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邪馬台国の全解決
孫 栄健著 言視舎 2018 2020/5/20
中国「正史」がすべてを解いていた
序章 未完の謎解き
昭和五十七年(1982年)、私(孫 栄健)は六興出版より『邪馬台国の全解決』という本を出した。
まだ米ソは冷戦中、バブルはまだ先といった頃だ。
この本の主旨は、
@ 中国史書の独特の「春秋の筆法」という記述原理を『魏志』「倭人伝」に適用したこと。
A 「露布」の仕組み、つまり当時において「数字を十倍」して表現する記述原理があり、それを女王国への里程距離に適用したこと。
B 中国史書には「前史を継ぐ」という原則があるが、『三国志』と前史関係にある『後漢書』と『晋書』の解読結果を補助仮説として『魏志』「倭人伝」の解釈を試みたことだ。
第一章 魏志の再発見
「春秋の筆法」を簡単に言えば、「文を規則的に矛盾させながら、その奥に真意を語る」ということだ。
したがって史書著者の真意は、文の表面の割り切った言葉としては必ずしも現れない。捕捉しにくい、複雑で婉曲な文章術・レトリックなのだ。
「筆法のルール」とは、あえて「誤った用字、表現」を用い、文のルールを破り、それによって、文の裏に真意を秘める。野球でいえば単純な直球ではなく、カーブやシュートのような高等技術だ。ストレートのつもりでバットを振ると、大きく空振りしてしまう。
魏志は春秋の筆法で書かれている。
直接的な表現が、現政権の旧悪を暴露し、あるいは政治的な事情があって史実をそのまま公表出来ないとき、伝統的な「筆法」が用いられる。そして「筆法のルール」により、文を「矛盾(違え)させ、文の奥に本当の史実・著者の真意である本音を隠す。文外の文、言外の言としてだ。
史実や史観をすべて文の表面にあらわそうとするヨーロッパの歴史書とは、まさに対称的だ。
第二章 中国史書の論理に学ぶ
「魏志」には筆法があり、「邪馬台国」とは、女王連合三十国全体のことだ。
第三章 「魏志」里程記事を読む
戸数が「二万余戸」弥生時代で質・量ともに最大の遺跡群をもつ奴国、現在の福岡市の周辺。
紀元五七年に漢王朝に入貢し、時の光武帝より「漢倭奴国王」の金印を受けた。
そして183年後、女王卑弥呼にも同じ金印を授けた。
三国時代の中国では、人民向けの政府発表(特に軍事文書)には、数字を十倍に「誇大」する慣例(「露布」)があった。
第四章 三世紀の実相
卑弥呼・女王の宮殿は奴国、「高祖山」(標高416メートル)。
卑弥呼の墓(大いに冢(墳墓)を作る。径百余歩(145メートル)、殉葬する者、奴婢百余人)は平原弥生遺跡。
第五章 一大率と伊都国王について
伊都国王⇒男弟。
なぜ女王は死んだのか。その後の男王はだれか。なぜ倭国で内乱が起こるのか?
難升米とは誰か? 魏の軍旗をもらう。(魏と倭国の軍事同盟の当事者?)
第六章 東アジアの中の倭国
247年、【難升米】に魏の詔書と軍旗が拝仮された直後に、女王卑弥呼は死亡する。陳寿は「卑弥呼以死と表現する。
247年か、【男王】が立つ。しかし「国仲不服」であり「相誅殺」し合い、当時、千余人が殺された。
247年か、復た卑弥呼の宗女の十三歳の壱与(台与)を立てたら、「国中は遂に定まった」。
壱与は倭の大夫率善中郎将や耶狗等二十人を遣わし、張政等を帯方郡に送還した。
■ 「倭人伝・卑弥呼」と「古事記アマテラス」
卑弥呼=アマテラス、 男王(弟)=スサノオ。 天岩戸隠れ=日食。
岩戸からでたアマテラス=壱与
タカムスビ(高御産巣日神)=壱与の父
邪馬台国の人々は、数百年に渡り瀬戸内海を通り大和へ侵略を繰り返し、遂に国を奪った。⇒神武東征