゚ロ゚ノ)ノ (2005-04-01)
☆飛華☆(pikatyu) : ☆飛華☆が子供のころには考えられなかった携帯もパソコンも今 や現実、いつかできるんだろうけど、心のあるロボットって必要なのかな? (2005-04-01)
あけのハチロク(akeno86) : ココロ、ドコにって考えたことはあるでつけど@ (2005-04-01) いず む(ism1974) : ぅーん・・・改めて「心とは」なんて考えた事ない。思う気持ち そのままだと思ってるしなぁ・・。 (2005-04-01)
河内屋道助左右衛門(michigoro) : そんなロボットあったらほしいなあ。 (2005-04-01)
ゆっきー(y1234) : 昔、パソコン通信が流行っていた頃、人工知能ロボットって言う名 のサイトがありまして、それは、あたかも生きて居るかの様に会話(チャット) が出来るらしかったのを思い出しました。 (2005-04-01)



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