かどわかし 再問役事件帳二
鳴海 丈著 光文社文庫 2014 2014/07/31
筆店の息子の許嫁として、養女となったお咲。円満に過ごしていたはずなのに、ある日養母を刺し殺してしまう。
お咲にはなにか心中に秘めた思いが・・・・・(娘分)。
呉服屋の手代が辻斬りに殺された。しかし、下手人の浪人・伊村佐兵衛は牢の中で自らの首を折り自害してしまう。
それほどの胆力の男がなぜ辻斬りに・・・・・(表題作)。
江戸の冤罪専門捜査官、待望の第二弾!
江戸時代の司法制度では、刑罰を決める前提として、本人の自白を必要とした。証拠や承認があっても、本人が罪を認めない限り、原則として処罰できないのである。
小伝馬町の牢屋敷では、罪を認めない囚人に対して、責め問いーー拷問をすることが許されていた。責め問いには老中の許可を必要とし、死罪以上の想い罪を犯したと信じられる者だけが、その責め問いにかけられる。どうして「死罪以上の大罪」に限定したかというと、追放などで済む罪を白状させるのに、責め問いの途中で囚人を死なせてしまったら、罪と罰が不釣り合いになってしまう。
前近代的な封建社会であっても、容疑者の人権について、それなりの配慮がされていたのである。
第一話 娘分
その事件はーー八月初旬の深夜に起こった。本郷三丁目の筆店(江島屋)の女房、お染が包丁で刺殺されたのである。
主人の仙右衛門は毎年、京まで自分で仕入れに行っているので、品揃えは充実していた。その身代は二万両を下らないどろうーーと噂されていた。
子供は二人で、総領息子の市太郎は二十一、そして(娘分)のお咲が十七歳であった。娘分とは、養女にした許嫁のことだ。経済的に余裕のある富裕な商家や武家では、この娘分という風習が行なわれていた。もしも、素行や健康の問題で長男の嫁に相応しくないと判断されたら、持参金をつけて他所に嫁がせたりする。
お咲は小石川村の農家の娘だったが、寮で風邪の養生をしていた市太郎が野菜を売りに来たお咲を見初め、恋仲になった。
お咲は両親を早くに亡くし叔父の兼吉に引き取られていた。息子の様子を見に来た母親のお染もお咲を見てひと目で気に入り、亭主の仙右衛門を口説いて養女にしたのであった。
夜中に、奥の寝間で何か言い争うような低い声がして、次の瞬間、女の悲鳴が上がった。驚いた仙右衛門や市太郎、手代などがお染の寝間に駆けつけると、閉め切った障子を、内側から血飛沫が赤く染めている。
その障子を開くと、有明行灯の淡い光に照らされて、夜具に仰向けになったお染の胸に、深々と包丁が突き刺さっていた。そして、血まみれのお咲が、その死骸の前に呆然として座りこんでいたのだ。
お咲は皆や目明しの問いに何も答えなかった。別に犯人がいて逃げ出した様子もないため、お咲は養母殺しの容疑者として牢に送られ、責め問いにかけられたが、それでも「私が殺しました」とは絶対に言わなかった。
ところが、ある夜、突然に「私が殺しました」と叫びだした。しかし殺害の理由などは一切喋らなかった。
事件にはまだ裏がありお咲を真犯人と断定は出来ないと、再問役の出馬となった。
十八年前、亭主・仙右衛門が京へ仕入れの旅に出ている間に、お染は読本屋の男に襲われ身ごもってしまった。
仙右衛門に白状も出来ず、また仙右衛門が旅に出た後で出産したが、男の子の死産だったと嘘をつき、実際は生まれた女の子を里子に出した。この里子がお咲だった。
事件の起きる少し前に、お染はお咲が大事に持っていたお守り袋ーお染の手作りーを見つけ、お咲が実の娘だと知ってしまい、このままでは父親の違う兄と妹を結婚させる(畜生道)と悩み、お咲に(事実は隠し)結婚を諦めるよう話すが、お咲が承知するはずもなく、思い余って自殺した、というのが真相。
お咲は、不義の子を産んだ母親の名誉を守るため、口を閉ざしていたのだった。
お咲が放免され尼寺に入るということで事件を落着させる。
第二話 かどわかし
その夜ーー日本橋の呉服屋(備前屋)の主人・長右衛門は、愛宕下の大名屋敷で商談を済ませて、手代の芳松と店に戻る途中であった。
長右衛門の申し立てによればーー幅二間の掘割に架かる源助橋という仮橋を渡り終えた時、柳の影から人影が出てきた。芳松の持つ提灯の明かりに照らされた姿は貧窮した食い詰め浪人そのもので、主従はぎくりとして立ち止まった。面体を、覆面や手拭いで隠してはいない。
五十近いと思われる痩せた浪人であった。「ーー金を出せ」低い声で、浪人は言った。その右手は、大刀の柄にかかっている。
長右衛門は、「財布なら差し上げますから、命だけはお助けください」と懇願しようとしたが、恐怖のあまり、口も舌も強ばって声が出ない。
すると、芳松が主人の危機と思ったのか、「旦那様、お逃げくださいっ」
そう言って、勇敢にも浪人に武者振りつこうとした。
が、その時には、浪人の大刀が鞘走り、芳松は袈裟懸けに斬り伏せられたのである。提灯が地面に落ちてめらめらと燃え上がった。
返り血を浴びた浪人が、血刀をさげて長右衛門に近づいた時、
「そこで、何をしておるかっ」 駆け寄ったのは、南町奉行所の定町廻り同心であった。
「辻斬り・・・・人殺しでございますっ」 後じさりしながら、長右衛門が必死で叫んだ。
「違う、違うぞっ」 浪人は叫んだが、提灯の燃える火に照らされた姿は血で汚れている。しかも、血刀を手にしているのだ。これでは到底、言い逃れはできない。
「無法者め、潔く縛につけっ」 同心は、浪人と長右衛門の間に立ちはだかって、浪人に十手を突きつけた。
浪人は捕縛され牢に繋がれたが、長右衛門を襲った理由を述べず、牢の中で自分で自分の首を折り自害した。
浪人・伊村佐兵衛には二人の娘、多岐二十三歳と千沙十九歳がいたが、多岐は半年ほど前に川に身を投げて亡くなっていた。
備前屋の一人娘・お園が何者かに拐かされた。長右衛門は拐かしを隠し奉行所には届け出なかったが、再問役の参九郎は誘拐者の探索を始め真相が明らかになる。
多岐が身投げしたというのは嘘で、実は長右衛門が川に突き落としたのだった。さらに、その前に長右衛門はたまたま茶店で出会った多岐を陵辱していたのだった。佐兵衛はこのことを知り、長右衛門に復讐しようとしたのだが、それを同心に妨げられてしまった。
千沙とお園は偶然に出会い、お園は狂言誘拐で父親に自訴するよう訴えたのだが、長右衛門は悩んだ末に自害する。
■ 江戸時代を舞台に、再問役という冤罪防止捜査官が活躍するという珍しい設定だ。
剣に優れた隠居旗本・不破源次郎と剣技はからっきしの旗本次男坊・川野参九郎とのコンビは面白い組み合わせ。
TVドラマ「相棒」のパロディみたいなものだろうか?