喧嘩長屋のひなた侍  似づら絵師事件帖      芦川淳一著     双葉文庫    2007       2007/12/28

 余儀なく家老の倅を斬り殺し、駿河押川藩から江戸へ出奔した桜木真之介。
 得意な絵心を生かし似づら絵師として たつきをたて、のんびりとした長屋暮らしをしていたが、定廻り同心に 似顔絵書きの腕を見込まれたことから思わぬ事件にまきこまれる。
 期待の新鋭の痛快書き下ろし長編時代小説 第一弾!

  女狐変幻
 「桜木さまはなんと呼ばれているか知ってますかい」 羅宇屋の寅吉が聞いた。
 「さて、わしのことをこの長屋の者がなんと?」  「へへへ。怒らないでくださいよ。えへへへ・・・・ひなた侍ってね・・・・」
 「ひなた侍・・・・・そうか、ならば、当っているではないか」 真之介は苦笑した。ひなた侍とは田舎侍の謂いであり、 真之介の見当は当っていたようだ。
 真之介は鼻筋が通った顔だちだが、二重の目がずいぶんと大きく、時としてきょとんとした表情に見える。
 男前では あるが、切れ長の目の役者のような顔とは違って、どこか茫洋とした雰囲気があった。

 桜木真之介は、駿河の押川藩の出である。百二十石の御納戸役の家に次男として生まれた。
 十四年前の寛政五年(1793)、真之介十二歳のとき、父、平左衛門が下役の一角源之丞に城外で斬り殺された。 平左衛門は胸を刺し貫かれ、見つけられた時は虫の息であった。ただ一言、一角源之丞に襲われ不覚をとったと言い残し 息絶えた。
 一角源之丞は平左衛門を斬ったわけを語ることもなく、その日のうちに藩をでてしまい、長子である十八歳の万之助が 仇討ちのためにその後を追った。   それまでは絵を描くことが好きで、あまり剣術には熱心でなかった真之介だが、仇討ちに同道する時のために、 稽古に励むようになり、やがて真之介は道場でも三本の指に数えられるほどになった。
 三年が経ち、やつれ果てた万之助が帰って来、仇である一角源之丞は江戸で病死し、討つことが出来なかったと告げた。
 仇討ちは見事相手を討ち果たしてこそのことであり、討つべき相手が死んでいた場合、元の禄高を維持することは難しく、 下手をすれば家名断絶である。
 ただ、これまでの桜木家の藩に対する貢献が大きかったことから、半分の六十石に格下げに なっただけで、万之助は御納戸役に取り立てられた。

 藩主の江戸参府の折に、真之介は師匠栗田総一郎と共に藩主の警護役として江戸へ入った。藩主の帰藩後も二年間江戸に残り、閑な時は 江戸の剣術道場をめぐって、剣の修行をして来た。
 父平左衛門が殺されてから十四年が経った。真之介に馬廻りの家に婿に出ると言う話が持ち上がったある日、 剣術の稽古から帰る真之介は突然何者かに襲われ、相手を斬り殺した。襲った男は藩の筆頭家老、室戸一之進の倅・宋四郎だった。 宋四郎は真之介が嫁にするはずの志穂に懸想していて、力ずくで奪おうとしたのだった。
 真之介は藩を出て江戸へ向かうしかなかった。

  般若と暴れ鬼
 江戸で長屋に落ち着いた真之介だが、手持ちの金はそう多くは無いので、日々の暮らしを立てる手段をいろいろと考えた末に、 思いついたのが似づら絵師だった。絵心はあり、人の顔の特徴を掴み描くことには自信があった。
 江戸の盛り場に立ち、道行く人の注文で似顔絵を描いてやる。描き賃は一人十文である。(蕎麦よりも安い)
 それでも何人かの顔を描けば、その日の食べ物を買う金にはなった。

 米問屋豊楽屋の主人から娘の顔を描いて欲しいと頼まれ、店まで出かけ娘・お幸の顔を描いた。
 お幸は好いた男から袖にされ、絶望に打ちひしがれた顔をしていた。相手の留吉という男は、遊び人でお幸の相手に 相応しい男ではなかった。
 般若のような¥に眉をつり上げ、恨みの炎を目に宿したような女の顔の絵を見て、お幸は目が覚める・・・・

  怨霊似づら絵
 ある日、押川藩の同輩が真之介を訪ねてきて、久し振りの話を交わすうちに、死んだはずの一角源之丞によく似た 男を見たと話した。
 真之介は同輩の伊勢崎が見かけたという浅草奥山へ行き、源之丞の似づら絵を見せながら消息を探った。
 目ぼしい情報を得られぬまま帰り道を歩いていた真之介は、寂しい場所ですさまじい殺気を浴びせられた。相手は 深編笠で顔を隠していたが、斬り合う内に編笠が割け顔が見えた。なんと源之丞だった。
 剣の腕は源之丞の方が上で、真之介は次第に追い詰められていったが、偶然通りかかった二人の武士が斬り合いに気づき、 駆け寄ってくるのを見ると、源之丞は刀を引き、逃げ去っていった。

  塔の峰の決闘
 真之介は東海道を西へ向かって歩いていた。源之丞の行方を追い、以前の隠れ家を見つけたところ、その家に 「塔の峰の茶屋にて待つ」との書置きがあったからだ。
 峰の茶屋に着いた真之介が茶屋の老婆に源之丞のことを尋ねると、老婆は茶屋の裏から狼煙をあげ、まもなく 源之丞が現れた。
 「おぬしに訊きたいことがある。なぜ、父平左衛門を斬ったのだ? そしてなぜ、自らを病死と偽って一角家家宝の刀を 寺に預けたのだ」
 かねてより胸にわだかまっていた疑問を真之介は源之丞にぶつけた。 源之丞は無言のまま刀を抜いた。
 「答えぬ気か!」 真之介も抜刀する。
 「家老井筒帯刀の命によって斬った。己を病死と偽ったのも同じだ」
 「な、なんと!」 源之丞の言葉は、真之介にはあまりにも意外なことだった。
 家老は藩政の秘密を桜木平左衛門に 握られ、口封じのために源之丞に斬らせたのだったが、その秘密は源之丞も知らないことだと言う。
 激しい戦いの末に、真之介は源之丞を倒した。

 ◆ この作家も初めて読む。
 副題の「似づら絵師事件帖」は、主人公真之介が江戸での生活のために始めた仕事だった。
 似づら絵師はただ正確、正直に描くよりも、特に女性の場合は少し美人顔に描く方が喜ばれると悟るようになる。  本編の最後は、仇討ちを果たした真之介だが、国を出ることになった家老・井筒の秘密とは何だったのか、許嫁だった 志穂はその後どうなったのか、などなど次作への布石はたくさん置かれたままだ。