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 チョコレート語訳 みだれ髪ー2    俵 万智      2014/03/21 

◆ 『チョコレート語訳 みだれ髪』  俵万智著   河出書房新社

狂ひの子””罪の子”と自らを呼びながら、二十二歳の夏、晶子は故郷・堺を捨て、妻子ある鉄幹のもとへ奔った。
何の将来の約束もないままに、さらなる狂熱と嫉妬に身を投じた晶子にとって、
それは、のちに十二人の子を持つ母になっても、終生変わることのなかった、鉄幹への新たな恋の始まりだった・・・・。

より官能的で宿命的な恋の闇深まる。
「はたち妻」「舞姫」「春思」を、俵万智が思いを重ねて、大胆に甦らせる、チョコレート語訳完結篇。


《はたち妻》

草露にさめて瞳もたぐる野の色よ夢のただちの紫の虹
草露に目覚めれば今夢に見た野の色そして紫の虹

神にそむきふたたびここに君と見ぬ別れの別れさいへ乱れじ
神にそむき再会をせり別れてももうこわくないまた逢えるから

おもはずや夢ねがはずや若人よもゆるくちびる君に映らずや
恋しいと思え若者よ燃えるくちびる瞳に映し

君さらば巫山の春のひと夜妻またの世までは忘れゐたまへ
さようなら我ははかなきひと夜妻来世で逢えるまでさようなら

歌に名は相聞はざりきさいへ一夜ゑにしのほかの一夜とおぼすな
名を問わず歌を交わしたあの夜をよくある一夜と思わないでね

ひとつ血の胸くれなゐの春のいのちふれふすかをり神もとめよる
我が胸に燃えいる春のくれないのいのちの香り君に与えん

むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子
心からあふれて濁る恋の水 君も罪の子我も罪の子

今日を知らず智慧の小石は間はでありき星のおきてと別れにし朝
牽牛と織り姫のように別れねばならぬ朝なり心うしなう

☆わかき子が乳の香まじる春雨に上羽を染めむ白き鳩われ
甘く濃く乳の香りのする雨に羽を染めたし我は白鳩

詞にも歌にもなさじわがおもひその日そのとき胸より胸へ
言葉にも歌にもしない我が恋はその日そのとき胸から胸へ

しら梅は袖に湯の香はしたのきぬにかりそめながら君さらばさらば
ブラウスに梅の香、下着に湯の香り残してかすかなサヨナラが来る

二十とせの我世の幸はうすかりきせめて今見る夢やすかれな
恋らしい恋もなかった二十年せめて今見る夢かなえてよ

くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
くろ髪の千の乱れのみだれ髪そのように恋に乱れるこころ

そら鳴りの夜ごとのくせぞ狂ほしき汝よ小琴よ片袖かさむ(琴に)
独り寝の我に寄り添う琴の音の狂おしき夜おまえと寝よう

ぬしえらば胸にふれむの行く春の小琴とおぼせ眉やはき君(琴のいらへて)
美しいあなたの胸に抱かれたいそんな思いの春の琴です

そのなさけかけますな君罪の子が狂ひのはてを見むと云ひたまえ
お情けはいらないちゃんと見てほしい恋に狂った我のすべてを

いさめますか道ときますかさとしますか宿世のよそに血を召しませな
諌めますか道説きますか諭しますか世の中なんていいから抱いて



《舞姫》

人にそひて今日京の子の歌をきく祇園清水春の山まろき
恋人と春の舞姫の歌を聞く祇園清水まろやかな山

まこと人を打たれむものかふりあげし袂このまま夜をなに舞はむ
振り上げた手だけど君を打たなくてこのまま舞うわリクエストして

四とせまへ鼓うつ手にそそがせし涙のぬしに逢はれむ我か
四年前鼓うつ手に涙させた恋しい人にはもう逢えぬ我



《春思》

☆ 春みぢかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ
春みじかし不滅の命などないと弾ける乳房に君をみちびく

わかき子が胸の小琴の音を知るや旅ねの君よたまくらかさむ
我が胸に高鳴る琴の音を聞いて旅人よ今夜は一緒に寝よう

きのふをば千とせの前の世とも思ひ御手なほ肩に有りとも思ふ
昨日が千年前にも感じられまだ手が肩にあるとも思う

歌は君酔ひのすさびと墨ひかばさても消ゆべしさても消ぬべし
「酔ってた」と君は恋歌消すけれど私の心はもう消せないの

湯あがりを御風めすなのわが上衣ゑんじむらさき人うつくしき
湯ざめしちゃダメよと我のむらさきの上着かければ君にほれぼれ

しら綾に髪の香しみし夜着の襟そむるに歌のなきにしもあらず
髪の香の染みたベッドの思い出を書きつけようか、なくはない、でも

もゆる口になにを含まむぬれといひし人のゆびの血は涸れはてぬ
口紅にしろとあなたが差し出した小指の血では物足りないの

人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願ひ
恋に恋する若者のくちびるに毒ある蜜を塗ってやりたい

道を云はず後を思うはず名を問はずここに恋ひ恋ふ君と我と見る
世間体道徳来世関係ないここにいるのは恋する二人

罪おほき男こらせと肌きよく黒髪ながくつくられし我れ
完璧なボディに我は作られた「男」なるもの懲らしめるため

花にそむきダビデの歌を誦せむにはあまりに若き我身とぞ思ふ
恋せずに聖書の詩など口ずさむなんてできない若き肉体

病みませるうなじに繊きかひな捲きて熱にかわける御口を吸はむ
病床の君のうなじに腕からめ乾いた口にキスしてあげる

誰に似むのおもひ問はれし春ひねもすやは肌もゆる血のけに泣きぬ
「誰のような恋がしたい?」と問われてもわけもわからず燃えている肌

春の虹ねりのくけ紐たぐります羞ひ神の暁のかをりよ
春の虹まるで女神が後朝に恥ずかしそうにたぐる腰ひも

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(あとがき)より
正直言って、恋をしているときは、短歌はできやすい。心が揺れた瞬間に、もう言葉を探しているようなことも多い。
そんなとき、「あら、歌のために恋をしているわけじゃないのに」と、ふと思ったりする。
けれど一方で、歌わずにはいられない、と感じさせてくれるのが、本当の恋なのだ、とも思う。

捨て身で人を恋するためには、傷つくことを恐れない勇気が必要だ。晶子は、その勇気を持っていた人なのだと思う。
そして、感覚的な言い方かも知れないが、晶子の恋は、生涯「恋」であって、
穏やかな「愛」へ変質することはなかったのではないだろうか。
だからこそ、鉄幹は、彼女を受け入れることができたのではないか、と思う。

晶子の生涯と、そこから生み出された短歌を知ると、恋は数じゃないな、とつくづく思う。
浅い恋をいくつ重ねても、それはそれでしかない。
現代は恋愛に関して、もはやなんでもあり、といった状況だ。
では、そのぶん、みんなが深い恋愛を体験しているかというと、そうでもないように思われる。


最後の歌集『白桜集』は晶子の死後に編まれた遺歌集である。
先に亡くなった鉄幹への挽歌が収められており、それらの作品は、挽歌というよりは恋歌と呼ぶにふさわしい。

 青空のもとに楓のひろがりて君亡き夏の初まれるかな

 封筒を開ければ君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文

 良寛が字に似る雨と見てあればよさのひろしと云う仮名も書く