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花束のように抱かれてみたく
『花束のように 抱かれてみたく』(俵 万智著 写真:稲越功一 同朋社 1997)を読んだ。
本の構成は、春、夏、秋、冬と四つの季節ごとの花を取り上げ、それを主題に歌を詠んでいる。
《チューリップのペンダントして歩く道 鈴のようにも涙のようにも》
《去年ともに歩きし人よ「いない」ということ思い知る葉桜の下》
葉桜を見ると私はいつも、人との出会いや別れを思い出す。
《立ちどまりしゃがんでみよう たんぽぽが世界を見ている高さになって》
《洗いたての心にひとつ咲きそうなバラのつぼみを感じる朝》
《待つという時は藍色 六月の雨あじさいの花と私と》
現代短歌では、「相聞歌」を、単純に「恋の歌」という意味で使うことが多い。
が、本来は、読んで字のごとく、お互いに聞こえさす歌、つまり一方通行ではなく、贈る歌と返す歌で成り立つものだ。
上の歌は、下の歌のやりとりの後の歌だった。
〈思いきり愛されたくて駆けてゆく六月、サンダル、あじさいの花〉
〈六月の雨紫陽花の花に告ぐ夏きたりなばおまえを愛す〉
《ラベンダーの湯に一日を流す夜はうすむらさきの夢に抱かれる》
《残り時間少なき恋と思うときデルフィニウムの青ぞ悲しき》
一つの恋が、終わりそうな予感があった。花にも恋にも、幕切れのときがやってくる。
《口づけを知らぬくちびる一人遊びの少女がチュッとサルビアを吸う》
《ブーゲンビリアのブラウスを着て会いにゆく花束のように抱かれてみたく》
《言葉にはならぬ思いを日々こぼすエリカ小さき花を落として》
《ベゴニアの花のオレンジ冬の日に初めてひいたルージュのように》
《この冬はともに眺める人ありて少し大きめのシクラメン買う》
《極月に人の心は燃えるからポインセチアの赤、クリスマス》
(あとがき)にこんな文章があった。
『短歌は、ぼんやりとしていては、生まれない。けれど意識しすぎても、だめだ。いつ訪れるかはわからない「あっ」という心の揺れ、それが種となって、少しずつ育ってゆく。花は、そんな心の揺れを、たくさん私に運んでくれる大切なパートナーだ。
《潮風に君のにおいがふいに舞う 抱き寄せられて貝殻になる》 (『サラダ記念日』)
《愛してる愛していない花びらの数だけ愛があればいいのに》 (『サラダ記念日』)
《眠りつつ髪をまさぐる指やさし夢の中でも私を抱くの》 (『チョコレート革命』)
《水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う》 (『チョコレート革命』)
《「今いちばん行きたいところを言ってごらん」行きたいところはあなたのところ》 (『とれたての短歌です。』)