(11/28) 《営みを思い出しつつ日向ぼこ》 (11/27) 《決心を冷やかすような冬紅葉》 (11/23) 《帯解くや胸の高鳴り冬茜》 (11/22) 《輝きを空にうつして散り紅葉》 (11/20) 《SLの終着駅や冬北斗》 《一歩ずつ句を積み重ね年の暮》 《這い登る蔦を見習う年の暮》 FB瀬川氏のアドバイス⇒ 《一歩ずつ句を詠み重ね年の暮》 《這い登るつた逞しく年の暮》 (11/19) 《神の旅やもめ同士の向かい合い》 (11/18) 《杉の木に昇龍かな蔦紅葉》 (11/17) 《愛弟子の陋巷に在り冬北斗》 【自己解説】 春秋時代に生まれた孔子は、(周公旦を省みて)政治の理想をこう考えた。 子曰わく、『政を為すに徳を以てすれば、譬(たと)えば北辰の其の所に居て衆星のこれに共(むか)うがごとし。』 (「政治が道徳を用いて行われれば、それは言わば北極星が他の星々を従えているようになる(人民は帰服する)だろう」) 孔子はこの考えを受け入れる君主を探して諸国を遊説し、魯国の大司寇(警察長官)として政治に参画した。 孔子には多くの弟子がいたが、その中でも一番期待の大きかったのは顔回であった。 顔回は身分の高い生まれではなかったが、「一を聞いて以て十を知る」と言われた超能力じみた理解力を持っていたので、 自分の後継者は顔回しかいないと考えていた。論語には『賢なる哉回や、一単(正しくは竹冠)の食一飄の飲陋巷に在り』 と記されており、顔回が下町で貧しい暮らしをしながら孔子塾に通っていたことが分かる。 孔子が魯国を去りさらに諸国の遊説に回る間に顔回は病で亡くなり、孔子は大声を上げて嘆き悲しんだという。 若しも顔回が生きていたなら、得た学を通して天子を導き良き政治(徳治)を行ったと思ったことだろう。 小説『陋巷に在り』(13巻)は、魯国を去り顔回らの弟子を伴って旅に出るところで、突然打ち切りとなっている。 作者・酒見氏にどういう事情があったのかは分からないが、読者にとってはとても残念な結果だ。 句の意味は、「顔回や、お前は私の弟子の中でも最も熱心で期待している。今は陋巷に住み貧しい暮らしに耐えているが、 やがては私の学問の全てを吸収し発展させ、徳のある天子に仕えあの北辰のような理想の政治を助けるだろう」。 (11/16) 《愛弟子の陋巷に在り冬北斗》 (11/15) 《焼き印を集めご褒美いちょう祭》 《昇る日のダイアモンドや逆さ富士》 《八溢(イツ)や天子に捧ぐ柿の舞》 八溢(イツ)の舞:天子の舞楽のこと。8人ずつ8列に並んで行う。溢は舞列。 周の制では、天子の舞は八溢といい8列8行で64人、諸侯は六溢といい6列6行で36人、 大夫は4列4行で16人、士は2列2行で4人とある。 孔子が魯の国で大司寇(警察長官)として政治に参画した。史記にいう。 『孔子が国政に参与するようになって、たった三ヵ月で商人は掛け値をしなくなり、 男女は礼を守り、落し物を拾ってもネコババせず、関所の役人も賄賂を取らなくなった』。 それを見た隣国の斉では『孔子の改革で魯は覇者となり、わが国は真っ先に併合されるだろう。 そうならない内に先手を取って、国の一部を譲ってしまおう』と論議した。 孔子の失脚を狙い策謀した小正卯は斉の国に逃れ、斉の大夫・黎(レン)ショに入れ知恵し、 美女(女樂)八十人をもって魯の男たちを骨抜きにする策を授け、 自分はもう一度魯国へ戻るが、途中それを察知した孔子、顔回と術比べをし破れて捕らえられる。 女樂たちは、その圧倒的な力・呪術で政府高官や定君までも篭絡するが、これを知った孔子が礼の力でこれを打ち破る。 その結果はどうなったのか。 「論語」には 『斉人女楽をおくる。季桓子これを受け、3日朝せず。孔子さる』 (斉が女楽を送り込み、大臣の季桓子は政務を放棄した。責任を取って孔子は去った:失脚した) (女楽=女優は「泣き女」の初源。) 孔子の去った魯国は元の乱れた国に戻ってしまった。黎ショの策はまんまと成功したということか? 「傾国」「傾城」という言葉もあるが、美女は恐ろしい・・・・ 出典:『陋巷に在り』(酒見賢一著 新潮社 全13巻) (11/14) 《甲斐路きて四角四面の櫓柿》 (11/13) 《川縁のベンチでおにぎり小春空》 《拾い柿甘くなれよと手間かける》 塩山(甲州市)では今、名産の枯露柿作りが最盛期だ。 全国の干し柿の産地も同様だろう。秋空に黄色の干し柿が映えている。 この風景は句心を騒がせるが、困ったことに「柿」は「秋の季語」。 時節は「立冬を過ぎていて」句を作るなら「冬(の季語)を詠め」と規則が囁く。 伝統派俳人はこの矛盾をどのように解決されるのだろう? ウォーキングで柿畑を歩くと、収穫で落ちこぼれた柿が道端にもこぼれている。 傷ついた柿(や剥いた皮)は柿の木に返すのが農家の風習だ。 