金鯱の牙 江都の暗闘者
牧 秀彦著 双葉文庫 2008 2010/07/24

徳川吉宗を亡き者にせんと、御庭番衆の結界を破り敵は江戸に侵入した。
田沼意行率いる特命集団に刺客抹殺の密命が下る。探索に奮闘する意行の配下、白羽兵四郎の眼前に立ちはだかる手練の忍び。
兵四郎の大脇差が真っ二つに折れ飛ぶ。危うし兵四郎。
好評シリーズ第三弾。
盂蘭盆会の光明
「迎え盆の有り様とは、紀州も江戸も変わらぬものだの・・・・」
呟く武士の名は田沼意行、三十二歳。紀州藩士から直参に取り立てられた、三百俵取りの旗本である。
意行には生来の気品が備わっている。絹物で美々しく装えば、千石取りの大名と偽っても通用することだろう。
しかし、意行は粗衣を微塵も恥じていない。
「人の営みとは何処も同じものぞ。そうは思わぬか、兵四郎?」 「は」
意行の後には、一人の若い従者が付き添っていあt。
羽織を略し、茶染めの筒袖に細身の馬乗り袴を穿いた軽快な装いである。腰に風呂敷包を巻き付けているのみで、手ぶらだった。
左腰には、大脇差を一振りのみ差していた。見るからに精悍な顔立ちの青年だった。
逞しいのは相貌だけではない。肩幅が広く、腕も足も筋肉が盛り上がっている。
白羽兵四郎、二十一歳。田沼家に奉公する若党である。
燃えろ若豹
かくして玄堂の養女となったお初は、大奥へ上がる運びとなった。
廻されたのは御三之間。湯茶や煙草盆、火鉢の支度に従事する雑用係である。
それでも本来は旗本の娘でなくては配属されない部署なのだが、お初は町家の出とはいえ大店の娘であり、学問にも芸道にも申し分のない素質を備えているのを見込まれての人事だった。
何よりも、宝来玄堂の養女という金看板を背負っているのが効いていた。
吉宗は手当たり次第に夜伽を命じるような漁色漢とは違う。まさか新入りの御三之間女中に目を付けるようなことは、ゆめゆめ有り得ぬはずだった。
だが、その吉宗が予期せぬ行動を取った。
「茶を呉れぬか?」 「は・・・・はいっ」
思いがけぬ事態に驚きながらも、お初は無我夢中で茶を点てる。
「利発な御三之間だのう。今宵の夜伽、これなる者に申しつくるぞ」
怒りの大風
無言で平伏したのは白羽兵四郎だった。捧げ持っているのは、例の釣瓶である。
「これは?」 問うてくる吉宗の口調は落ち着いたものだった。
「釣瓶と見受けるが、甚だ奇異なる様だの。何ぞ毒が染みておるようだが・・・・」
「御意」 乾いた芝の上に伏したまま、兵四郎は言上した。
「罪なき民が十余名、この毒に冒されて絶命いたしましたる次第にございます」
「何・・・・」 思わず茫然とする吉宗に、意行は厳かに告げるのだった。
「・・・・天災に乗じた悪事とは、許せぬ」 淡々と告げる横顔に、名伏し難い怒りが差している。
「常の通り、ことごとく闇に葬れ」 密命を与える天下人の双眸に、戸惑いの色は微塵もなかった。
◆ 将軍吉宗の子飼いの部下、田沼意行とその若党・白羽兵四郎に密命が下る。
江戸の町の安寧を破る悪人を密かに葬るという役目だった。