自作俳句手帖(復刻版)    2014 July        トップへ



(7/31)

    《向日葵は陽を追い 恋は突然に》




(7/30)

《ダリアにも メビウスの輪の 恋もよう》

     




(7/29)

《白粉花 尻尾隠して 恋懺悔》    




(7/28)

    《恋なんて 似合わないわと ワルナスビ》




(7/27)

《遅咲きの 紅葉葵も いまは恋》   




(7/25)

TVの朝ドラでは、蓮子をめぐって夫と恋人との争いが続いている。
政略結婚の犠牲となり夫に愛を見いだせない彼女は、こんな歌を残している。

《おとなしく身をまかせつる幾年は親を恨みし反逆者ぞ》 柳原白蓮

五七五に直すとこうなるだろうか?

    《身は任せど 心まではと 夜の秋》 和

季語(夜の秋) 晩夏
夏の終り頃、夜になると涼しく何となく秋めいた感じのすることがある。
立秋も近く去りゆく夏に一抹の寂しさを感じたりする。

玉虫の活きるかひなき夜の秋   暁台「暁台遺稿」
片よせて宵寝の雨戸夜の秋     石橋秀野 「桜濃く」
石鹸のにほえる娘夜の秋     長谷川櫂 「蓬莱」




(7/23)

《夜の桃 熟れて滴る 蜜の味》   

西東三鬼に 《中年や遠くみのれる夜の桃》 の句があり、
これをヒントにしたと思われる石田衣良の小説 『夜の桃』 (新潮社2008)がある。





(7/22)

◆ 昨日、引用した水上比呂美氏の歌

《だまされるふりをするこそ楽しけれ スカーフ結びなほしたりして》
を読んでいて、上の五七五が蜀山人の狂歌と似ていると思った。

《世の中に人の来るこそうるさけれ とはいうもののお前ではなし》  蜀山人
《世の中に人の来るこそうれしけれ とはいうもののお前ではなし》  内田百聞

私も真似をして書き換えてみた。
《世の中に人と会うこそうるさけれ とはいうもののお前ではなし》  和

蜀山人(大田南畝)は身分の低い幕臣(御徒歩職)として、70歳の高齢を過ぎても幕府への勤めに励んだ、 真面目で実直な役人だった。



「世の中は酒と女が敵(かたき)なり どうか敵にめぐりあいたい」
「世の中に絶えて女のなかりせば をとこの心のどけからまし」
「昨日までひとが死ぬると思ひしが おれが死ぬとはこいつはたまらん」

狂歌というものは、言葉遊びとしては気が利いているが、文学としてみるべきものではない、
そこが俳諧と違うところだ、こうした見方をするものが多いが、なかにはこれを積極的に評価するものもいる。
永井荷風などはその最たるもので、「江戸芸術論」の中で、次のように書いている。

「そもそも俳諧狂歌の類は江戸泰平の中の時を得て漢学和学両文学渾然として
融化租借せられたる結果現はれ来りしもの、 便ち我方古文明円熟の一極点をしめすものと見るべきなり。
然ればわが現代人のこれに対して何等の尊敬また何等の感動をも催さざるは
社会一般の現状に徴して怪しむに足らざるなり。」

http://japanese.hix05.com/Literature/Nanpo/nanpo04.tenmei.html



(7/21)

◆ 恋のバトル

《だまされるふりをするこそ楽しけれスカーフ結びなほしたりして》  水上比呂美

長谷川櫂氏の解説に、
『騙すのは男、騙されたふりをするのは女だろう。
しかし考えてみれば「ふりをする」とは相手を騙すことだから、
騙されたふりをしている、つまり女のほうが一枚上手ということになる』と。

中島みゆきさんは『歌姫』で

、 〈男はいつも 嘘がうまいね  女よりも子供よりも 嘘がうまいね
 女はいつも 嘘が好きだね  昨日よりも明日よりも 嘘が好きだね〉 と歌っている。

〈泣いた女がバカなのか だました男が悪いのか〉

 『東京ぶるーす』(西田佐知子)もある。

7/21朝日歌壇の歌

《感嘆符、疑問符という繰り返し君といるとき恋をするとき》 (熊本市 近藤 史紀)

