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 チョコレート訳 みだれ髪            2014/03/15 

◆ 『チョコレート語訳 みだれ髪』  俵万智著   河出書房新社 1998

(あとがき  −晶子の匂い)
 『みだれ髪』は与謝野晶子が二十二歳のときの第一歌集で、浪漫主義の恋の歌集といわれている。
出版された明治34年当時は、文壇、歌壇に衝撃を与えただけでなく、若い人たちが熱狂したらしい。だったら今の私でも、注釈なしでスラスラ読めるだろう、と思った。多少言葉は古めかしいだろうけど、いちおう私も大学の文学部へ(しかも日本文学科)の学生だもんね・・・・。
 が、その甘い予想は大きくはずれた。正直言って、半分も意味がわからない。それまでも、いくつかの有名な歌は、教科書などで読んで知っていた。そういう何首かに出会うと、ほっとするぐらいよくわかるのだが、それ以外のものは「?」の連続だった。  不安になって、解説書や研究書の類をひもといた。そうして、解釈や鑑賞が、かなり揺れていることを知った。私が短歌を作るきっかけとなった佐々木幸綱先生の本には、こう書いてある。

 「『みだれ髪』には事実、意味が曖昧で難解な歌が多い。独特の言いまわし、思い切った省略、論理的飛躍、舌足らずな表現、曖昧な用語等が少なくなく、ときには文法的誤用さえ見られるのである。(中略)だが、そうした技巧的未熟さがマイナス点ばかりにはならなかった。未熟さが大胆さを引き出しもした。思いきって大胆な措辞が、〈意味的曖昧性〉という新しい世界を短歌に持ちこんだ点についてはすでに記した通りだが、それだけではなかった。新しい愛唱性をも生み出した事実に目を向けなければなるまい。」 (『鑑賞日本現代文学32 現代短歌』より)

 なあんだ、そうだったのか、と胸をなでおろす。そうして「わかってやるぞ」という気持ちを捨てて、言葉の音楽を聴くように入ってゆくと、『みだれ髪』はとても素敵な世界に変わった。短歌のリズムというものの、うむをいわせぬ力というものも、私は教えられた。 晶子の三十一文字を、自分の三十一文字で翻訳するーーこんな試みができるのも、『みだれ髪』という歌集が、さまざまな解釈を許す、懐の深さを持っているからだ。 (中略)
 だから本書の試みは、「意味を理解してもらうための訳」というより、「晶子の短歌の匂いを感じてもらう訳」というのを目指したつもりだ。もちろん、ある程度は言葉の交通整理をして、もとの歌の極端なわかりにくさは解消した。そのうえで匂いを残すことは、とてもむずかしい。それがもし、できているとしたら、短歌の持つ五七五七七のリズムのおかげだと思う。 (中略)
 チョコレート語というのは、そんなわけで、多分に「私っぽい」訳になりました。

 この歌集の背景には、若き日の晶子と、その短歌の師である鉄幹との恋愛がある。さらに、短歌のよきライバルであり、恋愛でも競っていた山川登美子の存在も大きい。ことに「白百合」の章では、晶子、鉄幹、登美子の三人の恋愛模様が中心的に描かれている。 白百合とは、鉄幹が登美子に付けていた別名のことで、晶子は白萩と呼ばれた。

 晶子は明治11年、大阪府堺市の菓子商の三女として生まれた。鉄幹との出会いは21歳。 この時、鉄幹にはすでに妻子がいた。堺の実家を捨てて、上京し、鉄幹の新しい妻となるまでの情熱と心のみだれと。それらがすべて『みだれ髪』を生むエネルギーとなったことは、想像にかたくない。


【臙脂紫】

夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ
星たちが恋のささやき交わす今下界の我は心乱れる

☆ 髪五尺ときなば水にやはらかき少女ごころは秘めて放たじ
たっぷりと湯に浮く髪のやわらかさ乙女ごころは誰にも見せぬ

☆ 血ぞもゆるかさむひと夜の夢のやど春を行く人神おとしめな
血を燃やす一夜の夢を蔑むな恋とは神の意思なのだから

その子二十歳櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな
二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のヴィーナス

☆ 臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命
臙脂色に渦巻く我が血、我が思い 受けとめられる男おらぬか

