奇貨居くべし
<春風篇> 宮城谷昌光著 中公文庫 02/3/17
呂不韋、古代中国・戦国時代の末期、韓の商人の庶子として生まれた。後年、秦の宰相となり
多くの食客を養い『呂氏春秋』を編纂したと伝えられる。
秦の始皇帝は前王の子ではなく、呂氏の子供であったという伝説もある。
まだ少年の不韋は父の命令で伴の鮮乙、山師の彭存と一緒に旅に出た。
「黄金の山をどうしてみつけるか、知っているのか」
と意味ありげな目つきをした。
「黄金のにおいでもしますか」
鮮乙は瓢に水を入れた。
「ちがうな。黄金の山には気が立つ。それでわかる」
と、低い声でいった彭存は、かたわらに呂不韋がきたことに気づき、表情をあいまいにした。
「どのように気が立つのですか」 と呂不韋はきいた。
彭存は表情のあいまいさを笑いで払った。
「黄金の気だ。まっすぐに、こう立つ」
急に語気を強めた彭存は、両手で大木をつかむようなかっこうをし、その両手をいきおいよく
上昇させた。両手の間にあった空気が、そのまま天に昇ってゆくような感じであった。

「おい、鮮乙、よいことをおしえてやろう」
「なんです」
「黄金の気は、地から立つばかりではない」
「ほう・・・」
「人からも立つ」 語気をあえておさえたようないいかたをした彭存は、鮮乙のまなざしをいざなうように、
呂不韋のほうをみた。
この少年は、やがて大事業をおこなうのか。信じたいような信じたくないような想いが鮮乙の
胸を去来した。
この少年は聡明である。従って知識を与えれば、どんどん自分のものにしてゆくであろう。
呂不韋が万人の上に躍り出るには、胆力が要る。つまり自分の良質を表現する力を備えているか、
いないか、によって成否のなかばは決する。あとは運である。
要するに、才能を使いつくしたあとに、ある富を手に入れて自己満足のうちに生涯を終わるか、
自己の向こうにある自己をさがしあてる、いわば個人の才能ではどうにもならぬ冒険を無形の富と
考え、まい進することで一生をつかいはたすか、である。
−−どちらが得か。
と考えれば、結論はあまりにも明らかである。が、どちらが面白いか、といえば、計算の外に
ある人生のほうが面白い。
「仲さまは、蘭氏の客としてこの地にお残りになるのですね」 鮮乙は旅装をしはじめた。
「はっきりいえば見聞をたくわえたい。学問もしたい。趙の国で仕官をするつもりはないから、
必ず帰る。が、早くても3年先になるだろう」
呂不韋にはそんな予感がある。広い世界を知り、さまざまな人を見て、商利をわきにおいたかたちで
生きてみたくなった。朝から夕まで利害のことしか考えないのでは、いかにも人としての幅が狭く、
むしろ大利をつかむためには、一見、むだとか無益とかおもわれることに心身を漬け、そのあいだに
小利に惑わされない心の目を養っておく必要があることを呂不韋は旅の間に痛感した。
★ 旅をして世間を知り、呂不韋はたくましく成長する。山師が見た黄金の気は本物だったのか?