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 くちづけ 

 『くちづけ』 (黛 まどか の句集 1999 角川春樹事務所)
この句集(100余句)を読んで、気にいった句を選び、本のページ順ではなく初出年月順に並べてみた。

 《夕焼けの端っこにゐて 君想ふ》  (1995/9、33歳)
  《涼しさの いつもあなたを感じてる》  (1996/8、34歳))
   《雪が降る いつかあなたとゐたベンチ》  (1996/12)
    《どこからが恋 どこまでが冬の空》  (1997/12、35歳)

 《少しずつ本気になって 毛糸編む》  (1998/1、36歳)
  《会ふたびに 優しくなりぬ 冬紅葉》  (1998/1)
   《湯ざめして やっぱり好きと思ふなり》  (1998/1)
    《初日記 恋という字の多かりき》  (1998/1)

 《恋みくじ開けば 春の雪明り》  (1998/4)
  《理由はあらねど髪切って 春の風》  (1998/4)
   《旅先にメールのとどく 朧の夜》  (1999/4)
    《チューリップの列に加はり 君想ふ》  (1999/4)
     《ぽっぺんを吹き 会ひたさを募らせる》  (1999/4)
  《何もか 許して 夜の薔薇匂ふ》  (1998/5)

 《秋薔薇 うしろ手に持ち迎へたる》  (1999/10、37歳)
  《セーヌ行く 秋思の肩を寄せ合ひて》  (1999/10)
   《片手は君に 団栗はポケットに》  (1999/10)
    《くちづけの 秋の燈をふやしをり》  (1999/10)
     《うそ寒の 床に拾ひし昨夜(ヨベ)の衣》  (1999/10)
      《爽やかに 洗って 二人分の衣》  (1999/10)

こうして並べて句を鑑賞してみると、まどか氏の恋の道筋が見える気がした。
(あくまでも私の推測に過ぎないが)始めの方の句は”恋愛時代”、1998年からは”婚約時代”、《何もかも許して・・・》の句は お二人が結ばれた記念の句、一年後(1999)の句は、”パリへの新婚旅行”だ。
パリでセーヌ川の岸辺を手をつないで歩き、ホテルに帰れば旦那さんのパンツも一緒に洗う恋女房姿ぶりが目に浮かぶ。
いずれにしても、まどか氏が「今を詠んでいる」雰囲気が伝わって来たと思った。

巻末に1998年長野オリンピックの選手の活躍を詠んだ句がある。

《スノボーを キメてピアスを 輝かす》
《ゲレンデの 雀も バレンタインの日》
《アイスホッケー 恋を奪り合うごとくかな》
《クロカンの しんがりに縦く 森の精》

「スノボー」「ゲレンデ」「アイスホッケー」は春の季語(どうして冬ではないのか?)だが、「クロスカントリー」は登録されていない。無季の句となるが、仕方のないことだろう。

1999年(平成11年)サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約900kmを徒歩で踏破。
この体験が彼女の句作りに大いに栄養になっているようだ。

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◆ 【取り合わせ(二物衝撃)】の妙

多くのモノは、上手に別のモノと【取り合わせ】ることによって、互いに真価を引き出しあって、単独では発揮できなかった良さを生み出します。俳句にも、一句の中で、二つの事物(主に、季語と別のモノ・コト)を取り合わせることで、両者に相乗効果を発揮させて、読者を感動に導くような句が多く見出されます。

  《花の雲鐘は上野か浅草か》 (松尾芭蕉)

俳句には、他の事物と取り合わせずに、対象となる季語だけに意識を集中させ、その状態や動作を詠んだものもあります。
そのような俳句を、【一物仕立て(いちぶつじたて、あるいは、いちもつじたて)】の俳句と言います。

  《春の海終日のたりのたり哉》 (与謝蕪村)

・【切れ】との関係について。
句中の切れはあるのに理屈でつながってしまっている句を【付きすぎ】といいます。
十分に二つの素材の距離=「間」をとってから、もう一つの素材をそっと置いてください。
二つの素材の距離=「間」があまりにも遠すぎて場面さえ浮かんでこないのを【離れすぎ】といいます。

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良い取り合わせを見つけるには、連想ゲームのような「水平思考」が重要だ。
初めに主題「A」を見つけたら、その言葉を無意識の海へ放り投げる。「A」に釣られて別の言葉「B」がすぐに見つかる訳ではない。
発明・発見と同じように長い時間がかかることもある。無意識の海へ「A」を投げ込んだら、他のことをしていても、ふと「B」「C」が浮かんでくる。「A+B」或いは「A+C」とが良い取り合わせかどうか、ここからは「推敲」の作業となる。

「B」や「C」が【付きすぎ】ではないか、【離れすぎ】ではないかの吟味も大切だ。
後は五七五に収め、リズム感などを整えればいい。

俳句甲子園の句、

第12回 『琉球を抱きしめにゆく夏休み』 (中川 優香)

「琉球」を「抱きしめ」という言葉の組み合わせが、ハッと驚かせるが、 最後の「夏休み」という言葉で、「そうか」と作者の気持ちに納得がいく。

         

◆ 水平思考
デ・ボノは従来の論理的思考や分析的思考を垂直思考(Vertical thinking)として、論理を深めるには有効である一方で、斬新な発想は生まれにくいとしている。これに対して水平思考は多様な視点から物事を見ることで直感的な発想を生み出す方法である。垂直思考を既に掘られている穴を奥へ掘り進めるのに例えるのなら、水平思考は新しく穴を掘り始めるのに相当する。