こころ
夏目漱石著 新潮文庫 1952(大正3年初版) 2008/08/18
親友を裏切って恋人を得たが、親友が自殺したために罪悪感に苦しみ、自らも死を選ぶ孤独な明治の知識人を
描いた作品。
鎌倉の海岸で出会った”先生”という主人公の不思議な魅力にとりつかれた学生の眼から間接的に主人公が
描かれる前半と、後半の主人公の告白体との対照が効果的で、”我執”(エゴ)の主題を抑制された透明な文体で
展開した後期三部作の終局をなす秀作である。
「先生と私」、「両親と私」、「先生と遺書」の三部から構成されている。
先生と私
私は避暑に来ていた鎌倉の海岸で、偶然に先生を見かけ、しばらくするうちに知り合いとなり、
避暑地を引き上げ東京へ戻った後も、先生の家に出入りして話を聞くような関係になった。
先生がなぜか雑司が谷にある友達の墓へ毎月お参りにする習慣があることを知った。
「君は恋をした事がありますか」 私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」 私は答えなかった。 「したくない事はないでしょう」 「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評(ヒヤカ)しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られない
という不快の声が交じっていましょう」
「そんな風に聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと温かい声を出すものです。然し君・・・・
恋は罪悪ですよ。解(ワカ)っていますか」 私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。
「君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだ
と云いましたね。然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると
君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中に
ある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな
普通の人間なんです。いざという間際に、急に悪人に変わるんだから
恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです」
両親と私
私の父は腎臓の病でもうあまり先がないと分かっていた。学校を卒業し、郷里に帰り父に卒業を報告した。
「卒業が出来てまあ結構だ」 父はこの言葉を何遍も繰り返した。
九月始めになって、私は愈(イヨイヨ)又東京へ出ようとした。私は父に向かって当分今まで通り学資を
送ってくれるようにと頼んだ。
「此所にこうしていたって、あなたの仰しゃる通りの地位が得られるものじゃないんですから」 私は
父の希望する地位を得るために東京へ行くような事を云った。
「無論口の見付かるまでで好いですから」 とも云った。
私は心のうちで、その口は到底私の頭の上に落ちて来ないと思っていた。けれども事情にうとい父は
飽くまでもその反対を信じていた。
「そりゃ僅の間の事だろうから、どうにか都合してやろう。その代わり永くは不可(イケナ)いよ。
相当の地位を得次第独立しなくっちゃ。元来学校を出た以上、出たあくる日から他(ヒト)の世話に
なんぞなるものじゃないだから。今の若いものは、金を使う道だけ心得ていて、金を取る方は全く
考えていないようだね」
父はこの外にもまだ色々の小言を云った。その中には、「昔の親は子に食わせて貰ったのに、
今の親は子に食われるだけだ」 などという言葉があった。それ等を私はただ黙って聞いていた。
父が亡くなった日、先生から分厚い手紙が届いた。中をちょっと見ると、先生の自殺をほのめかす言葉が
目に入り、私は父の葬儀を放り出して東京の先生の家に向かった。
先生と遺書
先生(という人)は田舎の相当財産のある家の一人息子でした。東京の大学で勉強していた時、両親が腸チフスで
相次いでなくなり、当面の家の管理は叔父一家が引き受けてくれていた。その内に、叔父は自分の娘と先生との結婚を
望むようになったが、先生はその娘が幼馴染でよく知ってはいるが、結婚相手としては考えられないと断った。
「香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限るごとく、
酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、
恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです」
先生は叔父に預けていた財産を受け取り、それが予想以上に少なかったので、費用を節約するために、
戦死した軍人の妻と娘の居る家に下宿することにした。やがて先生はその娘に恋をした。
罪を女という一字に塗り付けて我慢した事もありました。
必竟女だからああなのだ、女というものはどうせ愚なものだ。
私の考は行き詰まれば何時でも此所へ落ちて来ました。
それ程女を見縊っていた私が、もたどうしても御嬢さんを見縊る事が
出来なかったのです。私の理屈はその人の前に全く用を為さない程
働きませんでした。私はその人に対して、殆ど信仰に近い愛を有って
いたのです。私が宗教だけに用いるこの言葉を、若い女に応用する
のを見て、貴方は変に思うかも知れませんが、私は今でも固く信じて
いるのです。本当の愛は宗教心とそう違ったものではないという事を
固く信じているのです。私は御嬢さんの顔を見るたびに、自分が
美しくなるような心持がしました。御嬢さんの事を考えると、気高い
気分がすぐ自分に乗り移って来るように思いました。
もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な
感じが働いて、低い端には性欲が働いているとすれば、私の愛は
たしかにその高い極点を捕まえたものです。
私はもとより人間として肉を離れる事の出来ない身体でした。
けれども御嬢さんを見る私の眼や、御嬢さんを考える私の心は、
全く肉の臭を帯びていませんでした。
ふとしたことで、同郷の学友Kの面倒を見ることになり、お情けの援助は受けたくないであろう Kの体面を考えて、
同じ下宿に Kも住むことに計らった。Kは寺の息子で真面目な男だったが、下宿の娘に恋をして、ある日そのことを先生に
打ち明けた。
自分も娘に恋をしていた先生は、自分も娘に恋をしていると Kに打ち明けられず、悩んだ末に、下宿の奥さんに
直接「娘さんを嫁に下さい」 と申し込み快諾を得た。
そのことを知った Kは、何の恨みも言わず自殺した。
その後、先生は娘と予定通り結婚したが、自殺したKを思うと、気持ちの晴れない日々が続き、明治天皇の崩御、
乃木大将の殉死をきっかけに、自らも死を選ぶのだった・・・・・
◆ 解説で三好行雄氏はこんなことを書いている。
『恋愛は神聖だけれども罪悪だという先生は、同時に〈自由と
独立と己れに充ちた現代〉を生きる代償として、ひとは孤独と
寂寞に耐えねばならぬことを見抜いている。
御嬢さんを占有しようと
して、先生はKを裏切った。この個人的な認識(しかも、先生はそれを
妻と共有することさえみずからに許さない)と、現代人の寂寞という、
より普遍的な主題に架橋して漱石の倫理が存在する。』
また漱石自身の当初の構想では、第3部に続く部分があったとも。
『小説の時間がやがて、遺書を読んだあとの私ーー思い出を語っている私の現在に回帰する構想があったのではないか、
つまり、つぎの短編は私をめぐる物語として予定されていたのではないか、という推測もなりたとう。(中略)
漱石が「こころ」の続稿を断念したのは賢明な処置であった』
明治から百年、現代人にはちょっと共感し難い部分もある小説だと感じた。