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青森発『十和田』4分の殺意
峰隆一郎著 集英社文庫 2001 2016/11/10
上野行の急行「十和田」車内で女性の刺殺体が発見された。
ところが持っていた指定券は先行する寝台特急「ゆうずる4号」のもので、わざわざ途中の同時停車駅・野辺地で乗り換えていたことが判明する。
有力容疑者は同行していた恋人だが、この不可解な被疑者の行動が彼のアリバイを鉄壁なものにしていた。
独自の視点で事件を追う探偵・高比良亮。しかし、その追求を阻むように第二の凶行が起こる。
第一章 『ゆうづる4号』
茂呂伸二と茅原万里子は、十和田湖畔を歩いていた。バスを休屋で降りて、ぶらぶらと歩く。左手に湖を見ていた。詩人で彫刻家の高村光太郎の乙女の像がある。
うつむいて歩き、ときどき顔をあげる。万里子には景色など目に入っていない。
「諦めてくれないかな」 いやよ、と叫びかけてぐっとのみこんだ。
「あたし、二号さんでも愛人でもいいのよ。ときどきあなたに会えれば」
「そうはいかないんだよ。何度も言っただろう。万里子を嫌いになったわけじゃないんだ。そのことはわかってくれよ」
「はじめはあたしもそのつもりだったわ。だけど、あたし、あなたを愛してしまったのよ。あたし自身がどうにもならないのよ」
伸二ははじめから万里子と結婚しようとは思わなかったし、彼女にもそう言ってきた。期待を持たせることはしなかった。万里子もそれは承知していたはずだ。承知はしていたが、それがすべてではなかった。
「いやよ、別れるのは」 「ぼくのためだ、別れてくれよ」
「あたしに死ね、ということなの」 「そんなこと言ってないだろ」 万里子はうつむいて黙った。
急行『十和田』は二十一時一分に、青森駅を発車する。青森駅を出ると、浅虫温泉、小湊、野辺地、三沢と停車する。
野辺地から乗車した四十過ぎの女が、自分の席に座っている若い女を見つけ車掌に告げた。
その席に座っていた若い女の腹にはナイフの柄が突き刺さっていた。女は死んでいたがまだ体温が温かった。
(女は茅原万里子だった)
第二章 ライバル
高比良亮、33歳。テニスクラブの社長で探偵が趣味だ。
クラブの運営は弟がやっているので、遊んで暮らせる優雅な身分。起倒流柔術で体を鍛えている。
生き甲斐は探偵ごっこ。殺人事件に関わるのが一番楽しい。仲間に元警視庁刑事の栢次郎がいる。
「クラジ建託」の副社長・倉持毅から事件の捜査を依頼された。
「茂呂伸二は、茅原万里子を殺してないのかどうか、娘の婿になる男ですからね、そこをはっきりさせたいのですよ。当然、わたしは、茅原万里子が茂呂くんの恋人であることは知っていました。だからこそ、奈保と婚約する前にきれいにしておいてくれ、と頼んだんです。別れられずに殺したということもありえますのでね」
「茂呂さんにはアリバイがあります」
「しかし、崩れるアリバイかもしれない。奈保と婚約してから、犯人だった、では、わたしの立場がありませんからね」
「茂呂さんを、お嬢さんのお相手から外したらどうなんですか」
「そう簡単にはいかないんですよ。茂呂くんは仕事ができるそれに奈保も茂呂くんならと言っている」
第三章 裏帳簿紛失
茂呂は体を前に倒して亮に近づいて来た。
「これは社内秘なんです。会社の裏帳簿がなくなったというんです。上層部は大あわてです。会社の一部の人しか知りませんが、その裏帳簿事件に絡んで万里子は殺されたんじゃないかと思いました。もちろん、警察にもこのことは喋っていません」
「そうなると会社ぐるみの犯罪ということになりますね」
「副社長にもこのことは言わないでください。ぶくは知らないことになっていますから」
「裏帳簿を誰かが持ち出したんですか」
「そのようですね。社長室の金庫に入っていたのだ、と聞いています」
第四章 容疑消失
第五章 轢き逃げ
東北新幹線『やまびこ6号』車内で事件が起きた。
「発見したのは、あなたですね」
立っている車掌に言った。船戸啓介は床に這っていた。
「わたしが通りかかったのは、郡山を過ぎたあたりでしたね。二十一時三十分ごろでしたか。お客さまは眠っておられるようでした。通りすぎようとしたんですが、眠っているにしては、少し変でした。窓側に寄りかかって、顔を上げていたんです。二度目にお客さんの
肩をゆすったんです。すると、クタクタと崩れてシートに倒れ、電車の揺れでずれて床に落ちたんです」
「車内に医者はいなかったんですか」
「車内放送で呼びましたが、おいでにならなかったようです。それで先に上野駅に連絡をとりました」
(船戸啓介は「クラジ建託」の社員で茂呂と同じく奈保の婿候補の一人だった)
「茂呂さんとは関係ないことだと思うけど、二年下の野坂晋一というのがいたじゃない。ほら野球をやっていた。甲子園には行けなかったけど」
「ああ、野坂なら覚えている。いま、たしか東京にいると言ってたな」
「その野坂くんが交通事故で死んだのよ。いつだったかな、つい最近、先週よ。二十三日じゃなかったかしら」
「あの野坂が死んだのか」 「そう聞いたわ。しかも轢き逃げらしいのよ」
第六章 クラブ『仔猫』
第七章 経理部長
第八章 裏切り
「あなたの高校の後輩の野坂晋一が『ゆうづる4号』に乗っていた。あなたが野坂を知っていようといまいと、どっちでもいい。だが、野坂はあなたを知っていた。彼はあなたが万里子さんと一緒にいたので遠慮して声をかけなかった。でも、あなたの前の席にいた万里子さんが、おそらく必死の思いで乗降口に向かい、そして野辺地で降りた。野坂はそれを目撃したのでしょう。新聞かテレビを見た野坂は、おかしいなと思い始めた。車中でのことは何だったのだろうと。野坂はあなたに電話をした。そして彼は、おれは見たとでも言ったんじゃないですか。びっくりしたあなたは、野坂を殺さなければ、と思った。あなたは、車を盗み、厚木駅で待っていた」
「あなたは野坂を殺すべきではなかった。無駄なことをしたものです」
「あなたはせっかくの万里子さんの情を無にしたんです。万里子さんはあなたに殺されてもよかった。むしろ、あなたに殺されて彼女は満足だったのかもしれない。あなたは女を甘く見ていた。女の情というのは、それほど怖いものなんです」
◆ 野辺地駅での4分間のアリバイの謎、高比良亮はそれを見事に解いてみせた。