源内狂恋     諸田玲子著   新潮社2002   2004/5/17

 江戸きっての才人・奇人として知られる「平賀源内」を主人公に、愛しながら結ばれない男と女の「業の深さ」 を描く骨太の恋愛時代小説。

 高松の貧しい足軽の子として生まれた源内。持前の好奇心とエネルギーを武器に、本草学者として出世を目指した源内は、 しかしその高いプライドと野心から周囲に疎まれ、許嫁にも裏切られて江戸に出奔する。
 江戸でもひとたびは学問を志しながら、 金のために戯作を次々と著し、金山経営や織物づくりに手を出すなど、「山師」と蔑まれてゆく源内。

 プライドと貧窮のはざまで気が狂わんばかりの男を支えたのは、一人の下女だった。
 下女「野乃」と源内の、崇拝から蔑みへと変る思い、さらには嫉妬やエゴに狂う恋心は、15年もの月日を織り成しつつ、 悲劇的な結末を迎える・・。

 史実にも有名な源内の人斬り、入牢。その牢内で、源内が綴ってゆく自らの回想として描かれてゆく。   そこにあるのは女の見た現実か、それとも男、源内の夢か・・。
→ http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/3931/nenashi/nenashi_1.html

   【平賀源内】別名、風来山人。またの名、天竺浪人、福内鬼外(フクチキガイ)。讃岐・志度の生まれ。

「御用いうのはのう、長崎行きじゃ」
「長崎? 長崎いうたら、九州やないか」 権太夫は目を丸くした。
「そげな遠くへ、なにしに行くんかいの」
「久保先生のお供ぞな。長崎には異人がぎょうさんおるけん、紅毛の本やら絵やらを見にいくんじゃ」

「ほんだら長崎から帰ったら、源内さんは御薬坊主になるげな」
「ほーじゃな」
「ご城下に住まうんかいの」
「ほーじゃろな」
「どんどん偉うなって、遠くへ行ってもうみたいや」
「そうか、わいが偉うなったら、おまいも引き立ててやるわい」

   −−ひゃあ。瓢軽(ヒョンゲ)なお人やのう。
 はじめて先生(センセ)に逢ったとき、うちはびっくりしました。残暑の厳しい季節だというのに、烏みたいに 真っ黒な木綿の袷を着て、下から目の覚めるような黄色と浅黄色の襟をのぞかせ、ふところには大きな紅い紙入れ を差し込んでいます。
 髪は文金風といって、江戸では流行の髪型だそうですが、鼠の尻尾みたいに細い髷が頭のてっぺんにひょいとのっています。 ご城下ではそんなおかしな頭をしているお人はいません。

 先生はちらりとうちの方を見ました。
「野乃か・・・」  「へえ」
「けったいな名じゃのう」  「・・・へえ」
「江戸はおもくれえ。度肝ぬかれんようにのう」

   「おまえ、出てゆきたいのか」  これまで見たこともない怖い顔です。
「放らん。だれにもやらん。川名にも、中川にもやらん。おまえはおれのものだ」
 先生は一気に言いました。言いながらうちを抱き寄せます。うちは頭がぼおーっとして、目がくらくらして、 体がかあっと熱くなりました。体がちぢんで小さくなってゆくみたいで、心細くなって先生の胸にひしとしがみつきました。

 そうして、あのことが起こったのです。
 先生はいつもの先生ではありませんでした。うちも、いつものうちではありませんでした。先生はうちを押し倒し、 うちは先生の着物をぎゅっとつかみ、先生はうちの裾をまくり上げ、うちは身をよじっただけで抗わず、 先生はうちの股の間に手を入れ、うちは上ずったように「先生先生・・・」とつぶやき、その唇を先生の口がふさぎ、 うちは足の力を抜いて目を閉じ、先生は急に帯を解いて・・・

 いいえ。忘れたのではありません。死にそうに恥ずかしいから、あとは気が遠くなって・・・とごまかしてしまいたいけれど、 うちは先生の太股のひやりとした感触も、それがすぐに熱く湿ってゆく感じも、息が止まりそうでそれでいて心地よい重さも、 あっと思った瞬間、体を貫いた痛みもまざまざと覚えています。


 二十年にわたる愛憎劇の、これが不幸なはじまりだったのです。

   「・・・人は陰陽のふたつをもって体をなす。たとえば石と金ときしり合いて火を生ずるがごとし・・」
 もう一方の手をうちの裾に差し入れて、体をまさぐります。そのまま二人して破れ畳に倒れこみ、薄い壁の むこうを気にかけながらあわただしく体を重ねるのです。
 最後の仕上げに
「幾度となく勤むれど、体、金鉄にてやありけん」 先生が荒い息を吐きながらつぶやけば、
「少しも元気衰えざりけり」  今の今まで体の中にあったものを撫でながら、うちもいつのまにか覚えてしまった 箇所をつぶやきます。そうして、二人して笑い転げるのです。
 これが二年前にぎこちなく抱き合った、あの学問一辺倒の先生と世慣れぬ田舎娘の密事なのですから、 変われば変わるものです。
 蜜月は二年近く続きました。


◆ 平賀源内という人は、多彩なマルチタレント、江戸のダ・ヴィンチのような人だったようだ。
  植物学者としても著名だが、西洋画を学び遠近法の心得もあったという。また、【エレキテル】に代表されるように、 西洋科学を学び、「火完布」(不燃布)を作ったり、炭焼き(木炭)を事業化しようともしたらしい。
 しかし、多能多芸だが自尊心の強い見栄っ張りな性格が邪魔をして、事業はことごとく失敗しいつも借金に苦しんでいた。
 金稼ぎの手段として手をつけた戯作、読み本書きでもたくさんの著作を残している。

 『放屁論』:良薬は口に苦く、出る杭は打たるる習い・・・
 『放屁論後編』    『神霊矢口渡』  『里のおだ巻評』 『飛んだ噂の評』 『風流志道軒伝』 『長枕褥合戦』 『萎陰隠逸伝』 『火完布略説』
 『根南志具佐』:血の池に剣の山、焦熱地獄に無限地獄、磯の砂のごとき罪人どもに閻魔・獄卒大わらわ・・
など

【「根南志具佐」という小説の序文の書出し部分】 http://bunka.sucre.ne.jp/bunka/meibun/meibun30.html
 唐人の陳プン看、天竺の〈オンベラボウ〉、紅毛の〈スッペラポン〉、朝鮮の〈ムチャリクチャリ〉、京男の髭喰そらして、 あのおしやんすことわいな、江戸の女の口紅から、いまいましいはつつけ野郎なんど、其詞は違えども、喰て糞して寝て起きて、 死んで仕舞ふ命とは知りながら、めったに金を欲しがる人情は、唐も大倭も、昔も今も易(かわる)ことなし。

 剣術者の身のひねり、六尺の腰のすはり、座頭の鼻哥、御用達のつぎ上下、浪人の破袴、隠居の十徳姿、役者ののらつき、 職人の小いそがしき、仕事師のはけの長さ、百姓の鬢のそそけし、蒭尭(すうぎやう)の者も行き薙莵(ちと)の者も来る、 さまざまの風俗、色々の顔つき、押しわけられぬ人群集は、諸国の人家を空して来るかと思はれ、ごみほこりの空に満つるは、 世界の雲も此処より生ずる心地ぞせらる。