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 ー夏みかん酢つぱしいまさら純潔などー   生誕90年 伝説の女性俳人を追って
   句集『春雷』『指環』 鈴木しず子著     河出書房新社   2009     2014/05/07 

『鈴木しず子』生誕90年 伝説の女性俳人を追って  河出書房新社 2009
ーー夏みかん酢つぱしいまさら純潔などーー句集『春雷』『指環』河出書房新社 2009    を読んだ。

◆ エッセイ
 金子兜太    鈴木しず子の俳句
 稲葉真弓    堕ちていくことの美しさ
 雨宮処凛    もっともおおきな不幸
 黒田杏子    九十歳のしず子おばあさん
 道浦母都子  物語のひと
 宇田喜代子  鈴木しず子想望
 西加奈子    表現者
 斎藤慎爾    (戦後派)作家に列して
 正津 勉    しず子は生きている
 蜂飼耳     指は知る
 土肥あき子   Wを打てば

◆ 自句自解
 鈴木しず子『寒夜』の句

◆ 特別対談   川村蘭太&江宮隆之
 永遠の女性、鈴木しず子伝説  演じられた俳句人生を追って

◆ 想い出のひと
 松村巨湫   慎ましい野性
 高柳重信   指環
 楠本憲吉   鈴木しず子断感
 古谷網武   鈴木しず子さんに心魅かれる
 宮崎素洲   思い出と追想と
 矢澤尾上   鈴木しず子とその回想

◆ ノンフィクション
 川村蘭太   鈴木しず子追跡  シナリオ取材ノートより

◆ 作家・作品論
 松村巨湫    しず子のこと
 鳥海多佳男   鈴木しず子句集『春雷』とその背景
 中村還一    一つの境涯
 平畑静塔    「春雷」を通して
 神田秀夫    鈴木しず子「指環」に寄せて
 志摩芳次郎   いまさら純潔など
 上田都史    鈴木しず子のこと
 石寒太     風流畸人・鈴木しず子

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■ 矢澤尾上   鈴木しず子とその回想(抜粋)
目がくりくりとして美しいのが印象的である。年齢は十七、八ぐらいか時おり黙礼を交わすだけだったが、こうして一つ部屋で対面する機会はなく、この時、鈴木しず子の名もはじめて知った。 さて、作品となると、形も内容もまだまだ俳句とは云えず、些細なことがらを取りあげ、甘ったるい新詩めいた感情で、五七五らしく羅列する散文に過ぎないものだった。
ただひとつある長所を云えば、常識的な俳句のイメージでは作っていないことである。初心者のうちはとかく、俳句の形式ばかりにとらわれ易く、妙に風流めいた観念くさい句になりがちなのだが、彼女はその点、現実に即し、日常性を失わない自由さと素直さがあった。

しず子の場合、多くを作り、多くを捨てるタイプと云ってよい。この体質は最初から最後まで変わらなかった。とにかく或る時期を托して、多数の作品中から光かがやくもののみを拾い集めた。その光は珠玉のかがやきかも知れない、或は単なる貝殻の光りだったかも知れない。そうなると数はいくらもなかった。光らざるものの残り大半は何の未練もなく恰も遠い海の中へ投げ棄てるかのように没にした。そして拾い収めたものが句集『春雷』であり『指環』にほかならなかったのである。

 《春さむく掌もていたはる頬のこけ》   《長き夜や掌もてさすりしうすき胸》
 《くちびるのかはきに耐ゆる夜ぞ長き》   《霜の葉やふところに秘む熱の指》


外部より指導者に松村巨湫を迎えることになった。この時ぶんは俳句のコツを覚えたらしく、詩材の選択と表現にくふうがこらされて、それも気負って表現する気配は少しも感じられない。純粋性を保とうとする姿勢があり、著しい成長のほどが窺われる。

 《いにしへのてぶりの屠蘇をくみにけり》   《たそがれやとぼしき黄葉を捨つる桑》
 《炭はぜるともしのもとの膝衣》     《地におちし銀杏のわか葉にさそはるる》
 《とほけれど木蓮の径えらびけり》     《古本を買ふて驟雨をかけて来ぬ》

句集(春雷)は昭和二十一年二月に発行され、九月には初版が売り切れるという破格の好調さは、まさに春雷が鳴りわたる勢いを示した。評判がいいから再版を余儀なくされたと云えばそれまでであるが、結局、三版を重ねるに至っては、作者本人はむろんのこと、はたの私たちでさえ夢想だにしない評判のありかただった。この作者の青春のイメージともいえる作品群が、俳壇にさわがれたのは事実である。

 《春雷はあめにかはれり夜の対坐》   《夫ならぬひとによりそふ青嵐》
 《体内にきみが血流る正座に堪ふ》    《夏みかん酢つぱしいまさら純潔など》
 《欲るこころ手袋の指器に触るる》   《闇といふ姓の感じや寒桜》

