茶葉   交代寄合伊奈衆異聞(19)      佐伯泰英著    講談社文庫  2013       2015/03/24

 悠久の長江をヘダ号の仲間と遡る座光寺藤之助。
 茶葉を巡る英清両国の対立は激しく、芳醇な香りの裏に秘伝を狙う茶葉密偵の暗躍があった。
 髷を切り選んだ交易の道は、新たな戦いの始まりか。
 帆船レイナ一世号は交易品を満載し、バタビアを出港、帰途に就く。
 そう、玲奈が帰ってくる!  第十九巻。

  第一章 泥の川
 清国の咸豊九年(1859)夏の昼下がり、一艘のスクーナー型二墻帆船が長江をゆっくりと遡上していた。
 中国第一の大河は清海省南西部ゴラタントン雪山に水源を持ち、全長千五百七十五里(約6300キロメートル)と途方もなく長大な河の流れであった。
 大河には無数の船、長さ一間半余の漁り舟からジャンク船、さらには洋式外輪船まで往来していた。そんな大小の舟に混じって和洋折衷の帆船があった。むろん全長七十尺余の帆船、ヘダ号だ。
 船長は久しぶりにヘダ号に戻ってきた座光寺藤之助で、その傍らには劉源が後見方兼水先案内人として控えていた。そして、実際に操船するのは徳川幕府の講武所軍艦操練所から藤之助が上海の東方交易の雇員として受け入れた佐々木万之助、後藤時松、氏家寅太ら十八人の若者たちだ。その他に座光寺家の家臣の田神助太郎、賄い方として東方交易の一員になった小娘リンリン、李頓子少年が乗り組み、さらに犬のクロと雀が一羽、ヘダ号の客として乗り組んでいた。
 上海の黄浦江を出船しておよそ十数日、ヘダ号はようやく長江の河口から八十二余里も広がる長江三角州を抜けようとしていた。

  第二章 乞食坊主
 「どうです、鑑真上人が仏教修業をしていた大明寺を訪ねてみませんか。茶問屋はそれからでも十分間に合います」

 「ぜひ願いたい」 劉源の話を聞きながら山門を潜ると、境内の一角に破れ笠をかぶった乞食坊主の姿を見つけた。むろん宋堪御坊だ。
 「ほうほう、乞食坊主、昔修行した大明寺に足を踏み入れる勇気を持ちあわせておるようですな」
 劉源も宋堪の気配を認めて笑った。
 そんな二人が見ていることを承知しているのか、宋堪は若い修行僧と口角泡を飛ばす調子で喋りながら、ちらりちらりとこちらの行動を見ていた。
 藤之助と劉源は、線香を買い求め、本堂に入った。なんと本堂の一角に和国の人々に仏教の授戒をなした鑑真和上の木像があった。
 線香を手向けていると、ぷーんと異臭がして、宋堪が二人の背に近付いてきたのが分かった。そして、唐人の言葉での読経が始まった。
 甲高い声ながら、抑揚があって長い修業を感じられる読経だった。

  第三章 バタビアの雨
 玲奈が身嗜みを整え終えたとき、東方交易の最高顧問の黄武尊大人が玲奈の船室に姿を見せ、ドン・ミゲルと男二人、固く抱き合った。
 「娘が世話になっておるようだ、礼を申す」 と唐人語でドン・ミゲルが言い、
 「ドン・ミゲル、世話をかけているのはこの年寄りのほうですぞ」
 と鷹揚に笑って再会の喜びを述べ合い、黄大人が玲奈に視線を向けた。
 「玲奈様、父上ソト様と再会を果たされ、おめでとうございます」 と黄大人がまず祝意を述べた。
 「ありがとう、黄大人の勧めに従い、マラッカまでレイナ一世号を走らせた甲斐があったわ。父はマラッカ近くのモレック・アイランドで土地の人々を治療する診療所を開設していたの」  「玲奈様の幸せそうな顔を見るのは老人のこの上ない悦びにございますよ」

  第四章 茶旗山の老師
 筆と水を注いだだけの硯を貸し与えてくれた。墨は添えてない。水筆で紙に書けというのか。藤之助は、まず試しに
 「和国信濃伊那谷住人座光寺藤之助」 と記してみた。
 穂先に水だけを浸した筆でも筆先がなぞったところが濡れると、文字が浮かび十分に読めた。なんとも不思議な文房具だった。
 歯のない口をもごもごと動かし、老師が藤之助に質した。
 藤之助は寺に訪れた、「目的」 を問われていると察して、再び筆を紙に向けた。すると不思議なことに最前水筆で記した文字は消えて、手漉きの紙はもとの茶色がかった白紙に戻っていた。
 「来寺如何」 と記して、「茶葉為也就学、棒術乞伝授」 と認めてみた。
 老師が文字づらで理解したか、さらに尋ねた。そこで問いを推量し、こう書いた。
 「茶葉資交易也為、私欲利欲不為、万人向上也為」 と一行にして認めた。
 楢老師が藤之助に寺逗留の許しを与えた。なぜか老師の発する言葉が以心伝心に藤之助に伝わってきた。
 「有り難く存じ候」 昆副住職は藤之助が寄進したメキシコ銀貨二百ドルを老師に差し出した。老師はとぼけた顔で頷き、
 「好きなだけおられよ」 と昆と同じ言葉を重ねて告げたように思えた。

  第五章 日の丸の旗
 犬の吠え声が船上で聞こえ、純白のドレスに長い髪を後ろに垂らした玲奈が異人の服を着こなした長身の藤之助に伴われて、右舷に姿を見せた。背広は玲奈がペナン滞在中に藤之助のために誂えた三つ揃いだった。
 二人の新調の洋装には、長崎に凱旋する気持ちが込められていた。
 第一次の東方交易の失敗から長崎会所と唐人らの共同資本でなんとか再興し、さらにレイナ一世号とストリーム号を購入、これら大型快速帆船を使っての最初の異国交易からの長崎入港だ。長崎会所のみならず、長崎住まいの唐人らすべての者たちの夢と願いを乗せたレイナ一世号トストリーム号の帰国だった。長崎の人々が誇らしげに見詰める二隻の帆船には鮮やかな日の丸旗と東方交易の旗が誇らしげにに翻っていた。
 わあっ! という大歓声が上がった。フランス船籍の帆船からぽんぽんと乾いた音がした。シャンパンが抜かれた音だった。
 すでに用意されていた簡易階段に黄大人を先頭に玲奈、藤之助が従い、田神助太郎らが短艇をタラップ下に横付けして待っていた。

■ 藤之助と玲奈を乗せたレイナ一世号、ストリーム号は交易品を満載して長崎に帰ってきた。
 この後、藤之助は江戸の老中・井伊直弼と会う仕事が待っている。井伊直弼は何のために藤之助を帰国させたのか?