山椿 新編傑作選2      山本周五郎著    小学館文庫  2010       2014/4/18

 生誕百年を越えてなお清新な輝きを失わぬ山本周五郎の傑作短篇集第二巻。
 自分を拒み続ける新妻の秘密とは。友情と妻へのいたわりが見事な結末を迎える表題作。
 時代を超越したキャラクターが秀逸な「若き日の摂津守」。
 決闘を前にした若者と流浪の夫婦の運命的な交情を描く「橋の下」。
 ある秘密を抱える主従の歳月を感動的に描く異色作「菊千代抄」。
 映画的スケールのサスペンスとスペクタクルの「砦山の十七日」ほか。
 侍の息遣いがリアルに立ち上がる武家もの全八篇を収録。巻末エッセイとして時代小説家・和田はつ子による「山本周五郎の空」を収録。(編・竹添敦子)

 ◆ 若き日の摂津守   ◆ 饒舌り過ぎる   ◆ 屏風はたたまれた   ◆ 橋の下   
 ◆ 山椿   ◆ ゆだん大敵   ◆ 菊千代抄   ◆ 砦山の十七日   ◆ 山本周五郎の空

  若き日の摂津守
 摂津守光辰の伝記に、幼少のころから知恵づくことがおくれ、からだは健康であったが意力が弱く、人の助けがなければなに一つできなかった。
 つねに洟涎をながしながら、みずから拭くすべを知らなかったし、側近の者が怠ると失禁されることも稀ではなかった。これらは成長されてからも変わらず、御家相続ののちでさえ、自分がたれびとであるかを、いちいち左右の者に問い糾されるありさまであった。
 光辰の兄・源三郎光央は十五歳のとき精神異常という理由で廃嫡されたため、光辰は十歳で世子に直り、十七歳で松平信濃守の女を娶った。夫人の名は不明であるが、結婚したときはもう二十五歳で、光辰より八つも年長であった。
 領地・国許の地勢は極めてよく、豊かな物産に加えて交通の便がいいから表高より実収は二万石も多いと言われていて、政治は重職たちに任せておけばよく藩主は何もしなくても藩政は安定していた。

 摂津守光辰の暗愚は、母の教えに従ったもので、真実ははるかに賢い性格だった。お国入りをして、専横を極める家老職を成敗するという話。  

  橋の下
 練り馬場と呼ばれる広い草原に、いま一人の若侍が入って来た。空はいちめんの星であるが、あたりはまだ真っ暗だった。
 若侍のおちつかない動作は、眼に見えないなにかに追われているか、または追いかけているようにみえた。
 「なにを、いまさら」と彼は呟いた。「もう考える余地はないじゃないか、これでいよいよけりがつくんだ。もうなにも思い惑うな、なんにもかんがえるな」
 遠くの鐘の音を聞き、若侍は自分が時刻を間違っていた事に気づき、橋の下で火を焚いていた老人(乞食)の所へ行った。
 乞食は湯を出し、身の上話を始めた。
 「父が病死した後、私にすぐ縁談がはじまりました」と老人は云った、「二十一の冬のことですが、私はまえからそのつもりでいた娘を、自分の嫁にと望みました、娘の家は番がしら格で、彼女の年は十七歳、もちろん当人も私の妻になることを承知していたのです、しかし、その申し入れは断られました」
 −−−せっかくではあるが、娘はもう婚約した相手があるから。
 娘の親は仲人にそう云った。そして婚約の相手を訊くと、その友達の名をあげたのだという。
 老人は友達を訪ね、決闘を申し込み、決闘で相手を斬り、娘と逃げたのだが、幸せになることは出来ず、乞食に身を落として今まで生きて来たという・・・・・  

  山椿
 主馬はふところから封書を出して、いぎたなく倒れている良三郎の前へ押しやった。良三郎は途中まで読んでまた始めへ戻った。
 幾たびも眼を拭き、幾たびも読んだところを読み直した。それが終わると遺書を持ったまま手を膝に下ろし、がたがたと全身を震わせた。
 「結婚して七十余日になるが、夫婦の契りはいちどもなかった、あれは榎本良三郎に操を立てとおしたんだ。−−どんなに苦しかったろう、夫への義理と、榎本良三郎への義理と、板挟みの七十幾日を独りで苦しんだ、・・・・縁談の定まったとき死ねばよかった、けれども死ねなかったと云う、愛する者にみれんが残った、どんなみれんだと思う榎本・・・・あれは貴様にすぐれた才能があると信じたあなたが愛して呉れればひとかどの人間になる、貴様のそう云った言葉を信じた、それが・・・どうしようもないめぐりあわせで、梶井へ嫁がなければならなかった、あれはそのことを詫びたかったんだ、貴様にひとめ会って、詫びてから死にたかったんだ」  

  菊千代抄
 菊千代は巻野越前守貞良の第一子として生まれた。母は松平和泉守乗佑の女である。
 菊千代はおもに日本橋浜町の中屋敷か、深川小名木沢の下屋敷でそだてられた。養育の責任者は樋口次郎兵衛といい、謹厳で物静かな老人、身のまわりのせわは松尾という乳母がした。
 父の貞良は月に五たびくらいは欠かさず会いに来た。髭の濃い、眼の大きな、こわいような顔で、背丈の五尺八寸あまりもある、体つきの逞しい人だったが、口のききぶりはしずかでやさしく、笑うと濃い口髭の下に真っ白なきれいな歯が見え、片方の頬にはえくぼができる。
 会いにくると、父は菊千代を前に座らせてたのしそうに酒を飲んだ。その席には給仕のために少年の小姓を二人、それと乳母の松尾しか近寄せなかった。
 母にはごくたまにしか会わなかった。菊千代はあまり母が好きではなかった。
 自分のからだに異常なところがあるということを、初めて知ったのは六歳の夏であった。
 菊千代のほかに三人ばかり、すぐさま袴をぬぎ、裾を捲くって、池の中へはいって魚を追いまわした。そのうちに菊千代の前へまわった一人が、とつぜん大きな声で叫んだのである。
 「やあ、若さまのおちんぽはこわれてらあ」

 この当時、第一子が女子であっても、男として育て、後で男子が生まれると、女子にもどすという習慣があったと言う。
 菊千代は、男子誕生までのつなぎに男の子として育てられていたのだったが・・・・・  

 ■ 武家社会の様々な生きざまを綴った短篇小説集。