初つばめ
藤沢周平著 実業之日本社文庫 2011 2015/01/22
今こそ読みたい人情と希望。庶民の哀感を描く名作短編集。
深川の小料理屋に勤める長屋住まいのまみ。両親を亡くしてから親代わりとなり面倒をみてきた弟の友吉が、嫁になる相手を連れて挨拶にやってきた。
幸せな気持ちで出迎えたものの、高価そうな身なりの二人を見て心が乱れ・・・・・
表題作を始め、「チャンネル銀河」の人気番組「松平定知の藤沢周平をよむ」が選んだ、庶民の哀感を描く10篇。
◆ 驟り雨 ◆ 遅いしあわせ ◆ 運の尽き ◆ 泣かない女 ◆ 踊る手
◆ 消息 ◆ 初つばめ ◆ 夜の道 ◆ おさんが呼ぶ ◆ 時雨みち
物語の舞台を巡る散策マップ付。解説/松平定知。
運の尽き
「あんたが参次郎さんなら、折入ってご相談したいことがありましてな。ちょいと一緒に来ていただけますかな」
「・・・・・」 「外で、娘も待っております」
「おつぎなんて女は、おいら知らねえよ」 青い顔で参次郎が言った。
「おじさん、何か勘違いをしてんじゃねえのかな」
「おとっつあんと呼んでもらいたいもんだ」 と男は言った。にたにた笑いがひろがって男の眼は糸のように細くなった。
「なに、はずかしがるにはおよびませんよ。若い者にはよくあることでな。あたしなんぞも、今の嬶をもらったときは、もうおつぎが腹の中に入ってて、腹ぼてれんの花嫁でした、ハッ、ハァ」 と男は一人で笑った。
「おめえ、どうやらあの米屋に居ついたらしいな」
「まあな」 参次郎は苦笑してみんなの顔を見た。
「子供が生まれるんだ。今日はちょっと商売で外に出たから、懐かしくなってここをのぞきに来たよ」
「たらしの参次も、あれが運の尽きだったな、かわいそうに」 と直吉が言った。
「そうそう、あれが運の尽きだった」 と言ったが、参次郎は懐かしいむかしの仲間が、以前よりおしなべて人相が悪くなっているように思え、少しとまどいながら、釜の方にむかっておれにもお茶をくれないかと言った。
踊る手
「よう、信公」 と言った。伊三郎だった。長身で男ぶりがよく、うす闇の中でもいなせな姿が目立ったが、伊三郎は背に人を背負っている。ばあちゃんだった。
「話は聞いたぜ。世話になったな、信公。おとっつあん、おっかさんに、よろしく言ってくれよ」
伊三郎はそう言うと、背中のばあちゃんをゆすり上げて、ばあちゃん行くかと言った。
ほい、ほい、ほいと伊三郎はおどけた足どりで、路地を遠ざかって行く。その背に紐でくくりつけられたばあちゃんが、伊三郎の足に合わせて、さし上げた両手をほい、ほいと踊るように振るのが見えた。
ーーばあちゃん、うれしそうだな。
と信次は思った。すると腹から笑いがこみ上げて来てとまらなくなった。母親の説教など少しもこわくなくなっていた。信次は自分も両手をさし上げて、おどけた足どりでほい、ほいと言いながら路地を家の方に歩いた。
初つばめ
ーーおや、つばめだよ。
となみは思った。立ちどまって、水面すれすれに下流の八幡橋の方に姿を消すつばめを見送った。今年はじめて見るつばめだった。今年どころか、何年もつばめを見たことなどなかったように思う。
父ははやく死んだが、やがて残った母も病気で倒れた。二人とも癆害という病気だと、なみと弟の友吉のめんどうをみてくれた長屋の女房が言った。古着の行商をしている、銀助という男のかみさんである。
なみたちの母親が床から起き上がれなくなると、銀助は大家や長屋の者と相談して、やがてなみを入舟町の小料理屋に世話した。なみが十五のときである。
「おめえも、もう一人前だ。辛抱して働きな」 と銀助は言った。
