恋しぐれ    葉室麟 著 文春文庫    2013    2014/07/12       トップへ

 京に暮らし、二世夜半亭として世間に認められている与謝蕪村。
 弟子たちに囲まれて平穏に過ごす晩年の彼に小さな変化が・・・・。
 祇園の妓女に惚れてしまったのだ。蕪村の一途な想いに友人の応挙や秋成、弟子たちは驚き呆れるばかり。
 天明の京を舞台に繰り広げられる人間模様を淡やかに描いた傑作連作短編集。

 ◆ 夜半亭有情   ◆ 春しぐれ   ◆ 隠れ鬼   ◆ 月渓の恋

   ◆ 雛灯り   ◆ 牡丹散る   ◆ 梅の影

  夜半亭有情
 垣根越しに、男がじっと蕪村の家の様子をうかがっている。男は二十日ほど前から近くで見かけるようになった。職人のような身なりだが、昼日中に他人の家をのぞきこめるほど、暇な職人はいないだろう。不審に思った蕪村が庭に出て男に、
 「なんぞ御用事か」 声をかけた。すると男は垣根の隅に咲いている白い小さなはなを指さした。薺の花である。
 「きれいな花だ」 おとこはつぶやくように言った。

 近ごろでは絵を買う人も多くなり、蕪村の暮らしも以前より楽になった。それでも祇園に遊ぶほどの金はない。金主のなってくれるのは俳句の門人でもある佳棠だった。
 佳棠が祇園に招待してくれなければ小糸とも会わなかっただろう。
 小糸は色白で儚げな女だった。時折り、こほん、と咳をするのが、胸の病ではないか、と気にする客もいたが、蕪村は気にならなかった。  蕪村が思い浮かべるのは、小糸が物思いにふけっている顔だ。その横顔が・・・・。

 わたしには娘がおりません。この絵の女はわたしの母親です。わたしの母はお美和と申しました」
 「お美和さん・・・」 蕪村にとって、はるか昔の名前だった。与八は静かに言った。
 「わたしは蕪村先生の息子です」
 蕪村は結城にいたころ周辺の下館に、しばしば足をのばした。下館では木綿問屋の主人で夜半亭同門の中村霞堂の家に滞在した。
 お美和は霞堂の妻だった。二十七、八歳、美しい人妻で和歌、音曲の心得があり、人柄も優しい女性だった。
 霞堂が仕事で江戸に行った留守に、蕪村はお美和と夜を過ごし、男女の仲になり、霞堂が帰る前に逃げ出した。お美和が子を宿していたとは夢にも思わなかった。

      《身にしむや亡き妻の櫛を閨に踏む》

  春しぐれ
 くの(蕪村の娘)に縁談があったのは十四になった年の春のことだ。
 佐太郎という相手の若い男は色白で特に好きではなかったが嫌いというわけでもなかった。
 母親に「でも、どんな人かわからないのに、お嫁に行ってやっていけるんやろうか」くのがつぶやくと、ともは笑った。
 なにごとも案ずるより産むが易しや。柿屋はんは立派なお店やし、伝右衛門はんも人情もわきまえたおひとと思いますえ」
 母親にそう言われると、くのにも伝右衛門は物のわかった人柄に思えた。
 「嫁入りは相手のおひとも大事やが、肝心なのは向こうの親御はんや。親を見て決めなあきまへん」ともは自信ありげだった。
 それでも、くのはこっそりと下女のおさきに縁談のことを話した。
 おさきは、話をしていたくのの顔をじっと見つめた。
 「お嬢はんがうらやましい」 「うらやましい?」 くのは戸惑った。おさきはそう言うと、
 「わたしの知っている男のひとは、島原の料理屋で下働きをしてはるんです。板前になりたいんやけど、いつまでたっても板場にたたせてもらえへんってこぼしてました。お嬢はん、柿屋にお嫁に行かはったら、そのひとを雇ってもらえまへんか。助けてもらえたら、わたし一生恩に着ます」
 おさきは色白でととのった顔立ちだった。声には秘密めいたつややかさがあった。くのは、縁談があっただけで心を浮き立たせている自分にはわからない、男と女の匂いをかいだような気がした。