恋する男女は、いつも機略を尽くしてバトルを繰り広げる・・・

   《だまされるふりしてスカーフいじります》 和



(7/20)

《いつまでも 抱かれていたい 合歓の花》   

「昼は咲き夜は恋ひ寝(ぬ)る合歓の花君のみ見めや戯奴(わけ)さへに見よ」 紀女郎〈万葉集1461〉

「合歓咲く 七つ下りの 茶菓子売り」   小林一茶

「象潟(きさかた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花」   松尾芭蕉

ごう‐かん 〔ガフクワン〕 【合歓】(デジタル大辞泉)
[名](スル)
1 ともに喜び楽しむこと。
2 男女が共寝すること。同衾(どうきん)。
3 「合歓木」の略。

「合歓」が用いられた理由は、葉がピッタリとくっつき、男女が共寝する姿に似るためか、
不機嫌になった夫にネムの花を酒に入れて飲ませると、機嫌が良くなるという中国の伝説から、
家族が仲良くなる、喜びを共にするという意味で「合歓」が用いられたと考えられる。(語源由来辞典)
http://gogen-allguide.com/ne/nemunoki.html




(7/19)

   《ヘクソカズラ 娘ざかりの 艷に似て》



(7/18)

■ 神戸市短歌大会

神戸市とNHK学園が開いた神戸市短歌大会(7/16)では、全国の愛好家から寄せられた
3000首余りの中から、優秀作の10首が表彰されました。
大賞には3首が選ばれ、このうち富山県の高校1年生、松田梨子さんが詠んだ
「妹がそれは恋だと断言しゆっくり回り始める風車」
は、ある人に恋心を抱いていることを妹に言い当てられたときの気持ちを表現した作品です。
幼いころから短歌に親しんできたという松田さんは、
「妹と話をしていて、はっとしたときの気持ちを残そうと短歌にしました。
これからも学校生活で楽しいと思ったことなどを詠んでいきたい」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140716/k10013063151000.html



なお、7/14日の朝日歌壇では、
ジーパンで 自転車をこぐ モーツァルト 見かけたソナタ 九番の中』   (富山市 松田 わこ)
リビングが なんて静かな 午後でしょう 本一スマホ二 お昼寝が一』   (富山市 松田 由紀子)
が選ばれていた。
ーーーーーーーーーーー
松田梨子さんも高一となり、そろそろ「恋」を意識する年頃。
豊かな才能を活かして若々しい恋の歌が作られていくことを期待している。
金沢の敷田八千代さんのように。(彼女の歌は最近見られなくなったのが残念)
妹のわこさんもきっと追いかけるだろう。

松田さん親子の歌を俳句に作ってみた。

《見抜かれて恋の風車の回り始(ソ)む》   《子らはスマホ読書の横に夫(ツマ)昼寝》




《どれくらい 待てばいいのと 撫子が》   



(7/16)

   《うちわ集め 経済回す 祇園祭》
(写真は玉手のり子さんより)


《この次は 僕の部屋でと あめんぼう》   

☆ 流されてまたチャレンジのあめんぼう 《悌》



(7/15)

   《そこ紅の 恋を隠して 澄まし顔》



(7/14)

《可笑しくて 甘さ忘れる メロンかな》   
(写真は永田 満徳さんより)

   《梅雨明けを 姫檜扇に 聞いている》



(7/13)

《トリトマの 真直ぐな想い 夏空へ》   



(7/12)

《「逃」の字を 「桃」と間違ふ 蕪村の句》

先日(7/02)、蕪村の老いらくの恋の句を紹介した。
 《桃尻の光り気疎き蛍かな》

だが、私の先入観で「逃」を「桃」と読み違えていた。
 《逃尻の光り気疎き蛍かな》  が正しい。

   

「逃尻」は蕪村の造語だろうか? こういう言葉遣いは珍しい。

蕪村は62歳(妻子ある身)で20歳そこそこの芸妓小糸に恋をして、門弟達から諫められ句を詠んだ。
蛍が尻を光らせて去るのを寂しく思う、という意味で、小糸への思いを重ねたものだ、と解釈される。

