ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観
ダニエル・L・エヴェレット著(屋代通子訳) みすず書房 2012 2012/06/08
著者のピダハン研究を、認知科学者S・ピンカーは「パーティに投げ込まれた爆弾」と評した。
ピダハン はアマゾンの奥地に暮らす少数民族。わずか400人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語本能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。
本書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描き出す科学ノンフィクション。
それを30年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。
驚きあり笑いあり読み進むうち、私たち自身に巣食う西欧的な普遍幻想が根底から崩れ始める。
ピダハン
わたしの記憶のなかで、初めてピダハンに出会ったときに何より印象的だったのは、みんながそれはそれは幸せそうに見えたことだ。
どの顔も笑みに彩られ、ふくれっつらをしている者やふさぎ込んでいる者はひとりもいない。異文化が接触する機会には、よくそうした表情が見受けられるものなのだが。
誰もかれもがあちこちを指差し、熱心に話してわたしが興味をもちそうなものに目を向けさせようとする。頭上を飛んでいく鳥とか、狩りの道、村人たちの小屋や子犬など。
男たいのなかには、ブラジルの政治家の名前やスローガンが入った帽子をかぶっている者もいたし、川をたどってやってくる行商人からもらった派手な色のシャツや短パンをはいている者もいた。女性の服装はみんな同じで、袖が短く、膝のすぐ上までの丈のワンピースを着ていた。もとはいろいろな色だったようだが、小屋の床が土なので、どの女性の服も一様に茶色っぽくなっていた。
10歳くらいまでの子どもはみんな、裸で走りまわっている。誰もが笑い声をたてていた。
わたしに近づき、そっと触ってくる。こんなに暖かい歓迎を受けるとは想像もしていなかった。
村人たちは口々に自分の名前を言ってくれたが、ほとんど覚えることはできなかった。
・ピダハンは狩りや漁をしたら、獲物はすぐに食べきってしまう。自分たち用に加工してとっておくことはしない。
食べ物というものがわたしたちの文化ほど重要視されていないと感じたことだ。もちろんピダハンも生きるために食べなければならない。食べることを楽しみにもする。村に食べられるものがあるときはなくなるまで食べつくす。
ピダハンは空腹を自分を鍛えるいい方法だと考える。日に一度か二度、あるいは一日じゅう食事をしないことなど平気の平左だ。ピダハンたちが三日の間ほとんど休みなしに、狩りにもいかず漁にも行かず果物拾いにも行かず、もちろん備蓄の食料もなく、ずっと踊り続けているのを見たこともある。
わたしは次第に、ピダハンは未来を描くよりも一日一日をあるがままに楽しむ傾向にあると考えるようになっていったが、ピダハンの物質文化には、その説を裏付けてくれる特徴がほかにも数々見られる。将来よりも現在を大切にするため、ピダハンは何をするにも、最低限必要とされる以上のエネルギーを一つのことに注いだりしない。
・性と婚姻にも儀式と呼べるような行為は見当たらない。ピダハンは自分自身の性行為の詳細を語りたがらないが、時には一般論として性的なことを口にする。口唇性交を「犬のように舐める」と表現するが、犬になぞらえるのはその行為を貶めようとする意図ではまったくない。ピダハンは動物を、どのように生きるかのいい見本と考えているからだ。性交は相手を食べると表現される。「彼を食べた」「彼女を食べた」というのは、「彼/彼女と性交した」という意味だ。ピダハンは性行為を大いに楽しむし、自分の行為を遠回しにほのめかしたり、人の性生活をこだわりなく話題にする。
性交の相手は配偶者にかぎらない。もっとも結婚している男女の場合は、配偶者同士の性交がふつうだ。結婚していないピダハンは気持ちのおもむくままに性交する。人の配偶者と性交するのは感心されずリスクがあるが、しないわけではない。夫婦であれば、性交するためにはただジャングルに入っていけばいい。結婚していない男女でも、同じことだ。だが男女の片方ないし両方が別の相手と結婚している組み合わせの場合は、数日間村を離れる。ふたりが村に戻ってきても一緒に居つづけるようであれば、前の伴侶とは離別し、新しい相手と結婚する。婚姻は同棲することで認知される。ふたりが一緒に居つづけたいと思わない場合、裏切られたほうの伴侶は相手が戻ってくることを許すかもしれないし、許さないかもしれない。結果がどうあれ、駆け落ち組が戻ってきたあとは、少なくとも表向きはそのことが取りざたされたり、文句がいわれたりすることはないようだ。