 《寒牡丹の葉のひろごりや夫さだめ》   《ひらく寒木瓜浮気な自分に驚く
 《山の残雪この夜ひそかに結婚す》   《ダンサーになろか凍夜の駅歩く》
 《霙るる槇最後のおもひ逢ひにゆく》   《対決やじんじん昇る器の蒸気》

 《山はひそかに雪ふらせる懺悔かな》   《春雪の不貞の面でうち給へ》
 《けんらんと燈しみだるる泪冷ゆ》     《恋の清算春たつまきに捲かるる紙片》
 《肉感に浸りひたるや熟れ石榴》   《実石榴のかつと割れたる情痴かな》

 《指環凍つみずから破る恋の果》   《黒人と踊る手さきやさくら散る》
 《堕ちてはいけない朽ち葉ばかりの鳳仙花》   《すでに恋ふたつありたる雪崩かな》
 《菊白し得たる代償ふところに》   《テニスする午前七時の若葉かな》
 《コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ》   《栞はさみあるふみをひらく白薔薇に》

 《吹雪く玻璃たがひ背ける黒人白人》   《冬を汗ばむダンステケツを握りし指》
 《あはれ指紋すべての娼婦とられたり》   《ダンサーも娼婦のうちか雪解の葉》
 《品定めさるるに狎れし雪ちらつく》   《冴返るマヅルカ踊る衣のすそ》
 《うち伏せば香水の香と酒の香と》   《同業の女人失せ次ぐ蕾桃

 《売れつ子といはるるほどに花は夜々》   《薔薇は濃し代償の額多きほど》


『春雷』 から抜粋

 《湯の中に乳房いとしく秋の夜》   《菊活けし指もて消しぬ閨の燈を》
 《よきひとの妻をめとりぬ秋闌けて》   《さかりゆくひとは追はずよ烏瓜》
 《暖房のおよばぬ隅に着更へする》   《冬の夜や辞しゆくひとの衣のしわ》

『指環』 から抜粋

 《柿秋葉東京言葉で愛でられて》   《月蒼む吻ふれしむる玻璃のはだ》
 《春さむく紐よぢれする胴のはだ》
   《わが頬にゑくぼさづかり春隣》
 《恋情や冬甘藍の重み掌に》   《あひびきの夕星にして樹にかくれ》

 《蘇枋濃しせつないまでに好きになったいま》   《月明のくちびるかはく哀しけれ》
 《情慾や乱雲とみにかたち愛へ》
   《ひと恋の梅雨の弱星かかげけり》
 《甘へるよりほかにすべなし夾竹桃》   《花吹雪岐阜へ来て棲むからだかな》

 《花の夜や異国の兵と指睦び》   《性悲し夜更けの蜘蛛を殺しけり》

 《ここに少女期太宰文学神とあほぎ》   《恋初めの恋失せしめし卒業せり》


■ 志摩芳次郎  いまさら純潔など

 《情慾や乱雲とみにかたち変へ》

夏雲を見て欲情をたかぶらせる。
女の欲情と男のそれとは本質的にちがう。内向的であるゆえに、女の欲情のほうが深刻かもしれない。女は男にくらべ、はるかに秘密的だから、秘匿してひとに洩らさない。いちど肉のよろこびを知った女の欲情は男などよりも、はるかにはげしいのである。

《慾望や寒夜翳なす造花の葩》

俳句としては、あまりできはよろしくないが、女の欲情とそのふくざつな動きを、表出するのに一応成功している。
ここまで、女として大胆不敵に、人間の本能(性本能)をなまなましくうたったのは、彼女をもってはじめとする。

未亡人として、そのうえ絶世の美貌で、ひとに知られた【橋本多佳子】は、

 《雪はげし抱かれて息のつまりしこと》   《雪はげし夫の手のほか知らず死す》
 《息あらき雄鹿が立つは切なけれ》   《雄鹿の前吾もあらあらしき息す》


 《うち伏して冬濤を聴く擁るる如》   《女の鹿は驚きやすし吾のみかは》
 《夫恋へば吾に死ねよと青葉木莵》   《許したししづかに静かに白息吐く》

空閨のなやみを、こんなふうに俳句につくっている。


■  川村蘭太   鈴木しず子追跡

ーーしず子は北海道で【群木鮎子】となった?
 ここにまた、北海道俳壇を風のように通り過ぎたひとりの幻の女流俳人がいる。
彼女はS28年から翌29年(1954年)にかけ、俳誌『餐燈』に投句し、その名もペンネームで住所もまた不詳であったという。

【群木鮎子の投句作品】(一部)