二つほど拾ってきて干し柿を試すことにした。 大きい柿は350gほどもある。百匁柿と言われる由縁だ。 《ぷらぷらと押しくら饅頭甲斐の里》 (俳句大学投句) (11/12) 塩山ころ柿の里ウォーキングに出かけた。 《信玄の廟所彩る柿すだれ》 《冬麗ころ柿の里ウォーキング》 《柿すだれ圧倒されて句浮かばず》 辻村 麻乃 「連綿と人の数だけ柿簾」 《年隔て太子の隣冬の昼》 《成り年や枝もたわわに柿の豊》 《冬の陽に数えきれない柿すだれ》 《信玄の出迎え受ける冬の甲斐》 《柿撮りのローカル電車神の旅》 「柿撮りはのんびりローカル汽車の旅」 萩原まさ江 (11/11) 《ぽつねんと風に聞き入る木守柿》 (俳句大学投句) 《名を告げぬ花は頑固に冬麗》 (11/10) 《のり子さんとタッグ組みたい木の実狩》 《空に日々それぞれの顔わたしにも》 《冬空に煌く翼航空祭》 ブルーインパルスは松島基地がベースだが、全国の航空祭に年に十数回出かけて演技を披露している。 季節は四季に渡る。この句はどの季節にも通用する。 《動く季語素知らぬ顔で入れ替えて》 (11/09) 《姫イチゴ世界は女で回るのよ》 《福助や園児オカッパ菊まつり》 《秋物を片づけ明日は白紙から》 (11/08) 《けやき樹の命を絶たれ鐘氷る》 (俳句大学投句) 《片恋や炎の紅葉散り尽くし》 《翡翠なるオリーブの実や小豆島》 《立冬を迎え秋物大処分》 (11/07) 《また会うてこれはこれはと柿紅葉》 《秋の句は賞味期限の来る前に》 《ことさらに言うこともなき銀杏黄葉》 《古は弓を作りし樹の実爆ぜ》 【木の実】(晩秋の季語) 真弓の実が弾ける頃、葉っぱも鮮やかな色となる 《奥山に色づく紅葉地蔵尊》 (俳句大学投句) (11/06) 《花びらのおどろおどろや間管菊》 (俳句大学投句) 花びらが管状の菊を「管菊」と言うそうだが、 太いもの⇒「太管」、細いもの⇒「細(針)管」と呼ぶ。 中間の太さの花は⇒なぜか「間管」。 (11/05) 《イカロスやペガサス目指しまっしぐら》 「ペガサス」:秋の季語 写真はブルーインパルスの1機が上空へ駆け上がるところ。 《針管の万と舞い競る菊まつり》 《明日は散る紅葉命の色尽くし》 (俳句大学投句) 【永田 満徳】 いいですね。ただ、切れがない為に、散文的です。 散る紅葉命の色を尽しけり とか、どうでしょう。 【北野 和良】 永田さん、有難うございます。納得しました。 【北野 和良】 永田さん。上五に「明日散るや」と切れを入れるのとどちらが良いでしょうか? 【永田 満徳】 そうですね。「散る」と「尽くす」と終わりに動詞・動詞になりますから、避けた方がいいでしょう。 本当は「散る紅葉」も名詞にしたかったのですが、掲句を活かしています。 動詞は少なくですね。「明日」が気になります。 俳句は時間を極力詠みません。今を大切する文芸です。 【北野 和良】 永田さん、有難うございます。時の流れを感じてもらうのは良いが、それを作者が限定しない方が良いということですね。 【渡部 稲穂】 気になってたのが動詞の分割。俳句の場合、複数の動詞があるのは焦点がブレる、いわゆる散文になると言われてます。 この句は、結構良い感じなので、複合動詞「散り尽くす」として一考されるのも手かと思います。 【渡部 稲穂】 稲穂ならですが、散り尽くす命紅葉○○○○○○、 ○○○○○○○紅葉散り尽くす みたいなイメージから一考されてみるのもいかがでしょう。 【北野 和良】 渡部さん、ご指導有難うございます。 (11/04) 高幡不動尊にて菊花展吟行 《土方の忠義虚しく菊散りぬ》 《厚く細く丹精の菊咲き誇り》 《蕉翁の句碑もめでたや菊日和》 「名月にふもとの霧や田のくもり」 芭蕉 《幕末の誠つらぬき菊に立つ》 《秋晴れにもみじ耀う九輪塔》 《推敲はゴマメの歯ぎしり春隣》 (俳句大学投句) 【永田 満徳】 「推敲」を「ゴマメの歯ぎしり」という措辞は納得!季語は動くかもしれません。 【北野 和良】 永田さん、有難うございます。確かに季語は動くようにも見えますが、 力不足を実感しながら呻吟している心境はまさに冬の枯野を行くようで、他の季節では表しきれないと思いました。 《母と娘のドングリの実を分け合って》 「どんぐりを拾ひすぎては零しをり」 をり絵♪ 《緋連雀この世の花を聴きながら》 (11/03) 《天高しハートを射抜くインパルス》 「象鳴けばぐらりと落ちる秋の空」 からさわ まり 《落ちる空ヒゲの先で支えよう》 「ヒゲの先お空の風船ひと休み」 からさわ まり 《風船がくすぐったいわと身をよじり》 《丸髷の肌もほんのり紅葉酒》 (11/02) 《花*花を従え木の実待合室》 《駆け下る紅葉を昇るリフトかな》 (11/01) 《秋鮭に恵み鈴なりピラカンサ》 |