だが駆け落ち組が村を離れている間は、伴侶に逃げられた当人たちは相手を捜しまわり、嘆き悲しみ、誰かれかまわず不満をぶつける。
・ピダハンの営みで最も儀式に近いのは、踊りだろう。踊りは村を一つにする。村じゅうの男女が入り乱れ、たわむれ、笑い、楽しむのが特徴だ。楽器はなく、歌と拍手、足拍子だけが伴奏になる。
・親と子の愛情表現はあけっぴろげで、抱き合い、ふれあい、微笑えみ合い、たわむれ、話し、一緒に笑い合う。
親は子どもを殴らないし、危険な場面でもないかぎり指図もしない。乳飲み子やよちよち歩きの幼児は好き放題が許され、手放しで愛される。
母親は、次の子どもが生まれると断乳する。すぐ上の子が三歳か四歳くらいのころだ。断乳は子どもにとっては少なくとも三つの点で辛い。大人にかまってもらえなくなること、お腹が空くこと、そして仕事をしなければならなくなること。誰もが働かなければならない。
全員が村の生活に寄与しなければならない。ついこの間までおっぱいを吸っていた幼児でも、大人並みの労働の世界に入るのだ。
・ピダハンは文字通り、頭で精霊を見ている。掛け値なしに精霊と話している。
ピダハン以外の者たちがなんと思おうと、ピダハンは全員、自分たちは精霊をじかに体験していると言うだろう。
だからピダハンの精霊は、直接体験の法則の一例なのである。
・ピダハン語は話し言葉を区別する音、つまり音素の種類が最も少ない言語の一つだ。
男性の場合、母音はたったの三つ(i、e、o)で子音も八つ(p、f、k、s、h、b、g、声門閉鎖音のx)しかないが、女性となると母音は三つ、だが子音は七つだけだ。
伝道師を無神論に導く
・SILの伝道師は説教もしなければ洗礼も施さない。聖職者的な行動は避けて通る。SILはむしろ、先住民を感化する最良の道は、新約聖書を彼らの言葉に翻訳することだと信じている。SILはまた、聖書を文字通り神の言葉であるという信念を持っているので、聖書に自ら語らしめるべきであるとも考える。
そこでわたしがピダハンと共に過ごす日々は、自然に言語学的な活動が主となり、新約聖書をできるだけ確実に翻訳するために、彼らの言語をできるだけ解明しようと努めることになる。
・ピダハンとの生活をはじめたある頃、ピダハン語もかなり上達したので、自分がなぜイエスを信じ、救い主と考えるようになったかをそろそろ話すことができると考えた。これはいわゆる「信仰告白」で、福音主義派のキリスト教徒にはふつうのことだ。
わたしたちの上の高い父(イエスのこと)が、私の人生をよくしてくれた、とわたしは言った。以前はわたしも幸せではなかった。すると上の高い父がわたしの心のなかにやってきて、私は幸せになり、人生もよくなった。わたしはピダハンに、義母が自殺したこと、それがイエスへの信仰へと自分を導き、飲酒やクスリをやめてイエスを受け入れたとき、人生が格段にいい方向へ向ったことを、いたって真面目に語って聞かせた。
わたしが話し終えると、ピダハンは一斉に爆笑した。
「どうして笑うんだ?」 わたしは尋ねた。
「自分を殺したのか? ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分をころしたりはしない」 みんな答えた。
わたしの愛する誰かが自殺を図ったからといって、ピダハンがわたしたちの神を信じる理由にならないということで、実際のところこの話は全く逆効果、彼らとわたしたちとの違いを浮き彫りにしただけだった。伝道者としてのわたしの目標は大きく後退した。
・直接体験の原則とは、直に体験したことでないかぎり、それに関する話はほとんど無意味になるということだ。
これでは、主として現存する人が誰もがじかに目撃していない遠い過去の出来事を頼りに伝道を行おうう立場からすれば、ピダハンの人々は話が通じない相手になる。実証を要求されたら創世神話など成り立たない。
驚いたことに、これらすべてにわたしは心を揺さぶられてしまったのだった。
ピダハンに福音を拒否されて、自分自身の信念に疑念を抱くようになったのだ。
わたしが大切にしてきた教義も信仰も、彼らの文化の文脈では的外れもいいところだった。ピダハンからすればたんなる迷信であり、それがわたしの目にもまた、日増しに迷信に思えるようになっていた。
わたしは信仰というものの本質を、目に見えないものを信じるという行為を、真剣に問いはじめていた。
聖書やコーランのような聖典は、抽象的で、直感的には信じることのできない死後の生や処女懐胎、天使、奇跡などなどを信仰することを称えている。ところが直接体験と実証に重きをおくピダハンの価値観に照らすと、どれもがかなりいかがわしい。彼らが信じるのは、幻想や奇跡ではなく、環境の産物である精霊、ごく正常な範囲のさまざまな行為をする生きものたちだ。
ピダハンには罪の観念はないし、人類やまして自分たちを「矯正」しなければならないという必要性ももち合わせていない。彼らが信じるのは自分自身だ。