銀助の言う意味はよくわかった。働きはじめた料理屋で、やがて男の客を取らされたときも、おどろきかなしんだことは確かだが、逃げ帰ろうとは思わなかった。いつまでも泣いてはいられなかった。
そのころには、銀助が言った辛抱しろという言葉には、こういうこともふくまれていたのだと気づいたが、岡場所に売られなかっただけでも、まだましだったのだと考えるようになっていた。
時雨みち
ーー若かったとはいえ・・・・・。
よくあんな無分別で、残酷な仕打ちが出来たものだ、と新右衛門は思った。思い出のにがさは、おひさがいま裾継ぎで女郎をしているという市助の言葉を重ねると、倍加してただならぬ苦汁を胸に溢れさせるようだった。
そのころ助次郎といった新右衛門と、安濃屋の女中をしていたおひさは、そんな窮屈なしきたりの中で、はげしく好き合うようになったのである。
まわりの眼のきびしさが、かえってひそかな忍び会いを一途なものにした。外で会い、次に会う約束もそこでした。おひさが台所の用で店に来ても、二人は店の中では顔も合せないほどに用心した。
二年ほど過ぎたころに、新右衛門は取引で時どき顔を出していた機屋で、主人からじきじきに婿を望まれた。思いがけない運がめぐって来たのだった。
新右衛門は一度はことわった。だがことわったあとに、みすみす訪れた幸運をとりにがした後悔が残った。後悔したそのときに、おひさから少し心が離れたのだが、新右衛門はすぐには気づかなかった。
おひさよいも、機屋の縁談の方に心が傾いていることを、はっきりさとったのは、ちょうどそのころおひさから、子供を身籠ったと打ち明けられときである。
新右衛門はおひさの子供をおろさせ、おひさを捨てて機屋の婿に入り商売人として大成した。
だが、おひさを捨てた心の傷が言えることはなかった・・・・・
◆ 「驟り雨」「遅いしあわせ」は別の本で既読だったので省いた。
どの話も松平さんが推薦するだけあって藤沢周平らしいしみじみとした話だった。
松平氏が藤沢周平の大ファンで、ラジオ放送で朗読をされていたとは知らなかった。
■ 松平定知氏の解説より。
偉大な作品が生み出された途端、それを別の形で再現しようとする動きが出てくる。
その場合、作者が書き了えた瞬間、その『作品』は作者から離れて別の生き物として生きる、という考え方も出来る。
例えば、カラヤンの第九の演奏はカラヤンだから素晴らしいし、小澤征爾の第九も、彼だからこその解釈の表現に喝采が起こる。
然し彼らはあくまでも”ベースになるもの”がある。わかりやすく言えば、一番偉いのはベートーベンなのだ。彼は全く何もない状態から、その作品を「産み出した」のだ。朗読も同じだと考える。
私の師匠の元NHKアナウンス室長・杉澤陽太郎氏はこう仰言るーー「作品の核心を離れて、全く別の視点でそれを再現する、ということもあってもいいかも知れない。が、でも、僕は、やはり、作品の思い、作者の思考の流れ、作者の息遣いについていきたいと思う。これでいいですか、この解釈でいいのでしょうか、と常に作者と会話していきたいと思う。それが朗読の醍醐味だ。」(『現代文の朗読術入門』NHK出版)
さらに師匠は、私をこう叱咤なさるーー「作者が『どうしてその場所にその言葉を選んでそこに置いたのか、そのことに込められた作者の意図はどこにあるのか』を必死の思いで忖度しなさい。作者の心を思いながら、一字一句そのままに、『書かれてある通り』に読みなさい。音符通りに弾くのです。その結果、君が作者の意図を感得したら、君の朗読をそのとき初めて聞いた聴取者がそう感じ取れるように、そう読みなさい。」