大阪の芸妓で門弟の梅女は《糸によるものならにくし凧(イカノボリ)》と嫉妬する句を読み、
弟子の几菫は《老いそめて恋も切なれ秋の暮》、
弟子の暁台は《切てやる心となれや凧》と小糸と別れるよう諭しています。

老いらくの恋という生々しい出来事に、師匠と弟子が俳句の形で気持ちを伝え合うというのは、如何にも俳人らしい行為だ。
しかし葉室麟の小説『恋しぐれ』では、蕪村は弟子達の手前小糸とは別れたと偽り、

密かに大阪に小糸を隠し住まわせていた。
(ただ京都に住み病身の蕪村には大阪への逢瀬は難しかった)
「逃げていく蛍は、蕪村様の命の火やと思います。あの世へいく頃合いを悟ってはったんと違いますやろか」(小糸の述懐)。

「蛍」を「小糸への思い」とするか、「消えていく命の火」と読むかは、今となっては解らない。

俳句は本人でないと解らない事が往々にある。さらに他人が「こういう事ではないでしょうか?」と鑑賞すると、
「そういう鑑賞の仕方もあるんですね」、と本人が再発見するケースさえある。
句の解釈は、読む人の自由に任せられると考えるしかなさそうだ。



(7/11)

《蓮田から ポンと飛び立つ 宇宙船》   


    《蓮の実の 恋を振り捨て 凛と立つ》

〈蓮の花〉は〈夏の季語〉だが、〈蓮の実〉は〈秋〉となっている。
こんな例句があった。

《はなびらの くづれて蓮の実となりぬ》  軽部烏頭子
《蜜蜜とすごしたる日々 蓮は実に》   斎藤梅子

《実を飛ばしきるまで 蓮の直立す》   伊藤政美
《蓮の実が飛ぶ 女から夢が飛ぶ》    布施伊夜子



(7/10)

「芋虫が 吉兆告げて 恋しぐれ」

   

昨夜、大学の友達と神田で飲み、その後ドトールでコーヒー。酔いも残っていて話が盛り上がったのはよいが、家に帰ってから、店に文庫本を置き忘れて来たのに気がついた。今朝はこれから本を取りにまた神田へ。出かけようとしたら玄関先にデッカイ虫が。果して吉か凶か?

今村さん。永田さん。いま神田に着き、忘れた本を無事にゲットしました。



(7/09)

《アナベルや 綿帽子被り 玉の輿》   

歳時記で〈綿帽子〉は〈冬の季語〉となっている。
アナベル:紫陽花と綿帽子は、季語的には喧嘩をする関係だが、
花嫁さんが被る綿帽子ならば、冬と決め付ける方が固くなすぎると思い敢えて上の句とした。

綿帽子には、こんな例句がある。

《声もせで暗き夜舟や綿帽子》 太祇     《小町寺尼がかむれる綿帽子》 大森積翠




(7/07)

   《そよ風に 淡い夢見る 蓮の花》




(7/05)

《白桃の あふれる蜜を いとおしみ》   



(7/04)

   《早乙女が 無邪気に願う 玉の輿》

某デパートの七夕飾りに若い娘の願い事が書かれていた。
「運命の出会いがありますように」    「たまのこしに のりたいよ」




(7/03)

《紫陽花も 負けずリア充 蝶の舞い》   

写真は【蝶のたわむれ】という品種名。




(7/02)

   《花びらの フリル華やぐ 梅雨の晴》


《紅顎や 蜂の誘いに 頬を染め》    



(7/01)

      《グラジオラス 真っ赤な唇(クチ)で 嘘ばかり》


サマーランド紫陽花園now。ここはアナベルという真っ白な品種が自慢。

「アナベルの 山に焦がれる 雪の肌」    「捕らえかね 乙女心の 七変化」

     


のり子さんのアップ写真を見て。

《あの頃の バストとヒップ 懐かしみ》    《桃尻を 惜しげなく見せ 油照り》

     


《あの頃は バストとヒップ 天を向き 男はみんな ひれ伏していたのよ》







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