そんなわけで1980年代の終わりごろ、わたしは少なくとも自分自身に対しては、もはや聖書の言葉も奇跡も、いっさい信じていないと認めるにいたっていた。わたしは隠れ無神論者だった。
ピダハンの価値観 と 脱信仰
信仰と真実という支えのない人生を生きることは可能だろうか。ピダハンはそうして生きている。
彼らは一度に一日ずつ生きることの大切さを独自に発見しているからだ。
ピダハンは深遠なる真実を望まない。そのような考え方は彼らの価値観に入る余地がないのだ。ピダハンにとって真実とは、魚を獲ること、カヌーを漕ぐこと、子どもたちと笑い合うこと、兄弟を愛すること、マラリアで死ぬことだ。
ピダハンは、自分たちの生存にとって有用なものを選び取り、文化を築いてきた。自分たちが知らないことは心配しないし、心配できるとも考えず、あるいは未知のことをすべて知り得るとも思わない。その延長で、彼らは他者の知識や回答を欲しがらない。
わたしが自分が「脱信仰」したことを人に知られてもいいという心境になれるまでには、信仰に迷いが生じてから二十年が経っていた。そして予想はしていたものの、とうとう自分の変節を公にした時、結果は無残なものだった。
結局、わたしは信仰を失い世界観が揺らいでしまったことで、わたしの家族は崩壊する羽目となった。わたしが最も避けたかった結果だった。
ピダハンの精神生活がとても充実していて、幸福で満ち足りた生活を送っていることを見れば、彼らの価値観がひじょうに優れていることのひとつの例証足りうるだろう。
◆ アマゾンの奥地に暮らす少数民族(わずかに400人ほど)が、文明からはほど遠いのに、毎日を明るく楽しく生きている、というレポートは驚きだ。彼らには確固とした精神文化があり、彼らの外の世界を羨ましいと思うこともないそうだ。
古代中国の「竹林の七賢」が求めたものは、このような生活だったのだろうか?
チベットの国ブータンは、「国民の総幸福度」を向上させることを国の目標としているという。幸福度とは、物質的に豊かになることとは一線を隔しているいるようだ。
伝道師としてピダハンの村に入り、彼らと暮らし彼らの価値観を探求した結果、自らの信仰心に疑問を抱き、脱信仰したという著者は、まさに「ミイラ取りがミイラニなる」実例だろうか?
著者エヴェレットは家族と訣別した後、リンダさんという女性と結婚したようだ。
◆
8年ほど前のcafe日記にこんなことを書いた(2004/10/29-31)
『人間はみな【幸せ教】(1)〜(3)
人間は、誰もが幸せになりたいと思っている (多分、例外はない)。
美味しいものを、腹いっぱい食べたい。 安心して暮らし、夜はゆっくりと眠りたい。
欲しいモノを手に入れたい。 愛する家族を持ち、隣人と良い人間関係を保ちたい。
それが幸せな生活、幸せな人生というものだーーそう感じている。
これを、【 幸せ教 】と名付けるなら、 皆が幸せ教の信者 だといえるだろう。
幸せになるには、どうすればいいのか? 』
ピダハンの人たちの考え方は、これとは似ているようで違うところも多いようだ。
ジャングルでの暮らしは、夜も害獣、害虫の恐れがあるので、危険と向い合いながらの浅い眠りしか取れない。
皆で協力して得た獲物は、分け合って残らず全部食べきり、残りを保存するという習慣はない。獲物が少なく貧じい思いをすることも多いようだが、そんなことでは挫けない。
ヤシの葉で葺いた粗末な土の床の家に住み、電気も水道もなく、キッチンには鍋一つだけ。しかしそれ以上のモノを欲しがらない。
男はズボンだけ、女はワンピース。子どもたちは裸のままで走り回る。それでもいつも楽しそうに笑っている。
今流行りの「断捨離」を徹底したような生活で、それが幸せにつながっているとは、不思議で羨ましいと思う。
■ 以前に読んだ
『踊る一遍上人』を思い出した。
ある事件をきっかけに智眞は発心する。30歳を過ぎていたころだった。
智眞は【一遍】を名乗るようになる。
「南無阿弥陀仏をいっぺん(一回)だけ唱えれば、仏に救われる」という意味だ。
やがて多くの賛同者が現れ、「踊念仏という珍しい行為を行う男女僧の混成集団(時衆)」となり全国を遊行し、多くの庶民の人気者となった。
どうやらーー他の動物とおなじように、人間にとって食うことが何より先決であり、宗教をはじめとするほかの事柄は余分であるーーというのが、一遍がゆきついた究極の考え方であるらしい。
宗教の教理や教学というものは、それがいかに精緻にできていようが、しょせんはつくりごとにすぎず、人間にとって、それほど大したものではないのではないか。それを必要とする人間には貴重なものかもしれないが、必要としない者にはがんらい何の価値もないものなのではないか。
一遍が長く苦しい模索の果てにたどりついたのは、「地獄・極楽とは、あくまで自分の心の中の問題である」 という結論であった。
一遍はやがて病に倒れ、兵庫県で死ぬ。享年51歳。 −私の死体は野に捨てよーが遺言であったという。