今はゆかむさらばと云ひし夜の神の御裾さはりてわが髪ぬれぬ
「行かなくちゃ」朝のワイシャツ着る君の裾を涙で濡らしてしまう

☆ 細きわがうなじにあまる御手のべてささへたまへな帰る夜の神
この夜が終わらぬように抱きしめて細き私のうなじ支えて

山ごもりかくてあれなのみをしへよ紅つくるころ桃の花さかむ
山ごもり二人の時間そのままにルージュ終われば桃の花咲く

☆ やは肌のあつき血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君
燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの

春雨にぬれて君こし草の門よおもはれ顔の海棠の夕
春雨に濡れてあなたが来る夕べぽっと恥じらう海棠の花

☆ ゆあみする泉の底の小百合花二十の夏をうつくしと見ぬ
バスタブに二十歳の身体を沈めれば泉の底の白百合の花

☆ みだれごこちまどひごこちぞ頻なる百合ふむ神に乳おほひあへず
乱れ乱れ惑い惑い神と見るあなたに裸の乳房さらす

☆ くれなゐの薔薇のかさねの唇に霊の香のなき歌のせますな
くれないの薔薇を重ねたくちびるは情熱香る歌を詠むべし

ふしませとその間さがりし春の宵衣桁にかけし御袖かつぎぬ
おやすみを言って別れた春の宵あなたのシャツに顔を埋める

みだれ髪を京の島田にかへし朝ふしてゐませの君ゆりおこす
朝シャンにブローした髪を見せたくて寝ぼけまなこの君ゆりおこす

☆ 乳ぶさおさへ神秘のとばりそとけりぬここなる花の紅ぞ濃き
乳房おさえ神秘のベールをそっと蹴るそのとき我は紅い花びら


【蓮の花船】

夏花のすがたは細きくれなゐに真昼いきむの恋よこの子よ
すらりきらり真昼真夏に赤く咲く夏花のように育てこの恋

とき髪を若枝にからむ風の西よ二尺足らぬ美しき虹
東風に吹かれて若枝にからむ髪その遠景の虹うつくしき

☆ ゆあがりのみじまひなりて姿見に笑みし昨日の無きにもあらず
湯あがりにおしゃれした吾に惚れ惚れすそんな昔がなくもなかった

母よびてあかつき問ひし君といはれそむくる片頬柳にふれぬ
旅人の君を見送る朝毎に「早起きねえ」と言われうつむく

鶯に朝寒からぬ京の山おち椿ふむ人むつまじき
早春の鶯の鳴く京の山若きカップルが踏む落ち椿

☆ わが春の二十姿と打ぞ見ぬ底くれなゐのうす色牡丹
紅の牡丹を見ればまさにわが二十の春の姿と思う

人そぞろ宵の羽織の肩うらへかきしは歌か芙蓉といふ文字
落ち着きのない恋人よジャケットの裏に彼女の名前が透ける

人の子にかせしは罪かわがかひな白きは神になどゆづるべき
恋人に与える我の腕枕その白さには罪などあらず

☆ うなじ手にひくきささやき藤の朝をよしなやこの子行くは旅の君
旅立ちの朝のあなたの手が触れたうなじと囁き聞いたこの耳

明くる夜の河はばひろき嵯峨の欄きぬ水色の夏よ
後朝の嵯峨の欄干に寄り添って我らの浴衣の水色の夏


【白百合】

☆ おもひおもふ今のこころに分ち分かず君やしら萩われやしろ百合
鉄幹を思う心に差はなくて君が晶子か我が登美子か

☆ 今宵まくら神にゆづらぬや手なりたがはせまさじ白百合の夢
白百合の君のおかげで結ばれた今夜神にも負けぬ我が肌

☆ 夢にせめてせめてと思ひその神に白百合の露の歌ささやきぬ
彼の耳にあなたの歌をささやいた夢で逢ってね、ごめんね、登美子

ひとまおきてをりをりもれし君がいきその夜しら梅だくと夢みし
隣室の君の寝息を聞きながらその夜は君を抱く夢を見る

《春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ
    ー恋人よ、人生もいのちも、春の盛りの季節というのは、ごくごく短く儚いもの。
だからこそ、短い春を、いのち燃ゆる時間を、存分に生き、愛し合おうではありませんか。


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(未完 続きあり)