王家の風日    宮城谷 昌光著  文春文庫

 ここに「商」とよばれるひとつの王朝がある。商は後に「殷(イン)」ともよばれる。
 中国はその王朝時代にはじめて文字をもった。うらないのために亀の甲や獣の骨に彫られた文字、 いわゆる甲骨文字がそれである。ところで、時代がはるかに下がった北宋時代の文雄である、蘇軾(ソショク)の詩に、
 −人生字を識(し)るは憂患の始め・・・
とあるように、商王朝は文字を識るというよりも創ったがために、かえって苦悩を深め始めたのかもしれない。


 この本の書き出しは、上のような文章で始まる。もう少し続けよう。

 古代の蒙(クラ)さのなかで、ひとり屹立(キツリツ)して陽光をあびたように、卓抜した文化をもっていた商の人民は、 後世にさまざまなものを遺した。その中に青銅器がある。
 −これがほんとうに紀元前11世紀に造られたものか。
 時空を超えて眼のあたりに厳然とある商の青銅器を視る人は、めまいにさえ襲われるかもしれない。それでなくとも商の 青銅器には比類のない美しさと神秘とがあり、その器が悠久と宿してきた鬼気にうたれることはありうる。

 この本は、商の王朝末期、第28代・文丁王の子「箕子(キシ)」とその異母弟で王位を継いだ受王を中心とした物語だ。 時代は神の支配する時代から人の支配する時代へと移ろうとしていた。受王は、始めて「貝の貨幣」を作るなどして 国の発展を目指すが、最後には西方の周との戦いに敗れ、周王朝と交代する。

 受王が考案した酷虐な火刑「炮烙(ホウラク)の刑」(油を塗った柱の上を渡らせ、落ちると火の中へまっさかさま)や 人間を塩漬けにし乾し肉にする脯(ホ)の刑、からだを切り刻み、しおからにする醢(カイ)の刑、煮殺す刑などの話も 出てくるが、新王の即位、強大な商への近隣諸侯の入貢と人質、外征、巡狩、忠誠と叛意、讒言(ザンゲン)、阿諛(アユ)、 古代中国王朝の紡ぎ出すめまぐるしい浮沈のドラマとロマンが、小説の醍醐味を味わわせてくれる。

 難しい漢字がたくさん出てくるが、作者・宮城谷さんの漢字への思い入れが伝わってくるようだ。
 ★ 商の人たちは、物を動かすこと(交易)によって利が生ずることに着目し実行した。『商人』(商いをする人)という 言葉の語源だ。