 くのは嫁入りし、さきと男を雇ってもらうように口添えをしたが、その男がとんでもない放埒者で賭場に出入りして柿屋に大きな損害を与え、くのはそのために離縁されてしまった。

      《春雨やものがたりゆく箕と傘》   《さみだれや大河を前に家二軒》


  月渓の恋
 月渓は杯事の後、傍らのおはるに囁いた。「なんだか夢を見ているような気がする」
 「わたしも夢の中にいるような気がします」 おはるは微笑んで言った。
 「島原で太夫になったおはるに会う前、易者に不思議なことを言われた」 「どのようなことを?」
 「わたしは手の届かないものを手に入れようとすると言うんだ。たとえば、月を」
 月渓は中庭の上の夜空にかかる月を見た。婚礼が行われている座敷は障子が開け放たれ、縁側の向こうに中庭が見えた。座敷は行灯の灯りだけでなく月光が差し込んで明るかった。
 「それで、あの絵をわたしにくださったんどすか」
 おはるは、しみじみと月渓が呑獅に託した絵のことを言った。月が島原の町を照らしている絵である。
 二人の話を耳にした蕪村は、月を見上げながら言った。
 「二人とも、よう出会えたなあ。その縁を大切にすることや」 蕪村は俳句を口にした。

      《月天心貧しき町を通りけり》

  梅の影
 お梅のもとに与謝蕪村の死が伝えられたのは、天明三年(1783)十二月二十七日のことだった。
 この年の秋、蕪村は後援者の招きで宇治に遊んだ。楽しい遊興だったが、老いの身には応えたのか、京の家に戻ってから寝込む日が多くなった。十二月に入ると容体は益々悪くなり、一日中臥せった。高弟の几董や月渓ら門弟も蕪村宅に詰めた。特に月渓は昼夜を分かたず蕪村の看病を続けた。
 十二月二十五日未明ーー師走も押し迫った寒風が吹きすさぶ寒い夜だった。

      《逃尻の 光り気疎 き蛍かな》

蕪村は62歳(妻子ある身)で20歳そこそこの芸妓小糸に恋をして、門弟達から諫められ句を詠んだ。
「蛍が尻を光らせて去るのを寂しく思う、という意味で、小糸への思いを重ねたものだ」、と解釈される。

大阪の芸妓で門弟の梅女は 《糸によるものならにくし凧(イカノボリ)》 と嫉妬する句を読み、
弟子の几菫は 《老いそめて恋も切なれ秋の暮》、  暁台は 《切てやる心となれや凧》 と小糸と別れるよう諭しています。

老いらくの恋という生々しい出来事に、師匠と弟子が俳句の形で気持ちを伝え合うというのは、如何にも俳人らしい行為だ。

しかし葉室麟の小説『恋しぐれ』では、蕪村は弟子達の手前小糸とは別れたと偽り、密かに大阪に小糸を隠し住まわせていた。
(ただ京都に住み病身の蕪村には大阪への逢瀬は難しかった)

「逃げていく蛍は、蕪村様の命の火やと思います。あの世へいく頃合いを悟ってはったんと違いますやろか」(小糸の述懐)。

「蛍」を「小糸への思い」とするか、「消えていく命の火」と読むかは、今となっては解らない。

■ 蕪村を中心に彼を取り巻く、応挙、秋成、月渓、娘くの、などの逸話を綴る短編集だ。
 それぞれの話に、蕪村の作った句が紹介されている。読みようによっては、句をヒントに話を展開させたのか?とも。

 俳句は本人でないと解らない事が往々にある。さらに他人が「こういう事ではないでしょうか?」と鑑賞すると、
「そういう鑑賞の仕方もあるんですね」、と本人が再発見するケースさえある。
句の解釈は、読む人の自由に任せられると考えるしかなさそうだ。