 《唇塗れば青空いぶし銀に昏む》   《青葉風手管の口説聞きながす》
 《恋の夢わたしは匂うものさえない》   《男の体臭かがねばさみしい私になった》
 《花火消ゆ純潔とおき日の果てに》   《夫ならぬ人の唇あまし夜の新樹》

 《三百六十五夜男いて性根崩さるる》   《公園の真夜の接吻擦るひびき》
 《身を揉じて燃ゆる夫ほし夜がかぶさる》   《娼婦と違ふ夜の灯の暗さ撥ねかえす》
 《操とは明治の雪か消ゆばかり》   《痴戯に雪がくぜんと私をとりもどす》
 《春夜きし銭の男に負かされぬ》   《柔軟に夜の精液を吸ひあげる


この鮎子俳句に接した人々は、当然のごとく鈴木しず子の出現かと、にわかに色めきたったことはすぐに想像がつく。
両者が同一人物ではないという確証はなにもない。


ーーしず子の沈黙ーー【上野ちづこ】の俳句(上野千鶴子氏)

 《からだという一つのうそをまた重ね》   《むきみのあさりとなって悪戯あう》
 《春羊歯類ももいろドレスの中に満ち》   《レモン色の服着て女の体液も酸味》
 《あなたとわたしが塞いだジュウシイな夜》   《受胎告知 単性生殖の悪いゆめ》

 《処女ら狷介の眼にてバナナの衣剥く》   《愛咬の前後溶けゆく時間の端》
 《あなたを愛している 鉄の匂い》     《いわば痴情の愛のなつかしさ雪こんこ》


「対話篇性愛論」(河出書房新社)
 性愛をめぐるディスクールはあふれているのに、性愛のもう一方の当事者ー女ーの言説が、あまりにも少ないのだ。
一つのリアリティを二人の当事者が共有するとき、一方の当事者の証言だけで真相がわかるわけではないことを、芥川龍之介の 『藪の中』は示したはずだ。
さらに上野千鶴子は発言する。
 性愛のもう一方の当事者である女は、長いあいだ沈黙を強いられてきた。語ろうとすればそれははしたないことと見なされ、禁止と抑圧が働いた。語り始めれば、性を語るコトバはすでに男じたての論理に汚染されていた。たまさかに女だてらに沈黙の性を語ろうとする女がいれば、男の口調をそのまま写しとって男に迎合した。女は、男の憤激を買うことを、それほど恐れたのだ。女のコトバは、どこにも、ない。

上野千鶴子は、男の言葉によって支配され続けてきた女の性の領域を女性自身の言葉によってその復権を計ろうとしているのである。

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 《欲るこころ手袋の指器に触るる》

この句について、「器」が何を暗示するのかで鑑賞は全く違ってくる。
「器」=性器、と取ると「手袋の指で触る」というのは不自然ではあるが、ドキリともする。
だが作者は、欲しかった陶器・壺の事だと自解している。

 《寒の夜を壺くだけ散る散らしけり》


 《体内にきみが血流る正座に堪ふ》

この句の「きみ」が誰のことかでも、 「きみ=相手の男」と読むと、子供を妊娠したと解釈されるが、
これも作者は「きみ=母」の事だと自解し、母の生き様が自分にも伝わっているのだと。

俳句の鑑賞は難しいものだ。




鈴木しず子(1919生まれ)は、終戦の年には21歳、製図工として働き始めている。会社の俳句会に入り、俳句の勉強を始め、松村巨湫の指導で腕を上げて行った。
一度結婚するが、赤ちゃんが早世し(理由は不明だが)離婚した。朝鮮戦争が始まり、生活の為にダンサーとなり米兵の相手をつとめ、やがて黒人米兵のオンリーになったようだ。この辺りの事情から『娼婦俳人』と呼ばれたそうだが、句を読むとそのような生活だったことが覗える。
相手の黒人ケリーが負傷してアメリカへ帰り、結局別れることになる。その後、一時北海道へ渡ったということは分かっており、それらしい句もあるが、その後どうなったのかは不明のようで、自殺したとの推測もある。
北海道俳壇に彗星のように現れ、姿を消した【群木鮎子】がしず子ではなかったかという説もあるが定かではないと云う。


長谷川かな女、久保より江、阿部みどり女、竹下しづの女、高橋淡路女たちの仕事はもはや終わったといってもよい。
ならば現代第一線にある女流五家を挙げるとすると、中村汀女、星野立子、橋本多佳子、三橋鷹女の四人で、あとの一名は誰であろうか、候補として山口波津女、細見綾子、桂信子、殿村めい子、加藤知世子、野沢節子らをあげ、さらに異色の作家として、鈴木しず子がある。
 −−安住敦 現代女流拝金概観(国文学「解釈と鑑賞」30年1月)



− 娼婦と呼ばれた俳人、鈴木しづ子 −